(2017年に書いたメモを再構成しています。)
まんがが日本を代表する文化として認知されてもうかなりたちますが、そもそも、なぜ日本でまんが産業が発展したのでしょうか。
その理由として、手塚治虫がいたからだとか、昔から「鳥獣戯画」や浮世絵などフラットな画が伝統的に親しまれていたからとか、いろんな話を聞きます。
それらも間違ってはいないのでしょうが、もっと社会状況や数値(データ)を絡めた論はないのかと思っていたら、歴史社会学者の小熊英二さんがまさにそういった内容の論考(2012年3月)を書かれていたのでご紹介しつつ、自分の考えも整理してみます。
なぜ日本でまんが産業が発展したのか。その大きな理由は次の2つだそうです。
理由1:戦後日本は、発展途上国なのに「人口が多い」「言語が統一」「識字率が高い」が揃っていた
まず、大きな理由として、高度成長期に出版産業が異様に肥大化したことが挙げられます。
では、それはどうしてなのでしょう。
- 68年に行われた「過去三ヶ月に経験したレジャー・趣味を挙げよ」という調査の結果、1位は読書だった*1
これは他の多くの発展途上国には見られない状況だったのだそうです。その理由として、当時の日本は娯楽が少なかったことと、経済指数としては発展途上国に近いのに識字率が極めて高かったという点が挙げられます。では、それはなぜなのでしょう。
人口が多く、かつ言語統一がされている国
- 日本語人口が多く、日本語の出版物で出版業が成り立つだけの人口があった。*2
- 植民地化されなかった
- 国民共通教育により言語統一ができていた(たとえば、インドネシアも人口の多い島国だが言語統一はできていない)
以上のような地盤があったため、戦後の出版業は以下のような状況でした。
高度成長期~80年代の出版業界
- 当時の日本では、出版にかかわることは収入とステイタスが高かった
- 70年前後の日本では「小説新潮」「現代」といった大衆的月刊誌は数十万部売れていた
- 「週刊少年マガジン」は59年の創刊時部数が20万部だったが、70年には150万部を超えた
- 竹熊健太郎によれば、70年頃までは「雑誌の原稿料だけ(よしてる注:つまり単行本の収入やアニメ化などのライセンス収入がなくても)でマンガ家が家を買ったり、車を買ったりなんてことがあったんです。今じゃちょっと考えられない」
- 現在(2012年)でも日本は書店の多い国で、書店1軒あたりの人口はアメリカが27,363人、イギリスが14,925人、日本は7,710人である(ならばそれ以前はもっと書店が多かったと思われる)
つまりマンガ家は、才能のある若者が目指したくなる「もうかる職業」だったわけですね。今でも少数のメガヒット作家の収入は莫大だとは聞いていますが、高度成長期から80年代くらいまでは稼いでいる作家さんは今よりもずっと多かったということなのでしょう。
理由2: 教養神話が強かった
もうひとつの理由は、当時の日本では「教養」が大切にされていた、とのこと。ちょっとふわっとした理由ですが、整理してみます。
- 「トキワ荘」時代の赤塚不二夫や石森章太郎は実に多くの西洋映画・西洋文学を吸収していた(赤塚はディケンズの短編を、石森は西洋のSFをもとにした作品がある)
- 手塚治虫は赤塚と石森に「漫画家になりたいなら、漫画を読んじゃダメだよ。それより一流の映画を見て、一流の音楽を聴いて、一流の芝居を見なさい」とアドバイス
- SF作品や前衛的なヨーロッパ映画は、70年代の少女マンガ家たちも愛好した
このために、児童向けでありながら大人が好む文学や映画の芸術性をもりこんだマンガ作品が輩出されるという、他国にはあまり見られない現象が成立したとのことです。
たしかに、手塚治虫が「罪と罰」や「ファウスト」を、永井豪さんが「神曲」を、藤子不二雄が良質なSFを描くなど、文学や映画の芸術性を盛り込んだ作品には枚挙に暇がありませんね。
それに、「70年代の少女マンガ家たち」といえば、萩尾望都さんの実にヨーロッパ的な世界にはうっとりしてしまいます。この作品も、原作はジャン・コクトーですよね。
また、産業的にいっても、児童向け出版からマンガが発生したこともあって、掲載されるマンガが教養主義的であることは不自然ではなかったという点も指摘されています。なるほど。
- 創刊時から数年の「週刊少年マガジン」はマンガが4割ほどで、残りは教養記事だった
- 70年頃までには教養記事は雑誌から減少していくが、マンガ産業に経済的に余裕があったこともあり、実験的な作品が公表されやすかった
言語統一されているので、大衆文化と知識層文化のギャップが小さい
さらに、日本は大衆文化と知識層文化のギャップが小さいという特徴もあるそうです。
どういうことかというと、例えば現代インドは、「知識層向けの出版物は英語、大衆向け出版物はヒンディー語やベンガル語(ちなみに公用語は18ある)」と、読み手によって言語自体が分断されているそうなのです。結果、「文学的」な作品の多くは英語で出版され、国内市場は小さく、本一冊の単価も高くなってしまいます。10年ほど前までは小説の平均発刊部数は500部程度だったそうです(人口10億人以上の国で・・・思わず本を二度見しましたがたしかに500部と書いてありました)。
まあこれも、前述の「人口が多い」「植民地化されなかった」「言語統一されていた」ことと、識字率が高いために成立した状況ですね。
以上のような状況があったから、日本でまんが産業が発展したというわけです。
よしてるの考え
上記の小熊さんの考えについて、自分なりに考えてみました。
他に、日本よりも人口が多く第二次大戦で植民地化されなかった国といえば、アメリカ、ソ連、ブラジルなどが思い浮かびますが、言語統一が日本ほどなされていなかったり、識字率がそんなに高くなかったりしたのかもしれません。ソ連は思想統制の影響も大きいでしょう。
アメリカがこの条件に一番近いと思われますし、たしかにアメリカには「アメコミ」という文化があります。しかし戦後のアメリカは、日本よりも圧倒的に娯楽が多かった。ビジュアル&ストーリーテリングの才能のある若者は映画界に進んだのでしょうね。そちらのほうが儲かるから。
結局、才能は(も)マーケットによって動いていくんですよね。
そういえば、黒澤明は「手塚治虫のような才能が漫画界に行ってしまったから、日本の映画はダメになったんだ」と語っていたとか。(以下のメモではその言葉も含んだ黒澤による手塚評を載せています。)
そんなわけで、小熊さんの上記の考えには私も納得しつつ、改めてコンテンツ産業にとって(いや、すべての産業にとって)「金になる」ことがどれだけ重要かを改めて思い知る結果になりました。
現在
日本の出版業界とまんが
しかし現在は、その出版・まんが産業も一時期に比べると下り坂になっているのはご存じの通りです。自分でもちょっとデータを拾ってみます。
- 「週刊少年ジャンプ」 95年 653万部 → 2008年 278万部 → 2017年1~3月 191万部
- 「週刊少年マガジン」59年の創刊時部数が20万部 → 70年 150万部超 → 2017年1~3月 96万部
- 「小説新潮」「現代」70年前後に数十万部 → 2017年1~3月 前者は約1万部、後者は1万2000部
- (2017年の発行部数出典:一般社団法人 日本雑誌協会)
そもそも、日本国内の出版物の推定販売金額はピーク時から30%減少しているとのこと。逆にその中では、まんがは今も出版社を支える屋台骨になっている点では変わりないのかもしれませんが(上記の発行部数を見てもそう思いました)。
補足
なお、出版販売金額も含めて、日本社会のいくつかの指標が96年を境に変化していることについては、以下のメモに書きました。)
また、2018年以降は、主に電子コミックの人気により、出版業界の市場は増加しています*3。
世界での日本のまんがの売れ方
では世界での日本のまんがの売れ行きはどうなのでしょうか。アスワンさんの記事「日本の漫画・アニメーションの世界での実状やいかに? 2010年度版 = アスワン総合出」によると、2010年時点で・・・
- アメリカ:2007年をピークに半分近くに減少
- ドイツ、フランス、イギリス:2008年をピークに減少
- どの国でも「NARUTO」「ワンピース」(イギリスでは「DEATH NOTE」)など一部作品への集中が見られ、新規開拓に苦戦
小熊さんの本では、この状態を「弾が尽きた」と表現しています。まだまだ込められる弾はたくさんあると思うのですが、外国で日本のまんがを愛好する人のマーケットは言うほど多くないようなので(上記アスワンさんの記事には数字でそれが出ています)、「受ける人数は少ないが質は高い」ような作品はビジネスにならないのかもしれません。
小熊さんはこうも書いています。その通りだと思いますが、非常に難しいメッセージだとも思います。
もしある時期の日本社会に生まれた文化形態を育成する、あるいは残そうとするならば、その文化がいかに成立してきたかを知り、その文化のどこを育成し、どこを残していくかを考えていかなければならないだろう。
(戦後確立した社会の強固さについては、以下にもメモしました。)