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村上春樹再読会(9)TVピープル - 不人気No.1短編集、ただし2編は例外

友人と3人で村上春樹作品を再読しZoomで語り合う会の記録、第9回。6つ目の短編小説集「TVピープル」についてです。
TVピープル (文春文庫)

総評-これまででもっとも不人気な短編集。でも。

残念ながらというかなんというか、これまでエッセイや長編についてのZoom会やオフ会を含めると私たちは25回集まって村上作品について語り合っているのですが(このブログにアップしているのはそのうちの一部です)、その中で不人気No.1だったのがこの「TVピープル」でした。

  1. 心温まる話がひとつもない
  2. 一番読み返さない短編集
  3. 「飛行機―あるいは彼はいかにして詩を読むようにひとりごとを言ったか」・・・単純におもしろくないし、読み終わった直後、「独り言をいう男の話」くらいしか記憶に残らない(よしてる)
  4. 「TVピープル」をはじめて読んだとき、春樹さん一体どうしたの?(こんなにつまんない、響かない話を書いて・・・)と正直思った。でも今回再読して、そこまでではないなとも思い直したけれど(よしてる) ※この短編「TVピープル」は実は「ニューヨーカー」誌に初掲載された日本人作家の作品だそうで、春樹さんが世界的人気を得る最初の第一歩のような記念碑的作品でもあるのですが・・・

どうしてなのか。3人が真っ先に思いついたのは、エッセイ「遠い太鼓」でも述べられている、この時期の春樹さんがいわゆる「きつい」状況にあったことです。「ノルウェイの森」が異常なほど売れたことに端を発した様々な抑圧や孤独を中心とした、いろんな「きつさ」。

「遠い太鼓」の冒頭に描かれている蜂のジョルジュとカルロが「ぶんぶんぶんぶん」といつまでも飛びまわり、「僕の疲弊こそが彼らの養分」としているような状況でこれらの短編は執筆されました。だから「心温まる話がひとつもない」のは、むしろ自然なことなのかもしれません。

でも「我らの時代のフォークロア―高度資本主義前史」と「眠り」の2編だけは違う。読みごたえがある。これも3人に共通した意見です。


「我らの時代のフォークロア―高度資本主義前史」

あらすじ:成績・スポーツ・顔立ち・リーダーシップのどれにも優れていて、同様にあらゆる面ですぐれた女子生徒とつきあっていた高校時代の同級生の男。彼とイタリアの田舎町で会った「僕」は、彼らのその後について話を聴く・・・

  • この作品には(この短編集の他の作品と違って)血が通っている。
  • このなんでもできる男性、「ダンス・ダンス・ダンス」の五反田君を筆頭に、村上作品に時々出てくる存在。でも五反田君とこの作品の「彼」も少し違うし、「ノルウェイの森」の永沢さんもかなり違う。
  • 彼女が言った「私はあなたと交わした約束のことをまだちゃんと覚えているのよ」。これを怖いと感じるか、「ラッキー」と感じるか・・・
  • (よしてる)なんでもできる同級生が語った「僕らは小さい頃から追いまくられるんだ。前に行け、前に行けって。そしてなまじ能力があるだけに、言われたとおりに前に言ってしまう。でも自我の形成がそれについていけないんだ。そしてのびきってしまうんだよ。モラルのようなものがね」-私はなんでもできる人間ではなくむしろその逆だけれども、この言葉はすごくよく響く。世の中の優秀な人たちのうち、このことに自覚的な人がどれだけいるのだろうか、とこの部分を読んで思った。


「眠り」

あらすじ:歯科医の夫と小学生の息子がいる女性が、ある日突然まったく眠気を感じなくなり、ロシアの長編小説が読みたくなる。毎日小説を読み続け、チョコレートを食べ、プールで1時間泳ぐ。それでも眠くならない。そして夫の寝顔を見ているうちに、夫が醜くなったこと、息子が夫そっくりの寝顔で寝ていることに気づき、ブランディーを飲むようになり・・・

  • (語り合っている3人のうち一人は医療関係の仕事をしているが)プロから見ても「眠り」はリアルで怖くなる
  • 「眠り」と同短編集収録の「ゾンビ」、そして「一人称単数」の共通性:突然向けられる理不尽な暴力
  • ただ、「眠り」の人は恐怖にかられたとき声が出ない。「ゾンビ」の人は声が出る。
  • (よしてる)「いつまでたっても私にはハイドンとモーツァルトの違いを識別することができない」-私も同様。でも、二人の曲のうち、好きになって何度も何度も聴く曲はほぼすべてモーツァルトのほうだ。
  • (よしてる)この「眠り」は最初に短編集「TVピープル」を読んでがっかりしたときも別格で心を奪われた。ひとつは物語の最後に訪れる恐怖に。もうひとつは、主人公の女性が「眠くなくなる」という異常事態に慣れ、それを肯定的に捉えてしまい、それとともに何もかもが過剰になる一方で、家族を冷酷な目で見るようになるというプロセスに。主人公は最後に叫ぶことができないでいるが、この作品全体が表現しているのは大きな叫びなのではないか。そんなふうに感じずにはいられない。


その他

  • 「TVピープル」・・・雑誌の場所が変わると妻が怒る様子がリアル。きっと春樹さんの実体験では。
  • 「加納クレタ」・・・加納マルタがいろんな方言をしゃべっているのはなぜ?
  • 「加納クレタ」・・・マルタが殺した警官を埋めるときにローリング・ストーンズの「ゴーイン・トゥー・ア・ゴーゴー」を歌っているが、同じ曲が「ダンス・ダンス・ダンス」にも出てくる。


盲信しない再読会

春樹さんファンだけど、こんなふうに春樹作品を盲信せずに率直に感想を言い合えるこういったやりとり、とてもありがたいです。

村上春樹さん自身も、かつて2013年、京都大学の講演でこのようにおっしゃっていましたし。「時々、今回の本はほんとにつまらなかった、がっかりした、でも次も買います、とおっしゃる方もいる。僕はこういう方が好き。全部好きになってくれる必要はない。つまらないと思っていただいてもかまいません。僕は個人的に、一生懸命、手抜きなしで書いています。」
(詳細は以下の記事を参照ください)

村上春樹さん関連メモまとめ


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