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「獄中で聴いたイエスタデイ」 - ポール・マッカートニーと暴力団員、二人の人生が交差するとき

「背中に大きな入れ墨のある暴力団員もいた*1。」

「他の日本人に会ったこと、それが一番の思い出だね。そのうちの一人は暴力団員だった。背中に大きな刺青が彫ってあって。(中略)でもそんな彼とも話をしてみると、気が合ったりしてね*2。」

ポール・マッカートニーが、1980年1月に大麻取締法違反・関税法違反の現行犯で警視庁の留置場に入れられていたときのことを語った言葉です。

この元暴力団員・瀧島祐介さんがポールとの出会いと自身の極道・カタギ人生をつづった貴重な本がこちら「獄中で聴いたイエスタデイ」。

手にとる前は、ポールについて書かれた部分だけ読めばいいかと思っていたのですが、それ以外の箇所も非常に興味深いエピソードが満載。結果的に最初から最後まで興味深かった一冊でしたのでご紹介します。

獄中で聴いたイエスタデイ


留置場のポール 歌と人となり

まず、ポールファンとしては一番関心のあるであろう留置場のポールの様子について。

ポールがリクエストに応じて生歌を披露したこと、求められてサインをしたことなどはファンならみなさんご存じかと思います。私はといえば、このエピソードを知った時から、誰かこのときポールと一緒だった人が匿名でもいいから手記でその様子を公開してくれないかなあと思っていたのですが、まさにそれが本書で実現しているのです。貴重な「一次資料」。

「イエスタデイ」が歌われた瞬間、留置場は

しかも、そのリクエストをしたのが著者・瀧島さんだといいます。

著者がいた雑居房「五房」からポールのいた雑居房「二房」は数メートルしか離れていません。そこで彼は、ポールが出所する前日*3の1980年1月24日夜7時ごろ、つまり就寝前の自由時間に「ポール、イエスタデイ、プリーズ!」と叫んだのです。

本来、壁越しの会話は禁止されているため、留置場の係員2名が飛んできました。

しかしそこで奇跡が。ポールが「OK!」と応え、床を叩いてリズムをとり始め、「イエスタデイ」を歌い始めたのです。

「この時ばかりは、留置係の二人も何も言わなかった」そうです。

そして留置場内は拍手喝采、「アンコール!」の声。ポールはこれにも応え計4曲を披露。

ポールが他に歌った曲

その4曲とは?瀧島さんは「演歌専門」だったため、残念ながら曲名はわからなかったとのこと。

うわ、これはぜひ知りたいな・・・と思い、ポール逮捕直後に刊行された、関連ニュースの集大成「ポール・マッカートニー・ニュース・コレクション」を参照してみました(ちなみに同書は、国内外の新聞・雑誌の記事の全文コピーを大量に掲載・整理したスクラップブックをそのまま冊子にしたような内容です。これが普通に書店で売られていたようなのですが、今だったらまず出版は無理でしょうね。ただその分、今となっては非常に便利な資料集ともいえます。)。


「ポール・マッカートニー・ニュース・コレクション」(1980年)から引用

すると、ありました。同書に引用されている女性セブン1980年2月14日号掲載のアンカレッジでの独占会見によると「ベイビー・フェイス」「レッド・レッド・ロビン*4」も歌ったとのこと。

これは私の推測ですが・・・両方ともオリジナルは1920年代の曲ですから、アマチュアミュージシャンだったポールのお父さんのレパートリーだった可能性があります*5。ポールは幼き日に父ジムが奏でていたこれらの曲を歌うことで自身の励みにしていたのかもしれない・・・と考えるのは深読みしすぎでしょうか。

留置場やショウビジネス界を生き抜くにふさわしいポールの「人となり」

本書には、以上のエピソードの他にも、はじめてポールが留置場に来た時の様子、ポールとの会話、そして差し入れのいちごをポールに渡したときのことなど、この人にしか書けないエピソードが詳細に記されています。

その中で、瀧島さんはこう書いてます。

私は思った。世界のポール・マッカートニーはさすがに大物ではないか、と。海外の監獄に入ったら普通は誰でも萎縮するものだろう。しかし、奴は全然違った。むしろ嬉々とした様子だったのである。

そういえば、ポールが連行されて車に乗せられるときの映像などでも、笑顔でサムアップしている様子が見られます。当時、こういう素振りは叩かれたんだろうなとは思いますが(私は当時9歳だったしファンでもなかったのでほとんど覚えていませんが)、むしろこういう人となりがあってこそ、ポールは生き馬の目を抜くショウビジネス界で第一線に立ち続け、かつ自分と家族をも守ってこられたのだろうな、とも思ったりもしました。

その他、ポールが著者のサインのリクエストにも応じてくれたこと(しかも差し出した物品4つ全部にサイン)、そのことが留置場内に知れ渡りほとんどの被留置人がサインをもらったことなども本書に書かれていますが、これもポールのこの人となりを知るにあまりある出来事のひとつでしょう。

なお、本書には、留置係がこのことを黙認したどころか被留置人とポールの間を取り持ってくれたこと、しかし上層部にばれてサインは没収されたこと、しかしながら瀧島さんはその没収を免れたこと(表紙画像はその結果です。詳細は本書参照)、後に留置係の多くが配置転換されてしまったことなどの「後日談」もしっかり綴られています。

ポールが留置場にいたのはたった9日間ですが、その9日間だけでも数多くの、そしてかかわった人には一生忘れられないドラマが展開していたわけですが、それを記録として後世に残してくれたのが瀧島さん、というわけです。

なお、本書以外にも、こんな記録がありました。2005年の週刊新潮に掲載されていた小林取締官(あるいは松尾弁護士?)の証言によると「ポールは、特に怯えた様子はなく、相手に嫌われないような表情や仕草を心得ていたようだ。取り調べに対して他人の悪口を言ったりとぼけたりする日本の芸能人とは対照的。」。これもポールの人となりを表していますね。


同時並行で語られるポールと著者のキャリア

ところで著者の瀧島さんは1939年生まれ。つまりポールとほぼ同年代。本書は、彼とポール両方のキャリアを同時並行で描く仕組みで綴られています。

これが滅法面白いのです。たとえば・・・

  • (ポールの育った家庭と自分のそれについて書いた後)、「貧しさでは私のほうが優っていた(?)と思う」
  • ポールが14歳ではじめて曲をつくったころ「私はといえば、極道街道まっしぐらだった」
  • 「(最初に)出所したのは66年。シャバに出てみて驚いた。世の中がビートルズ一色に染まっていたのだ」
  • (ポールが「イエスタデイ」を夢の中で作曲したエピソードを紹介した後)「夢の中では”三途の川”(ヤクザに刺されて臨死体験)しか渡ったことがない私にとっては、何のことを言っているのかよくわからない」
  • 「私にとっても、ポールにとっても、カーチャンの存在は大きかった」(リンダと瀧島さんの奥さんのこと)
  • 「ポールが『ナイト』になった頃、私はトイチの闇金に」

こんなふうに飾らないまっすぐな記述が続きます。

また、このポールと瀧島さんのキャリア同時進行もさることながら、当時の「シノギ」や裏社会のルールなどの私の知らない世界についての記述も、本人の経験したことなので当然ですが非常にリアルで興味深いものでした。犯罪行為にあった被害者の方は気の毒ですし反社会的勢力の肩を持つ気は一切ありませんが、その内容に惹き込まれたのは事実です。

以上のように、本書はポール「以外」の部分についても飽きさせることがありませんでした。

なお、併記されているポールのキャリアについてもかなりきちんと調べてあって、ポール事実関係の記載にもコメントにも不自然な点はほぼありませんでした。ファンとしても引っかかりなく読める本かと思います。


カタギになってポールの追っかけ

しかも、ポールに関する記述についても、留置場での出来事だけでは終わりません。

瀧島さんは1995年に出所、一旦は暴力団の特別参与(瀧島さん曰く「一般の会社なら取締役の一人といったところ」)になったものの、その後ヤクザ稼業を引退しカタギになります。

そして、「ポールとの出会いが今の人生の支えになっている」からポールにお礼を言いたいと、いろんな手を尽くすのです(一般的な意味ではなく、文字通りの意味での「お礼参り」ですね)。

クライマックスは2013年のポール来日時。瀧島さんは彼なりのやり方で「追っかけ」をし、ポールに近づきます。

結果がどうだったかは本書を読んでいただければと思いますが、この一連の瀧島さんのアプローチも興奮しながら読みました。

ポール来日時特有のあの「今、ポールが日本にいる。同じ空気を吸っている。会える可能性はゼロではない。」という興奮。なんとかしてポールに近づくために知恵を絞り実行する過程での悩みと充実感。私を含む多くのポールファンが経験したことのあるはずのこれら独特の感覚が、著者らしいまっすぐな文章でレポートされていたからです。

こういう「追っかけの記録」を綴った出版物は、そういえば目にすることがほとんどありません(そうならざるを得ない事情はわかります)。それが書籍の形で刊行され後世に残ることの意義も小さくないと思います。



この本の存在を知ったときは「たまたま留置場でポールと一緒だっただけの人が、そのときのことを大げさに書いた程度の本」なんて先入観をもっていましたがとんでもない。その経験を克明に記した貴重な記録というだけでなく、裏社会に入ったのち罪を償いカタギになる著者本人の壮絶な人生、そして著者がポールを追ったときの一連の工夫と出来事など、頭から最後まで読みどころ満載の一冊で、いい方向に予想を大きく裏切られました。

ポール・マッカートニーについて書かれた本は世の中に無数に存在しますが、世界広しといえども本書についてはさすがに類書はないでしょう。唯一無二のポール本です。




関連メモ


瀧島さんがポールを追っかけた2013年の来日時、私は何をしてどう感じたかの羅列。



このブログのポール・マッカートニーについての記事一覧。


出典・注釈

*1:毎日新聞2001年4月25日

*2:週刊朝日2013年10月25日号 湯川れい子によるインタビュー

*3:この時点ではポールが翌日に出所することは決まっていませんでした。

*4:When the Red, Red Robin (Comes Bob, Bob, Bobbin' Along)

*5:そもそもBaby Faceはリトル・リチャードのカバーも有名で、ポールもそれをさらにカバーしていますが。


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