ビートルズがライブをおこなった国は16か国*1。
その中で以前から気になっている国があります。フィリピンです。
なぜビートルズはフィリピンに行ったのか。いろんな理由が推測されていることはおぼろげながらに知っていますが、ここでは「なぜ他国と比べ購買力が低そうな国に行ったのか」を調べてみます。
2022年現在のフィリピン
まずは現状。一人当たりGDPで比較してみます*2。
データ出典:世界銀行 グラフ作成:グラフで見る1人当たりGDP(アイルランド・アメリカ合衆国・デンマーク等16ヵ国との比較) | GraphToChart
この表を見ても、フィリピンは突出して一人当たりGDPが低いのがわかります(まあ日本も、人のことはあんまり言えなくなってきていますが。)。
ビートルズがライブに行った大きな理由のひとつ(すべてではない)はプロモーション、レコードの販売促進だと思われます。
であれば、マーケットが大きい(個人の購買力があって人口が多い)国にライブに行ったほうがいいですよね。
そんな中、なぜ購買力が低そうな国に行ったのか。
ビートルズ現役時代である1960年代の状況を確認してみます。
1960年代のフィリピン
人気の違い?
フィリピンは、アメリカの植民地だった経緯から、アジア諸国の中では英語が比較的通じると言われています。
だからビートルズの人気が他のアジア諸国よりもあったのでしょうか。
私も最初はそう思っていました。しかし、ビートルズが1964年に香港に行ったとき、飛行機の経由地のうちベイルート、カラチ(イラン)、バンコクのいずれでも群衆(地元の少年少女)が空港に押し寄せていたという記録があります*3。1964年、日本でビートルズの人気に火がつき始めたころですらそんな状況だっんですね。
つまり、ビートルズはフィリピン以外のアジアの国でも相当な人気があったと推測できそうです。
参考:韓国はどうだったのか。ポール・マッカートニーの日本でのライブがきっかけで出会った韓国のファンに私が直接聞いた話はこうでした。
韓国のポールファンの方に伺ったお話(ご本人の了解を頂き書きます)「ビートルズ現役時代の韓国は軍事政権であり経済状況もよくなかったためビートルズの音に接すること自体が困難だった。だから今の50代60代にビートルズファンはほとんどいないと考えていいです。」だから若いファンが多いのか。
— よしてる (@yositeru) May 3, 2015
1960年代当初のフィリピンはアジアの経済優等生
じゃあなぜフィリピンなのか?と思っていたところ、投資信託会社のサイトでこんなレポートを見つけました。
1960年代当初のフィリピンはアジアの優等生として知られていました。例えば、1960年当時の1人当たりGDP(国内総生産)は254米ドルで、日本(479米ドル)を下回る水準でしたが、中国(89米ドル)やタイ(109米ドル)、韓国(156米ドル)、マレーシア(235米ドル)を上回っていました。経済の発展度合いにおいて多くのアジア諸国に先行していたことがおわかりいただけると思います。
引用元:大和アセットマネジメント「フィリピン訪問記かつての栄光を再び 活気にあふれるフィリピンの今」2017年9月4日。太字は引用者による。
そうなの?それは知らなかった。
もう少し詳しく知りたくなったので、自分でも、当時の国々の一人当たりGDPを調べてみることにしました。
ビートルズがライブをした国・地域の一人当たりGDP(1960年代の推移・米ドル)
なぜ一人当たりGDPなのか?それは、レコードを売るためには、国全体ではなく、個人の購買力がある程度必要だからです。
1960年代、日本でもレコードは高級品でした。アルバム「サージェント・ペパーズ・・・」日本盤の1967年当時の発売価格は2,000円、1965年の平均給与*4は24,375円です。給料の全部が生活必需品に消える生活では、レコードはもちろん、それを聴くためのオーディオセットも買えません。
なので、レコードを買う余裕のある生活ができる個人の購買力を知る参考として、世界銀行のデータから、ビートルズがライブを行った16の国・地域の一人当たりGDPをもとにグラフ化してみます。
フィリピンは最下位ではあるものの、たしかに1960年代初頭は他の国とそんなに差がありません。
1960年だと、日本の半分くらいありますね。
他の東アジア諸国との比較はどうでしょうか。
東アジア主要国・地域の一人当たりGDP(1960年代の推移・米ドル)
※インドネシアは1966年以前のデータが入手できなかったため省略。
日本は別格、その次に香港とシンガポールが第2グループ、その次にフィリピンとマレーシアがつけています。
フィリピンは、東アジア諸国の中では1960年代(特に初頭)は購買力が比較的ある国だったのです。
現在の状況を考えると「なぜビートルズはフィリピンに行ったのに韓国に行かなかったのか?」と疑問に感じがちですが(私もそう思っていました)、このグラフを見るとその理由のひとつがわかる気がします。国民の購買力がフィリピンより低かったのですね。またこのグラフの内容は、前述の韓国のポール・マッカートニーファンから聞いた話(ビートルズ現役時代の韓国は経済も悪かった)とも整合的です。
でも、その理屈でいくと、ビートルズはマレーシアに行ってもよかったはずです。
なぜマレーシアには行かなかったのか?
ここで個人ではなく国全体の購買力の参考になる、人口にスポットライトを当ててみます。
フィリピンとマレーシアの人口(1966年)
- フィリピン 3186万4182人
- マレーシア 979万0084人
データ出典:世界銀行
フィリピンはマレーシアの3倍ほど人口があったのですね。
個人の購買力が同程度なら、人口の多いところのほうがモノは売れます。
だから、ライブツアーをレコードプロモーションと見るなら、マレーシアとフィリピンならフィリピンを選ぶのが「正しい」ように思えます。
(なぜシンガポールに行かなかったのかはわかりません。が、少なくとも当時は思想統制がある程度あったのが影響しているかもしれません。たとえば、アルバム「サージェント・ペパーズ・・・」もシンガポール盤は発売されたもののドラッグを連想させる曲は「マジカル・ミステリー・ツアー」の曲に差し替えられています*5。コンセプトアルバムなのに・・・そんなところも影響しているのかな。)
まとめ
以上を比較すると、ビートルズはなぜフィリピンに行ったのか?という問いには「1960年代初頭、東アジアの経済優等生だったから」と回答できるかもしれません。
もちろん、他にもいろんな理由があったと思います。ビートルズがライブをしに行ったのはレコードプロモーションだけが唯一の理由ではないでしょう。受け側の事情もあるでしょうし。日本公演も、もしかすると永島達司さんがいらっしゃらなかったらどうなっていたかわかりません。
そもそも、ブライアン・エプスタインたちがどこまで緻密にライブの行先を決めていたかもわかりません。
ただ「実は1960年代初頭のフィリピンの経済は比較的良好だった」ということはいえます。そのこととビートルズがライブを行ったこととはある程度関係はあるのでは?というのがこのメモで言いたかったことです。
わが身を振りかえって
これまでのメモで、フィリピンや他のアジア諸国の経済について書いてきましたが、私個人は、日本ももはやえらそうなことは言えないと思っています。
経済が世の中のすべてではありません。でも、経済状況がよくなければ、音楽を楽しむこともできませんし、海外のミュージシャンが日本にライブに来てくれなくなるかもしれません。そういう点でも、経済はとても大事です。
ところで、前述のグラフを見ると、フィリピンが1960年代初頭は「東アジアの経済優等生」なのに、1960年代を通じて横ばいだったのが目立ちます。フィリピンはなぜ経済成長することができなかったのでしょうか。
前述の投資信託会社のレポートにはこうあります。
残念なことに、その後は、政治の腐敗や汚職のまん延、クーデターなどによって不安定な政情が続いたことから、経済成長から取り残されました。優等生から劣等生への転落です。
引用元:大和アセットマネジメント「フィリピン訪問記かつての栄光を再び 活気にあふれるフィリピンの今」2017年9月4日
日本は今、政情不安定という状況ではないとは思います。けれども、このフィリピン経済についてのコメントが日本にあてはまるようにはしたくない、とは強く思いますし、自分にできることは(微力もいいところですが)していくつもりです。
(参考)
参考文献
ビートルズがどの国にライブに行ったかは、このムックを参考にしました。それ以外にも「どの国で作曲したか」「音声・映像はどの国で収録されたのか」「メンバーのプライベート旅行先」まで網羅している上、データも図版も豊富。眺めていて飽きないムックです。
関連メモ
注釈
*1:広田寛治他編 日経BPムック「ザ・ビートルズの世界地図」2019 P.9の表より。イングランド・スコットランド・ウェールズは1か国とみなす。
*2:一人当たりGDPが、その国の経済状況を表す指標として不完全な部分もあることは承知していますが、今回は精緻な経済状況の比較が目的ではないので、過去のデータも入手しやすくなじみもあるこの指標を使用しました。
*3:前掲書P.113「アジア各国で広がっていたビートルズの人気」より