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村上春樹再読会-「ノルウェイの森」の解像度が上がった

村上春樹さんの作品を愛好する友人ふたりと、春樹さんの作品を再読して感想を述べあうZoom会をやることになりました。

最近、新しい本を読んでいくのも楽しいし今まではずっとそうしてきたけど、人生も後半に入ってしばらくたつわけだし、そろそろ「自分の好きな作品を何度も味わう時間」というのをつくっていきたいな・・・と感じていたところでもあったので、渡りに船です。

最初に選んだのは「ノルウェイの森」。

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)
ノルウェイの森 下 (講談社文庫)

私が最初に読んだ春樹作品で、それから約30年間、ほとんど読み返していない。嫌いなわけではないのだけれど。そういう点でも再読にうってつけ。

で、読み返して、Zoom会で私が話したことは次の通りです。

(以下では、小説のあらすじは書いていませんが、いろんな場面について言及していますので、今後この小説を読む予定のある方にはおすすめしません。また、作品の解題ではなく、単なる読書経験にすぎない内容です。)


30年たって-解像度が上がった

いちばん大きな変化は「解像度が上がった」こと。

どういうことか?

読書経験の広がり

まずは、最初に読んだ18歳のときにはぼんやりとしていた記述がはっきりとイメージできる(時には骨身にしみて感じることができる)、ということです。

たとえば、作中に登場するスコット・フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビイ」やレイモンド・チャンドラーの作品などは、30年前は未読でしたが今ではそれがどんな小説なのかを体験できています(しかも、両方とも春樹さんの訳で)。

トーマス・マン「魔の山」はまだですが、いずれ読んでみたいリストには入っています。

東京理解の深まり

もうひとつは、東京の地名から地理関係や雰囲気がわかるようになったということ。

私は出身・学校・仕事もすべて関西ですが、最初に「ノルウェイの森」を読んでしばらくたってから、東京で仕事をする経験を通算1年半、そして100回以上の東京出張を経験しました。

おかげで、地名からはさっぱり見当がつかなかった場所、たとえばワタナベと直子が再開後に歩いた「四谷~市ヶ谷~駒込」までの距離感やだいたいの雰囲気がつかめたのは作品を味わううえでとても大きいと思います。

また、ワタナベが住んでいた目白の寮は和敬塾がモデルだとされていて、小説の世界と現実を混同するのはナンセンスかもしれないけれども、数年前に和敬塾の前まで行った経験はやはり作品を再読した時に新たな感触をもたらしてくれました。

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和敬塾(2017年撮影)

和敬塾といえば、蛍のエピソード。あの蛍は「近くのホテルが客寄せに放した」とのことですが、そのホテルはまず間違いなく、自分が2002年のポール・マッカートニーの追っかけでお邪魔したところ。それをこの再読時に理解した時には、自分のささやかな人生経験パーツがかちっと音を立ててつながったような感覚がありました。


30年たって-他作品の萌芽に気づく

約30年ぶりの再読で気づいたもうひとつの点は、「ノルウェイの森」にちりばめられた、以降の春樹作品の萌芽です。

まず、レイコさんがかつてピアノを教えていた女の子。この、人を陥れ孤独にさせる人物からは、のちの短編「沈黙」を連想せずにはいられません。

また、レイコさんが直子の服を着るところは「トニー滝谷」。

たまたまですが、どちらも「レキシントンの幽霊」に収録されていますね。またどちらも初出は「ノルウェイの森」発表の数年後です。

「ノルウェイの森」自体が、短編「蛍」「めくらやなぎと眠る女」の発展形であることは周知のとおりですが、この作品にもその後の創作の源が流れているのです。


その他

その他には・・・

自分が、作中のワタナベ(37歳で、大学時代を振り返る)は言うに及ばず、レイコさんよりも年上になってしまったこと。それでも、この小説を読むときは、自分はワタナベと同年代で、レイコさんは自分よりずっと年上のままなのです。まあこれは小説の再読で誰もが感じることでしょう。

高校の時、家庭教師の先生(女性)が、当時大ベストセラーになっていたこの小説を読んでの第一の感想が「もうすぐ就職なんだけど、本音でいうと阿美寮に入りたい。ああいう暮らしがいい。」と話していたことを思い出しました。人間、一生のうちで阿美寮のような場所で過ごす機会があったほうがいいのでは、とは私も今も思っています。

この小説は、冒頭で37歳のワタナベが昔語りをするというかたちで始まり、以後はずっと大学時代か高校時代の話が続くのですが、それ以外の「十二年か十三年あと」のシーンが一度だけ登場します。このことは再読して気づいたのですが、それに唐突に気づいたことそのものがそのシーンの内容とシンクロしたときが、「数十年を経て優れた小説を再読すること」の貴重さと特別さをもっとも感じた瞬間でした。


関連メモ


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