今回で小熊英二さん「論壇日記 2011.4-2013.3」関連のメモは最後です。今の社会で行き詰まってきたものと、日本社会の変化の節目はいつだったのか、について。
行き詰まり:「低所得者に負担を強いるが生活保障はない」税制
神野直彦「税金 常識のウソ」によると、財政と税制は「国家のコンセプト」の反映、なのだそうです。どんなコンセプトがあるのでしょう。
- アメリカは間接税がほとんどなく所得税中心だが、高所得者の負担が重い累進型 → コンセプト「自己責任で生きてもらうが、秩序維持の租税は金持ちが負担する」
- スウェーデンは高率の消費税が全員に課され、むしろ低所得者の負担は重い → コンセプト「貧しい国民にも租税を負担してもらうが、生活保障は全員に提供する」
たしかに両国はそれぞれそういう方針で国を運営しているように見えます。
(参考:スウェーデン国民がなぜそんな負担を受け入れているかの理由についてのメモ)
では、日本はどうなのでしょう。敗戦直後はアメリカ型(所得税中心)だが、その後はつぎはぎ改正でコンセプト不明、とのこと。具体的には以下。
- 控除が多く公平性に問題あり
- 90年代以降は所得税の累進制緩和
- さらに法人減税
- 高所得者と法人への減税はトリクルダウン(おこぼれ)による経済活性化を狙った
- ところが法人は資産や内部留保を積み上げ、使いもせず賃金にも回さない
- 以上の穴埋めに消費増税
- 低所得者にも負担させる消費税を導入するなら生活保障を充実するべき、しかし社会保障は年金と医療に偏重
以上から、現代日本のコンセプトをあえて言うなら「低所得者に負担を強いるが生活保障はない」というものになってしまっているのだそうです。
ここまで読んで、法人ってそんなに内部留保を積み上げてるのかな、と思ったので調べてみると、たしかにかなり増えています。これを見る限りでは、法人減税によるトリクルダウンなんか起こるの?なんて思ってしまいます。
利益剰余金(法人企業統計)財務省、法人企業統計(法人税を減税しても企業は内部留保を増やすだけ | 野口悠紀雄 新しい経済秩序を求めて | ダイヤモンド・オンラインから引用)
行き詰まり:「いいものを安く」というビジネスのコンセプト
他に行き詰まっているものとして小熊さんが本書で紹介しているのは、「ビジネスのコンセプト」とでも言える内容。エコノミスト誌2012年11月20日号の山田久さんの論が紹介されています。
- アメリカ:容易な雇用調整と廃業によって、新分野に進出し、「新しいものを高く」売る。ただし賃金格差は開く。
- 西欧:価格競争を避け、ブランド化によって「ユニークなものを高く」売り、強い労働組合のもと賃金を下げない。ただし失業率は高い。
- 日本:いったん始めた事業から撤退できず、品質向上と賃金カットによって「いいものを安く」売ろうとする。ただし新興国との競争で完全に行き詰まっている。
これもイメージできます。もちろん、各国の企業がすべてそういうコンセプトの商売をしているわけではありませんが。
(参考:日本が簡単には雇用調整できない理由についてのメモ)
では、日本のビジネスは今後どういうものを狙っていけばよいのでしょう。それは業種・業態によって異なるでしょうが、本書で小熊さんが紹介しているのが岩根邦雄「生活クラブという生き方」にあるやり方です。
- 消費者サービスといえば、ひたすら安く多様化し、品質管理を徹底するという発想が主流。これは生産者にとって大きな負担で、消費者は無限にわがままになる。
- 岩根氏の発想は違う。そもそも農漁業は、生産性上昇に限界がある。労働に見合う対価がないと、生産者は立ち行かない。
- 彼の目的は、消費者と生産者をともに変えていく運動
- だから生産者も、安く提供する業者を世界各地から選択するのではなく、一地域に集中して提携する。
- 今では山形県遊佐町のコメ生産の過半が生活クラブとの提携で、地域社会を変えているという。
これだけでは具体的な取り組み方法はよくわかりませんが、「労働に見合う対価がないと、生産者は立ち行かない」というのはそのとおりですね。私は仕事で契約交渉などを行うこともありますが、以前に比べ、このことを理解してくださるクライアントが少しずつですが増えてきたような実感があります。この傾向が加速するといいのだけど・・・
行き詰まり:日本の教育のガラパゴス状況
他に本書を読んで少し驚き、かつ「行き詰まり」を実感したのは、以下の尾木直樹さん(尾木ママ)の論です。
- 大学が個別に入試をやっている国は日本以外にはほとんどない
- 中等教育が中高一貫でない国は日本と中国くらいしかない
- 大学無償化にまともに取り組んでいない国として日本とマダカスカルが挙げられている
ほんまかいな?と思って調べてみたら、少なくとも最後のものはたしかにそのとおりのようです。
高等教育の授業料無償化は国際人権規約の流れ
日本社会の変化の節目は1996年?
以上のように、いろいろな「かつてはうまくいっていたこと」が今行き詰まっています。それだけ日本の社会が変化してきたということですが、その変化の節目はいったいいつだったのでしょうか。
小熊さんは以下のポイントを理由に、それは1996年ごろだとしています。※小熊さんは、上記の「税制」「ビジネス」「教育」の行き詰まりと1996年を直接関連づけることはしていません。日本社会総体のターニングポイントとしてこの年を挙げています。
- 自殺率:95年で底を打った後上昇に転じた
- 生活保護率:95年が最低で以後は急増
- 雇用者平均賃金:96年がピークでその後15%低下
- 出版・小売り:96年がピーク
- 就職協定:96年廃止
それぞれ、自分でもグラフを探してみました。
自殺率
出典:平成28年度版自殺対策白書 2自殺死亡率の推移
これを見ると、1991年が最低でそこからじわりと上がり98年に急増、と読めます。
生活保護率
出典:平成26年度保健師中央会議「生活保護受給者の動向等について」平成26年10月20日厚生労働省社会・援護局 保護課係長 櫻井 琢磨
たしかに「95年(平成7年)が最低で以後は急増」ですね。
民間平均給与
出典:平成28年度版自殺対策白書 2自殺死亡率の推移
グラフでは97年が最高のようですね(本書の「雇用者平均賃金」とグラフの「民間平均給与」は厳密には違うのでしょうが)。
音楽ソフト
出典:音楽配信は成長続くが音楽ソフトは縮小…音楽CD・有料音楽配信の売上動向(最新) - ガベージニュース
こちらは98年がピークですね。
以上から、たしかに1996年前後に、社会のいろんな指標が変化を起こし始めていることがわかります。これをもって「日本社会は1996年に激変した」とは言えないけれども、社会の一部について変化し始める節目が96年前後にあった、とは言えそうです。
個人的には、1996年前後に肌身で感じた社会の変化といえば、携帯電話とインターネットですね。私は通信会社に勤務していますが、94年に徐々に「インターネット」という言葉が知られ始め、95年にはごく一部の個人や企業が使い始め、96年に企業において利用が加速した(個人利用が普及するのはもう少し先)、という感覚を覚えています。携帯電話はネットより先に普及が加速し、私が97年に使い始めたときは「通信会社勤務なのに遅いね」と言われたなあ。
ただ、上記の指標の変化は、そういう「肌身で感じる変化」とは別のものといえます。自殺率や生活保護率の変化などは、指標を見て・本を読んで初めてわかる。社会の変化にはそういう種類の変化もあります。そしてそれは実感を伴わないけれども認識しておくべき種類の変化ではないかと思います。
補足:自殺率と経済状況の関係
このメモのテーマからはずれますが、本書で紹介されていたクリスチャン・ボードロ、ロジェ・エスタブレ「豊かさのなかの自殺」の内容と小熊さんの考察が興味深いので補足としてメモ。
- 一人当たりのGDPが低い途上国では、概して自殺率は低い。
- しかし、現在の先進国では、富裕層より貧困層、都市より過疎地の自殺率が高い。
- また、ロシアや東欧の旧社会主義国では、一人当たりのGDPは低いのに自殺率は顕著に高い。
なぜこのような、一見矛盾したことが起こるのか。小熊さんの考察は以下です。
- 所得が低いというだけでは、人間は絶望しない。貨幣経済が浸透していない「隣近所とおすそ分け」の世界に生きていれば、「現金収入は少なくとも心は豊か」という状態は成立しうる。これが途上国で自殺率が低い理由。
- 貨幣経済が浸透した世界では、雇用がなく所得が少ないということは、他人との関係が分断され、自分の価値が剥奪されていることを意味する。これが現在の先進国の貧困層や過疎地、そしてロシアや東欧で起きている状態。
- 高等教育を受け、合理的選択能力や人生設計能力など広義の「文化資本」に恵まれた層は、社会的結びつきを得られる機会が増え、自殺率は低下する。
人間的なつながりと経済状況の関係性は、どんな社会で暮らしているかによって変わるということですね。改めて整理してもらうと、それはそのとおりだな、と感じます。
参考:ちなみに、日本の自殺率の高さについては、たまに外国の方に「なぜ?」と質問されることがあるので、英文ブログに自殺率国際比較と自分の考えを書いています→Walking in The Pleasure Garden: Why is the suicide rate so high in Japan?