友人と3人で村上春樹作品を再読しZoomで語り合う会の記録、第5回は、春樹さんの第二作「1973年のピンボール」についてです。
小説総体の印象の変化
我々3人がともに感じたのは、再読したことによる印象の変化です。
- 以前に読んだときは軽い小説だと思っていたが、改めて読んでみるとそれだけではないことがわかった。
- たしかに双子の女性が急に現れるなど、ファンタジーの要素もある。
- この双子は小説の世界に実在しているのだろうか?とも感じるが。
- しかし全体的には、死や喪失のトーンが色濃い。
鼠の変化
デビュー作「風の歌を聴け」と本作、そして次の長編「羊をめぐる冒険」には主人公の友人「鼠」が登場するため、「鼠三部作」と言われているのですが、本作の鼠の特徴についても話し合いました。
- 前作「風の歌を聴け」から一転して、徹底して鼠と交じり合わなくなっている。
- 鼠が語る場面では、「風の歌」で「僕」が言っていたようなことを鼠が言うようになっている。
- 鼠のパートだけリアリズム描写になっている。
- ダークな部分は鼠がすべて持って行っている。
「ノルウェイの森」とのつながり
本作の5年以上あとに発表される「ノルウェイの森」とのつながりを感じさせる記述について。
- (「ノルウェイの森」主人公の彼女)直子についての言及がある。
- 「ノルウェイの森」が収録されているビートルズのアルバム"Rubber Soul”ついてのこんなやりとりがある。
一人が席を立ってレコードをかけた。ビートルズの「ラバー・ソウル」だった。
「こんなレコード買った覚えないぜ。」僕は驚いて叫んだ。
「私たちが買ったの。」
「もらったお金を少しずつ貯めたのよ。」
僕は首を振った。
「ビートルズは嫌い?」
僕は黙っていた。
- 小説全体がリアリズムで書かれているのは「ノルウェイの森」が最初だが、鼠の章では、その兆候のようなものが感じられる。
ピンボールと倉庫のシーン
ピンボール倉庫のシーンは、内容上も文章上もこの小説のクライマックスに位置付けられますが、ここまでに語られるピンボールに関する記述は正確なものなのでしょうか。
アメリカのピンボールメーカーからもメッセージを寄せられている「東京・ピンボール・オーガニゼーション」のFAQページによると、「ギルバート&サンズ」にかかわる内容はフィクションですが、それ以外は「ほぼ事実に基づいている」そうです。
ところで、このシーンについて私たちが感じたことは集約すればこの2点です。
- 死んだ人と会っている。「耐えがたいほどの寒さ」という表現からも死の世界を感じる。
- ピンボールは「彼女」であり、直子なのではないか。
個人的に好きなセリフ、描写。
この小説でよしてるが好きなシーンは、上記のピンボール倉庫のシーンと、次の二つです。ひとつは春樹さんのユーモアが、もうひとつは春樹さんの紡ぐ日本語のリズムと情景の美しさが光っていると感じています。
「大学でスペイン語を教えています。」と彼は言った。「砂漠に水を撒くような仕事です。」僕は感心して肯いた。
十月の雨は素敵だった。針のように細い、そして綿のように柔らかな雨が、枯れはじめたゴルフ場の芝一面に降り注いだ。そして水たまりを作るでもなく、大地にゆっくりと吸い込まれていった。雨上がりの雑木林には湿った落ち葉の匂いが漂い、夕暮れの光が幾筋か射しこんで、地面にまだらの模様を描く。雑木林を抜ける小径の上を何羽かの鳥が走るように横切る。