村上春樹さんの作品をファンの友人二人と再読する会、第4回は短編集「風の歌を聴け」。1979年刊。デビュー作です。
全体を通じての感想
これの15年後に「ねじまき鳥クロニクル」か・・・
「風の歌を聴け」の軽さ・デタッチメントから、「ねじまき鳥クロニクル」の重さ・コミットメントへの変化には驚く。
でもこの作品にももちろん「春樹要素」はしっかりある。
春樹要素とは?
- 女性が突然いなくなる
- 人が自殺する
- 井戸が出てくる
- 主人公が女性とすぐ寝る
- 戦争の影(中国で「終戦の二日後に自分の埋めた地雷を踏ん」で死んだ叔父)
- 文章のリズム
好きなシーン
- 鼠が語る「男女が海で遭難する話」
海で遭難していて、男性はそのまま浮かんでいて、女性は必死に泳いで島までたどり着いたが、結局二人とも救助される。バーで再会した二人は・・・という話。
私がこの話で気に入っているのは、男性が遭難しながらビールを飲んでいたこと。そのビールは、遭難中に都合よく流れてくるのです。素人の考えた話にしても都合がよすぎて苦笑するし、それが必死に努力する女性との対比を際立たせているのが楽しい。
- 後日談があるところ。こういう終わり方は他の作品にはないと思う。
- 物語が「着地」している。
- 架空の作家「デレク・ハートフィールド」の話がもう一度出てくる(単行本のみ)。
鼠について
主人公「僕」としょっちゅうつるんでいる男性、鼠。
この後発表される「1973年のピンボール」「羊を巡る冒険」にも彼は登場しますが、本作での彼はどうか。
- 「僕」との関係が独特。「友達」というには少し違う。
- のちの作品「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」にも鼠は出てくるが、もっと抽象化している
- もともとはお酒はビールだけ、のはずだったけどジムビームのロックを立て続けに飲むシーンがある(それは「不吉な兆候」なのですが)。
- もともとは「恐ろしく本を読まない」はずだったけど、ニコス・カザンザキス「再び十字架にかけられたキリスト」を読んでいる。
- 視点が定まらないのがおもしろく、奇妙でもある。
映画との比較
この作品は、春樹さんの中学時代の後輩にあたる大森和樹監督によって1981年に映画化されています。
この映画についても話し合いました。
主に小説との違いについて。
- 小説は1970年が舞台だが、映画は1981年が舞台になっていると思わせる箇所がある。
- 小説になく映画にある「神戸まつり事件」(暴走族見物の群衆が暴徒化し新聞社のカメラマンが死亡)も1976年の出来事。
- レコード店で買うベートーヴェンのコンチェルトの番号が違う(これは私自身は全く気づきませんでした)
- ラジオのディスクジョッキーが不治の病の女の子について語る「僕は・君たちが・好きだ」がない!
- とても大事なところなのになぜカットしたんだろう。
- そもそも、映画のディスクジョッキー、噛みまくり。なぜこのテイクを採用したのか・・・
- 原作のデタッチメントな姿勢は、そもそも春樹さんの学生運動への反発から来ているのかもしれないが、はっきりとは言及されていない。でも映画ではそれをかなりはっきり描いている。
私自身はこの映画、けっこう愉しんで観ました。春樹さん風にいえば「悪くない」。原作の飄々とした独特の雰囲気をうまく映像化していて、今でも色あせていない。
小林薫さんが「僕」ですが、若いころの春樹さんにちょっと似た雰囲気があって、それもなかなかよい。
もうひとつ、個人的にとても「はまった」のは、ちゃんと神戸・芦屋・西宮でロケをしていること。それが「40年前の街角風景の貴重な記録」にもなっているのですよね。自分自身が今よく目にしている場所が登場した時には思わず声をあげてしまったりしました。
そのうちのひとつ、鼠たちが「当たり屋」をやるシーン(これも原作にはないですね)が関西学院大学正門前というのは有名だと思うのですが、
その当たり屋の練習をしているグラウンドは、西宮市中央運動公園の陸上競技場ですね。ここも再開発計画が出されているので、将来はこの映画でしか見ることができなくなってしまうのかも。
ビーチ・ボーイズ"California Girls"
映画ではなんと本家ビーチ・ボーイズの"California Girls"が流れます。楽曲使用料に数百万円が費やされ、映画全体の制作費を圧迫した*1そうですが、この歌について。
- この歌の訳詞は、春樹さんはいろんなところで書いたり語ったり(ラジオで)しているが、毎回ちょっとずつ変わってきている。
- 歌から想像されるのはこれ以上ない晴天のカリフォルニアだが、映画では曇天の神戸港とあわせて流れる・・・これはあえてそうしているのだと思われるが、意図はなんだろう?
関連メモ
注釈
*1:Wikipedia「風の歌を聴け」より。この箇所の出典は「2005年、「JAGDA ONE DAY SCHOOL in OSAKA」[2]における映画上映後の監督の解説」