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ヘイ・ジュードが世界で最初に歌われた村

(2021年8月15日更新)

雑誌 kotobaのビートルズ特集

集英社にkotobaという雑誌があります。

年4回発行なのですが、毎回全く違う特集を、それもユニークな角度で切り込んだ記事が多いので楽しみにしています。最近だと「悪の研究」「ベートーヴェン」「シャーロック・ホームズとコナン・ドイル」などが素晴らしかった。

その雑誌の最新号の特集がビートルズなのです。ついにきたか、という感じ。
kotoba2021年夏号

この雑誌の事ですから普段と違った切り口で楽しませてくれるだろうと考えていましたが、まさにその通りでした。

特に、ビートルズをもとにした現代アートの紹介、まんが「僕はビートルズ」について語るかわぐちかいじ氏、「グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ」の著者へのインタビュー「ビートルズにマーケティングを学ぶ」などが興味深かった。

それらの記事を、Webで関連情報の確認をとりながら紹介をしていきたいと思います。


ポールがその村に立ち寄った経緯

まず最初に紹介したいのが、イギリスのある田舎の村で、世界で最初にヘイ・ジュードが披露された、という記事についてです。

なんとその村では、ヘイ・ジュードが録音される1ヵ月前、そしてリリースされる2ヶ月前に、ポール・マッカートニー自身によって歌われたというのです。

どういうことでしょうか。

1968年6月30日、ポール・マッカートニー、マネージャーのデレク・テイラー、アラン・スミス(ニューミュージカルエクスプレスの記者)、ピーター・アッシャー、トニー・ブラムウェル、そして愛犬のマーサは、ヨークシャーでのブラック・ダイク・ミルズ・バンドのレコーディングを終え、ロンドンに向かうところだったのでした。

しかし、その日は夏らしく暑かった。なのでその旅を中断して休憩をとることにし、単に名前の響きがいいからという理由で(ポールらしいなあ・・・)*1、ロンドンの北100キロにあるハロルドという小さな村に立ち寄りました。

そこで一行は車を降り、村の男に道を尋ね、マグパイというパブに向かいます。

パブ「マグパイ」。残念ながら2012年に閉店したようです*2

道を聞かれた村の男は歯科医のゴードン・ミッチェル。彼は一行にポール・マッカートニーがいることに気づきました。

当時のパブは、食事を出すところがほとんどありません。そこでゴードンは妻のパットに声をかけ、ポール一行を自分の家に招待することにしました。それがこの家「マルベリー・ロッジ」です。

一行にふるまわれた料理は「ハムやパイに盛り沢山のサラダ、焼きたてのパンとケーキ、鶏料理に果物にワイン」*3


手料理とヘイ・ジュード「世界初演」


マルベリー・ロッジ (The Mukberry Lodge in Harrold)。17~18世紀の建築物で、歴史的建造物に指定されています*4
。この左側一番奥の出窓の部屋が、ポールたちが招かれた部屋だそうです。

そこで、ポールは、パットの手料理へのお礼を、音楽ですることにしました。

「できたての曲があるんです」といい、そして家のピアノで「ヘイ・ジュード」を歌った・・・というわけです。

これが「世界初演」ってやつか。あれほどの「世界のスタンダード」の初演が田舎の一家庭というのがしびれます。

ちなみにそのピアノはピンク色。ボールは思わず「ピンク色のピアノなんて見たことありませんよ」とコメントしたとのことです。

ボールはその際、パットの寝たきりのお父さんにも会いにわざわざ2階まで行き、しばらく話し込んだそうです。こういうところに、その人の人間性が出ると考えるのは私だけでしょうか。


夜更けのパブで

さて、夜の0時が過ぎて、ポールたちもそろそろ引き上げなければと思ったところ、車が運転手もろともいなくなっていました。

近所のパブ・オークリーアームズの店主がポールのことを聞き、規則を破ってこの時間にパブを開けていて、運転手はそこに移動していたのです。


オークリー・アームズ (The Oakley Arms in Harrold)


そこには村人たちが集まってきています。こうなるとポールもふたたびヘイ・ジュードを歌わないわけにはいきません。

ここで村の人たちは例のNa-na-na-nananana-のコーラスを合唱したそうです。

当時の村の人たちは、東京を含めた世界各地で数万人がこのパートを大合唱する映像を観た日には「俺たちが最初なんだぜ」と思うんでしょうね。

ポールたちがこの村を後にしたのは午前3時ごろだったということです(運転手はパブで酒は飲んでいなかったのでしょうか。いや・・・)。


村の宝

このできごとは、ハロルド村のウェブサイトに、専用のコーナーが設けられ、掲載されています。今も村の宝なのでしょう。


パットはこの特別な夜を過ごした後、すっかりポールのファンになり、2002年に亡くなるまで、ずっと彼のことを気にかけていたようです。

夫のゴードンには、この夏の夜のできごとについて、インタビューやテレビ出演などのたくさんの要望がありました。彼はそれを避けてきましたが、2008年、正確な記録を残すべきだと考え、村のウェブサイトに手記をアップしました。

そこにはポールがマルベリーの家でギターを弾いている様子やボールが残したサイン、この特別な夜の3日後にアップル・コアから届いたお礼の手紙(ポールや一行のサインつき)が掲載されています。

他のページには、娘のジュディに「ヘイ・ジュード」を捧げてもらったジョン・キーチの想い出もあります。


このエピソードは村の宝ものでしょうが、私にとっても宝ものになりました。今後、ヘイ・ジュードを聴くときには、この「真夏の夜の夢」を想うことになるでしょう。



以上は、雑誌「kotoba」2021年夏号掲載の、翻訳家園部哲さんによる記事「ロンドンでビートルズをしのぶ」の一部をもとにしました。

この記事は、有名なスポットも含め情報の密度が濃く、新しく、粋です。

具体的には、アビーロードの横断歩道がコロナ禍で塗り替えられたこともフォローしているところが新しいし、ジェーン・アッシャーの邸宅の紹介記事のタイトルが「アッシャー家の地下室」になっているところが粋です。この記事では、この地下室で起きた「ポーまがいの不吉な出来事」も紹介。で、ポーには「アッシャー家の崩壊」という作品があるのですよね。

さすがkotoba、と感心した記事のひとつでした。

補足

(2021年8月15日追記)デレク・テイラー「ビートルズと過ごした日々」のP.130からこの旅についての記述があります。本書によると、この旅のはじめ、ポールたちはドラッグの影響下にあったけれども、村に着いてしばらくしたころには「効果もほとんど消えかかっていた」そうです。

関連メモ




注釈

*1:地図に適当にピンを刺して決めた、という証言もあり

*2:Hosted By Bedford Borough Council: The Magpie Public House Harrold

*3:デレク・テイラー「ビートルズと過ごした日々」P.133

*4:Heritage Category: Listed Building 出典:MULBERRY LODGE, Harrold - 1310998 | Historic England


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