イギリス研究会のメンバー計3人で、今回は福井県の敦賀(つるが)に1泊2日で出かけました。いつものように、イギリスの話は一度も出てきませんが…
- 1日目:車中の雑談
- 道の駅三方五湖 自然観察棟は本棚もおもしろい
- 人生最高のうなぎ@淡水
- 秋晴れの三方五湖
- 年縞博物館で学芸員さんを独占
- 夕食中の雑談
- 2日目:朝の氣比神宮
- ヨーロッパへの玄関口だった敦賀-敦賀鉄道資料館
- ポーランド孤児・ユダヤ難民受け入れの記録、感動と複雑な思い
- もう一度海鮮
- 関連メモ
- 注釈
1日目:車中の雑談
敦賀駅を降りたところで集合して、レンタカーに乗り込みます。
車中での会話はこんな感じ。
- 友人:最近、大和郡山の稗田にある貴重な環濠集落、同じく奈良の御所にある胃薬「三光丸」、水平社発祥の地に行った(内容を詳しく聴く)
- よしてる:(道中で見かけた大きなパチンコ店を見かけて)パチンコ産業は人気が下火になっているがそれでもものすごく大きく、娯楽の中では出版・音楽・映画などのコンテンツ産業を全部足したものよりはるかに大きい
- 昔、北海道をドライブ旅行したとき、どこに人が住んでいるのかわからない原野みたいなところにも小中学校とパチンコ屋はあったのを思い出す
- そんな北海道旅行で「猿払町」を偶然通りかかったとき、同行の友人(当時二人とも法学部生)と盛り上がった。なぜなら、法律の世界で有名な猿払事件の舞台だったから。
- 猿払町は一人当たり住民税納税額では全国でもかなり上位*1。ホタテがとれるため。フェラーリを買っている漁師さんも。
- 友人:前に敦賀に来た時、梅の販売所があるたびに止まってチェックしていたくらい、このあたりは梅の名所。
道の駅三方五湖 自然観察棟は本棚もおもしろい
そんなふうにいろんな話をしているうちに、最初の目的地である「道の駅 三方五湖」へ。
目的の買いものをすませたあと、三方五湖のうちのひとつ、三方湖のほとりにある自然観察棟へ。


三方五湖それぞれの位置関係と違いについての説明パネル
こちらは、三方五湖の自然についての説明も興味深く楽しめましたが、私たちは奥にある所長さんの本棚にも着目。
自然・生物関係のほかにも「カラマーゾフの兄弟」や金原ひとみさんなどの小説、漫画の「もやしもん」、「河川文化:河川文化を語る会講演集」、地方行政関係の文書などもあり、本棚を観ながらいろいろ雑談。こういうところもこの集まりの醍醐味です。
湖関係で出た話題としては、(ここに展示があったわけではないのですが)カメルーンにある二オス湖について。1986年に発生したガス噴出事故で1700人以上が亡くなったところです。参考:炭酸ガスの湖、ニオス湖|国環研ニュース 8巻|国立環境研究所
人生最高のうなぎ@淡水
そして、今回の旅の目的のひとつである「うなぎ 淡水」へ。「道の駅 三方五湖」からは徒歩数分です。

予約不可でランチのみの営業なので、まず12:20にお店で注文。その時点で1時間から1時間半ほどかかるとのことだったので、いったん「道の駅」へ。そして13時半に入店、注文していた国産うな重が出てきたのは14時。

いやあ、待った甲斐がありました。これまでの人生で最高のうなぎ。同行の友人の一人もそう言っていました。詳細な感想はこちら:2025年の収穫 - 本、音楽、食・旅、アート・イベント、PC・ネット - 庭を歩いてメモをとる
大満足のあとは、三方五湖を展望できる駐車場までドライブ。
秋晴れの三方五湖
着いてみると、3つある駐車場はどれも満杯。でも係のお兄さんが機転を利かせてくれて、なんとか停められました。

気持ちよい秋晴れの下、日本海と三方五湖を一望。
ただ、山頂へのリフトは混んでいたので見送ることに。
ここからは山を下り、「道の駅 三方五湖」の隣にある年縞博物館まで戻ります。だんだんと日が暮れてきますが、入館が16時半までのところ、なんとか16時10分に着くことができました。
年縞博物館で学芸員さんを独占
三方五湖のひとつ水月湖は、奇跡的な地理・気候条件が重なった結果生まれた世界最長・7万年分の「年縞」があります。これがあると、古代の化石や遺物・自然遺物の年代がこれまでよりはるかにはっきりわかるようになります。「年代のものさし」なのです。
この博物館では、この「年縞」の全年代・45m分すべてを展示すると同時に、7万年の人類・自然の歴史、そしてこの年縞をめぐる研究のあゆみも展示。私も、同行の友人のうちの一人もすでに行ったことがあるのですが、あまりにもおもしろいので未経験の友人一人と一緒にもう一度来ることにした次第。

入館直後に上映されるガイドムービーが終わったときにはもう16時半になっていたので、閉館まで30分間しかなかったのですが、そのせいか私たちのほかに来館者がいなかったため、結果的に学芸員さんを独占。非常に贅沢で濃密な30分間でした。
学芸員さんにお伺いした主なお話は次のとおり。
-Q(友人):水月湖の年稿がなぜ世界の年代測定の物差しになるのか?
-A:年稿の炭素14(正確な年代がわかる)を他の地域の炭素14と突き合わせることによって他の地域の正確な年代がわかる
-Q(よしてる):過去7万年で最大の噴火は?
-A:姶良(あいら)カルデラ(鹿児島湾ができた)の噴火で、30,078+48年前 ←年縞のおかげでこんなに細かく年代が測定できる!

縞が乱れて大理石みたいになっているのが姶良の噴火。
-Q(よしてる):年縞研究の予算はどの程度出ているのか、
-A:科研費のランクでトップはS1で、これはスーパーコンピュータやスーパーカミオカンデだが、その次にランクされている。当初は予算が5千万円しか割り当てられず、そのうちの1千万円は借金をして研究をしたが、今では(年縞が重要な研究だと認められたので)5億円の予算がもらえている。
-Q(友人):年縞の白と黒の縞が交互にできているのは?
-A:黒い縞は夏を表している。白い縞は冬を表している。黒い縞になるのはプランクトンの働きによる。
-Q(友人):三方五湖の断層はどんな仕組みになっている?
-A:花折断層の続きに三方断層があり、その三方断層がにより、水月湖や三方湖がどんどんと沈降した。三方断層は逆断層である。昔は正断層。太平洋プレートがどんどんと逃げていった。そのために日本海ができた。現在は逆断層。
私たちの質問ににこやかに丁寧にお応えくださった二人の学芸員さんに感激しつつ、今度は敦賀駅近くのホテルに戻り、近場の海鮮居酒屋へ。
夕食中の雑談

雑談内容:
- 今後のそれぞれのキャリア(仕事)について
- パレスチナ関連の映画:「壁の内側と外側」「壊された5つのカメラ」について
- (三人で)自爆テロはどこまで本心でやっているのだろうか。
- (よしてる)オーストラリア日本兵捕虜脱走事件(カウラ事件*2)はどうか。ものすごく待遇のいい施設にいることに罪の意識を感じて脱走した日本兵(ほか、脱走が多数決で決まった時に反対できなかったという事情もある)。これは本心なのかもしれないが(気持ちはわかる…)、教育の結果ともいえる気もする。
- 勉強になったまんが:「もやしもん」(発酵と食・酒文化) 「瑠璃の宝石」(鉱物採集)
いろいろ語り合って、今日はお開き。
2日目:朝の氣比神宮
2日目の朝は、このあたり随一の歴史と格式のある神社、氣比神宮へ。

同行の友人から、鳥居は重要文化財なのになんでこんなに塗装が綺麗(↑の写真)なのかという問いが出ましたが、調べてみると30年に一度塗り直しているとのこと*3。伊勢神宮の式年遷宮を連想。

神宮からのこちらの案内を読んで、三人で疑問に思ったのが「敦賀に来ることを「来敦」というらしいが何と読むのだろう?」ということ(写真の2行目頭)。
「敦煌」の「敦」だから「らいとん」?
ざっと調べてみた限りではわかりませんでした。
ヨーロッパへの玄関口だった敦賀-敦賀鉄道資料館
さらに北、敦賀港を目指して歩きます。
次に入ったのは敦賀鉄道資料館。

どんな施設なのか。敦賀市のサイトから引用します。
敦賀港は古代より大陸に開かれた玄関口として重要な役割を果たしてきました。
このことから、明治2年(1869年)、日本初の鉄道となる4路線の一つとして、京都-敦賀間の鉄道建設が決定され、明治15年(1882年)に日本海側初の線路が敦賀に敷かれました。
その後、明治45年(1912年)に欧亜国際連絡列車の運行が始まり、新橋(東京)-金ケ崎(敦賀)間を直通列車が走り、敦賀港から連絡船でウラジオストク(ロシア)へ、そこからシベリア鉄道でパリ(フランス)まで行くという路線が確立されました。
さらに、昭和32年(1957年)には日本初となる本格的交流電化が完成し、昭和37年(1962年)には当時、世界第5位の長さを有する北陸トンネルが開通しました。
このように、敦賀は「港と鉄道」と共に歩んできた街です。敦賀鉄道資料館では、敦賀の鉄道の歴史を紹介する資料や列車模型などを展示しています。また、夜には建物がライトアップされます。
(引用元:敦賀鉄道資料館 敦賀市-Tsuruga City-)
敦賀がそこまで国際的な街だったということ、恥ずかしながら敦賀に来るまでは知りませんでした。

戦前に、東京-パリ間が1枚の切符で、17日で行けたんですね。
他にも、鉄道電源の直流交流についての展示があったので、同行の友人にこんな説明をしました。私は鉄道ファンではないので正確かどうかわかりませんが…
- 鉄道列車にはまず電車とそれ以外(ディーゼルや機関車など)があり、さらに電車には直流電源と交流電源があり、それぞれ必要な設備が異なる
- 大阪駅から敦賀駅までの直通快速があるのは電源直流化のおかげ
- 以前は一部が交流区間だったので直通できなかった
- 直流化が実現したのは21世紀になってから
さて、この資料館から徒歩数分にある「人道の港ムゼウム」も、この敦賀の国際性抜きにはありえなかった歴史を展示しています。次はそちらに向かいます。
ポーランド孤児・ユダヤ難民受け入れの記録、感動と複雑な思い
こちらも公式サイトから引用します。
敦賀港は、1920年代にポーランド孤児、
1940年代に「命のビザ」を携えたユダヤ難民が上陸した日本で唯一の港。
当時の建物を復元した資料館「人道の港 敦賀ムゼウム」では、
孤児と難民が上陸した歴史、彼らに手を差し伸べた人々のこと、
そして敦賀のまちの人たちが迎え入れた様子を後世に伝えます。
引用元:敦賀ムゼウム

敦賀港から市内に向けての道にはこのような足跡が。ユダヤ難民がかつてたどった道、ということだそうです。

「人道の港ムゼウム」正面。
こちらのメインの展示内容は、戦前に日本が受け入れたポーランドの孤児たちとナチスドイツを逃れてきたユダヤ難民受け入れの記録です。
この二つの出来事の背景、日本側の受け入れ、敦賀の人たちの協力、その後の(子孫を含めた)国際交流について、非常にしっかりした展示が観られます(メイン展示内容は写真撮影不可)。
個人的な感想としては、日本側の受け入れ決断がかなり迅速であること。もちろん現代とは単純比較できませんが、このことにまず驚きました。そして何より、こういった人道上の対応はのちの国際関係に長く深い影響があること。こういったことは頭ではわかっているつもりでも、実際の関係者個人の体験談やコメントを「現地」で目の当たりにすると、身体に沁みこんでいくような理解につながる。ここが本やネットで知ることと、現地の博物館に足を運んで学ぶことの大きな違いだと、いつも思います。

その展示のひとつ(ここは撮影可)が敦賀に到着したユダヤ人の子孫の方々からのお礼や賛辞のメッセージ。これにも心を深く動かされつつ…
三人で自然に口をついて出たのは「こんな壮絶な環境から生き残った人たちの子孫が今パレスチナに壮絶な仕打ちをしているとは…」という嘆息。

ポーランドからのメッセージのひとつはこちらですが、このほかにも、施設内には日本人として自然と感動するエピソードがいくつかありました。
企画展も、スペースはそれほど大きくないですが、充実していました。
このテレジン収容所のことは何も知らなかったし…


アウシュビッツの経験を書き続けた画家、ヤン・コムスキーのことも知らなかったので大きな学びとなりました。


もう一度海鮮
歴史を学んだあとは、市場で買い物をしようとしましたがお昼なのでもう売り物はなく。なので、ランチに。やはりここまで来たんだからもう一度海鮮を味わいたいね、と「海鮮みなと家」へ。

さすがの鮮度でした。そして越前蕎麦もおいしかった!
少し早いですが、今回のおでかけもここから帰路に入ります。ここから敦賀駅まで少し距離がありますが歩くことに。途中、街中にある戦前のモダン建築があったので...


ロビーだけ覗きました。
こういうところも、かつて国際都市だった時代を偲ばせます。
敦賀駅の近くで解散。私はサンダーバードで大阪に向かいます。

新幹線が乗り入れてからサンダーバードも新幹線と同じこのエリアから発着することになっているみたいですが、かつての敦賀駅を知っている身としては隔世の感があります。
今回は16時台に敦賀を出発して19時前に大阪に着く号に乗りました。7年ほど前に一人旅をしたときにはむしろ19時ごろまで敦賀にいました。旅の終りの時刻が早くなったのも、歳を重ねて変わってきたことのひとつです。
関連メモ