私にとっての年に一度の大きな楽しみになっているのが、レコードやCDのもとになる「カッティングマスターテープ」を聴けるイベント。
レコードやCDよりも「オリジナル」に近い音を、テープ操作の経験豊富な方が丁寧に整備したテープデッキ&オーディオ環境(兵庫県西宮市のスタジオ1812)で聴かせてくださる上、犬伏功さんと目黒研さんの解説も楽しめるというこの会。今年も11月に無事開催されたので、喜び勇んで参加しました。
当日再生された曲の一部、ポール・マッカートニー"RAM"(一部)、"Wild Life"(一部)そして"Band on the Run"(フル)についての感想をメモします。このイベントの価値は実際にその音を聴かないとなかなかわかりづらいと思うのですが、それでも、得た喜びを外に出さずにはいられない気持ちなのでつらつらとキーを叩いた次第です。
目次
- 目次
- RAM B面(一部)
- Wild Life A面(一部)
- Band on the Run
- リクエスト"The Back Seat of My Car"と、「狂気」について
- マスタテープを聴く価値 - その場限りではなく
- 関連メモ
RAM B面(一部)
Heart of the Country
ギターの音の1本1本がとてもはっきりと聴こえます。そしてそれ以上に見事なのがパーカッション。
(今回全編にわたって特にはっきり感じたのですが、マスターテープで聴くと、パーカッションの存在感と粒度が特に明瞭になります。)
この曲のヴォーカルはボコーダーみたいなもので加工されていますが、それもとてもはっきりとわかります。他のパートのアコースティックな感じと加工されたヴォーカルの違いが際立って、ボケを活かした一眼レフの写真みたいな味わいが増す感じです。
スキャットの部分もそれぞれとてもはっきり分離されていて、それと他のパートとのコンビネーションが素晴らしかったです。
Monkberry Moon Delight
ヴォーカルが前に出てる感が凄い。もともとポールの低音ヴォーカルが目立っていた印象ですが、それが前面に出ると言うよりは、全音域が厚みを増して前に出てくるという感じです。
この曲のスキャット部分も生々しいです。リアルすぎて疾走感みたいなものも伝わります。
曲がフェードアウトしていくところも、音がすごくはっきりしたまま最後までずっと細かく聴こえているのでなんだかにやけてきます。これは以前、Abbey Roadのマスターテープをこのイベントで聴かせてもらったときにYou Never Give Me Your MoneyとSun Kingがクロスフェードする箇所でも感じた「細かく聴こえすぎて笑える」という感覚とまったく同じです。
Eat at Home
イントロからして普段聴いているのとは印象がかなり違います。
まずドラムのフィルイン、そしてカッティングギターの攻撃的なこと。タイトルとは裏腹に、完全に骨太のロックとして聴こえます。
マスターテープで聴くことで単に音がクリアになって厚みが増したというだけでなく、曲の印象まで変わってしまったもののひとつです。
あと、この曲はテープならではの「超ハイファイ」というより、全体的に高域強めにマスタリングしてあるような印象も受けました。
もうこのままRAMをずっと聴いていたい、特にThe Back Seat of My Carが聴きたくてたまらない!!と思いでいっぱいでしたが、イベント進行上RAMはここまで。次はWild Lifeです。
Wild Life A面(一部)
Mumbo
とにかくバスドラムが強烈です。そして左チャンネルのギターの存在感もとても増しています。
全体的な印象として、ラフで時には散漫とも言われることもあるこのアルバムですが、マスターテープで聴いて思うのは、ライブ感の強さです。「未完成状態」「リハーサル」などという印象から「タイトで、エッジの効いたライブ録音」という感じに印象ががらっと変わりました。
Bip Bop
まずベースの迫力に驚き、鈴のリアルさに笑ってしまいました。これも、Abbey Roadのマスターテープを聴いたときのMaxwell's Silver Hammerのハンマーの音がいちいちクリアで笑ってしまったのと同じです。
ヴォーカルはこんなに歪んでいたかなぁと驚く位に力強く歪んでいます。(良い意味で)。
前曲でも書きましたけれども、とにかくライブ感そしてタイトさが増しています。ドラム・ベース・ギターそれぞれが縦にしっかり揃っているというか、メリハリがあるというか。とにかく聴いていて気持ちがいいです。「新鮮」「できたて」って感じもしたので、できたてのアサヒスーパードライを工場で飲んだとき「こんなにうまかったのかこのビール」と感激したときのことを思い出したりしました。
Love is Strange
ハイハットのチキチキがものすごくリアルです。これも全体的にいえることとして、マスターテープで聴くと、ハイハットがかっこよく、存在感を増して聴こえます。
あと、コーラスの完成度の高さに舌を巻きました。
いやあ、この3曲だけでもWild Lifeの印象がかなり変わりました。マスターテープって、単に「ものすごく音がいい」だけじゃないんですよね。時には曲やアルバムの印象をがらっと変えることもある。今回はWild Lifeがその筆頭でした。
そして、満を持して、Band on the Runをフルで。
Band on the Run
Band on the Run
音の粒立てがすごかった。最初のギターからしてものすごく気持ちいい。
ベースは、ポールが曲調が変わる度に弾き方も変えていることがはっきりわかってはっとしました。
あと、オーケストラ("If we ever get outta of here"と"Well, the rain exploded with a mighty crash"のあいだ)のダイナミックレンジがすごく広い。昔、カセットテープで聴いていた時は、ここの部分になると全体的に音が小さな箱に閉じ込められたみたいな感じで聞こえていましたが、今回は小さな箱どころか大きく広がってます。
その後のパートは、ポールのドラムが気持ちよいですが、普段CDなどで聴いているのよりメリハリがあるというか、ここを聴いてくれと言うポールの思いがよりはっきり伝わってくる。タムひとつとっても、「おもしろい箇所」になると音量も少し上がってるんですよね。
Jet
前曲のオーケストラにも感じたことですけれども、最初の"Jet!"の掛け声の音の広がりが全く違います。
この曲って、CDで聴いても、あきらかに同じアルバムの他の曲よりも音質がよくないですよね。ジェフ・エメリックの本では、その理由として、テープが不良品で録音中に磁性体が剥がれていく事故があったから、との解説がありました。でも今日聴くマスターテープはそんなことがなくて、一体どういうことなのかちょっと混乱してしまいました(とはいえやっぱり、他の曲に比べると特にシンバルなどの高域が弱くはあった)。
最後のサックスがとても色っぽく聴こえたのも意表を突かれました。
Bluebird
イントロのキラキラした音(始まって5秒くらい)、こんな前に出てたっけ?まずそこで驚きました。
同じタイミングで入ってくるギロが超リアルで、これもにやけてしまいました。コーラス部のカウベルについても同様。いちいちクリアで笑えるという。
全体的に、とてもタイトな印象になりました。もともとこの曲はハーモニーやコーラスが聴きどころだと思っていて、今もその印象は変わらないのですけれども、マスターテープで聴くと、パーカッションも非常に味わい深い曲なのだなということがよくわかりました。テープで聴いて大きく印象が変わった曲のひとつです。
Mrs Vandebilt
予想通りのタイトさ。ドラムのフィルインの気持ちよさ。
ギターとヴォーカルがユニゾンのところ、それぞれがとてもはっきり聴こえるのですが、バラバラになっているのではなくて溶け合っているように聴こえたのも驚きでした。
アウトロの笑い声もリアルで、ここもお約束通りににやけてきました。
Let Me Roll It
これも予想通りギターがかなり前に出てきています。この点でいうと、一時期ポールはライブでこの曲をよく演奏していましたけれども、その時のサウンドバランスとかなり似ている気がしました。
あと、コーラスがすごく広がって聴こえた。
Mamunia
ギターが目の前で弾かれているような存在感とリアルさでした。
そしてポールのヴォーカルがダブルトラックになっていますが、その魅力にさらに磨きがかかった感じです。
ベースの音もとても味わい深かった。
ラストの多重コーラスは絶品。いつまでも聴いていたい、ひたっていたいって感じです。
No Words
個人的にはこのアルバムで一番好きな曲なので、Mamuniaのアウトロが終わったときには期待と緊張感で身震いしました。
そして聞こえてきたイントロ。ギターのエッジがとても効いているなというのが第一印象。
そしてストリングス。2回目に入るところでぐっと前に出てきていて、1回目とかなり位置づけが違っているのがわかりました。ここが今まで聴いていた音源と一番大きな違いかな。メリハリが明確になったという点ではBand on the Runのタムと似ているかも。
もうひとつ特筆すべき点として、エレクトリックピアノが今までとはまったく違ったレベルで聴こえました。今まではほとんど聴こえていなかったんだけれども。Bluebirdのイントロのキラキラ音みたいに。
Picasso's Last Words (Drink to Me)
「今まで聴こえていなかった音が聴こえた」という点ではこの曲が一番かもしれません。あのパーティー会場みたいな感じの箇所はそれがすごかった。
中間部のパーカッションもリアルで存在感が増していました。
1985
イントロのピアノは普段聴いているものとそんなに変わらなかったのですが、バスドラムがとにかく全然違う。ものすごい迫力です。
そして期待通り、アウトロのあの分厚いサウンドは圧巻。圧倒されました。
リクエスト"The Back Seat of My Car"と、「狂気」について
The Back Seat of My Car
そんなふうに圧倒されつつ終了したBand on the Runですが、客席からRAM収録の「バックシート」のリクエストをされた方が!なんとありがたい!!やっぱり、この部屋にその音源があるのに聴かずして帰るのはもったいなさすぎると思っていたところなので、リクエストしてくださった方には心から感謝です。
その音はどうだったか・・・ひとことで言えば「すごくバランスの取れた超ハイファイ」。今まではヴォーカルが急に低くなるところ("But Listen to...")が目立って聞こえたりしていましたが、マスターテープだとそのどれもが自然に共存している。その上で、音の緻密さが格段に上がっている。オーケストラを大々的にフィーチャーしているこの曲では、その効果も絶大です。とにかく幸せになれました。
ピンク・フロイド「狂気」
ちなみに、「超ハイファイ」という観点では、この日この前にかけられたピンク・フロイドの「狂気」(フル)がもの凄かったということも付け加えておきます。なぜか音が横だけではなく縦にも広がって聞こえるんですよね。音のよさも尋常ではなく、たとえば"Money"のレジの音ひとつとっても、単なる機械の音ではなく万華鏡みたいにきらきらと輝いて聴こえる。まるで自分の耳の方をフルレストアしてもらったみたいな感覚でした。
マスタテープを聴く価値 - その場限りではなく
マスターテープを聴く悦びって、イベントのその場だけのものじゃないの?と感じる方もいらっしゃると思います。たしかに、極上のサウンドを体感する悦びはその場にいることのできた人だけのものです。けれども、上述したように、「ミュージシャンや制作者の意図がより明確に感じとれる」「曲の印象が変わる」「こんな音があったのかと気づく」のはイベントの後でも継続して味わえる果実。このイベントに3回参加させてもらって、そう強く実感しています。その場だけのものなんかじゃないのです。
来年もぜひ開催していただきたいイベントです。
関連メモ
カッティングマスターテープを聴く会・過去分
ビートルズUKオリジナル盤を聴き始めた