ポール・マッカートニーのソロ初来日公演30周年ということで、当時を振り返るメモの第2弾。今回はグッズ(というかパンフレットに書かれていた内容)や3月5日の公演などについてです。
(前回のメモはこちら)
3月5日 東京ドームへ
ついに私にとっては初のポールライブの日(日本公演としては2日目)。当時住んでいた奈良から、朝の新幹線で東京へ。幸いにも、健康状態はばっちりです。
偶然ですが、斜め前に座っていた同年代の男性のテーブルの上には「ポール・マッカートニー詩集」と「ビートルズ詩集」が。目的地は間違いなく同じだ。
来日記念というわけじゃなくて、昭和の終わりごろには発刊されていました。Press to Playまでの曲の一部を収録。この日、東京ドームの本屋さんにも平積みされていたのを覚えています。
当時出ていたこちらも、全曲収録じゃなかったですね。訳も独特。でも貴重な存在で、辞書みたいに何度も使ってました。
東京にはお昼ごろ着きましたが、追っかけをしようという発想自体がそもそもなかったので、東京駅からも東京ドームからもそんなに離れていないところで行ってみたかった場所、秋葉原にはじめて行きました。大阪の日本橋に比べて「縦に長い」という印象でした(電気街自体の広さは日本橋のほうが長いかもしれないが、日本橋より高いビルが多い)。
それはともかく、16時に東京ドームに到着。
当日券が出ていて驚きました。日程変更の影響かなあ。そしてグッズ売り場へ。
グッズ、パンフレット
グッズ売り場の写真は撮っていなかったので、たしかパンフレットに同封されていたBCCの通販シートを。同じものがドームでも売られていたと思います。
当時学生で、経済的に新幹線代だけでもかなりきつかったので、パンフレットだけ買いました。
このパンフレット、今までのポール来日公演すべてのものの中で、一番のお気に入りです。理由は、ポールやバンドメンバーのコメントが多く、読んで「ためになる」からです。
ポールの自己紹介
たとえば、このポールのページで初めて知ったこと。(以下、記載内容はすべて原文ママ)(抜粋)
- 何のためのデモに立ち上がる?: アパルトヘイト。今年中国で起こった事件。アムネスティ・インタナショナル。
- 購読している新聞: なし。買わないけど「インディペンデント」紙が好きだ。
- 最近読んだ本: トム・ウルフの「ボンファイア・オブ・ザ・バニティズ」。
- 好きな映画のセリフ: 「波止場で」のマーロン・ブランドのセリフ。「俺、チャンピオンになれてたぜ、チャーリー。」
ポールの好きな新聞
「インディペンデント」紙はイギリスのクオリティ・ペーパーで、現在はWeb版のみです。→ https://www.independent.co.uk/
実は、この新聞の日曜版に、このブログの英訳版記事、それもマル・オブ・キンタイアへの旅行記が掲載されたことがあります。そういう点でも、自分にとってはちょっと特別な新聞です。
(その旅行記の日本語版がこちら)
話がそれましたが、リンダについても、このパンフレットで知ったことはたくさんあります。
リンダの自己紹介
(以下、抜粋)
- 好きなシンガー:オーティス・レディング
- 好きなシンガーソングライター:ニール・ヤング、ボブ・マーリー、ポール・マッカートニー
- 好きなキーボード・プレイヤー:プロフェッサー・ロングヘアー
- 好きなマッカートニー・ソング:デイタイム・ナイトタイム・サファリング、ウィ・キャン・ワーク・イット・アウト、ヘイ・ジュード、メイビー・アイム・アメイズド、マイ・ラブ
- ツアーで一番素晴らしいこと:ツアーに出てて、いいことは、コンサートだけ。
- ツアーで一番嫌いなこと:家に帰れないこと。
リンダの好きなキーボーディスト
プロフェッサー・ロングヘアーか・・・改めて思ったんですが、1975年のクイーンメアリー号船上パーティーにポール&リンダ夫妻がプロフェッサー・ロングヘアーを招待したのは、リンダの推薦もあったのでしょうね。
ちなみにこのアルバムの1曲目"Tell Me Pretty Baby"は、ポールの"My Carnival"がそのまま歌えるくらいに似ています・・・というか、ポール自身が、"My Carnival"が"Spies Like Us"のB面としてリリースされた際、プロフェッサー・ロングヘアーに捧げるとクレジットしています。
参考:45cat(リンク先のイメージをクリックして拡大すると、レーベルの右下にそのクレジットが見られます。)
ポール、リンダお気に入りのミュージシャンの曲を「僕ならこうするね」とか言って"My Carnival"を作ったのかなあ、なんて想像してしまいました。
リンダの好きなマッカートニーソング
リストの最初がDaytime Nightime Sufferingというのがしびれます。シングルB面アルバム未収録(ボーナス・トラック除く)というのが信じられない、凝っているのに親しみやすい素晴らしいまさに「隠れた名曲」ですし、マッカートニーファミリーの日常におけるリンダをユーモラスに歌っていますし(と、このリンダのリストを読むと思える)。
そしてラストに"Maybe I'm Amazed"と"My Love"を挙げているというのは、「この超名曲が誰のために書かれたのか」ということをリンダがどれほど誇りに思っているか・・・それがさりげなく示されているようで最高。
リンダにとってのツアー
これを読むと、リンダはツアーが好きじゃなかったことがわかります。それでもあれだけの数のツアーに参加してくれたこと、本当にありがたい。彼女が自分の思いだけを優先する人だったら、この日本公演はもちろん、"Wings Over America"や"Rock Show"も含め、数多くの名ライブがこの世に存在しなかったかもしれないのですから。
不思議な日本語
ところで、このパンフレット、なぜかポールやリンダやほかのバンドメンバー紹介ページに「公演地」と書かれているんですよね。誤訳にしても、じゃあ元は何?って感じです。
あと、ほかの日本語の文章はこなれていてそこに違和感はないのですが、よく読むと、徹底してアルファベット表記を使っていないことがわかります。こういう洋楽のパンフだと、文章が日本語でもタイトルやキャッチには英語を使ったりするのが一般的だと思うのですが、それが一切ない。結果的に、不思議な雰囲気を醸し出しています。まあ、それも含めて、このパンフレットの「味」と受け止めています。
3月5日公演(ツアー2日目)
さて、肝心のライブ。当時の日記を読み返してみます。(カッコ内は今回追記したものです)
- 席がアリーナの、ステージ・スタンド間の真ん中あたり、左右ではやや右で大喜び(当時、席番号から席の場所を推測することが私にはできなかったので、入場してはじめてわかった次第です)。
- 早く入場したので、左右の小さなスクリーンに映し出されたPVに見入った。"Distractions", "This One", "My Brave Face"に加え、個人的にはそのとき初めて観た"Ou est le Soliel?", "Party Party"が印象的だった。
- 特に"Party Party"は、近くの席の女性が、胴体がタコみたいになったポールの姿を観て「ポールかわいー」と言っていて、その気持ちわかる、と思った。
- でもスクリーンが小さくて見にくい
- 途中で、TDKの小比類巻かほるが出演しているCMも流れた(TDKはこのライブのメインスポンサーだったので)。
- グッズを買ったら(いや、入場者全員に渡されたかも)ついてきた袋にもTDKの名があり、
- パンフレットの最終ページにもTDKの広告が。ちゃんとビートルズに絡ませてるところに好感が持てます。
- 18:40頃に、"A Hard Day's Night"のイントロがドームに響き渡った!ライブ前のフィルムの上映なのだけど、その時点で周りの人たちも私も総立ち。
- ポールは、白い光の中、「いつのまにか」現れたように見えた。もうその姿を観ただけで、このライブに来た甲斐があったと感じた。
- "Can't Buy Me Love"が始まったとき、アリーナが実際に振動していることがわかって文字通り身震いした。
- 何から何まで大満足だったが、"My Brave Face"のコーラスだけはスタジオ盤とえらい違いで残念だった。まあしょうがないか(後年、特に2002年のライブを経験して、この90年はポールの声の調子がよくなかったということがよくわかったが、当時は、ポールも50歳近いしそんなものかと思っていた)。
- 「ウチノ、キャミサン、リンダデス!」「チキュウヲ、マモロウ!」の日本語に、ポールへの親近感が一気にわいた
- (この日本語だけで相当びっくりした。後年、ポールが方言まで駆使するようになるとはその時は想像できなかった・・・)
- (BCC「ポール・マッカートニー日本公演全記録」によれば、「チキュウヲ、マモロウ!」は3月3日の初日公演では出てこずこの3月5日公演から始まったとのこと。)
- 結果的にずっと立って手も上げっぱなしだったので、終演後手が上げにくくなった。
- ドームを出るとき強風で押し出されてびっくりした(人生初ドームだったので。ちなみにこれって大阪、福岡、名古屋の各ドームではどれも起きない現象ですよね)。
- ものすごく疲れていたのに3時頃まで眠れなかった。
署名運動から来日発表も含めた半年以上の長い旅の末、この日ついに目的地に到着した。そんな想いでした。
次のメモ
ポール・マッカートニーライブ関連メモ
2002年 driving japan
このツアーのみ追っかけをしました。
2013年 OUT THERE JAPAN
2015年 日本武道館公演
2017年 ONE ON ONE JAPAN TOUR
2018年 FRESHEN UP JAPAN TOUR