
(2025年10月5日更新:カザフスタン、バングラデシュ、ウズベキスタン、シンガポールを追加)
万博。開幕まではほとんど興味ありませんでした。
でもよく考えてみると、これは世界中の人たちと直接会って話せる絶好の(というか、たぶん最初で最後の)チャンス。
なので、この国の人にはこれを聞いてみたい・・・と前から思っていたことをたずねてみました。
質問日:2025年4月21日、5月13, 27日、9月25日
※ここに書かれているすべての「回答」は、応えてくださった方個人の意見であり一般化できないものであることをお断りしておきます。
目次
- 目次
- カザフスタン - 中央アジア最大かつ最も裕福な国のもつ「兄弟」意識
- バングラデシュ - パキスタンと分離して正解だったと思うか
- ウズベキスタン - サマルカンドの国で「ザナルカンドにて」は知られているのか
- シンガポール - 建国の父リー・クアンユーは今も尊敬されているのか
- ベトナム - どうしてそんなに強いのか
- ミャンマー - 寄付のお金は軍に流れる?
- リトアニア-杉原千畝はどれくらい知られているか
- ハンガリー-首相がメディアをコントロールして生活は変わったか
- チェコ - スロバキアと分かれて何が変わった?違いは?
- キューバ - 教育費完全無料・物資不足 vs 教育費が高いがモノがある日本?
- アルジェリア-フランスによる核実験について
- リベリア - 奴隷を送り返したアメリカとの関係
- コンゴ民主共和国 - 圧政を強いたベルギーとの関係
- ルワンダ - 「ホテル・ルワンダ」の描かれ方は正しいか?大虐殺のあとの経済発展はなぜ?
- ジンバブエ - 遺跡の情報をリクエストすると...
- アラブ首長国連邦 ー ドバイではなくアブダビがリーダー?
- サウジアラビア-強い関係をもつアメリカがイスラエル支持であることをどう感じているか
- パレスチナ - 最善の支援とは
- 番外編 - TECH WORLDという名の台湾パビリオン
- 同じく万博で質問対話をされていた方へ心から感謝
- 万博会場で聴いていたのは
- 関連メモ
- 注釈
カザフスタン - 中央アジア最大かつ最も裕福な国のもつ「兄弟」意識

■質問
カザフスタンは中央アジアで一番面積が広く、なおかつ一人当たりGDPも一番高いですよね。中央アジアで突出した存在だと思います。カザフスタンの人は自国が中央アジアのリーダーだという認識はありますか。

以上出典:外務省「中央アジア・コーカサスと日本」
■回答
カザフスタンの方:(流ちょうな日本語で)一人当たりGDPはもうトルクメニスタンを超えているのですか。(よしてるがスマートフォンで上記の資料を見せる)本当ですね。一番ですね。今は12,000ドル位だと思いますけれども、まぁインフレもあるので…
カザフスタンが中央アジアのリーダーという認識があるかといえば、それはないと思います。どうしてかというと、中央アジアの国々はみな仲が良いのです。トルクメニスタンやキルギス、その他の国と仲良くやっていると思います。
その理由は、カザフスタンはいろんな民族がいるとはいっても、もともとは何千年も前から1つの民族が元になっていると考えられているからです。ええと、日本語でなんと言うかな…(よしてる:テュルク系ですか)あぁそうです。テュルクですね。そういうことで中央アジアの国々は、テュルク系民族がもとにあって仲良くやっているので、カザフスタンだけがリーダーという感覚はあまりないと思います。
私:一般的に、近隣国はライバルというか、隣の国には負けたくないと思うような国がけっこう多いように思いますけれども、それは当てはまらないですか。
カザフスタンの方:そうですね、そういう感じはあまりないと思います。むしろ、中央アジアだけではなくて、トルコなんかも含めて同じテュルク系が元なので、より広い範囲で仲間、というイメージがあります。
■感想
私個人は中央アジアの国々に対し、名前が~スタンで終わるところが多いのと、どこも草原と砂漠のイメージ(そして一部で石油が取れる)が共通していること、そしてそれ以上の知識がないため各国の違いが具体的にイメージできていない…そんな状況でした。
そんな中、ふとしたきっかけで去年見つけたのが上述の外務省パンフレット。これがきっかけで、それぞれの国にもやっぱりはっきり違いがあるんだと興味を感じていたところにタイミングよく万博が大阪に来てくれたので、これは話を聴きに行きたいなと。
特にカザフスタンは中央アジアの中では「大国」なのでこのような質問をしたわけです。いただいた回答は最初、いわゆる「模範解答」の要素もあるのかなと思ったのですが、実はこの後ウズベキスタン館でも同様の回答をいただいたので、この「兄弟意識」は実際に中央アジアで今も生きている共通感覚なのだな、と受け止めています。
バングラデシュ - パキスタンと分離して正解だったと思うか
■質問
バングラデシュとパキスタンは1960年代まで1つの国でしたが、1970年代に2つに分かれましたね。あなたはそのことを良い決定だったと思いますか。それとも悪い決定だったと思いますか。

■回答
バングラデシュの方:そのとおり、バングラデシュとパキスタンの間にはインドがあります。インドによって隔てられているわけです。もともと地理的にとても離れているこれら2つの地域が別の国になることは、かなり早い段階で決まっているようなものでした。
私:今でもパキスタンのことを兄弟のような国だと思いますか。
バングラデシュの方:両国にはもともと違うものがたくさんあります。特に言語については全く違います。バングラデシュはベンガル語ですが、パキスタンはウルドゥー語。これらはまったく別ものです。
でも、私たちバングラデシュは「敵を作らない」という方針があります。周りの国と平和に友情を築きたいと思っているのです。一方で、同盟もどこの国とも結びません。
だからパキスタンのことは兄弟だとは思わないけれども、友情はあると考えています。
ただ、この万博のパビリオンについていうと、パキスタンよりもバングラデシュの方が大きいんです。このことは誇りに思っていますよ(にやり)。
私:バングラデシュといえば、ムハマド・ユヌス氏はすごい人だと思います。彼のソリューション(マイクロクレジット)は素晴らしいもので、貧困の撲滅にとても役立っていると思います。ノーベル賞も受賞していますね。
バングラデシュの方:(笑顔で)そうです。ムハマド・ユヌスは素晴らしい人です。
私:敵を作らないといえば、バングラデシュは兵器産業などではなくて、アパレルなどの産業で大きく発展しました。そのことをとても立派な達成だと私は思います。
バングラデシュの方:(笑顔でうなずいて)ありがとう。あなたは私の国についていろいろな質問をしてくれました。今度は私があなたについて質問をしたいです。どこに住んでいるのですか?(よしてる:お答えする)ほう、そうですか。まだそこには行ったことがないです。私は大阪の地下鉄のここです(スマートフォンを指さす)。パープルラインとグリーンラインに乗ってここに出勤しているんですよ・・・(中略)
バングラデシュにぜひ来てください。
■感想
バングラデシュの方の英語は私にとっては独特で、私のリスニング力では半分も理解できなかったのですが、実際にはパキスタンとバングラデシュについてもっとたくさんの説明をしてくださいました。何年何月に何があって…なども。
こういうとき、もっと英語を勉強しておけば、そしていろんな地域の英語に慣れておけば…と思う反面、この説明の熱量とパビリオンの大きさ比較などからは言葉の理解を遥かに超えた「パキスタンへのライバル心」が感じられました。
本やネットでなく直接当事者に会って話を聴く-このことのおもしろさと学びは、まさにこういうところにあるんだと実感した会話でもありました。
ウズベキスタン - サマルカンドの国で「ザナルカンドにて」は知られているのか
■質問
日本のゲームでとても人気のある「ファイナルファンタジー」の10作目では、(ウズベキスタンの古都である)サマルカンドをモデルにしたと思われるザナルカンドという街が非常に重要な役割を果たしています。また、その時に流れる音楽も「ザナルカンドにて」というタイトルでとても人気があります。このように、日本の多くのゲームファンにとってとても重要な街と音楽の名前がサマルカンドに基づいているということを、ウズベキスタンの人たちは知っているのでしょうか。

■回答
ウズベキスタンの方:(流ちょうな日本語で)そうなんですか。いや、私は全く知りませんでした。でも必ずこの後調べようと思います。ザナルカンド、ですね。
私:はい、そうです。ぜひ調べてみてください。
ところで、ウズベキスタンは中央アジアの中でも最も人口の多い国ですから、それだけ力もあると思います。そのことから、中央アジアのリーダーという認識を持つこともできると思いますが、あなたはどう思いますか。
ウズベキスタンの方:特にウズベキスタンがリーダーだというわけではなくて、中央アジアの国々は共に発展していけるような関係であればいいと思っています。
ウズベキスタンは中央アジアの国の中で一番最初にソ連から独立しました。だから、そういった点で中央アジアを牽引する存在かもしれません。これは私の個人的な意見ですが、このパビリオンも西ゲートのすぐ近くにあるいい場所ですから、ここに他のタジキスタンなどの中央アジアの国のコーナーも設けて共同で展示するというようなことも考えていました。実現はしませんでしたが。
中央アジアの国々にはたくさんの民族がいますが、もともとはトルコ系…テュルク族とも、トルクメンともいいますが、同じであり兄弟みたいなものです。だから自分の国だけが発展しても意味がないと思っています。
私:ということは、やはりティムール(15世紀に中央アジアを中心に大帝国を築きサマルカンドを復興させたテュルク系の人物)は尊敬されていますか。
ウズベキスタンの方:はい、今でもとても尊敬されています。なんといっても、世界の数分の一の土地を支配した大帝国を作り上げた人ですから。
私の友人:日本語がすごく上手ですね。全然くせがない、自然な日本語。どこで学んだんですか。
ウズベキスタンの方:ウズベキスタンの日本語ボランティア教室のようなところで学びました。
ちなみに、ウズベキスタンの小学校ではロシア語とウズベク語のどちらを学ぶかを選べますが、私の親はロシア語を選びましたので、ロシア語もわかります。(その後、スタッフさんのお父様とお母様の民族が異なることなど、ウズベキスタンが多民族国家であることがよくわかるお話が続く)
私:ウズベキスタンや中央アジアの国は、多数の民族が共存していますね。日本に住む人の圧倒的多数は日本人で、他の民族の人は少ないです。中央アジアの国は民族共存という点で先輩です。
ウズベキスタンの方:私は日本はすごいと思います。戦争に負けて一度ゼロになったのにこんなに発展しました。他にはないことだと思います。日本に関係のない私が言うのはよくないのかもしれせんが、こんなに発展した日本が最近少し下がっている(伸ばした手を少し下げて表現)、私は残念に思っています。
私の友人:関係なくないですよ(みんなで笑う)
■感想
もともとはファイナルファンタジーの話から入ったわけですが、あえてカザフスタンと同じ質問をすることで、中央アジアの「兄弟感」をここでも感じることができたのがおもしろかった。
そして実は、私がこの質問をしたあと、私の友人と、そばにいらした見知らぬ親子さん(だと思う)と、別の一人の男性の方もいっしょになってこのウズベキスタンの方にいろんな質問をなさっていました(内容は伏せますが)。そして最後に、すべての質問に一生懸命回答してくださったこのウズベキスタンの方にみんなで拍手。
この万博は、世界の様々な国々が集まる場所ですが、そこで見知らぬ日本の方々ともひと時の交流ができたこと、これもとても意義深くありがたいことだなと感じています。
■補足
トルクメニスタン館で展示されていた偉人伝の表紙にも、孫文などとともにトルコ共和国初代大統領ケマル・アタテュルクの写真(と思う)があったりしたので、ここでも「中央アジアのテュルク系兄弟感」を垣間見たりしました。写真がちゃんと撮れてなくて残念…

この写真の右下にちょっとだけ映っている人物がケマル・アタテュルクかと…
ケマル・アタテュルク(Wikipedia Commonsより)
■その他
まったくの偶然ですが、このウズベキスタン館の屋上に上がったとき、ちょうど目の前で花火が上がりました!
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シンガポール - 建国の父リー・クアンユーは今も尊敬されているのか
■質問
(シンガポールの初代首相であり建国の父といわれる)リー・クアンユー氏は現代アジアで最も偉大なリーダーだと私は思っています。シンガポールを著しく発展させたからです。一方で、彼の政策は経済と産業に集中していて、芸術その他の分野に目を向けてこなかったという人もいます。個人的な感想でもいいので、あなたはどのように思われますか。

■回答
シンガポールの方:(満面の笑顔で)シンガポールの人々は皆リー・クアンユーのことを尊敬しています。なぜなら、彼の築いた礎(foundation)がなければ、シンガポールはこんなに成長していません。今のシンガポールがあるのは彼のおかげです。シンガポールのすべての人はそう思っていると思います。アイドルです。今年、シンガポールと日本は国交60周年にあたりますが、この60年の礎も彼が築いたものだと思います。
■感想
シンガポールは、かつて植民地だった有色人種の国で宗主国(イギリス)の経済(一人当たりGDP等)を追い抜いたほとんど最初のケースだったように思います。
その経済発展を成し遂げた「国父」がリー・クアンユー。1965年のシンガポール独立から1990年まで25年間、民主選挙が機能している(独裁国家によくある出来レース選挙ではない)同国で首相の座にありました。そんな彼の強力なリーダーシップには以前から関心がありました。
(参考1)これをやり遂げたのはなかなかすごいなと思った例:
(参考2)ここまでするのはやり過ぎのような気もするが、リー・クアンユー氏の本気度はわかるなと思った例:
(参考3)氏の経歴・人生を知るのにいちばん手っ取り早いのが1999年1月に掲載された日経新聞「私の履歴書」ですが、そのほとんどがこちらに再掲されています。
これだけの政策を実現するには相当な反対もあったと思われるので、シンガポール国民からの彼の評価はどうなのか、特に、首相の座を後継者に譲ってから35年がたった今、どう思われているのが知りたかったのですが、少なくともこのシンガポール人の方にとっては、今も「アイドル」なのですね。
ベトナム - どうしてそんなに強いのか
■質問
あなた方ベトナム人はモンゴル帝国(元)やフランス*1、そしてアメリカに至るまでその当時の世界の強国と闘ってすべて打ち負かしていますよね。どうしてそんなに強いんですか?

■回答
ベトナムの方:(はにかんだ笑顔を浮かべながら・・・でも本当にうれしそうだった)そうですね・・・私たちはどれにも勝っていますね。あなたが挙げてくれた国の他に、中国も退けていますよ*2。
どうして強いのか・・・そうですね、ひとつ言えるのは、私たちは武器や技術などは強いものは持っていませんが、spiritsがあります。このspiritsがあるから相手を打ち負かすことができたんだと思います。そして、優れたリーダーがそれを率いてくれます。それが理由のように思います。ベトナムのことをそういうふうに言ってくださって、ありがとうございます。
■感想
ベトナムの方は日本中にいらっしゃいます。でも、私が日本で会うベトナムの方にこんな話題をもちかける機会はこれまでありませんでした(コンビニでの接客中などで気が引ける)。万博のスタッフさんだったらいいかなあと思って声をかけたところ、こんな「そんなこと訊いてどうすんの?」というような質問にもちゃんと応えていただけて感謝です。
ミャンマー - 寄付のお金は軍に流れる?
万博にはミャンマーの出展はありません。ですが、ある国のパビリオンの係員さんにミャンマーの方がいらっしゃって、こんなお話が伺えました。
■質問
私:〇〇(特定を避けるため伏せます)の国の方ですか?
ミャンマーの方:(日本語で)すみません、違います。
私:どちらの国の方か訊いてもいいですか?
ミャンマーの方:ミャンマーです。ミャンマー、わかりますか。
私:もちろんわかります。地震があって大変ですよね。
ミャンマーの方:ありがとうございます。
私:何か支援をしたいのですが、寄付をするとそのお金が軍に届いて、本当に必要な人には届かないと聞きました。これは本当ですか。

■回答
ミャンマーの方:(苦笑して)はい、それは本当です。お金が軍のものになってしまいます。
私:どうすればいいでしょうか。
ミャンマーの方:もし、信用できるミャンマー人が日本にいたら、その人にお金を渡してください。そのほうがいいです。
■感想
もちろんこれは公式見解ではありません(っていうか、ミャンマーがこんなことをオフィシャルに表明するはずがない)。この方のおっしゃることが本当かどうかはわかりません。でも、あえてご紹介します。
リトアニア-杉原千畝はどれくらい知られているか
■質問
第二次世界大戦中にリトアニアで外交官をしていた杉原千畝(ナチスによって迫害されていた多くのユダヤ人にビザを発給し、彼らの亡命を手助けした*3)という日本人がいますが、リトアニアでも有名なんでしょうか。

■回答
リトアニアの方:(流ちょうな日本語で、満面の笑顔で)はい、とても有名です。杉原さんが外交官をしていたカウナスという街には杉原さんの記念館もあります。今も毎年イベントをしています。私はそのカウナスに住んでいたので、それで日本に興味を持って、今日本に来て日本のことを勉強しています。
私:ユダヤ人の間でだけ有名なのかと思っていました。
リトアニアの方:そんなことはありません。リトアニアで杉原さんはめちゃくちゃ有名です。
■回答
杉原千畝がしたことが現代の若者にも影響を与えて、日本のことを学び日本に来てくれるきっかけに今もなっているということ、素直にじーんとしましたね。
そういえば、イスラエルのブースでもやはり杉原千畝についての展示がありました。

ハンガリー-首相がメディアをコントロールして生活は変わったか
■質問
私:私はバルトーク・ベラの音楽が好きです。それでハンガリーの文化に親しみを持っています。
ところで、最近*4、首相がオルバーンさんになった(ここでハンガリーの方が苦笑した)。彼はメディアをコントロールしていると聞いています*5。メディアのコントロールは文化を良くない方向に導くと思うのですが、あなた個人の感覚でいいので、オルバーンさんが首相になってからハンガリーの生活は変わったかどうかを聞かせていただけますか。

■回答
ハンガリーの方:(日本語で)申し訳ありませんが、私は今日本に住んでいます。ハンガリー人ですけれども、その前はドイツに住んでいて、オルバーン首相になってからのハンガリーには住んだことがないのでお答えができません。
私:わかりました。住んでいらっしゃらないのならわからないのは当然ですね。
■感想
勝手な解釈かもしれませんが、このときのハンガリーの方の表情と回答内容がすべてを物語っているような気がしています。
チェコ - スロバキアと分かれて何が変わった?違いは?
■質問
1990年代までチェコとスロバキアは1つの「チェコスロバキア」でしたが、その後二つに分かれましたね。分かれてから生活などで変わったことはあるでしょうか。

■回答
(流ちょうな日本語で)変わった面もあれば変わらない面もあります。まずチェコのほうは規模も経済も大きいので、それほど大きな影響はありません。仕事を求めての人々の移動はありますけれども、大抵の場合、スロバキアの人がチェコに働きに来ます。一方通行です。また、テレビなども隣同士なので、電波の受信もできますが、チェコの番組の方がポピュラーです。
私の友人:日本のアニメのチェコ語版はあっても、スロバキア語版はないとか?
チェコの方:そうですね、アニメのNARUTOなどでもそんな感じだったかもしれません。
教育については、チェコの大学では、チェコ語で学ぶ場合は学費を無料にするという制度があります。だからスロバキアの人だけどチェコの大学に来る人というも多いです。スロバキア語とチェコ語はそんなに変わらないので。
友人:日本人でも条件を満たせば学費が無料になるのですか。
チェコの方:そうです。例えば、東京外国語大学でチェコ語を専攻している人が、マスターだけチェコの大学に来てチェコ語で学ぶというケースがあると思いますが、そういう場合なら学費は無料です。ただ、これを悪用する外国人もいます。チェコ語で学ぼうとするけれども、クオリティーに達していない場合などです。それでもこの制度は今も続いています。

チェコパビリオンの屋上から。この屋上で、係員の方からお話を伺いました。
友人:日本語はチェコで学んだのですか。
チェコの方:はいそうです。チェコには日本語を学べる国立大学が3つあります。そのうちの1つで学びました。他にも私立で日本語が学べるところもあります。
このほかに、チェコとスロバキアの違いとしては、チェコのほうが無宗教の人が多いです。LGBTQの人もチェコのほうが生きていきやすいと思います。スロバキアの人のほうが宗教に熱心です。だから、スロバキアの人とチェコの人が結婚するとします。すると、スロバキアの人の家族が「相手のチェコの人は信仰熱心ではないから残念」と思うこともあります。
私:日本でもどこでも、だいたい地方のほうが保守的ですが、そういうことですか。
チェコの方:そういうことですね。スロバキアのほうが保守的だと思います。
私:チェコの文化についていえば、チェコの音楽が好きです。ドヴォルザーク(チェコの方、「おおっ!」と反応)、スメタナ、それから指揮者のラファエル・クーベリック。ごめんなさい、チェコの人なのかスロバキアの人なのかは知らないんですけれど(あとで調べたら3人ともチェコ生まれだった)。
チェコの方:(ちょっと身体をのけぞるリアクションをして)そうですか!(その後、チェコパビリオンの音楽プログラムについて熱心に説明。「スメタナの『わが祖国』もやるんですよ。」パビリオンに音楽ホールがあることも紹介していただく。)

チェコパビリオンの中にあるホール。覗かせてもらったタイミングでは特に催し物は行われていませんでした。
チェコにもぜひ来てください。
私:ビールも好きですから(チェコは一人当たりのビール消費量が世界最多*6)、いつか行きたいです。
友人:またこのパビリオンにも来ます。
■感想
このときは古くからの友人と一緒で、その友人もいろいろ質問してくれたので世界が広がった感じでとても楽しかった。
でも、この会話が終わってしばらくしてから…ビートルズの「ヘイ・ジュード」を独自のチェコ語歌詞で歌って民主化を訴えた女性歌手*7のこととか、その歌が一瞬出てくる映画「存在の耐えられない軽さ」(原作者ミラン・クンデラはチェコ人)とか、去年読んだ「城」が特にお気に入りになっているフランツ・カフカとか、チェコのクリエイターの素晴らしい作品のことをどんどん思い出して…このチェコの方にそれを伝えたかった。
(参考)カフカ「城」の感想が含まれているメモ
キューバ - 教育費完全無料・物資不足 vs 教育費が高いがモノがある日本?
■質問
キューバは医療費と教育費が完全無料*8ですよね。それを私はとてもうらやましく思います。日本では特に教育にお金がかかるからです。一方で、キューバは物資が不足することがあると聞きます。キューバのように「教育費や医療が無料だけれども物資が不足している社会」と日本のように「教育費がかかるけれども、物資は基本的には不足していない社会」だったら、あなたはどちらが住みやすいと思いますか。

■回答
キューバの方(お二人):たしかにキューバは、社会保障サービスは無料ですが物資が不足しています。それは国の成り立ちと関係があります。キューバは長い間、ソ連や中国などとの関係を強化してアメリカと対立しており、その結果としてアメリカから経済制裁を受けているためです。
どちらの世の中が良いのかということですが、それはやはりバランスの問題だと思います。(その後も詳しい説明が続くが、私の英語力では聞き取れず…)
私は日本は経済発展を成し遂げた美しい国で素晴らしいと思います。
私:ありがとうございます。(話は変わりますが)フィデル・カストロ将軍を尊敬していますか?
キューバの方:(二人ともちょっとうっとりした笑顔になって)もちろんです。今のキューバを作り上げた偉大なリーダーです。
私:私もカストロ将軍は偉大な人だと思います。あの巨大なアメリカに対してずっと闘い続けるというのはすごいです。
私:キューバの文化では音楽が好きです。NGラ・バンダとか。
キューバの方:(一人は「えっ?」という感じ、もう一人はにっこりしてもう一人の方に「NGラ・バンダよ」と正しい発音を補足、もう一人の方も納得されたよう)
■感想
そんな質問はないだろうって自分でもわかってはいるんですが、語学力が低いと微妙なニュアンスの質問が難しいのでこうなってしまいました(言い訳)。にもかかわらず真剣に対応してくださったキューバのお二方には感謝。
それと、カストロ将軍について語った時の係員お二人の表情からは、この人は本当に(一部かもしれないが)キューバ国民に愛されているんだなあ、西側諸国(特にアメリカ)からはボロカスに言われているけどそれは一面の評価なんだ、ということを間近に感じられた貴重な機会でした。
アルジェリア-フランスによる核実験について
■質問
私:アルジェリアではフランス政府が核実験を行っていますね*9。しかも独立後にも(ここで二人のアルジェリアの方の表情が変わって、同時にある単語を叫んだ。たぶん「ジェルボワーズ*10!」だったと思います。)。
アルジェリアはアフリカで一番大きい国で人口も多いですよね(アルジェリアの方、大きくうなずく)。パワフルな国だけれども、そんな大きな国が独立した後でも核実験をフランスがやったということについて、これはとんでもない悲劇だと思うのですが、今どんなふうに考えておられるのか。そしてフランスについてどうお感じなのか、個人の意見でかまいませんのでお聞かせいただくことはできますか?

■回答
アルジェリアの方:そうなんですよ!その核実験は本当に悲劇で、広島みたいにたくさんの人の健康がおかしくなっていて、それは今でも続いているんですよ。これはとんでもないことで・・・(このあとしばらく、私の英語力では聞き取れなかったが、強い主張の言葉が続いた)まあ核がどれだけの悲劇を生むかは、広島と長崎を経験している日本のあなたならよくおわかりでしょう。
ああ、広島とアルジェリアが似ていると言いましたが、広島は大都市に原爆を落とされましたが、アルジェリアの核実験は砂漠での実験だから、一緒にしてはいけないかもしれませんね。
私:大事な自分たちの生命と土地をよその国に破壊された、このことは同じですよ。
アルジェリアの方:そうだ!そのとおりです!
まあそんなことがあったから、フランスのことを嫌っている人も多いけれど、なんだかんだいってアルジェリア人のほとんどはフランス語が話せるんですよね。フランスの影響はとても大きいのです。そんなわけで、単なる好き嫌いではない、長くて、複雑な歴史があります。なんといっても植民地化されていたのが18●●年(聞き取れず)から1962年まで、100年以上の長きに渡っているから。とはいえ、核実験に関しては本当に悲劇でとんでもないことです。
アルジェリアをぜひ見に来てほしいです。そんなに遠くないですよ。
■感想
日本を被爆国として仲間だと感じてくれる連帯意識と、「言いたい!」気持ちのあふれる回答からは、フランスとの「長く複雑な歴史」の背景にある心情を感じられたような気がします。
冒頭にも書いたように、これはアルジェリアの公式回答ではないし、もちろん唯一の正解でもないわけですが、こういう「普段なら絶対会話することがなさそうな国の方と一瞬でも対話できる瞬間」というのが本当にありがたくて、万博に足を運んでいる次第です。
リベリア - 奴隷を送り返したアメリカとの関係
■質問
私:リベリアの国旗はアメリカに似ていますが、それはアフリカからアメリカに連れてこられた黒人奴隷が、またアフリカに送り返された(しかももともと住んでいたのとは違う地域に)、そういうかたちでアメリカと縁があるからですよね。合ってますか?
リベリアの方:(急に真剣な顔つきになって)はい、合ってます(大きくうなずく)。
私:そんなアメリカに対して、リベリアの人々はどう思っているんでしょうか。個人的な意見でいいのでお伺いしてもいいでしょうか。

■回答
リベリアの方:このことは、神様のお導きで、神様の愛があってなされたことです。そして・・・(そのあとおっしゃっていたことは私の英語力では聞き取れず。独特の発音でいらっしゃった)。だから、アメリカは敵だとは思っていません。パートナーだと思っています。
日本については、JICAがサポートをしてくださっていて、感謝しています。
■感想
他にも、「リベリアを知ったのは小学生の社会科のサブテキストでリベリア船籍の船の率がすごく多かったことが発端です」と言いましたが、「船籍」の英単語が出てこずship registraionと言いましたが伝わったみたいでした。いやあ、それにしても小学生の時は自分がリベリアの人としゃべる機会があるなんて夢にも思わなかったから、それが実現したことだけでもありがとう万博って感じです。
あと、マイケル・ジャクソンにLiberian Girlって曲がありましたね・・・と言おうと思いましたが、唐突過ぎるしそれがどうしたという感じなので、これは結局言いませんでした。
コンゴ民主共和国 - 圧政を強いたベルギーとの関係
■質問
私:大変聞きにくいことを聞きますが、(かつての宗主国だった)ベルギーのことをどう思っているのでしょうか。個人的な感覚でいいので聞かせてもらうことはできますか。(この質問をすると、係員の二人の方がともに真剣な表情になって顔を互いに見合わせ、少し間を置いて片方の方が話してくださいました。)

■回答
コンゴ民主共和国の方:まず最初に言っておきたいことは、私たちは日本人の礼儀正しさに感謝しているということです。今でも僕らはヨーロッパに行って、列車やレストランで席に座ると、そばに座っていた白人の人たちはすーっと(身振りを示しながら)去っていくんですよ。日本ではそんなことはない。私は日本に来てこのことに感激しました。
私:え、今、この現代社会でですか?
コンゴ民主共和国の方:そうなんですよ。今でもそういうことがあるんです。
で、そんな状況ではありますが、ベルギーは「おじさん」(uncle)だと思っています。
私:そうなんですね。私の意見では、ベルギーという国はともかく、王だったレオポルド2世(19世紀にコンゴを自身の私有地とし、ゴム生産ノルマを達成できない現地人の手首を切断する刑罰等、圧政の原因をつくった*11)は悪い人だと思っていました。
コンゴ民主共和国の方:(大きくうなずきながら)それでも、ベルギーは敵ではないと思っています。日本人も、アメリカは敵だと思っていないでしょう?
私:たしかにそうですね(たぶん、苦笑していたと思う)。
コンゴ民主共和国の方:(私の表情を見て、笑顔を見せながら)まあ、広島のことがあったけどね。でも敵ではないですよね。
私:はい、ものすごく関係が強いです。日本はアメリカの影響をとても強く受ける立場です。
コンゴ民主共和国の方:ベルギーとコンゴも、親子というほどではないけれど、今でも影響はある。そんな関係ですね。あと・・・(他に、他国の植民地支配についていろいろ話をしていただきましたが、あまりオープンにしないほうがいいような気がするので伏せておきます。)
そうそう、展示はご覧になりましたか。コンゴは自然の豊かな国です。熱帯雨林が世界でアマゾンの次に大きいのですが、コンゴにある泥炭湿地(単語が聞き取れなかったので展示パネルで教えてもらった)はアマゾンにはありません*12。そして国土は、アフリカではアルジェリアの次に大きいんですよ。
私:もともとアフリカで一番大きい国はスーダンだったけど、南スーダンができて二つに分かれたから一番じゃなくなったんですよね。
コンゴ民主共和国の方:そうそう、そうなんですよ!(と盛り上がった感じ。ちなみにちょうど正面が南スーダンのブースだった)
(このあと、係員の方が一対一でアテンドしてくださって、ブースの展示を案内していただきました。)
■感想
こちらもアルジェリアと似た感じの「言いたい!」気持ちをびしびし感じる回答でした。本来、もと宗主国との長く複雑な歴史をかかえた関係など、部外者の私が気軽に訊いていい内容ではないのかもしれませんが、それに真剣に応えてくださったコンゴ民主共和国のスタッフさんには感謝です。
ルワンダ - 「ホテル・ルワンダ」の描かれ方は正しいか?大虐殺のあとの経済発展はなぜ?
■質問
「ホテル・ルワンダ」という映画*13がありますね。1994年に起こったルワンダ内戦(多数派のフツ族がツチ族・フツ族穏健派50~100万人を虐殺*14)を描いた映画です。そこではRFP(ルワンダ愛国戦線)が「正義」として描かれていました。これはルワンダの実態と合っていたのでしょうか。

■回答
係員の方(内戦終了直後の94年12月からルワンダに何度も渡航しておられる日本人の方):あの映画には一部誤りや誇張がありますけれども、概ねルワンダの現実を正しく捉えていたと思います。RFPは今でもルワンダの人たちにとっては自分たちを助けてくれた存在だと考えられています。
(虐殺後のルワンダを立て直し、経済を発展させたといわれる)カガメ大統領もRFPの出身です。大統領には強力なリーダーシップがあるので、やはりすべてがきれいごとではすまないことがあって、批判もそれなりに受けていますけれども、ルワンダを立て直した人として評価されていると思います。
私:RFPはツチ族の軍隊だという認識ですが、それは正しいですか。
係員の方:はい、たしかにツチ族の部隊です。けれども、実際にはルワンダではフツ族とツチ族はそれほどはっきり分かれていなかったものを、ベルギーが植民地政策の一環として、あなたは背が高いからツチ族とか、そういう風なあいまいなルールで無理矢理分けていきました。それに純粋なツチ族とはフツ族というのはあまりいなくて、やはり部族間で結婚をしたりするので、両方のルーツを持っている人も少なくありません。(それなのにフツ族によるツチ族へのジェノサイドがあったため)だから内戦が終わった後、真っ先にルワンダがしたことがこの民族を登録しているIDをなくすことでした。ですから、今は民族に伴う争いはないですし、その話をすることは、ルワンダの中では一種のタブーになっています。
それから、一般的にはルワンダのジェノサイド(大虐殺)は内戦と言われてますけれども、実態は違います。このジェノサイドはずいぶん前から計画されていたことだとも言われています。大統領の乗った飛行機が墜落した事故をきっかけに、あんなに急にジェノサイドが起こるわけがないので・・・。RFPがその虐殺を指導していた人たちをルワンダから追い出して、コンゴのほうに追いやったと言うのが正解で、戦いというよりは虐殺者を押しやったという感じです。だからRFPは解放者として評価されています。
また、もともとツチ族の軍隊ですが、ツチ族は虐殺されたほうですから、痛みがわかっているので、それもジェノサイド後のルワンダをまとめるのに良い影響を与えていると思います。
今こちらにイグサのような工芸品がありますよね。これが実はその後の民族の融和に役立っています。だから「ピースバスケット」、現地のことばで「アガセチェ」と言われているんですけれど。
どういうことかというと、これらの工芸品を作るにはたくさんの人が同じ場所に集まって、一緒に作らなければなりません。そこで、人々の間で対話が行われました。

ひとつは、まず虐殺を行った立場の人には、自分の罪をしっかりと自覚してもらうこと。もう一つ、虐殺された側は、この対話を通してうらみに終止符を打つということです。簡単にできることではありませんけれども、この工芸品を作るために人が集まる場所があったから対話が促進されたというのはあると思います。
私:それはすごいですね・・・なかなかできることではないですね。
係員の方:そうですね。すごいことだと思います。
それから、私から見てルワンダや発展途上国について思うのは、ときどき先進国の人で、自分たちが発展途上国を「救おう」として、すごく深くまでその国に介入してくる人がいますけれども、やはりその国それぞれでやり方がある。助言をするとか支援をするとかいうのはいいと思うんですけれども、あまり中に介入しすぎて自分たちで何かをコントロールしようとするというのはあまりうまくいかないんじゃないかなと思います。ルワンダの場合はカガメ大統領が非常に強力なリーダーシップをとって改革を進めていきました。そのことに批判もありますけれども、ルワンダの人が自らリーダーシップをとったことが、その後のルワンダの発展につながっていると思います。
■感想
万博でこういった質問をするときには、「その国の人」にお伺いするようにしていました。ただこのルワンダでは、現地に何度も足を運んだ日本の方がいらしたので、逆にこれはお話を伺うしかないと思った次第です。
もっともっとお話を伺っていたかったのですが、次のパビリオンの予約があってやむなくここで失礼しました。
ジンバブエ - 遺跡の情報をリクエストすると...
(係員の方がVRゴーグルによるネイチャーウォッチングをすすめてくださったのでそれを楽しんだあと・・・)
■質問
ありがとうございます。私はジンバブエにあるものではグレートジンバブエ遺跡に興味があります。遺跡のVRはないのでしょうか。

■回答
ジンバブエの方:(表情から営業スマイルが消えて)グレートジンバブエですか?あなた日本人ですか?
私:はい、日本人ですよ。
ジンバブエの方:遺跡について聞かれたのははじめてだわ。もちろんありますよ、ちょっと待ってくださいね・・・(VRゴーグルとPCをセッティング。私、VRを楽しむ)

私:ありがとうございました。ここにきた甲斐がありました。
ジンバブエの方:どうしてグレートジンバブエを知っているのですか?
私:小学生のころに読んだ古代遺跡の本で、南アフリカ地方にはこの遺跡だけが載っていたのでよく覚えています。ていうか、有名ですよね?
ジンバブエの方:グレートジンバブエを紹介できてうれしいです。このリクエストをもらったことを、万博での展示成果として本国のsupervisorに報告するわ。
私:遺跡のことを質問するのがそんなに珍しいですか。
ジンバブエの方:あなたがはじめてよ(開幕1週間後時点)。みんなbig fall(大きな滝),big fallばかりなの。
■感想
ジンバブエという国名自体が遺跡の名前から来ているんですよね*15。そしてこの遺跡が現地の黒人により築かれたことを、白人は認めようとしませんでした*16。つまり、国の誇りなのです。なので当然メインでフィーチャーされていると思っていたらネイチャーウォッチングメインだったので・・・ビジネスになるのは遺跡じゃない、ということなのかもですね。そんなことも学べた展示でした。
アラブ首長国連邦 ー ドバイではなくアブダビがリーダー?
■質問
アラブ首長国連邦(UAE)は、いくつかの国の連合体であるものの、アブダビが突出して大きくて経済力も強く、ドバイがそれに続くと聞いています。
Wikimedia「アラブ首長国連邦の行政区分図(日本語)」から引用
ということは、連邦内で何かを決めたりする場合にも、アブダビが突出して発言権が大きい、連邦のリーダー的存在なのでしょうか。

■回答
(日本とUAEのハーフの方が日本語で)おっしゃるとおり、アブダビは圧倒的に大きいです。経済力もあります。ですから、他の首長国に比べてたしかに影響力はあります。しかし、だからといってそれで揉め事が続いたり、話がまとまりにくいということはないと思っています。
もともと、それぞれの国のままだと力が弱いので一緒にやっていこう、ということでできた首長国連邦ですから、仲良くやっていくという点においてはやれていると思うし、だからこそ順調に発展してきているのだと思っています。
■感想
回答くださった方がアブダビの方なのかそれ以外の国の方なのかで回答のもつ意味合いも変わってくると思うのですが、肝心のそこのところを聞けずじまいでした。
いずれにしてもパビリオン係員さんの回答なので「公式」の内容なのでしょうが、それでも、直接この国の方とお話しできたことはうれしく、ありがたいことだと感じています。
サウジアラビア-強い関係をもつアメリカがイスラエル支持であることをどう感じているか
■質問
私:サウジアラビアはアメリカととても友好的ですよね。
サウジアラビアの方:はい、そのとおりです。
私:一方で、アメリカはイスラエルを強く支持しています。サウジアラビアはイスラム国家ですが、イスラエルと仲のいいアメリカととても友好的であることについて、サウジアラビアの人々はどのようにお感じなんでしょうか。個人的な意見でかまいませんので教えていただけますか。

■回答
サウジアラビアの方:(しばらく無言になってから、日本語で)それは政治的なことですね・・・私はサウジアラビアパビリオンのスタッフなので、政治のことについてはお話しすることができません。それは禁じられています。申し訳ありません。
私:わかりました。それぞれの国にそれぞれの方針があると思うので、私はそのことを受け入れます。
サウジアラビアの方:ありがとうございます。
■感想
サウジアラビアは王政で、言論がコントロールされている国です。それを知っててこんなことを訊く私に対して、この青年は真摯に対応してくださった。そのことに感激しました。
パレスチナ - 最善の支援とは
■質問
私:パレスチナは今非常に厳しい状況にいると思います(パレスチナの方、大いにうなずく)。ご支援をしたいと思うのですが、どんな方法が一番適切でしょうか。
というのは、ある国の方と話していたら、団体を通じた寄付は、お金が全部軍に行ってしまう。困った人に届かないとおっしゃっていたんです。たとえば私は国連難民高等弁務官事務所に毎月寄付を、とても少ない額ですがしているのですが、そういう団体を通じた支援でも、ちゃんと支援は届くのでしょうか。

■回答
パレスチナの方:国連を通じての支援も届いています。ありがとうございます。ただ、私たちがもっとも求めていることは・・・(スマホの翻訳アプリを使って)

「パレスチナを支援する最大の方法は、パレスチナ人の要求の権利を支持することです。」
■感想
そもそも、最初から支援の話をするなんて、相手の国の方に失礼な話だよな・・・なんて思っていたのですが、パレスチナの方からの回答はそういうレベルを超えたものでした。
そもそも、要求する権利自体が認められていない。
パレスチナの方はそう感じておられるということですね・・・そう思うのも無理はない・・・
もっとも衝撃を受けた回答でした。
番外編 - TECH WORLDという名の台湾パビリオン
こちらは質問したわけではないんですが、感じることがあったのでXのポストを。
#万博 の台湾。パビリオン名(TECH WORLD)だけでなく展示内容にも「台湾」の名前はなく、国のパビリオンは全部リングの内側なのに唯一外だし、大人の事情まみれで本当に気の毒…そんな中、エントランスにあった謎のオブジェが台湾島であることに今ごろ気づいた… (マップは @t_tsuji さん作を引用) pic.twitter.com/F2mL1wbRIC
— よしてる (@yositeru) May 16, 2025
同じく万博で質問対話をされていた方へ心から感謝
このメモと同様に、各国の係員さんへの質問をなさっている中坊さんのnote。こちらとはまた違った多彩な視点で非常に興味深い質疑・対話が広がっています。私自身はスポーツ関連の知識がまったくありませんが、中坊さんはサッカーをベースにした興味深い質問をなさっているので、新鮮な内容が目白押し。
さらに、発信力の大きい中坊さんのご紹介によって、このメモを読んでくださる方がけた違いに増えました。心から感謝しております。
万博会場で聴いていたのは
この曲でした。大阪でこれが実現するなんて。

関連メモ
万博では、国や地域の文化の多彩さに心躍らされつつ、改めてその歴史の違い、もっといえば西洋が世界を「リード」(圧政・搾取含む)してきたことも実感させられました。どうしてそうなったのか。その回答のひとつを提示してくれたこの本を、自分なりに読み解いてみました。
万博ではちょうどこのメモでも取り上げているデンマーク、スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、アイスランドの5か国が同じパビリオンで共同展示していますが、この5か国の違う点と似ている点をまとめています。
ベトナムがフランスの植民地支配に抵抗し勝ったことを知ったのは、この曲の歌詞に出てくる「ディエンビエンフー」がきっかけでした。
同じく、コンゴを支配していたのがベルギーだったことを知ったのはこの曲の歌詞「コンゴのベルギー人」からでした。
注釈
*1:植民地化されたものの、最終的にはディエンビエンフーの闘いで打ち負かした。参考:ディエンビエンフーとは? 意味や使い方 - コトバンク
*2:中越戦争(ちゅうえつせんそう)とは? 意味や使い方 - コトバンク
*3:知っていましたか? 近代日本のこんな歴史 | 杉原千畝と「命のビザ」 ~東洋のシンドラーと呼ばれた外交官~
*4:私はこう聞きましたが、実際にオルバーン氏がハンガリー首相を務めているのは1998~2002年そして2010年~現在ですので、「最近」とは言えませんね。私の誤りでした。
*5:ハンガリー 報道統制強める 独立系メディア危うく - 日本経済新聞
*6:2022年 世界主要国のビール消費量 | 2023年 | キリンホールディングス
*9:アルジェリア核実験被害の現実 仏公共放送記者 ラルビ・ベンシーハ氏に聞く | 中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター
*11:ベルギー元国王の像を撤去 コンゴ搾取めぐり攻撃続発 - 産経ニュース
*12:続・地球の肺を守ろう(1)コンゴの泥炭地保全に日本協力=大仲幸作 | 毎日新聞