庭を歩いてメモをとる

おもしろいことや気になることのメモをとっています。

台湾3日目 - 台湾の人々の「日本」の受け入れ方 - 歴史博物館・抗日史蹟館・書店・CDショップで感じたこと

今日は台北から台湾島の南の方、台南と彰化に向かいます。目的地は、この旅行で一番行きたかった「日本統治時代についての豊富な展示のある博物館」、そしていわゆる「抗日記念館」です。加えて、夜になってからは台北に戻り、書店とCDショップでも日本文化の受け入れられ方をちょっと覗いてみました。

 

 

台南への道のり-いろいろ日本感満載の台湾高速鉄道と駅構内

台湾高速鉄道(新幹線)周遊券はお得

ホテルのある台北から台湾歴史博物館のある台南までは、距離があるので新幹線(台湾高速鉄道、高鉄/高鐵)で行きました。

高くつく?そうでもないのです。

台湾の新幹線は、台湾以外のパスポートを持っている人(つまり外国人旅行者)に対してはかなりお得な「台湾高鉄周遊券 - 台灣高鐵 Taiwan High Speed Rail」を発行しています。日本円で1万1,000円程度で三日間乗り放題なんです。この料金だと台北から台南まで1往復しただけで元が取れます。

ただこの周遊券、普通の改札は通れず、「係員に声をかけて周遊券を見せ、わざわざ従業員用ゲートを開けてもらってそこから入る」という仕組みなのでその点は注意が必要です。

 

東海道新幹線そっくり

8:00ごろ台北発の便に乗車。

新幹線の車内。日本が作ったとは聞いていたけれども、ここまで東海道新幹線と同じだとは思いませんでした。書かれている言語と色のトーン以外、違うところを探す方が難しいくらいです。極めつけは社内アナウンスの英語。間違いなく日本の東海道新幹線と同じ方が担当されています。

 

高速鉄道台南駅で感じる「今」と「90年代」の日本

9:46ごろ台南駅に到着。駅から外を見るとそこには三井アウトレットパークがあり、見慣れたブランドの看板が。「今の日本」感満載です。

 

そして改札にはパナソニックの広告。漢字のコピーを見ると、どうやらメーカー名だけでなく「日本」がブランドになっているようです。こちらは、なんだか「懐かしい」。

なぜ懐かしいのか?90年代は世界のどの国に行っても日本の電化製品の広告だらけでした。日本人としてうれしく誇らしかった。でも最近はめっきりそういうことも減ってきています。そんな30年ほど前のことを思い出したので。

 

在来線で永康駅へ、そしてタクシー

と、ここまでの道のりは順調だったのですが、ここから乗り換える在来線が予想以上に本数が少なかった(下調べ不足)。ここで約40分待って、それから列車で30分かけてやっと着いたのがこの永康駅。台湾歴史博物館の最寄り駅です。この時点で11:00すぎ。

ここも「日本の国鉄時代の地方の駅」という感じのたたずまい。

ここからバスに乗って博物館に行くこともできるんですが、本数も少なく、しばらく待たなければいけないことがわかったのでタクシーへ。

ただ私が当たったタクシーの運転手さん、お年寄りで英語も全く通じず、ハウマッチと聞いても台湾語で返してくるので、スマートフォンを差し出して数字を入れてくれと身振りでお願いしたら入れてくれました。大体1500円くらいとのことなので乗り込みます。10分ちょっとで着きました。

というわけで、結局台北駅から博物館まで3時間かかったことになります。

 

 

国立台湾歴史博物館-日本統治時代の「苦悶と夢」両方を展示

外観と構成

国立台湾歴史博物館。外観はやや時間の経過を感じさせますが、2021年にリニューアルしたらしく、中はきれいで展示も「今風」です。

 

博物館常設展の構成。石器時代からオランダ人が台湾を「発見」し、中国(清)の支配を経て、「5」の日本統治時代へ。ここにかなりのスペースが描かれています。もちろん私が一番観たいのもこのエリアです。

なのでこのメモでも日本統治時代の展示について書きます。

 

日本の統治がはじまった経緯説明ムービー

この日本統治時代コーナーの入り口では、日本が台湾を領有するに至った経緯がわかりやすいムービーで解説されています。音声はなく、文字説明も最小限。動画を見ているだけでじゅうぶん理解できるつくりです。

清・ロシアと日本が朝鮮を取りあう中、日清戦争を経て、最終的に日本が台湾を領有する流れ。どこかの国を悪く描くこともなく、淡々と歴史を紹介する感じです。

それでも、日本が(ちゃんと清と条約を結んで正式は手続きをとったとはいえ)かなり強引にことを進めて台湾を領有したこと、そして当時の日本がとにかく強かったんだな(気も力も)ということもわかります。

(上の写真のように、日本による台湾領有の最初期に台湾の人々が日本軍に抵抗したことは、この日の夕方にそのことを展示した記念館で詳細を知ることになります)

 

これが台湾の国立の施設だなぁと思ったのは、台湾民主国についてきちんと述べられていること。下関条約で日本の台湾領有が決まった後、台湾の人々がそれに反対して1895年に宣言した国家*1です。結局日本軍が平定したので約5か月しか存続しなかったのですが、台湾初の独立国家かつアジアで最初の共和制国家という、台湾の人々にはとても大切で誇り高い存在(だと思うが、実際はどうなんだろう)です。

この台湾民主国の国旗が、画面の上から出てきて画面全体を覆って、また下に消えていくんですが、その間たったたった0.5秒くらい・・・この誇り高い存在を、5か月しか存続できなかったという厳しい現実に合わせて表現していて感心しきり。

 

さてこのムービー、日本をことさら悪者にはしていないけど、端的にいえば「軍事力を使ってかなり強引に台湾を領有した」というトーン。となると、日本統治時代もけっこう厳しく描かれるのかなと思ったら・・・

 

日本統治時代の「プラス面」:インフラ・教育・医療の改善、女性活躍等

まず目に飛び込んできたのは大きなダムのパネル。日本統治時代に発電などのインフラが整備されたことが大きく展示されています。いきなり日本統治時代のプラスの側面が大々的にフィーチャーされていて、少し驚きます。

 

他にも、

学校整備により、各地で就学率が急上昇した様子や、

 

いろんな立場の子供(富裕層、一般層、女子、先住民など)が将来のキャリアプランを描けるガイドがあったこと、

 

衛星関係が整備され、医療の技術も上がったこと(日本統治時代に医師だった方ご本人の証言ビデオもありました)、

 

女性が様々な分野で活躍する道が広けたことなどもしっかりと展示されています。このパネルではアーティスト、オペラ歌手、台湾最初の西洋医学女医、政治活動家(台湾共産党の創立者)になった人が代表例として紹介されています。

このあたりの展示内容は、旅行出発前に、いつもお世話になっている整体の先生が貸してくださったこちらの本「台湾人と日本精神」を思い起こさせるものでした。

台湾人と日本精神 (小学館文庫 R さ- 16-1)

本書の著者・蔡焜燦氏は、日本統一時代の台湾に生まれ、日本の教育を受け兵隊にもなり、戦後は会社を起こし経営者として成功された方ですが、この方の日本への賛辞がそのまま当てはまる展示、という感じです(1日目に行った、日本人台湾総督を記念した「鳥居のある公園」もこの本で知りました)。

 

日本への抵抗運動も

一方で、プラスの側面ばかりではなく、日本政府に対する抵抗運動(というより請願をしていたがそれが実らなかった)についても展示されています。

具体的には、台湾に議会を設置してほしいという運動です。「税金を払っているんだから議席も持ちたい」。これは東西問わず植民地ではほぼどこでも起こっていたものです。

ただ、この運動は再三おこなわれたにもかかわらず(かつ、内地日本人で支援する人々もいたにもかかわらず)、日本政府が台湾議会を認めることはありませんでした。

こちらも事前に読んでいた、小熊英二「<日本人>の境界」で学んでいた通りです。そして本書で知った請願運動の主な舞台となった「台湾青年」という雑誌の実物をここで目の当たりにして感慨深くもなりました。

「日本人」の境界―沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮 植民地支配から復帰運動まで

ちなみに本書は、台湾の他にも沖縄・アイヌ・朝鮮のような、日本人に「なった」あるいは「なったことがある」地域・国への日本の植民地支配について書かれた本ですが、台湾について記載がある章は次のとおりです。

-第4章 台湾領有
-第5章 総督府王国の誕生
-第10章 内地延長主義 P.253あたりから
-第13章 「異身同体」の夢

参考:「<日本人>の境界」をもとに、沖縄が日本に組み込まれる経緯について整理したメモ

 

「玉音放送を聴いたときの思い」-人それぞれの複雑さ

上記のように、この展示を見る限りでは、日本統治時代に対する台湾の人々の思いは「いいこともたくさんあったが、それだけではなかった」という複雑なもののように感じられます。

その微妙さや複雑さのようなものが最もよく現れているのが、この「玉音放送を聴いたときの人々の反応」パネルでした。ここではその時の思いを文字だけでなく、本人の肉声でも聞ける仕組みになっています。

ここでは「空襲がなくなるのでうれしかった」「聞き取れなかった」という、日本でも非常によく聞くコメント*2もあれば、「学生が、こんなに頑張っているのになぜ降伏するのか、まだ闘える」と言っていたとの証言もあったり、

 

「(実質的に)日本人じゃないのだからうれしいも悲しいもなかった」「日本人は涙を流していたが台湾の人々は違った」「私は(今も)日本人なのか?」という、植民地である台湾の人々ならではのことばがあったり、



「日本人は厳しすぎたので、村のみんなは喜んでいた」「これからはいい暮らしができると皆喜んだ」「祖国が戻った」「いい日が来た」などの日本が負けて喜んでいる人々もいます。

 

このように、日本が戦争に負けたときの台湾の人々の反応は、ショックを受けた人から喜んでいる人までさまざまで、一言では表せない内容です。この複雑さこそが、台湾の人々にとっての日本統治時代への思いを象徴しているように思います。

また個人的には、この展示を目の当たりにして、こういう微妙な感覚を学べたのも現地に来てこそだな・・・と実感できた瞬間でもありました。

 

参考:終戦当時30代だった祖父母にインタビューした戦争や人生のこと

 

日本統治時代はいいことのほうが多かった、と感じているのか?公式図録で「本音」を確認してみる

しかし、これまでの日本統治時代の展示を見ると、プラスの側面のほうが圧倒的に多く展示されているように見えます。

私自身は、このメモで紹介している展示内容は全体の一部にすぎませんが、紹介していなかった展示でも、日本統治時代についてはどちらかというと「プラス面」が多く展示されていたように感じています。

それなら、台湾の人々の日本統治時代への思いは「プラス」のほうが圧倒的に強いのではないか?そんなふうにも感じてきます。

しかし、私は単純にそうは言えないのではないかと考えています。

まず、この台湾歴史博物館の公式図録の日本語版。

日本統治時代の章の冒頭にはこう書かれています。

ここを読むと、これまでの展示内容の印象が少し変わるのではないでしょうか。

日本は近代的な秩序を台湾に持ち込んだが、それを用いて夢を追求したのが台湾人。この国立博物館(つまり台湾政府)があの展示内容で伝えたかったのはそういうことだったのです。これが「本音」なのでしょう。

そして、この日本統治時代展示コーナーのタイトルは「新時代の苦悶と夢」。このフレーズが象徴的です。

加えて、あれだけ日本統治時代のプラスの面を「評価」していたのには、そうせざるを得ない事情もあるからとも私は考えています。

その「事情」も、この博物館の戦後すぐの展示で見ることができます。

 

日本統治時代を「評価」せざるを得ない台湾の事情

漢字をざっと見るだけでもだいたいの意味はわかっていただけると思います。

タイトルの漢字の意味からたどると「光復(日本の敗戦)のあと、(中国大陸の人々を)歓迎したが、それは迅速に悪化した」という感じでしょうか。

本文を要約すると、「日本の敗戦で人々は喜び、中国本土を歓迎し、日本風の名前は中国風に戻すなど「脱日本化」に励み、自由で民主主義の新しい台湾への希望をもった。しかし新しい政府は汚職まみれで物価は高騰、兵や警察の規律は乱れ傲慢だったため、人々は怒り、緊張は極度に高まった。」というような内容です。

これはまさに、この旅行の2日目のメモで書いた、中国本土から来た国民党政府による台湾人弾圧・虐殺であるニニ八事件の前夜の様子ですね。

日本が去って喜んでいたら、もっとひどい統治が中国本土からもたらされた - このことがあるから、日本統治時代の評価が相対的にいいものになっている側面は大いにあると思います。

そしてもうひとつの理由は、現代の情勢。中国本土からの脅威が高まりつつある中、日本統治時代の負の側面を声高に批判している場合ではない - その判断が台湾政府にも、多くの台湾の人々にも浸透している、ということなのだと考えています。この危機意識が台湾総統府にも満ちていたことは、上記の2日目のメモにも書いたとおりです。

 

ミュージアムショップでも

なお、この微妙で複雑な対日感情については、ミュージアムショップでも確認することができました。

これ、日本統治時代に子供たちの教育に用いられた体操の教本をタオルにあしらったものなんですよね。

これをグッズにするということは、日本統治時代を避けているわけでは決してなく、もしかすると懐かしんでいるくらいかもしれない。さらに言えば、少し笑いの要素も入っているかもしれない。

いろんな受け止め方ができると思います。少なくとも否定はしていないので日本人としては悪い気はしませんが、なかなか複雑(そしておおらか)だなと思います。

 

こんないろんな学びと「複雑な感覚」を得られた国立台湾歴史博物館は、私にとっては間違いなくこの旅での一番の「収穫」でした。

参考:公式サイト 国立台湾歴史搏物館 (日本語表示も充実)

 

 

唯一?の抗日記念施設「1895八卦山抗日保台史蹟館」へ

次は、私が探した限り、台湾の公的施設でおそらく唯一「抗日」ということばが使われている*31895八卦山抗日保台史蹟館」に向かいます。こちらも台湾の中南部、彰化にあります。

台湾歴史博物館から1895八卦山抗日保台史蹟館への移動(いろいろ注意点あり)

歴史博物館から史蹟館へのルートはいくつかあると思いますが、私がたてていた予定はすべて崩れ去りました。なぜなら、博物館から永康駅に向かうバスが遅れて、その後の列車にすべて乗れなくなったので・・・

仕方ないので、Googleのルート検索を駆使して電車を乗り継ぐことにします。最初は、新幹線にも彰化駅があるので、高速鉄道の台南駅経由で行けば速いかなと思ったのですが、Googleのおかげで新幹線の彰化駅と在来線の彰化駅は全く違う場所にあることを今さらながらに知り断念。

さて、この抗日史蹟館は17時30分までの開館時間なのですが、彰化駅に着いたのがなんと17時前。速攻でタクシー乗り場まで行ってタクシーで向かいます(歩いても15分かからないくらいなのですが、その15分が今はクリティカルなので)。

降ろされたのは図書館の前。運転手さんからは「この裏だよ」と言われたのですが、周りを見渡してもどこに抗日史蹟館があるのか全然わからない。なので申し訳ないけど、図書館の貸し出しコーナーに行って、抗日史蹟館はどこですかとスマホの画面を見せて尋ねると、奥の事務室から職員さんが出てきてくれて、建物の外まで一緒に出てきてくれて、図書館に向かって右手に入るとすぐだよと教えてくれました。本当にありがたい。

明治維新への高評価 - 清の近代化改革との違いを冷静に比較

これが1895八卦山抗日保台史蹟館です。入ってみると、こちらはおそらく建てられてから30年ぐらい経っている感じで、建物の作りも中身も少し古く感じます。照明もちょっと暗いし。けれども、展示内容は非常に興味深いものでした。

 

最初に目に入ったのは日清戦争に至る道のりを描いたパネル。明治維新から始まっています。

 

そして驚いたのが、清と日本それぞれの近代化を冷静に比較しているのです。

漢字の原文でもなんとなく意味がわかりますが、ここでもGoogleさんに頼ってみます。

 

明治維新の優れたところと中国の改革のだめだったところをはっきりと書いていることがわかります。大意としては「中国は部外者に対して傲慢で、文化輸出者なので優越感を持っている。一方日本は常に文化輸入者で(よしてる注:輸出もしていますが)、西洋の優位性をすぐ認識し、日本の繁栄に貢献するものは何でも模倣した」といったところですね。

戦争に負けた側が自国の誤りを認めて勝った側を評価する-これはなかなかできないことだな思いましたが、ここでもまた、前述の「日本を評価せざるを得ない事情」が影響しているのだろうと思い直しました。この清、つまり中国本土の政府も、今や台湾にとっては侵略者になるかもしれない存在で、終戦以降の政府もかつての日本統治時代よりもひどいものだった・・・台湾人のその思いがこの文章に、この比較に込められているように思えてなりません。

 

福沢諭吉と下関のふぐに見る「台湾らしさ」

こちらの展示では、日本が台湾を領有するまでの経緯については事実を淡々と記している感じですが、このような展示は台湾(支配された側)ならでは。福沢諭吉は日本では尊敬されていてお札にまでなっている(つい最近替わったばかりですが)が、朝鮮侵略や台湾領有を推進した人物-そんな内容のようです。

 

少し話はずれますが、清にとって屈辱の下関条約を結んだ場所、下関についても紹介があるのですが、そこの名物がふぐだとわざわざ、しかも何回も書かれているのにはさすがというかなんというか・・・ポツダムの名物料理(あるのか?)を展示している日本の施設、あるいはそれを知っている日本人はいるのだろうか。

抗日闘争のパネル展示

これらのパネル以降の展示は、戦争中に作られた防空壕の後を利用したものなのですが、これはなかなか効果的だと感じました。日本の軍隊に対して台湾の人々がどう抵抗したか、どういうふうに戦ったかと言うことが展示されているので。

途中、ディスプレイを用いた展示施設などがありましたが、電源が切られていて稼働していないなどちょっと放置感がありました。でもパネル展示だけでもかなり興味深いのは間違いありません。

 

英語の説明文がないので詳しい意味はわかりませんが、台湾の人々は必死に抵抗したが、日本軍の厳しい攻撃にはなすすべがなかった・・・というような内容のようです。

 

親切な係員さん

この1895八卦山抗日保台史蹟館に着いた時は17時10分ごろ、でもここの閉館は17時半。できればもう少しゆっくり見たかった。

そんなふうに思っていた帰り際、台湾語で史蹟館の方から声をかけられました。当然わからないので英語で返すと少し驚いたようでしたが(台湾人と思われていたみたい)、英語で「来てくれてありがとうございます。ゆっくりしていっていいですよ」とおっしゃいました。

親切はありがたいけれども閉館時間を過ぎると迷惑なので、お礼を言って史蹟館を出ました。が、係員の方が私を追いかけて来てくださって「実はパンフレットには英語版もあるのでどうぞ」とわざわざそれを持ってきてくださったのです。

 

なんと親切な・・・もしかすると、私が日本人であることに気づいて、この抗日施設を見学に来た日本人を大切に思ってくださったのかもしれません。そういえば、韓国の独立記念館(抗日運動や日本の植民地支配の負の側面についてドラマティックに展示されている)でも、併設されているレストランで似たような経験をしたことがあるな・・・とそんなことを思い出しました。

 

参考:1895八卦山抗日保台史蹟館 | みんなの台湾修学旅行ナビ

 

私の海外旅行でのルーティン-書店とCDショップで「日本」を確認

これで私の今回の旅で行きたかったところは全て行くことができました。そして実質私の台湾旅行は今日で最後。では他に行くところがないのか。そんなことはありません。私は海外に行った時にいつも訪れるところががあります。

それは書店とCDショップです。それぞれの国で、どんな文化が受け入れられているのか。その中で日本の文化はどれくらい受け入れられているのか。そんなことが知りたいからです。

しかしご存知の通り、書店もCDショップももうすっかり街から姿を消しつつあります。特にCDショップ。なので、今回の旅行ではこれらの店に寄るのも難しいのかなと思っていたのですが、なんとこの1895八卦山抗日保台史蹟館からそれほど離れていないところに本屋さんがありました。あまり時間は無いですが、立ち寄ってみます。

 

日本の翻訳文学が人気

金石堂書店。台湾では知られた書店チェーンのようです。ここは「光復店」。

 

まず本屋さんに入ってすぐ目についたのが、日本同様文芸書を平置きしてある売り場ですが、ここでは村上春樹さんの「街とその確かな壁」が大々的にフィーチャーされていました(New Releasesなのにヘミングウェイ「老人と海」やカフカ「審判」があるのが謎ですが。新訳かな。)。

ただこれは村上春樹さんだからこそ特別扱いなのかなぁと思って、翻訳文芸書のコーナーに行くと・・・

他の日本の有名作家も目白押しでした。それに日本の「本屋大賞」が帯に使われているということは、本屋大賞が台湾でもネームバリューがあるということですね。それにそもそも「帯」があること自体、日本以外でははじめて見た気がする。

もう少しゆっくりこの本屋さんの書棚を眺めてみたかったのですが、移動のバスの時間が迫っているので、なごり惜しいですが、店を出ます。

彰化からバスを使って新幹線の台中駅に行き、そこから台北駅へ。

 

台北駅で見る、最近日本で見ない光景と「日本だらけ」の光景

台北駅の外側にはホームレスの人たちがいました。これを見て気づいたのですが、日本では駅の近くでホームレスの方を見かけることがかなり減った気がします(おそらくホームレスの方が減ったのではなくて追い出されているということなのでしょうが、このことについては未確認です)。

 

台北駅の地下レストラン街の案内板。「日式」というのが日本の料理/チェーンという意味のようなのですが、出ているレストランの多くに「日式」または「日本」と書かれてあります・・・その数、32店舗中14店舗、占有率44%。日本の食の人気ぶりのすごさというか、「親日」の度合いというか、そもそも自国以外の特定の国の料理がこんなに受け入れられているなんて、他の国で例があるのでしょうか。

 

誠品書店-推薦図書・音楽本の両方で見る日本の存在感

誠品書店。台湾で人気のチェーンで、東京の日本橋にも出店*4しています。

そこの推薦図書コーナーはこんな感じで、

ユヴァル・ノア・ハラリの世界的ベストセラーなどもありますが日本のものも目立ちます。「天気の子」、村上春樹作品、ちいかわなど。

 

音楽本のコーナーに行ってみると、デヴィッド・ボウイや2パック、マライア・キャリーの本の他に、坂本龍一さん、小澤征爾さんと村上春樹さんの対談本、村上春樹さんの「古くて素敵なクラシック・レコードたち」などがありました。

 

こちらには「誰がジョン・レノンを殺したか?」*5やロバート・ジョンソン、エリック・クラプトン、ピンク・フロイドなどに混ざって細野晴臣さん、RADWINPS、Mr.Childrenの本がありますね。

そして文芸書のコーナーに行くと、先ほどの彰化の書店同様、翻訳コーナーでは日本の作家さんの小説が人気でした。

ざっと見ただけですが、本の世界では日本の文化はしっかりと存在感があると言えそうです。というか、外国でここまで日本のコンテンツが目立っていたのは、私の海外旅行経験の中ではここ、台湾くらいです。

 

一方CDショップでは・・・

今度はCDショップへ、こちらは本屋以上に数が少なくなっているので、ネットで場所を検索していきました。こちらも台湾では知られているらしいチェーン店、Five Musicへ。

このお店の規模は日本のいわゆる大型CDショップ(タワーレコードなど)に比べると少し小ぶりな感じです。

お店に入ると、客層は圧倒的に10代後半くらいの女性が占めています。いわゆる推し活の人たちですね。これは最近の日本のCDショップの傾向とも一致します。これだけCDが売れなくなっているというのに、日本のタワーレコードが2024年に過去最高益をを記録したというニュース*6が話題になりましたが、これも推し活によるところが大きいそうです。

ということもあり、お店のフロアの半分くらいがその推し活係とK-pop。K-popの存在感はやはりこちらでもすごいですね。残りの半分にクラシック音楽、洋楽、それから台湾の音楽などが並びます。

クラシックや洋楽のコーナーは日本で見る品揃えとあまり変わりません。いわゆる定番が並んでいます。

それ以外のコーナーで日本の音楽のコーナーを見てみましたが、探し方がよくなかったのかもしれませんが、あるいはこの店舗がそういう方針なのか、全く見つかりませんでした。書店に日本のミュージシャンの本があるのだから、それなりに人気があるはずなんだけど・・・

(帰国してからFive Musicの通販サイト「五大唱片」を覗いてみると、そこにはしっかり「東洋音楽 Japanese」のページがあり、MOST POPULARに「安室奈美惠、濱崎步、倖田來未、宇多田光、椎名林檎、愛繆(あいみょん)、LiSA、Aimer、milet、東京事變*7、Perfume」などが上がっていました。なんか90年代と現代のミックスって感じのラインナップですが、日本の音楽が台湾でも人気なのは間違いないようです。)

そんな感じで、台湾における日本文化(産業)の受け入れられ方としては、まずは圧倒的に外食*8、そして小説。音楽はそれよりは弱いかもしれないけどしっかり受け止められている、という感じでした(アニメとまんがという日本が最も強いコンテンツについては今回は確認できていません)。

 

まとめ

いずれにしても、私の海外旅行経験(16か国程度ですが)の中では、こんなに日本の文化が庶民レベルで受け入れられているところはありませんでした。

過去に対しては複雑な思いを持っているのかもしれないけど(そして日本人もそのことに自覚的であるべきだと私は思うけれど)、少なくとも今はこうして日本の文化を受け入れてくれている台湾。旅行先としても、東アジアのパートナーとしても貴重な存在ですし、その危機感・緊張感を見習うべき存在でもあるな・・・という学びを得た旅でした。

 

この旅行の別の日のメモ

1日目。

2日目。

 

関連メモ

注釈

*1:台湾民主国(たいわんみんしゅこく)とは? 意味や使い方 - コトバンク

*2:8歳で玉音放送を聴いた父も「聞き取れなかった」と言っていました

*3:中国の「人民網」は2013年の記事で「全世界の日本に侵略された土地には、いずれも抗日記念館があるが、台湾にだけない。」と記しています。引用元:台湾は抗日記念館を建設すべきだ--人民網日本語版--人民日報 

*4:誠品生活日本橋

*5:私のビートルズファンの友人たちの間ではまったく評価されていない本ですが。

*6:「音楽はサブスク」時代になぜ? 最高益を更新したタワレコ大復活の理由 | AERA dot. (アエラドット)

*7:このほうが本来の事変っぽい気がする

*8:このメモでは写真を載せていませんが、少なくとも台北ではとにかく街中に日本の外食チェーンの看板が出ていました


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