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アフガニスタンはなぜ「帝国の墓場」なのか

世界最強クラスの「帝国」が侵攻するが、結局目的を果たせず撤退する・・・こんなことが繰り返されている国があります。

アフガニスタンです。

そのためこの国は「帝国の墓場」と呼ばれています。

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つい最近、その「墓場」にアメリカが入りました。

20年前の2001年、アメリカ外交問題評議会が発行するフォーリン・アフェアーズ誌が「Afghanistan, Graveyard of Empires(アフガニスタン・帝国の墓場)」という記事を書いていますが、その時はアメリカも自分が墓場に入るとは思っていなかったのでしょう。

なぜ「帝国」はアフガニスタンに手を出し、そして失敗するのか。その理由を考えてみました。

「シャーロック・ホームズ」と”Sherlock”、両方に登場するアフガニスタン

いきなりですが、シャーロック・ホームズの第1作「緋色の研究」には、アフガニスタンの名前が登場します。ワトソンは、イギリス軍の軍医としてカンダハルやペシャワールまで行っているのです*1

これは第二次アフガン戦争(1878年 ~1881年)のできごとです。

そして、シャーロック・ホームズとの初対面のシーン。

「ワトソン博士だ。シャーロックホームズ氏だ」スタンフォードは私たちを紹介しながら言った。

「はじめまして」彼は、常識を越えた握力で私の手を握りしめながら、心を込めてこう言った。「見たところ、アフガニスタンに行ったことがありますね」

「いったいどうやって、わかったんですか?」私は驚いてたずねた。

「お気になさらずに」彼は一人含み笑いをして言った。

引用元:コナン・ドイル「緋色の研究」(「コンプリート・シャーロック・ホームズ」版)


さて、物語の舞台を21世紀のロンドンに移したBBC制作のドラマ"Sherlock"。

このシーンはこうなっています。

英語ですが、シャーロックがジョン(ワトソン)に「アフガニスタン or イラク?」と訊いているのがおわかりいただけると思います。


イギリスが19世紀後半にも21世紀にもアフガニスタンに軍を送っているからこそできるこの演出。

ドラマとしては見事ですが、アフガニスタンにとっては非常にシビアな現実です。


アフガニスタンにやってきた「帝国」

ここで、どんな「帝国」がアフガニスタンにやってきて、そして「墓場」に入ったのかを整理してみます。

19世紀~20世紀初頭 イギリスを退ける

19世紀半ば、ロシアが中央アジアに進出してきました。

上の地図は現代のものですが、当時はパキスタンもインドも「イギリスが支配するインド」でした。

だからイギリスは、ロシアがインドへ手を伸ばすことを警戒し、先手を打ってアフガニスタンに侵攻しました。ロシアの進出する中央アジアとインドの間の重要な場所に位置しているからです。

これが第一次アフガン戦争(1838~1842年)。

しかしイギリス軍は、なんとアフガニスタン軍により1万6,000人が全滅させられるという事態に。

その30年ほど後、第二次アフガン戦争(1878~1881年)でイギリスは再び戦いを挑み、アフガニスタンの外交権を奪い保護国とするまではいったのですが、アフガン兵は抵抗を続け、マイワンドの戦いではイギリス軍がまたしても敗北してしまいます。

そして第三次アフガン戦争(1918~1919年)では、今度はアフガニスタンがイギリス領インド帝国に攻め込み、独立を認めさせます。

このアフガン王国の独立回復は、イスラーム圏の民族的自立を達成した最初の例といわれています*2

アフガニスタンは当時世界最強の大英帝国を退けたわけです。

「墓場」に入った最初の帝国、それはイギリスでした。

20世紀半ば 安定期

この時期、アフガン王国は中立外交を進め、第二次世界大戦中・冷戦期にも大国の間でうまくバランスをとっていきます*3
。結果、比較的国内が安定。

1960年代後半、首都カーブル(カブールと表記されるケースが多いですが、正しくはカーブル*4)に大学教員として赴任していた方が撮影した写真を見てみましょう。
https://a4.pbase.com/u7/qleap/upload/1082071.A00203R.jpg
引用元:The most Popular Afghanistan Photos Photo Gallery by Clayton Esterson at pbase.com

女性の権利が抑圧されていると言われている国ですが、女子高校生が通学しています。少なくとも当時のカーブルは、日本とそんなに変わらない雰囲気のように見えます。

(余談ですが、現在のアフガニスタンは、世界経済フォーラム版ジェンダーギャップ指数2021年版で総合156位と世界最下位ですが、このランキングのPolitical Empowerment部門(女性議員の比率などの調査)においてはアフガニスタンは111位、日本は147位*5です。)

ただ、パキスタンとの国境問題の影響でインド洋からの物資が届きにくくなった影響で、ソ連に接近するようになります。

そんな中、1970年代 2度のクーデタが起こり王制は廃止。

農地改革・女子教育が進みますが、今度はその改革路線にイスラム原理主義者が反発し、当時の親ソ政権が危機に陥る事態に。

そこに目をつけたのがソ連です。

1980年代 ソ連による侵攻と撤退

1979年、ソ連が親ソ政権支持のため、アフガニスタンに侵攻。現在50代以上の方なら、当時大きなニュースになったことをご記憶でしょう。このために日本を含む西側諸国はモスクワオリンピックをボイコットしましたし。

しかし、抵抗勢力ムジャヒディン(聖戦士)はアメリカが支援することで戦いは泥沼化。アフガン人死者100万人以上が死亡し、ソ連軍にも1万4000人の死者が出ます。

そのため1989年、ソ連は撤退します。この侵攻でソ連が受けたダメージは、ソ連崩壊の一因とも言われています。

「墓場リスト」にソ連が加わりました。

1990年代 タリバンの台頭

そしてその後、敵がいなくなった後、アフガニスタン国内でムジャヒディン同士の抗争が激化。

この中から台頭したのがタリバンです。1996年にアフガン政府軍を制圧して政権を樹立しました。

タリバンとは「神学生(たち)」という意味ですが、これは1980年代に旧ソ連がアフガンを侵攻した際、多くの難民が隣国パキスタンに逃げこみ、そこで難民の子供がイスラム原理主義を掲げる神学校で学び、過激派の思想を強めたことがルーツです*6

2001~2021年 アメリカが墓場に向かう20年

2001年、アメリカ同時多発テロの首謀者の引き渡しを拒否したアフガニスタン(タリバン)にアメリカが空爆を開始、

外国人死者(2001年以降)は、アメリカ2,437人、その他の国約1,100人、民間人(2007年以降)4万2000人*7

アメリカが使った費用は推計1兆ドル(約110兆円)。日本の1年間の国家予算(2021年度106兆円*8)とほぼ同額・・・

そして2021年、アメリカが完全撤退を発表した途端、アメリカが20年かけても「造れなかった」政府をタリバンが数週間で崩壊させ、アフガニスタンの政権を掌握したのはご存じのとおりです。

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アメリカが「墓場」に入った3か国目になりました。


大英帝国、ソ連、アメリカ。この3つの、当時世界最強だった「帝国」を退けたアフガニスタンは、まさに「帝国の墓場」だといえるでしょう。


アフガニスタンはなぜ「帝国の墓場」なのか

なぜアフガニスタンは、ここまで「帝国」に目をつけられるのか。そして「帝国」はなぜ墓場行きになるのか。

これはひとえに、地理的な理由によるものだと考えられます。

ロケーション

まず場所。これが「帝国」に目をつけられる理由だと思われます。

ロシア(トルクメニスタンは19世紀後半からロシア帝国の一部、その後ソ連に)、中国、イラン、パキスタンと、古代からの大国に四方を囲まれたこのロケーション、「文明の十字路」とも「戦乱の十字路」とも言われています。

国際関係上非常に重要な場所だからこそ、「帝国」が手を出さずにはいられない、ということですね。

地形

もうひとつの地理的要因は、地形です。これが、「帝国」はなぜ墓場行きになる理由。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/45/Afghan_topo_en.jpg/1024px-Afghan_topo_en.jpg
引用元:ヒンドゥークシュ山脈 - Wikipedia

この地図を見ると、この国はほとんどが山岳地帯であることがわかります。白い部分は3,000mを超えていますから、かなりの高度です。

ちなみにこの白い部分、ヒンドゥークシュ山脈なのですが、これは「インド人殺し」という意味なのだそうです*9。それくらい遭難の多い場所ということです。

これでは、ただでさえ攻めにくいうえに、勝手がわからない外国の軍隊に対し地形を知り尽くした地元アフガニスタン軍の有利さは否が応でも上がるでしょう。

それに、大きな国に挟まれているので小さく見えますが、それでもアフガニスタンの国土は日本の1.7倍の広さ*10。外国の軍隊にとってたやすく統治できる国とは到底言えません。

その他の理由

ジャーナリストの木村太郎さんは、アフガニスタンが「帝国の墓場」になる理由を3つ挙げておられます*11

ひとつは「国土の四分の三が「ヒンドゥー・クシュ」系の高い山で、超大国得意の機動部隊の出番がない」。

そして「古くは古代ギリシャのアレクサンドロス大王やモンゴルのチンギスハーン、ティムールなどの侵略を受けて、国民が征服者に対して「面従腹背」で対応することに慣れている」。

最後に「アフガニスタン人と言っても主なパシュトゥーン人は45%に過ぎず、数多くの民族がそれぞれの言語を使っているので、征服者がまとめて国を収めるのはもともと無理」。

どれもなるほどという感じですが、やはりこの中でも一番明白で大きな影響を持ちそうな理由は「地形」であるように私は思います。他の二つは他の国にもあてはまることですが、「これほどの広さの国土で、かつその大半が高い山」という条件の国は他に思い当たらないからです(日本も山地だらけですが、こんなに高い山ばかりではありません)。



ジャレド・ダイアモンド博士は「銃・病原菌・鉄」で「地域により発展度合いに差があるのは、人種のせいではなくひとえに地理的要因による」ことを説明しましたが、アフガニスタンが「帝国の墓場」である理由も同様ではないかと考えた次第です。


関連メモ



注釈・出典


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