庭を歩いてメモをとる

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ポール・マッカートニーソロ初来日公演(1)署名運動から来日まで-1990年当時の日記やテレビから

ポール・マッカートニーが日本でソロとしての初ライブを敢行して30年。

早いものです。ビートルズ日本公演からアンソロジー発売までが29年ですから、それ以上の時がたったのですね・・・

感慨にふけりつつ、まずはポールが来日するまでの出来事を、当時の雑誌、テレビ番組、そして私の日記に記録されていたことをもとに整理してみます。


1989年夏 来日内定と署名運動

最初に来日の可能性を示してくれたのは(少なくとも地方在住者にとっては)、公認ファンクラブのビートルズ・シネ・クラブ(現ザ・ビートルズ・クラブ、以下「BCC」)だったと思います。

クラブ会報誌の1989年9月号で、ソロ初来日に向け、80年の大麻所持で国外追放されたポールの入国許可を求める署名を集めようという呼びかけがなされたのです。

当時私は大学1年生でしたが、これはなんとしても協力したいと思い、大学の友人たちだけでなく中高時代の友人にも声をかけ署名を集めてBCCに送りました。30~40人くらい集めた覚えがありますが、断った人は一人もいなかったと思います。今だったらこうはいかないだろうし、別のやり方をするんでしょうね。

ちなみに、BCC会報誌1990年4月・5月合併号「ポール・マッカートニー日本公演全記録」によると、「入国が許可されれば3月に日本公演を行う」ことは7月の時点で内定していたとのこと。そうなれば是が非でも入国許可は欲しいところ。結果、署名は20万人分が集まり法務省に提出されたそうです。これがどこまで効果があったのかは知る由もないですが、BCCが署名を呼びかけたのは、当時のファンクラブがやれることとしては最大限のことだったと思うし、やってくれてよかったと今も思っています。

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ビートルズ・シネ・クラブ会報誌1990年4月・5月合併号「ポール・マッカートニー日本公演全記録」。この来日に関する詳細で他にない情報が記録されており、今回このメモを書くにあたっても改めて貴重な情報源として活用させていただきました。ポールがオフの日は直接取材をしなかったという方針と併せ、感謝・敬服します。


1989年12月 予約申込

それからというもの、私の頭の中はもうポール来日一色でした。特に健康に問題があったわけではないですが、せめてポールが来るまでは健康で生きていたいと願う日々。

そんな中、ついにBCCからチケット予約申し込みの案内が!3月3,5,6,8,9,11,12日の7公演を東京ドームで!

まだ来日が正式決定していないので、あくまで「予約」です。もちろん申し込みました。3月5日と6日でした。


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ポール・マッカートニー日本公演チケット予約申込受付案内。往復はがきで申し込み、代金は正式決定後払い。これも当時ならではですね。

そして来日が正式に決定したのは12月22日(出典:前掲書)で、整理券配布は12月23日。当時奈良に住んでいた私はただそのニュースに狂喜するだけでしたが、首都圏のファンの方々は整理券確保に奔走されたと聞いています。参考:1989年のポール・マッカートニー来日狂想曲、やっとあえるね。(Re:minder 宮井章裕さん)

前述した署名は、12月22日にBCCが法務省に提出したそうです。つまり、ポールの入国許可はまだ出ていなかったということですね。


1990年2月 チケット到着

1月4日、日記によると、私はBCCに電話をしており、なかなかつながらなかったけど最終的には複数枚購入した日のチケットは連番で用意してもらえることを確認できた、とあります。年が明けて「絶対に死んではいけない、健康を損ねてもいけない」との思いはさらに強まります。

1月7日、チケット販売開始(出典:前掲書)。私はBCCに任せていたので何もしませんでした。

そして日記によれば2月4日、ついにチケットが届きました!

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よく言われることですが、税込7,000円って、当時も安いなと思っていましたが、今では唖然とするレベルですね。当時を経験されていない方に念のためにお伝えすると、当時は2020年現在と比べてなんでもこんなに安かったわけではなく、生活必需品の価格はほとんど変わっていないという感覚です(チェーン店での外食などはむしろ当時より今のほうが安い)。

これ以降、よく夢を見るようになりました。チケットをなくすとか、無事入場できたのになぜか係員に取り上げられるとか。ポールがライブをしてくれて、しかもそれを実際に体感できるなんてあっていいのか、という思いがそんな夢を勝手に紡いでいたのでしょうか。

そんな悪夢が少しだけですが現実になってしまいます。


日程変更・取消

2月4日、ポールがピッツバーグ公演後、過労でダウンしてしまうのです。

これにより2月11日のレキシントンはもとより、日本公演よりあとの日程である3月27日のバンクーバー、4月1日のサンフランシスコの各公演はキャンセル。オーストラリア、ニュージーランド公演は白紙に。

普通に考えると、この状況なら日本公演もキャンセルまたは延期になるのが自然な流れです。いったいどうなるのか。これをお読みのみなさんはその結果をご存じなわけですが、当時この第一報を受けた日本側関係者の危機感はいかばかりだったでしょう・・・

以下、前掲書から当時の様子を時系列で抜粋します。

  • 2月6日 ポールの強い意向で日本公演の中止・延期は回避されたが、公演日程を一日おきにしたいとの要望あり。
  • 2月14日 ポールの入国が正式に許可されたことが明らかに
  • 2月17日 来日公演の日程変更が発表に。3月2日は13日に、3月6日は7日に変更。3月8日は中止となった。

3月8日のチケットしか買っていなかった方が本当に気の毒・・・93年の再来日のときも、最初に頭に浮かんだことは「90年に3月8日だった人、これに行けるといいんだけど」でした。

  • 2月21日 ポール「夜のヒットスタジオ」に出演(実はこれまだ観たことがないのですが、Figure of Eightをやったと聞いています)。3月9日公演を通信回線(クローズド・サーキット)により全国10か所に生中継し、その収益はすべて寄付すると発表。
    • 中継先は、札幌・共済ホール、仙台・仙台電力ホール、セレモニーホール新潟、名古屋・愛知厚生年金会館、大阪・吹田メイシアター、高松オリーブホール、松山市総合コミュニティセンター、広島見真講堂、福岡・パピヨン24ガスホール、メルパルクホール熊本
  • 2月24日 クローズド・サーキットのチケット販売開始。プレゼント付き(何がついてたのかな?)で4,000円(これも安いなあ・・・)。大阪は30分で完売。



「追っかけ!ポール・マッカートニーの48時間」

ライブまでいよいよあと十日ほどに迫った2月23日深夜、関西テレビ「真夜中テレビ」で「追っかけ!ポール・マッカートニーの48時間」という番組が放映されました。

先にライブが行われたアメリカ・シカゴで、ポールやリンダ、ステージスタッフ、そしてファンそれぞれに密着しインタビューをしたドキュメンタリーです。制作はCBSで、原題は"48 hours with Paul McCartney".(参考:シカゴ・トリビューン紙の当時のレビュー(英語):`48 HOURS` TRACKS MCCARTNEY TO AND THROUGH CHICAGO GIG - Chicago Tribune

最新の動くポールが、しかもライブの舞台裏も観られる映像は当時非常に貴重、というか私の知る範囲ではこれしかなく、もう何度も観ました。

今も貴重だなと思うのは、ポールだけでなく、リンダにもインタビューしていることですね。

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「真夜中テレビ 追っかけ!ポール・マッカートニーの48時間」1990年2月23日深夜関西テレビ放送分より引用

  • Q:どんな質問をしても大丈夫ですか?
  • リンダ:ええ、大丈夫よ。
  • Q:もしポールがあなたの代りに他の人をバンドに入れたら?
  • リンダ:まったく気にしません。はっきり言って私より高校生のほうがずっとうまいわ。一緒にいたいだけなのよ。
  • Q:みんながポールにあなたと別れるよう言ったら?
  • リンダ:気にしないわ。公私とも別れて欲しいと思う人々もいるわ。
  • Q:あなたの音楽を非難された時あなたは傷つきますか?
  • リンダ:いいえ。人はそれぞれ違う感性を持っているもの。

こういうやりとりを見ていると、リンダのこのスタンスや感性がポールと家庭の柱になっていて、ポールにとって本当に唯一無二のパートナーだったんだろうなと思わずにはいられません。

ちなみにこの「真夜中テレビ」、オープニングで宇宙の星々をバックに"Cry Baby Cry"のアウトロ"Can you take me back..."が流れるんですよね。ジョン主体のこの曲の中、まさにポールが歌うパートが深夜にブラウン管に映った宇宙にぴったりで素晴らしい選曲だなと思っていたら、この番組は毎回これで幕開けしていたようです。なかなか粋な偶然。


ローリング・ストーンズも初来日、ミックからポールへのメッセージ

この2月は、ローリング・ストーンズも初来日。世間的にはポールもなかなかの話題だけどストーンズのほうがより盛り上がっていた感覚があります。

で、ストーンズ一行が泊ったホテルはその直後ポールも泊ることになっており、しかもミックの部屋にポールが泊ったそうです。ミックは冷蔵庫にポールへのメッセージを残したとか。そのあたりのいきさつは、当時CBSソニーの洋楽部門長だった喜久野俊和さんがこの記事に書いていらっしゃいます。→ ローリング・ストーンズ初来日、ここから始まった21世紀型ライブビジネス


ついにポール来日

2月28日18時40分、シンガポール航空11便にて、ついにポールご一行が成田空港に到着。

19時14分にポールがガムを噛みながら南ウイングの到着ロビーに姿を現しました。出迎えたファンは空港はじまって以来の1,000人ほど、その他に成田空港駅等で足止めされたファンも800人くらいいたそうです(出典:前掲書)。

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「おはよう!ナイスデイ」1990年3月1日関西テレビ放送分より引用。この画面中央で群衆を押しとどめるため中腰になってしまっているガードマンさん、この後押されてこの姿勢のまま左へスライドします・・・2000年代に入ってからのお迎えと違って、ポールへの押し寄せぶりも叫び声もより野性的というかプライマルな感じです。

3月1日付スポーツ・ニッポンには「税関通過に余裕のウインクも 笑顔消え、大脱出」との見出しが出ています。たしかに、BCCの前掲書にも笑顔のものとひきつったもの、両方のポールの表情が掲載されています。おそらく世界一長い期間群衆に待ち構えられ続けている人物の一人であろうポールも、24年間待った日本のファンの熱意には圧倒された、というところでしょうか。

この模様は3月1日放送のフジテレビ系列「おはよう!ナイスデイ」でも放映され、向坂樹興アナウンサーが「とにかく成田の税関を通ったというのがうれしいですよ」と全ファンの気持ちを代弁したコメントをしてくれました。

今もポールが来日するたびに思うのですが(「来日するたびに」なんて、当時の自分からすると贅沢な物言いとしか言いようがありませんが)、ポールと自分が同じ地続きの大地に立っていて、同じ空気を吸っている、その高揚感を最初に感じたのがこの瞬間でした。


ライブつき記者会見

3月1日18:12、MZA有明(エムザありあけ。その後経営母体と名称が変わった後閉鎖)でライブつき記者会見。取材陣は800人、テレビ局は海外含め20局と、ストーンズの倍だったとのこと。

Matchboxを演奏。これが公開前提のものとしては日本でのソロ初ライブ曲になるのですよね。これ、予想できた人はいたのかな。

記者会見では、大麻のことやビートルズ再結成などのお決まりの質問もありましたが、個人的に印象深かったのは次の内容。

  • ポールが好きな家庭料理のひとつが、キッシュとザワークラウト。
  • インタビュアーがバンドメンバーの名前を「ハミッシュ」と発音したら「ヘイミッシュ」とポールが訂正。
  • 「今回のツアーの収益を寄付するフレンズ・オブ・ジ・アースに曲を提供するような予定がありますか?」と訊かれて「どうかな。曲はそういう形で生まれるものではないので。でも、それにふさわしい曲が浮かべば書くかもしれない。」と回答。

最後のやりとりを読んで、ポールはもっとも成功した職業音楽家だけど、たしかに「依頼を受けて音楽をつくる」「何かのために音楽をつくる」より、圧倒的に「自分から湧き出たものを音楽にする」の割合が多い人だなと思った記憶があります。今も同じ認識です。


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「おはよう!ナイスデイ」1990年3月2日関西テレビ放送分より引用

ポール本人とは関係ないですが、そばにいた通訳の女性がポールのほうを見るとき実にいきいきとした笑顔をしていらっしゃって、この人もきっと仲間だなと勝手に連帯感を感じていたことも思い出します。

3月2日の「おはよう!ナイスデイ」では、この記者会見の一部を放映するとともに、ゲストのピーコさんがビートルズ日本公演に行っていたことについて「ポールかわいかった」「追っかけはしません」「でもホテルまでは行きました」とコメント、向坂アナウンサーに「それを追っかけと言うんですよ~」と突っ込まれていたのが微笑ましかった。

なお、BCCの前掲書では、当日ポールとバンドはMZA有明で15:20からリハーサルをしており、特にLet'em InとPS. Love Me Doを入念にやっていたとの記録があります。まさに、このツアーでは日本公演で初披露された2曲ですね。


ライブ初日

3月3日。ついに初日です。私は5日と7日に行くので、この日は想いだけを東京に馳せていました。

なんとか健康なまま迎えることができたこの日の夜、友人の家で夕食を食べていたところ、途中参加した友人が風邪をひいていることが判明したため、友人たちに事情を説明して途中退席させてもらうことに。友人たちも「そら、これでポール行かれへんようになったら、俺らも責任感じるし」と理解してくれました。

この日の17:00には、ポールの招きでBCCの斎藤早苗代表他が楽屋を表敬訪問、ポールにひな人形他を手渡しています。その時の写真が前掲書の表紙になっています。ポールはこの時、署名運動のことを知りいたく感激していた様子で、マネージャーによればツアーの中で一番の笑顔を見せていたとのこと。

3月5日の新幹線もポールのチケットも、ちゃんと手元にあります。あとは健康を維持したまま東京ドームに行くだけです。

(その後の公演の様子や雑誌記事の内容等については、次のメモで整理する予定です。)



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