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西洋が世界をリードした究極の要因 - 「銃・病原菌・鉄」を要約した表

世界は西洋が動かしている

西洋

世の中の多くの重要な発明・発見は、ヨーロッパか、ヨーロッパ人の子孫が国を動かしている北米(=西洋)で行われました。

今、私がこのメモを書くのに使っているもの・目に入るものを挙げるだけでもそのことは明白です 。コンピュータ、ディスプレイ、プラスチック、インターネット、電気(発電・送電)、音楽の録音再生技術・・・すべて西洋の発明。例外は紙と青色LEDくらいです。

発明・発見だけでなく、ここ数百年、世界に影響を与えるような重要な出来事も、その多くが西洋の国からもたらされました。いいこともあるものの、よくないことのほうが多い気もしますが。

アジアとそれ以外の地域

もちろん例外もあります。G7の中では日本だけは非西洋国ですし、最近は中国やインドの存在感が増してきています。

でもこれまで、アフリカや中南米の国が世界の中でそういう存在になったことはありません*1

世界は西洋が動かしている。アジアも影響力はある。それ以外の地域は影響力が少ない。

このように、影響力(=こうなるまでの「発展」)に地域差があるのはどうしてなのでしょう。

目次


なぜそうなったのか

これまでの説明 - 気候・人種

私は子どものころ、親にこのことを聞いたら「発展してる国はみんな四季があるやろ。人間、四季がないと服とか食べ物とかの工夫をせんから発展せえへんのや。」という答えが返ってきました。でも、北米や南米、アフリカにも四季のあるエリアがありますが、世界に影響力をもつには至りませんでした。

一方、一部の人はそれは「人種の差」なんだと言います(こっそりそう思っている人はもっと多いかも)。「西洋の人は他の地域の人より優秀なんだ。それ以外に説明がつく理由があるの?」と。

新たな説明 - 環境

本当にそうなんだろうか・・・子どものころからそう思いながら約20年がたった20世紀最後の年に、私はこの問いについて納得できる説明をしてくれる本に、やっと出会いました。

ジャレド・ダイヤモンド博士の「銃・病原菌・鉄」です。

同書の回答はいたってシンプルです。

それは、人々のおかれた環境の差異によるものであって、人々の生物学的な差異によるものではない。*2

人種の差ではなく環境の差だったと。

でもこれでは簡潔すぎて納得はできないですよね。

もちろん本書ではなぜそう言えるのかを詳細に解説していますが、このメモでは、それをできるだけシンプルに要約しつつ、本書の本当の偉大さをお伝えできればと思います(つまりネタバレ)。

銃・病原菌・鉄 上巻銃・病原菌・鉄 下巻
「銃・病原菌・鉄」の表紙は、スペイン人ピサロの部隊が南米のインカ帝国の皇帝アタワルパにつかみかかろうとしているところを描いたジョン・エヴァレット・ミレイ*3の絵画です。まさに「西洋が非西洋を征服する」瞬間。「なぜ西洋が非西洋を征服し、その逆にはならなかったのか」が本書に通底する基本的な問いであることを考えると、うまいセレクションだと感心します。


「銃・病原菌・鉄」のシンプルなまとめ

本書は今でこそ有名になっていますが、私は邦訳版が発売された直後の2000年に国内での評判が確立する前に購入して以来何度も読み、好きすぎて英語の原書も2回読みました。個人的にこの40年間で「読後に世界が変わって見えた本」第1位は本書です。

そんな私が「銃・病原菌・鉄」のエッセンスを要約してみた結果が次の表です。

ただこの表をいきなり見ても「なんでそんなことがこんな大きな『発展』の差につながるの?」と感じられるだけだと思いますので、以降で解説します。


「発展」の地域差ができたのはなぜか  - 大規模社会集団

「発展」するには、大前提として大規模社会集団が必要です。なぜか?理由は次のとおりです。

  • ①分業が進む → 専門家がそれぞれの分野を「発展」させることができる
  • ②人が緻密に集まる → 感染症が発生しやすくなる → 一時的に人口は減るが、結果的に感染症に強い遺伝子を持った人とその子孫が生き残る → 感染症に抵抗力をもった人の集団ができる


分業ができてはじめて専門家が生まれる

①の分業の重要性は理解しやすいと思います。

分業が進むと、軍事や学問の専門家がそれぞれの分野を発展させることができます。小規模な社会集団ではそれができません。

感染症への抵抗力=征服力

一方、②の感染症への抵抗力は、一見、そんなに重要に見えないかもしれません。

しかし、ヨーロッパ人が南北アメリカ大陸に渡った時、彼らが持ち込んだ天然痘などの疫病により南北アメリカの原住民の人口が激減した事実を思い起こすと、理解が進むかと思います。

南北アメリカ原住民は病気への抵抗力が非常に弱かった。その原因のひとつは、大規模社会が少なかったことなのです(もうひとつのもっと強い理由は後述します)。

そのことが、「発展」以前に、他の集団に征服される結果となってしまいました。感染症への抵抗力を有した集団は、他のそうでない集団への軍事力を手にしたようなものなのです。

では、大規模社会集団ができた地域とできない地域があったのはなぜなのでしょうか。

大規模社会集団が成立する条件

大規模社会集団が成立する条件 - それは農業と家畜です。

  • 農業と家畜の存在 → 食料生産性が上がる → 余剰食糧ができる → 全員が食料探しをしなくてよくなる → 食料探し以外の専門家(軍事・学問など)ができる(分業が進む)
  • 農業と家畜の存在 → 食料生産性が上がる → 人口が増える(緻密な社会ができる)

食料生産性と軍事力の向上

狩猟採集社会よりも、農業のほうが効率的に食料が得られます。

さらに、家畜を使って農業を行えば、さらに効率は上がります。

また、人を乗せて走れる家畜がいれば、軍事力は飛躍的に高まります。

これらの点だけでも農業と家畜がいかに重要かが理解できると思いますが、家畜の存在にはもうひとつ重要なポイントがあります。

家畜によって病気への抵抗力が上がる

実は、動物は、病原菌の源でもあるのです。

はしか、結核、天然痘、インフルエンザ、百日咳、熱帯熱マラリアなど、多くの疫病は動物から人間に伝染したと考えられています*4。エイズや新型コロナウイルスもそれぞれ猿、コウモリからのものという説があります。

つまり、家畜の存在も、感染症に抵抗力をもった人の集団をつくりあげるもうひとつの大きな原因になっているのです。


しかし、世界には、農業をしない地域、家畜を持たない地域もあります。

それはなぜなのでしょうか。それらの地域に住む人たちは「工夫が足りない」「人種的に劣っている」のでしょうか。

そうではありません。その理由が本書では非常に明快に記されています。こここそが本書の真骨頂でありエッセンスといえる部分です。


地域による発展差ができた究極の理由 - 「銃・病原菌・鉄」のエッセンス

もう一度、先の表の上半分を見てみましょう。

これを見ると明確ですね。単に、ユーラシア大陸以外では、農業をしようにも有利な作物が、家畜を飼おうにもそれができる大型哺乳類がいなかった(または少なかった)のです。

そして、仮に農業や家畜化ができても、大陸が東西に狭いのでその成功例が広がっていかなかった(南北だと気温が異なるので広がらない)。

あくまで地理的要因なのです。

家畜化できる動物は激レア

ところで、この表を見て、家畜化*5できる動物がほぼユーラシア大陸ばかりにいて、しかも合計してもたった14種しかいなかったことに違和感を持つ方もいらっしゃると思います。

私も最初に読んだときはそうでした。ペットショップにいけば、いろんな動物がいるじゃないか、と。

でも実態は違います。

大型哺乳類である必要

まず、そもそも、農作業や戦争に役立つ、鋤を引いたり作物や人を運んでくれるような大型哺乳類はそれほど多くありません。ペットショップにいるような動物は対象外です。

厳しい条件

そして、実は動物を家畜化するには、いくつものハードルを超える必要があります。

本書にはそのハードルが6つ挙げられていますが、一部を紹介すると、餌の問題(肉食動物はコストがかかりすぎるのでNG)、成長速度の問題(ゾウは成長が遅すぎるので家畜化せず成長した野生ゾウを捕まえて飼いならす)、気性の問題(シマウマは気性が荒く鞍をつけるのはほぼ不可能、カバは獰猛で実はアフリカでライオン以上にもっとも人を殺している動物)などがあります。

オーストラリアと南北アメリカに大型哺乳類が極端に少ない理由

さらに、オーストラリアと南北アメリカには別の理由があります。もともとはたくさんの大型哺乳類がいたはずなのに、ある時期に軒並み絶滅してしまったのです。

それは人類がそれらの大陸に足を踏み入れた時期。オーストラリアは紀元前4万年ごろ、南北アメリカ大陸は紀元前1万1000年ごろです。

つまり、アフリカやアジアのように、700万年かけて類人猿の進化(=狩猟技術の向上)とともに人を避けるよう進化した動物と違い、人類を何百万年も知らなかったオーストラリア・南北アメリカの動物たちは、狩猟技術をもって突然現れた人類にはなすすべがなく、あっという間に狩りつくされてしまったのです。

すべてのハードルを超えた14種

以上のいくつものハードルを超えた動物だけが、農作業に役立つような家畜になれるのです。それは次の14種です。

羊、ヤギ、牛、豚、馬、ヒトコブラクダ、フタコブラクダ、ラマ/アルパカ、ロバ、トナカイ、水牛、ヤク、バリ牛、ガヤル。

このうち、ラマ/アルパカだけが南米原産。ほかはすべてユーラシア大陸(北アフリカ含む)の動物だった、というわけです。


なぜメソポタミアでも中国ではなくヨーロッパが世界をリードしたのか

ユーラシア大陸が「発展」に有利だったことはわかりました。

ではなぜ、農業や家畜化が世界で最初に(紀元前8500年)始まったメソポタミアでも、その次(紀元前7500年)の中国でもなく、ヨーロッパがもっとも「発展」することになったのでしょうか。

メソポタミアが世界をリードし続けられなかったわけ

メソポタミアとその周辺は、しばらくは大帝国が次々に興り、それこそ世界をリードしていました。バビロン、ヒッタイト、アッシリア、ペルシア・・・

しかしその後、アレキサンダー大王の帝国を最後に権力は西、つまりローマなどのヨーロッパ方面に移動してしまい、二度とメソポタミアに戻ってくることはありませんでした。

これはなぜなのか。それは、現在のメソポタミア地域をGoogleアースで見てみるとわかります。

農業がはじまった地域とは思えないほど緑がありません。

実は、かつてはこの地域のほとんどは森林に覆われていたそうです。しかし、「発展」にともないそのほとんどが伐採されたのです。つまり自然破壊が原因です。

では、ヨーロッパや中国はなぜ近年まで木がなくならなかったのか。

それは、メソポタミアに比べて降雨量が多く、木を伐採しても森が再生しやすいから。

つまり、メソポタミアが世界をリードできなかった理由は、降雨量が少なく、環境破壊の影響を受けやすい脆弱な地域だったから、なのです。

本書には明記されていませんが、ヨーロッパより前に一時期世界をリードしていたイスラム諸国が衰退した理由もここにあったのかな、とも私は感じました。

なぜ中国は途中からヨーロッパに追い抜かれたのか

では、中国はなぜなのでしょう。

かつて中国は数千年の間、ヨーロッパをリードしていました。そんな中国はなぜ「追い抜かれた」のでしょうか。なぜヨーロッパよりも先に大航海時代をつくり、世界をリードする存在にならなかったのでしょうか。

世界史の授業でも習いますが、実は中国(明)「はヨーロッパが大航海時代に突入するより少しの15世紀初頭に、アフリカ大陸東岸にまで大船団を送り込んでいます。なのになぜその先に、アメリカを「発見」し、世界中に植民地をつくることにならなかったのでしょうか。

巨大統一国家はイノベーションに不利

実は、この中国の大船団は15世紀の半ばに突然中止され、造船所も解体、外洋航海も禁じられるようになりました。

理由は中国宮廷内の権力闘争です。

なんともったいないことを・・・と現代の私たちは思いますが、ではヨーロッパ人は先見の明があって大航海時代をつくったのかというと、そうではありません。

たとえば、コロンブスがアメリカを「発見」する際の船団派遣の許可は、フランスをはじめとする3回違う王侯に断られ、4回目にたどりついたスペイン王・女王からやっと得られています(しかも最初は断られた)。

中国の皇帝もヨーロッパの王侯も、船団派遣の重要性はさほどわかっていなかったのです。では違いは何か?

中国の皇帝は一人だけですが、ヨーロッパの王侯は当時何百人もいました。コロンブスは、一人目がだめなら二人目、三人目・・・と再チャレンジすることができました。一方中国は一度断れれたらその後はワンチャンすらありません。

つまり、中国は、その地域のほとんどを政治的に統一していたことが、イノベーションを起こすには不利に働いたのです。

そういえば、中国は秦以来、ほとんどの時期を大統一国家が支配しています。文字は漢字、言語はいわゆる中国語が支配的です。一方、ヨーロッパは一度も政治的に統一されたことがありませんし、言語も多様です。

この差はどこから来るのでしょうか。

ここでも地形

中国とヨーロッパの地図を見比べるとわかりますが、ヨーロッパは中国よりも海岸線がずっと複雑です。

内陸においても、ヨーロッパにはアルプス、ピレネー、カルパチア、ノルウェー国境の山脈により分けられていますが、中国でもっとも険しいチベットは地域の端にあるため、地域の分断につながっていません。

これらの地形の複雑さの違いが、かたや「大統一国家」かたや「決して統一されない地域」の差を生んだというのが本書の考えです。またしても理由は地理的要因であって人種ではない、という。

イノベーションを生み続けるための「多様性」

本書では先に「大陸が東西に長いかどうか」が「発展」の差を生む要因のひとつだと書いています。つまり、栽培や家畜化の技術が伝搬しやすいかが大事だと。

この考えでいけば、中国は最も伝搬に適した地域なのかもしれません。そしてそのとおり世界に先駆けて「発展」しました。しかし、結果的に世界をリードしたのは西洋になりました。

本書ではこれを「技術は、地理的な結びつきが強すぎたところでもなく、弱すぎたところでもなく、中程度のところでもっとも進化のスピードが速かったと思われる。」*6と考察しています。

これはこれでそのとおりだと思いますが、私個人は、この事例から、一定の「発展」の後には、ある程度の選択肢がないとイノベーションが働かないことを示す好例だとも受け止めました。私が本書から学んだ特に重要な点のひとつはこれです。

世の中、多様性が大事だと言われるようになってきました。近年その傾向は加速しています。一方、多様性を重視した社会は、誤解を恐れずに言えば「めんどくさい」社会でもあります。多数派の人々は、今までしなくてもすんでいたいろんなことを考えやっていかなければならない。そんな「コスト」を支払う理由に、人を思いやる気持ちや人権以外のものがあるとすれば、この「イノベーション」ではないのかな、と思った次第です。このことは、別のメモで改めて書きたいと思います。

また、ここまで来ると、ヨーロッパの中でもなぜイギリスで産業革命が起こったのかということも気になりますが、本書ではこのことについての記述はありません。一方、このことを考察した別の本は数冊読んだので、これも改めて別のメモで整理できればと思っています。


もういちど、シンプルなまとめ

以上をふまえて以下の表をご覧いただくと、冒頭の問いに対する答えも明確になるのではないかと思います。

Q:西洋が世界をリードしたのはなぜか?

A:「それは、人々のおかれた環境の差異によるものであって、人々の生物学的な差異によるものではない。」具体的には次のとおり。


そして、私個人が本書から学んだもっとも大きなことは次の2点です。

  • 人種差別は倫理的に間違っているだけでなく生物学的にも間違っている
  • 一定の「発展」の後には、ある程度の選択肢がないとイノベーションが働かない


おもしろさはこれだけじゃない

以上、「銃・病原菌・鉄」のエッセンスをご紹介しましたが、本書の興味深さは細部にも宿っています。ですから、本書の最重要部分をかいつまんで紹介しても、本書のおもしろさはまだまだ残っていると思っています。

たとえばこんな内容が目白押しなのです。

  • 「平和の民と戦う民との分かれ道」・・・19世紀、ニュージーランドのマオリ族は、チャタム諸島のモリオリ族を突然皆殺しにした。彼らは1000年前に同じ祖先から枝分かれしたポリネシア人だが、なぜこのような違った民になったのか。
  • 「毒のないアーモンドのつくり方」・・・野生のアーモンドは猛毒だが紀元前3000年には無毒なものが栽培化されていた。一方、イチゴは中世になるまで栽培化されなかったし、オークは現代科学をもってしても栽培化できない。なぜか。
  • 文字を独自に発明することは非常に難しく、人類史上それを成し遂げたと確実にいえる地域は古代シュメールと古代中米のみと言われている。一方、近くにモデルがあれば伝搬は速い。一例として、1820年ごろのネイティブアメリカン・チェロキー族がある。彼らはそれまで1万年以上も文字をもたなかったが、そのうちの一人セコイヤが白人が文字を使っているのを見るやまたたく間に独自の文字体系をつくり出し、チェロキー族は100パーセントの人が読み書きができるようになった。
  • タスマニア島は、17世紀時点で世界で最も単純な物質文明のなかで暮らしていた。裁縫も磨製石器も火をおこす技術もなかった(もともとはあったが、忘れ去られた)。それはなぜか。そのひとつは、日本で江戸時代に重火器が禁止されたのと同じ理由である。


(参考)本書への批判

さて、これまでこのメモでは、冒頭の疑問への答えを導くために、本書の内容を絶賛の上ご紹介してきました。ピューリッツァ賞も受賞していますし、「東大、京大、北大、広大の教師が新入生にオススメする100冊」(わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる)の1位も、朝日新聞書評欄での「ゼロ年代の50冊」の1位も本書です。

しかし、批判がないわけではありません。

私が感じたのは、日本に関する記載です。著者ジャレド・ダイアモンド博士はアメリカ人ですが、その割に日本に関する記述が多い印象があります(同著者の「文明崩壊」「危機と人類」も同様で、日本に絞った章が存在する)。そのこと自体はおもしろさを倍加させてくれるのですが、誤りもあります。

私が感じた違和感:漢字を使う理由、書名

たとえば、本書には「日本人が、効率のよいアルファベットやカナ文字ではなく、書くのがたいへんな漢字を優先して使うのも、漢字の社会的ステータスが高いからである。」*7とあります。これは誤りですよね。たしかに漢字の少ない文書は子どもっぽく見えます。しかし、日本語を使う人が漢字を使うのは、カナばかりだと同音異義語の区別がつきにくく読みにくいからというのが第一の理由だと思います。

他には、本書の書名。私も本書をはじめて見かけたときにはこう思いました。「銃と病原菌と鉄が発展の差につながったってこと?そんなん当たり前やん。知りたいのはなんでそれが起こったかってことなんやけど。」 実際、本書はその「なんでそれが起こったか」まで書かれているのですが、タイトルと内容が合ってないなとは今でも思います。

研究者からの批判:環境決定論では?

研究者の方からの批判もあります。日本地理学会の機関紙「E-journal GEO」にはそれらを整理した「日本の地理学は『銃・病原菌・鉄』をいかに語るのか―英語圏と日本における受容過程の比較検討から―」(2012年)という記事があり、海外での批判を網羅的にまとめてくださっているので拝読しました。

こちらには、本書の書評については、欧米では称賛より中立・批判のほうが多く、年が経つにつれ批判が増えていること(ただしビル・ゲイツが称賛したことなどによりビジネス界では人気があること)、その批判の中心は、本書が環境決定論を助長していることなどにあることなどが書かれていました。

本記事に記載されている批判には、同意する点(前述の書名への違和感を含む)や興味深い点(ジェームズ・ブラウトによる「家畜化・栽培化について中国やニューギニア,他の古代の中心よりも近東の研究が多くなされているという事実を無視」との指摘)もあり参考になりました。

しかし、批判の中心である、「銃・病原菌・鉄」が環境決定論であるという批判は、私にはそれを批判として理解することができませんでした。環境が人間の歴史に及ぼす影響が大きいということが事実なのであれば、それを認めることが大切なのでは、と考えたからです。

ただ、次の指摘は、本書を読むうえで念頭に置くべき点かとは思います。私自身は、この「構成」をこのメモで強化したわけですが、そのことへの自戒もこめてご紹介します。

(引用者補足:「銃・病原菌・鉄」は)冒頭に Why で始まる疑問を提示し,それに対する回答を記すことで完結する各章の構成に違和感を抱いた.「なぜ」という疑問に対する回答が明確であれば,あたかもさまざまな問題が次々に解決するような印象を受けるが,ダイアモンドが投げかける問いは全て本当に因果関係で説明できるのだろうか.少なくとも,「何が」「どのように」問題を明らかにするような議論の展開は,本書ではあまりみられない.つまり,ダイアモンドが挙げた問いは本来長い年月と変化を経て結びついたはずの回答をあえて単純化して説明することで,「○○になったのは××だからである」という結論を導いているのである.

引用元:日本地理学会「E-journal GEO」所収「日本の地理学は『銃・病原菌・鉄』をいかに語るのか―英語圏と日本における受容過程の比較検討から―」における二村太郎氏による論考(2012年)


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関連メモ




注釈

*1:グレートジンバブエやマリ王国、インカ帝国やアステカ帝国など、地域ごとに強大な国家が生まれたことはありましたが、その国が世界に影響を及ぼした例はない、ということです。

*2:ジャレド・ダイアモンド「銃・病原菌・鉄」2000年発行邦訳初版(ハードカバー) 上巻P.35

*3:ミレイ16歳のときの作品だそうです。

*4:前掲書上巻 P.305 表11-1 「家畜化された動物からの恐ろしい贈り物」

*5:ここでいう家畜化は、単なる飼育とは異なり、「飼育しながら食餌や繁殖をコントロールし、選別的に繁殖させて、野生の原種から作り出した動物のこと」(前掲書上巻P.238)

*6:前掲書下巻 P.314「エピローグ」

*7:前掲書下巻P.60


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