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ポール・マッカートニーソロ初来日公演(4)雑誌インタビュー

ポール・マッカートニーのソロ初来日公演30周年にちなんで当時を振り返るメモの第4弾で最終回。

今回は、当時の雑誌でポールが何を語っていたかについて。特に日本についてのコメントを集めてみました。

(前回のメモはこちら)



ロッキング・オン 1990年3月号

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当時発売された雑誌の中で、個人的に一番印象に残っているポールインタビューはこのロッキング・オンのものです。

独占会見。

しかもインタビュアーは児島由紀子さん。ロックを聴きこんだ上でミュージシャンへ遠慮会釈なく切り込みつつ相手を不快にさせない名人芸の持ち主。

児島さんはこのインタビューで「一生に何度もあるはずのない機会なので身構えてしまったが、ポールの発言はあまりにフランクだった。」と書いていますが、私は、児島さんにそう思わせるポールはやっぱり別格だと思ったくらいです。

そんな児島さんがポールにインタビュー。面白くないわけがない。

そのインタビューの内容を抜粋します。

Flowers in the Dirtの売れ行きについて

RO(ロッキング・オンつまり児島由紀子さん):最新作「フラワーズ・イン・ザ・ダート」は「バンド・オン・ザ・ラン」や「タッグ・オブ・ウォー」と同じくらい優れた作品だと思われるのにセールスがいまいちだったのはなぜだと思います?

ポール:それは僕にはわからないよ。何が売れるか?売れないか?なんてのは絶対わかんないもんなあ。(中略)そうだなあ今回の売れ方が遅いってのは何が原因だったんだろう・・・?。リリースされた直後は英国と他のヨーロッパ諸国での反応がいいだけでアメリカではあまりパッとしなかったんだよなぁ。でも今は以前より売れ始めてるんだよね。まあ当時はアメリカでのレーベル、キャピトルの人事問題が持ち上がっている最中で、とにかく担当者の異動がやたら激しくてさ。誰もセールスに集中できないって状態だったんだ。同じ頃アメリカでリリースされたティナ・ターナーの新作だって他の国では大成功だったのにあの国じゃ全く鳴かず飛ばずって有様だったんだよ。彼女も巻き添えを食っちゃったんだ。だから僕らみんな被害者さ。多分それがかなり関係してるんじゃない?それにまだツアーもやってなかったしさ。なんたってツアーをやるとやらないとじゃ売り上げに雲泥の差が出てくるからね。だから現時点ではもうすでに300万枚近く売れてるんだよ。

最初の質問がこれ。児島さん、さすがの切り込み。

「あまり売れなかったのはキャピトルの人事問題が原因」という話は他では読んだことがない気がします。

でもポール、マーケティングのせいにするのはちょっと寂しいよと当時の私は思ったものです。たしかに素晴らしい充実したアルバムなんですけどね…

日本について

日本の雑誌の独占会見なら日本に関するコメントもたくさん読めるだろうという期待にも、しっかり応えてくれています。

日本への苦言

ポール:こと考え方の自由さってことに関しては未だに日本社会ってすごく堅苦しい規則みたいなものにがんじがらめになっているよね。まぁそれが産業面、生産面に関しては有利な武器になってるんだろうけど。システムに沿っててきぱきと能率良く仕事が進んでいくからさ。(中略)反面我々英国人はなまじ個人の自由を尊重しすぎるもんだから、しょっちゅうどこかで誰かがストライキやってて何一つ正常に機能しないって言う落とし穴もあるしね(中略)だから何もここで日本人ばかり責めてるわけじゃないんだ。だけどある種のことに関しては特に捕鯨の事とか環境汚染等についての日本の政策は驚くほど遅れてるね。ヨーロッパやアメリカに比べるとさ。

これ、ポール特有ではなく、一般的な西洋人の日本観がそのまま出ているなと感じます。

しかし、この「産業面、生産面」に対する一応のほめ言葉、最近はまったく聞きませんね。この30年はそういう30年だったということか。

そして環境問題。当時、ポールは国際環境NGO「地球の友(Friends of the Earth)」の支援をはじめ、環境問題に関するコメントやサポートが今よりずっと目立っていた印象があります(ポールは今も環境問題に熱心で、「地球の友」にかかわるアクションも続けています。たとえばこれ:
ポール・マッカートニー、ボン・ジョヴィら「地球へのラブ・ソング」 | BARKS)。

最近はそれほど目立たない感じもしますが、あれから30年、環境についての世間の意識がそれだけ一般化したということなのかもしれません。そういえば"Flowers in the Dirt"のLPはたしか再生紙を使っていたのですが、当時「そこまでやるんやな」と妙に感心した記憶があります。今では再生紙使用は(普通の紙より高いにもかかわらず)全然珍しくないですよね。

Frozen JapとMy Brave Faceのプロモビデオ

ポールの曲で日本といえばこの2曲ですね。まあ"Girls School"にもYukiというan oriental princessも出てきますけど。

RO:「その我々(引用者注:忠実な日本のファン)に対して少々冷たいんじゃないか?」と文句を言う人も居る訳ですよ。

ポール:へええ。そういえばビートルズが初めて日本に行った時も『武道館なんかでやるべきじゃない』とか文句を言う奴が居たよなあ。日本人て文句を言うのが好きなんだろうか?

RO:ちょっと待ってください。まだ全部終わってないんですよ。

ポール:(笑)ああそう。

RO:例えば”フローズン・ジャップ”などと言う曲を書いてみたりですね。

ポール:うんうんでもそれはさ(とまた割り込もうとする)

RO:それにあるビデオ・クリップでは日本人をからかってみたり。

ポール:あれは僕じゃないよ。あのビデオを撮った監督のアイディアだったんだ。ロジャー・ラングって奴なんだけどさ、『俺、面白いアイデアがあるんだ』って言うから『へええ。どんな?』って聞いたら『ある熱心な収集家が君に関するものを全て集めたがってて挙句の果ては君の愛用のベースを盗もうとする話だ』って答えるんだ。だから『よし、じゃあそれでいこう』ってことになって当日撮影所に現れたらなんと目の前に日本人の俳優がいるんだよ。

RO:(笑)

ポール:そこで僕に何ができる?もう来ちゃってるんだから追い返すわけにもいかないしさ。だからあの場合は別に日本人じゃなくなって、どこの国民を使っても結局は一種皮肉っぽいニュアンスがつきまとう仕組みになってたんだよね。アメリカ人はロシア人を使ったとしても相手は『侮辱してる!』って思ったかもしれない。だから最後のシーンに日本人の警官を登場させてくれって頼んだんだ。そうすれば日本人は皆犯罪者だと言うニュアンスは打ち消せるからね。あの部分は僕の特別なリクエストだったんだよ。でもさ監督の奴だって別に悪気はなかったんだ。ただ世界で一番熱心な収集家は日本人だからっていう理由であのシーンに日本人を使っただけなんだよね。でも僕はあの時『ひょっとしたらこれを侮辱だと、受け取る人間が居るかもしれないから気をつけなきゃいけないよ。だから日本人の警官を最後のシーンに絶対登場させるべきだ!』って言い張ったんだ本当に。僕の言葉を信用してくれよ。

RO:はいはいわかりました。

ポール:それに”フローズン・ジャップ”って言うタイトルだけどさ。まぁ時としてジャップって言葉そのものが侮辱的な響きを持ち得るのは認める。でも例えば”ニガー”なんかよりはずっと悪意のない言い方なんだよね。

RO:ええっ?そうですか。

ポール:うん悪意はない。でも日本人はこの言葉に対して神経質になりやすいのかもしれないな。でも本当に英国人が気楽にこの呼び方をする場合で他意のない一種の親愛の情を込めた別称とでも言うのかな?そういうニュアンスなんだよね。日本人にとっては無神経な呼び方に聞こえるのかもしれないけど。僕は誰に対してもそういうニックネームっぽい呼び方をしてしまう性分で、多分こういう馴れ馴れしい態度は改めるべきなのかもね。

RO:(笑)

ポール:でも信じてくれよ。本当に悪気はないんだってば。僕にとってはすごく自然な温かみのある愛情表現なんだ。そもそもこの曲に日本的な響きのあるタイトルをつける気になったのはさ、この曲そのものが一種日本的、東洋的な響きを持ってたからなんだ。なんだか寒い景色、雪が降っている光景かなにかを連想してね、富士山に雪が降ってる感じとでも言うのかな?だからその寒い景色と日本的な響きっての組み合わせて”フローズン・ジャップ”って題をつけたってわけ。侮辱的なニュアンスなんてこれっぽっちも頭に浮かばなかったんだよ。

なるほどそうだったんですか。

ポール:だからそのまま何気なく日本に送ったらさ、『ちょちょっと待ってください。これはマズイですよ』って返事が来た。やっとその時『ああなるほど、これはそうかもなあ』って気づいたんだ。それまではまさかそんな風に受け取られるなんて夢にも思ってなかったもんね。じゃあしょうがないから他の呼び方にしようかな?”ジャップ”ってのがダメならフローズン・ジャパニーズにでもするしかないのかなあ・・・とかさ。

RO:(笑)

ポール:でもそんな題にしたら日本人はもっと怒るだろうと思い直して、じゃあここは思い切って”フローズン・マレーシアン”にするかとか、いや”フローズン・オーストラリアン”っていうのはどうだろうとか一人で悪ノリしてたんだけどさ。でもほんとそんなわけで悪意は全然なかったんだよ。言わば英国人特有の質の悪い冗談でさ。第一こんな子供っぽい冗談が本物の侮辱になり得るはずがないじゃないか。この僕に本当に相手を侮辱しようという気があったなら、もっともっとヒドイ功名な言い方で持ってトドメを刺す方法があるよ。僕はいざとなったら他人が想像もできないような辛辣な言葉だって吐けるんだ。

冒頭のポールの「人の話の途中で割り込む」様子、非常に「らしい」な、とにやけてきます。そういえば最近ポール、あんまりそんな感じではなくなってきたように感じますが、気のせいかな。

My Brave Faceのビデオ、そういう経緯だったとはこのインタビューで知りました。最後に映る監視カメラの「Panasonic」のロゴが目立つような気がするのも、同様の「配慮」なんでしょうか。気にしすぎかな。

ポール、冗談で「フローズン・ジャパニーズ」にするしかないのかなあとか言ってますが、日本盤は本当にそうなってますよね(iTunesで取り込んだら当然容赦なくJapになりますが)。これ、ネイティブから見たら変な英語なのかな。「ジャップ」という言葉の感覚も含め、機会があったらネイティブに訊いてみたいです。

大麻持ち込みについて

ポール:僕はその国の地においてその国の法を犯したんだからさ。当然だよ。明らかに僕がバカなことをしてしまったわけなんだから、あのことについて日本人に対する反感はカケラもない。実はあの当時帰国した際、多くの英国人に『ずい分ヒドイ取り扱いを受けたんだろう?』って聞かれたんだよね。特に少し年を食った人々の中にはいまだに戦時中の反感が残っている人も多い訳だからさ。でも実のところ入獄中の僕はもったいないくらい紳士的な扱いを受けた訳だから『いやそんな事はなかった。すごく親切にしてくれたぜ』って答えたんだ。だって本当だものね。今だから言うけど居る間に看守たちとも結構親しい友達になっちゃってさ、出獄するときには涙混じりのお別れだよ。ああそうそう、看守たちの中に1人、囚人たちが夜寝る前のお話を毎晩してくれる人がいてさ。

RO:ええっ?本当ですか。

ポール:うん、もちろん日本語でだから僕には話の筋はわかんなかったけどね。しかしいろんな意味ですごく興味深い9日間だった。いろんな種類の人間がいたけど実はいいやつばっかりやったな(一瞬思い出にふける表情になるが、ふと我に帰って)と言うわけでさ、日本での悪い思い出なんかひとつもないんだよ。

これはちょっと「ほんまかいな」って感じですが、西洋の人たちからすると日本(というかアジア)の刑罰は相当きついってイメージがあるのかもしれません。西洋人によるポールの伝記でも、ポールは有罪になったら「長期の強制労働の刑になる可能性もあった」とか書かれてる箇所があって、日本にそんな刑罰ないわと突っ込んだ記憶があります。

ちなみにポール、「その国の地においてその国の法を犯した」と語っていますが、麻薬事件の際弁護を担当した松尾翼弁護士によると、ポールが起訴猶予処分というかなり甘い処分で済んだのは実は「ポールは日本に上陸していなかった」という理屈のおかげなのだそうです。

そもそも入国許可が下りていなかった、だから「上陸拒否」扱いで国内法も適用されず、前科もつかなかったとのこと(出典:週刊新潮 2005年1月27日号「大麻逮捕から25年 ポール・マッカートニー来日秘話」。詳細は以下のメモをご覧ください)。だからポールは1980年には法的には「来日していない」ってことですね。


ジョージ

日本以外のコメントで興味深かったのは、ジョージ・ハリスンについてのもの。

RO:じゃあジョージ・ハリスンのカム・バックについてはどう思います?

ポール:ジョージかい?よくやってると思うよ。彼にとっても良い結果を招いたんじゃないかな。奴は以前からなかなか思うようにヒット曲に恵まれないもんだから一時、音楽業界にイヤ気がさして、映画何かに手を出してたんだけどね『ああ、もうつくづく音楽業界に愛想が尽きた!!』で愚痴ってさ。ところがしばらくたったら今度は映画業界にイヤ気がさしてきちゃったんだよね。ほんでもって今度はまた元のサヤに収まっちゃったってわけ。

RO:一種の悪循環ですね。

ポール:そう。奴の場合全てが循環によって決まってくるんだ。だからジョージにとっては結局よかったんだよ。本来の生き甲斐であった音楽にまた戻れたんだからさ。それにプロデューサーのジェフ・リンも奴の復帰にかなり貢献したんじゃないかな。

まず、「カム・バック」って、「セット・オン・ユー」や"Cloud 9"のことですよね。本当に「時代」を感じます。ビデオのバク転を思い出すなあ。

ジョージの遍歴についての言葉は、ポール、ジョージの気持ちを単純化しすぎでは・・・と思いますが、これがポールの本心なのかな、という気もします。

「奴の場合全てが循環によって決まってくるんだ。」という言葉も、少年時代から身近にいた存在だからこそわかるジョージの気質なんでしょう。

そしてジェフ・リン。このときはまだ"Free As a Bird"や"Flaming Pie"で一緒に仕事をすることになるとは思ってなかったんでしょうね。

ポールが快感を感じるときとは

ほか、はっとした発言がこちら。

ポール:それにそういう場合って、一種性的な快感さえ覚えちゃうんだよね。

RO:え?性的な快感ですか。

ポール:うん。すごく感じるんだ。実は僕が最もエクスタシーを感じる瞬間ってのは人々の才能に触れた時なんだよ。

「そういう場合」とは・・・これは「才能のあるプロデューサーを見つけた」ときなんだそうです。

「実は僕が最もエクスタシーを感じる瞬間ってのは人々の才能に触れた時なんだよ。」かっこいい!


TOKYO JOURNAL (平成2年5月1日発行)

他に独占インタビューを掲載していた日本の雑誌がこちらです。
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東京に住む英語話者・読者を対象にした雑誌のようで、記事はすべて英文です。
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こちらは、環境問題と「ポールの木」植樹についてのコメントが大半で、音楽ファンでない普通の人を対象にしている感じです。

なので、どの雑誌でも読める「ポールの環境への思い」が中心でした。この雑誌だけだなと思った箇所は次の2点かな。

  • 「植樹祭」でポールへの歓迎スピーチをした小学生ヨウコさん「やさしい感じの人でした。ポールは地球のすばらしさについて話してくれました。」
  • ポール、日本で、森の木がお箸の材料になっていることについて「箸を使うなって言っているわけじゃないんだ。他の材料でも作れるよねってこと。」

たしかにこの頃は、割り箸は森林破壊につながるとか言われてましたね・・・

(「ポールの木」植樹については以下のメモに書いています。)


その他の雑誌

その他の雑誌で今手元に残っているのはこちらです。

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週刊FMは海外のインタビューの再録、FM STATIONはMZA有明での記者会見の内容で、特に目新しいものはありませんでした。

それにしても、これらのFM雑誌は軒並みなくなりましたね。たしかFM fanが最後だったような・・・

調べてみると、週刊FMはまさにこのポール来日記事の載っている号の約1年後に休刊、FMレコパルは1995年、FM STATIONは98年、最後のFM fanは2001年に休刊したようです(出典:昭和四十年男の必需品、最後発FM誌『FMステーション』開局 【創刊号ブログ#7 後編】 | ハフポスト)。

このポール初来日のとき、書店の音楽コーナーはポール来日の文字が躍っていて、まるで花壇に花が咲いたようでした(ほかの雑誌は葉っぱか土なのか、という突っ込みは置いておいて。)。もうそういう光景を見ることができなくなったのは寂しい限りです。

でも、この初来日から28年たった2018年にもポールが日本に来てくれて、30年たった今も(コロナの影響はさておき)来日がまだ夢物語にはなっていないという現状は、ファンにとって実に幸福なことだと思います。今から30年後には・・・ということは考えず、次の来日を楽しみに待ちたいと思います。

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