庭を歩いてメモをとる

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東浩紀「クォンタム・ファミリーズ」

クォンタム・ファミリーズ

[物語]
2007年東京。葦船往人は30代後半の大学教員・作家。妻友梨花とはうまくいっておらず、子どもはいない。ところが彼の娘と称する人物からメールが届いた。送信されたのは2035年。往人は当初これは自分が狂ったせいで起こる現象だと考えていたが、「娘」から本物のアメリカ行きチケットを手配されたことから、その飛行機に乗ることにした・・・

[感想]
難解な部分とすいすい読める部分が混在する不思議な小説。

難解な部分。思想批評家の著者らしい、おそらくは哲学用語であろう見知らぬ言葉が頻出します。そこは無視して読み進める。今度は、様々な並行世界が存在する理由の説明部分が難しい。近未来の世界では量子コンピュータの登場によりコンピュータの性能は飛躍的に向上、ネットで情報を自己増殖させ(そのため近未来世界ではネット情報の信憑性がなくなっている)、ついには並行世界とのアクセスが可能に・・・私の理解が正しいかどうかはさておき、わかったのはそのくらい。実際は深く詳しくこのあたりのことが書かれているようなのですが、よく理解できませんでした。まあそれはそれとして、並行世界がたくさんあるんだね、そういう前提で話を読み進めようとすると、今度はその並行世界が複数存在し、しかもそれぞれの世界に存在する同じ人物(しかし人生は異なる)が異なる並行世界を行き来する。物語構造の難解さです。これはメモをとっていけば解決したのかもしれませんがそれもあまりに膨大な作業になりそうなのでやめ(ネタバレですがsuperficialchildrenさん作の年表を見ればそのことがわかると思います)、理解が中途半端なまま最後まで読んでしまいました。なんというか、キン肉マンの言葉をもじれば「言葉の意味はよくわからんが、とにかくすごい話だ」という感じです。

すいすい読める部分。まずそれぞれのシーンが普通に「続きが気になる」。先を読みたい、と思わせる物語本来のおもしろさがあるんですよね。冒頭なんて、いきなり主人公がアメリカでテロを起こしたあと行方不明になっているというニュースから始まります。他にも、主人公が並行世界のひとつで、家族とうまくいっている状態にとまどいながらもその世界に順応していく過程や、後半の加速する緊迫感などもページをめくる手を止めさせません。何より、この作品のテーマのひとつである、村上春樹の小説「プールサイド」で語られる「35歳問題」−人生の折り返し点を過ぎると、未来よりも「できたかもしれなかった」「できなかった」というもうひとつの人生可能性のほうが大きくなるということ− は、私もこの小説を読むずっと前から深く考えさせられたものです(参考:当ブログ2006年10月1日「人生の折り返し点」)。

この、物語のしてのまっとうなおもしろさと個人的に非常に興味深いテーマが、難解な部分があるにもかかわらずこの本を読み進めさせてくれました。結果、今までにない読書体験を得ることができました。この物語をひとことで言えば、「パラレルワールドを行き来して自分の人生、特に家族との関わりを見直していく」という安直ともいえるようなストーリーなのですが、実際には安直だなんてとんでもないしろものです。このように、ひとことで言えばおもしろくもなんともない話を力のある物語にするのが小説家の役割だというなら、東さんはこの一作で正真正銘小説家になったといえると感じました。


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