911同時多発テロの1ヶ月後、友人たちとシンガポールに集まったとき、一人が言いました。「俺の乗った飛行機で、アラブの人が急に手を挙げるから、この飛行機が乗っ取られる合図かなとびびっていたら、ただ伸びをしただけだったよ。」私はこれを聴いて爆笑したのですが、こうも思いました。ああ、あの事件以来アラブの人とテロリストのイメージがすごく強く結びついたな、と。以前から、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のリビアの過激派など(あのステレオタイプな描き方はあの映画の唯一残念な点)ある程度のイメージ付けはあったけれど、911でそれがより強固になった。
そのことが心にひっかかったまま9年。こんなタイトルの本を見つけたので読んでみました。
内容は、タイトルの問いに対する答えだけではなく、以前アラブより激しく世界で「悪者」とされていたユダヤについての論考も含めた幅広いものでした。気になった部分をメモします。(枠内は要約であり引用ではありません。)
ムハンマドの風刺画を掲載してアラブ世界からの強い抗議を受けたデンマークのユランズ・ポステン紙が、今度はホロコーストの風刺画を求めたところ、同紙の上層部からの圧力で中止になり、編集長自身も辞任せざるを得なくなった。
少なくともヨーロッパでは、イスラムを風刺するのはタブーではないが、ユダヤを風刺するのはタブーなのですね。ムハンマドの風刺画は、彼のターバンに爆弾が巻いてあるなど、相当イスラムを侮辱した内容だったのですが。
さて、かつてヨーロッパから嫌われていたユダヤについて、そもそもなぜイギリスはユダヤに肩入れしてユダヤ国家建設を約束し(バルフォア宣言)、現在のパレスチナ問題の基本的要因を作ってしまったのでしょうか。高校では「ロスチャイルドなど経済力のあるユダヤ人の支援をとりつけ第一次世界大戦を有利に進めるため」と習いましたが、それならどのヨーロッパの国も同じことをするはず、なぜイギリスだけ?と思ったものです。答えの一つがこの本に書かれていました。
イギリスの17世紀ピューリタン革命期に生まれた終末論によれば、ユダヤ人が約束の地で祖国を建設することがキリスト者の千年王国を樹立することの前提となるという新たなキリスト教神学が生まれたからである。
そんな思想があるのですね。しかもそれはアメリカにも伝わっています。ピューリタンに関係するから他の国にはなく、イギリスとアメリカだけに見られるのですね。
キリスト教ファンダメンタリストの特徴は大きく二つにまとめられる。ひとつは聖書の記述に誤りはないとする「聖書無謬説」。もうひとつはピューリタン革命期に現れた「前千年王国説」と言われる終末論信仰である。これは、終末の前に神から約束された祖国を回復したユダヤ人がキリスト教に改宗して千年王国を建設するというものである。
ユダヤ人は迫害されながらも、イギリス・アメリカにおいては思想的に助けられるバックグラウンドがあったというわけです。もちろん、ユダヤ民族の力はそれだけではなく、彼ら自身の「努力」によってももたらされています。
1860年、フランス系ユダヤ人は「アリアンス」というオリエント(イスラムのトルコなど)のユダヤ教徒を啓蒙するための教育機関を設立した。フランス革命で解放され「文明」を享受するフランス系ユダヤ人が、「後進」のオリエントユダヤ人を教育することが必要だと考えたからである。学校数のピークは第一次世界大戦直前で183校、生徒数は4万7746名を数えた。これは、イスラエル建国直前の中東イスラム世界のユダヤ人人口が85万人だったことを考えると相当な数といえる。
教育に目をつけてそれをしっかり実行するところはたいしたものだと思います。
タイトルに反してユダヤの話ばかりメモしてきましたが、ユダヤとイスラムの接点はもちろん多くのところにあります。その中で、初耳だったものはこれです。
1941年4月に4月にナチス・ドイツがバルカン半島を占領、ボスニア・ヘルツェゴビナの大部分はナチスの傀儡国家「クロアチア独立国」に押さえられた。指導者はクロアチア人ファシスト組織ウスタシャのアンテ・パヴェリッチ。ウスタシャはユダヤ人のみならずセルビア人の絶滅政策を実施。これに伴って、イギリスによってパレスチナを追放されたハーッジ・アミーン・アル・フサイニーは枢軸国側に急速に接近、各地でムスリム義勇軍を結成した。その後「敵の敵は味方」の論理が貫徹し、ウスタシャとハーッジ・アミーンは同盟した。ここにパレスチナ問題がドイツのユダヤ人政策を介してボスニア・ヘルツェゴビナ問題と歴史的に連関せざるを得ない結節点を見いだすことができる。
ウスタシャとムスリムがこんなかたちでもつながっていたとは知りませんでした。だからユーゴ崩壊時、セルビア人はムスリムを迫害したのですね。しかし20世紀初頭のパレスチナ政策にしろ、ナチスに対する宥和政策にしろ、イギリスは世界のもめごとの原因をいろいろ作ってますね。それだけ世界のいろいろなところに介入していたってことなんでしょうけど。後世になれば、同じことがアメリカについて言われるのかもしれません。
本題の「なぜイスラムは敵とされたのか」ですが、その主な理由を、著者はある一人のアメリカ人中東学者に求めています。その学者とは、イスラムの権威、バーナード・ルイス(プリンストン大学名誉教授)です。この本によれば、ルイスはイスラムに関する権威であるが、彼が911の直後に刊行した「イスラム世界はなぜ没落したか?−西洋近代と中東」という本がベストセラーになり、アメリカのネオコンの中東侵略に正当性を与えた、としています。その本の大筋はこんな感じだそうです。
イスラームは中世において先進的な文明をもっていたが、ヨーロッパが成し遂げた近代化に対してイスラームは唯我独尊の世界に充足して停滞してしまい、ヨーロッパに植民地化されてしまう。イスラームはこの屈辱を怒りに変え、当初はヨーロッパ植民地主義に、第二次世界大戦後はアメリカに向けて責任転嫁し、自らを変革する努力を怠ってきた。
このような言説に依拠しているからイラク戦争後のアメリカの戦後処理案に展望がないのだ、と著者は言います。実際、ブッシュ・ジュニア政権の外交政策を先導していたシンクタンク「アメリカ新世紀プロジェクト(Project for the New American Century, PNAC)」とルイスとは密接な関係を持っていたらしいです。このプロジェクトには、チェイニー、ラムズフェルド、アーミテージ、ウォルフォウィッツなどのネオコンな人たちが名を連ねています。ううむ。さらに、著者はこのような指摘を行なっています。
アラブ世界で民主化が進んでいないことにアラブの後進性を見いだす向きがあるが、今までアラブで民主化論がそれほど活発にならなかったのは政治的課題としての優先度が低かったからだと考えられる。重要な政治課題は、かつては帝国主義に対抗するアラブ・ナショナリズムであり、それから1967年の第三次中東戦争後は世俗的なナショナリズムの代替としてのイスラーム主義であった。これにはイスラエル国家の存在が影響している。
イスラムとしては、目の前にあるイスラエルに対抗するための言説が優先で、民主化はその後、ということだったのでしょう。実際、ムスリムの連帯などの思想は民主化とはそぐわない面があります。
私が思ったのは、1.迫害される・脅威を感じる→2.なんとかしようとして民族間でネットワークを組む、までの流れはユダヤもイスラムも同じだったのではないかということです。ユダヤは迫害を先に経験していたので、それを先に行なった。その後、自分たちに都合のいい思想を持った大国に恵まれた。ところがイスラムは、2.をしようとしたところで世界の悪者にされてしまった。しかも大国に嫌われている。そういう違いが現状をつくりだしているのではないか、と。
そうなってくると、イスラームはなぜ敵とされたのか、という問いについては、つきつめた先の答えは「運が悪かったから」ということになるのでしょうか。もしそうだとしたら気の毒としかいいようがありません。結局、イスラームはなぜ敵とされたのか?という問いに対する回答は、「キリスト教国家が覇権を握っているから」という答えに帰結するのかもしれません。それなら最初からわかっとるわ、という方がほとんどだと思いますが、この本はそのような表層的な結論を導き出すためではなく、なぜ現状がこうなっているのかを幅広い視点で考え直すのに絶好の材料を提供してくれています。このメモは私個人用のもの。おそらく他の、この分野に関心のある方には、別の多くの発見があるだろうと思います。