庭を歩いてメモをとる

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住民の行動力がつくった「西宮・夙川 住環境ランキングNo.1」

大好きな散歩道があります。

そこで散歩するために、わざわざ電車に乗ってでかけています。

兵庫県西宮市にある「夙川(しゅくがわ)オアシスロード」です。

この道にちなんだ「夙川オアシスロードができて50周年のイベント」が開催されるというので行ってきました。

そこで、このオアシスロード、ひいてはこのあたりの住環境が、これまでの住民や地場産業の行動力によってつくられ守られてきたということを学べました。

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夙川オアシスロードと50周年記念ののぼり


このイベントのパネルディスカッションで、パネラーの3氏:山下忠男氏(元西宮文化協会会長)・小西巧治氏(西宮芦屋研究所)・足立年樹氏(元西宮東高校校長)のお話のうち、興味深かった内容を以下に記します。


もともとは自動車道路だった

そもそもこの夙川オアシスロード、もともとは当時としては交通量の多い自動車道路でした。

そこで住民が警察と対話を重ね、試行実施を経て1971年、曜日・時間帯にかかわらず完全歩行者道路に。

当時、東京を皮切りに曜日や時間帯を限定した歩行者天国は始まっていましたが、そういった限定なしで自動車道路が突然歩行者道路に変わるケースは非常に珍しかったそうです。

しかし、この地で、地元が住環境を守ろうとアクションを起こしたのはこれが最初ではありませんでした。


水上飛行場建設計画 → 中止

戦後では、まず1954年に、このオアシスロードの終点にあたる浜辺・御前浜のすぐ沖に水上飛行場を建設する計画が持ち上がりました。

しかしこれはすぐ近くにある甲陽学院(村上春樹さんのお父さんはここの国語の先生でした)と阪神電鉄の反対で撤回されます。

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御前浜

もしここに飛行場ができていたら、海の水などの環境はもとより、騒音や混雑なども問題になっていたことでしょう。


日石コンビナート誘致計画 → 中止

街の岐路

その後、1960年に、西宮が「工業都市」になるか現在の「文教都市」になるかの分かれ目になる計画が発表されます。

日本石油のコンビナート誘致計画です。

計画では、飛行場計画と同じく御前浜のすぐ沖に巨大な施設の数々 、たとえば海辺にある西宮回生病院のすぐそばに火力発電所を建設することになっていました。

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西宮回生病院前の砂浜
住民と地元企業が共に声をあげて

これが発表されたのち、地元の酒造会社である白鹿・白鷹・日本盛・大関等と住民が大きな反対運動を起こします。

西宮のお酒は西宮にしかない地下水「宮水」があってこそのもの。そこに影響があるであろう石油コンビナートに反対するのは当然の流れです。

住民たちも住環境への影響を憂慮し、自費で四日市のコンビナートまで見学に行き、当地の実情を知ります。

最終的には市長候補として白鹿の辰馬家から辰馬龍雄氏を擁立し、酒造会社が20億円を選挙運動に投入するまでの動きに。

結果、辰馬龍雄氏が当選、コンビナート誘致計画は撤回されます。

ここまではパネルディスカッションで伺った話ですが、自分でも調べてみたところ、このときに酒造会社の職員がまとめた陳情書は「環境汚染にかかわる、戦後の日本で最初の本格的な陳情書」と評価されていることもわかりました*1

「企業がお金を出して社会運動」というと、どうしても「企業VS住民」というような構図を想像してしまいがちですが、これは企業と住民が一緒に声を上げたケースですね。

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夙川・蘆原(あしはら)橋

(こちらは村上春樹「ランゲルハンス島の午後」の舞台になった、夙川をまたぎオアシスロードにつながる橋。作中の春樹さんは中学生、ということはまさにこの日石コンビナート計画が撤回された時期にあたります。)
ランゲルハンス島の午後 (新潮文庫)



政治と予測の難しさ

なお、パネルディスカッションでは「日石を誘致した市長もそれに反対して当選した市長も、西宮のためを思っていたという点では全く同じだから、日石誘致の市長を責めるべきではない」とのお話もありました。

私もそう思います。政治は後世が評価するとよく言われますが、後世何が幸いするかを見極めるのは本当に難しいですから。

ただ、そうであっても、住民側が、その時点で行政に対して違和感を感じたりNOを言いたいときはそれを表明し行動に起こすことは必須だと思います。それでやっと住民と行政が対話を始めることができるのですから。


リゾート施設誘致計画 → 住宅を中心とした街に

平成に入ってからも危機がありました。

コンビナートが計画されていたのとほぼ同じ場所に、年間700万人が来場(USJの約半分*2)するリゾート施設を作る計画があったのです。

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西宮マリナ計画 鳥瞰図(引用元:西宮市教育委員会事務局「なぜ西宮浜で「義務教育学校」なのか」

これはバブル崩壊と、この4年後の阪神大震災で住宅需要がひっ迫したため、住宅を中心とした街に変わり、1998年に入居開始、「西宮浜」として今に至ります。


声をあげるだけではない、日々の取り組み

このように、地元の声があっての現在なのですが、地元の方々は声をあげているだけではありません。

そもそも、この夙川オアシスロードが含まれる夙川公園が整備されるとき、工事費30万円のうち8万円近く、つまり約4分の1を住民または地元の団体の寄付でまかなったとのこと。

そして現在も、地元の方々が夙川やその周辺の清掃を丁寧に継続してくださっています。この日のウォーキングイベントでのお話では、この清掃をなさっている方々は、会費を払って参加されている(会費をもらうのではなく)とのこと、頭が下がります。

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夙川


地元の行動力があってこその「すみここちランキングNo.1」

このように、3つの「危機」を乗り越え、かつ日々の掃除などの取り組みがあって、今の夙川オアシスロードや周辺の住環境があります。

そしてそれは、少なからず住民と地元企業の行動力があってつくられ、守られてきたもの。

今日のパネルディスカッションではいろんな未知のことを学べましたが、もっとも印象深かったのはこの点でした。

つまり、この地域が何もしないままでいつのまにか「街のすみここちランキング1位(兵庫県内)*3」「関西の住みたい自治体ランキング1位」*4になっていたわけではない、ということです。


まあ、こういうランキングがどうであれ(こういうのは流行りや、地元の力だけではどうしようもない交通利便性なんかも影響することだし)、私はこの夙川オアシスロードが好きなので、この道がこれからも緑と落ち着きと活力のある風情のままでいてほしい。

パネルディスカッションでは「オアシスロードは、いつでもすぐに自動車道路に戻すことができる道でもある」とのお話もありました。

そうならないように、自分は何ができるのかな、ということを考えているところですが、過去から学ぶなら、それは「声をあげる」と「お金を出す」ということなのでしょうね。

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夙川オアシスロード


関連メモ

夙川オアシスロードのご紹介。


村上春樹さんが西宮~芦屋~神戸を歩いたエッセイに出てきたその場所を歩いてみました。


芦屋の名建築の魅力。


夙川で花見をしたときの記録。


注釈


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