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Winedark Open Sea の色彩感覚 - ポール・マッカートニーと古代ギリシャのつながり

"Winedark Open Sea"と聞いて、「ああ、ポール・マッカートニーの曲ですね」とすぐわかる方は、世の中に何人いらっしゃるんでしょうか。

アルバム「オフ・ザ・グラウンド」


歴史上で最も成功した作曲家・音楽家としてギネスブックに掲載されている*1ポールの数々の曲の中でも、これはあまり話題に上ることがない曲といっていいでしょう。ベスト盤に入ったこともないし、ライブで演奏されたこともない(と思います)。もちろんシングルカットされたこともありません。

私個人は、アコースティックギターのカッティングがシンプルで心地よくてわりと好きですが。また、ポールのバンドにいたヘイミッシュ・スチュワートも1993年からのNew World Tourのパンフレットで「シンプルなのでそこに何かを加えたくなるが、マジックがあるのでそうはしなかった曲」と述べています*2


「ワイン色の海」への違和感とおもしろさ

さて、1993年にアルバム「オフ・ザ・グラウンド」でこの"Winedark Open Sea"なる曲名を目にしたとき(CDを再生する前、歌詞カードを見る前に)、最初に感じたのはこうでした。

  • 「ワイン色の海」とは・・・英語ってこんな表現をするんだ。日本語では聞いたことないな。
  • 動物愛護運動に深くかかわっているポールのことだから、ひょっとしてこれクジラ漁の血で染まった海のこと?だとしたらいやだなあ。
    • クジラ漁の是非以前に、そういうシーンを歌った曲を聴くのはきっついな、と思った。
    • (アルバム2曲目のLooking for Changesが動物実験へのプロテストソングであることは事前に知っていたので、その影響もあった)

そんなふうにちょっとどきどきしながらのこの曲を初再生。イントロなしのポールのヴォーカルは伸びやかで、曲調も穏やか、まさに大海原を漂っているようなスケール感のある歌で、ほっとしたのを覚えています。もちろんクジラ漁の歌ではありません。とんでもない杞憂でした。

そして再び思ったのです。「ワイン色の海、変わった表現やな。いや、言語が変われば色彩感覚や表現も変わるってことか。違和感はあるけどおもしろい」と。


実は古代ギリシャの表現だった

それから約30年後の今年2022年(え、そんなに経ったんだ・・・)、同じ表現に、音楽とはまったく違う世界の本で再会しました。

その本の最初の章の最初の見出しが「『葡萄酒色の海』のミステリー」だったのです。

その本はこちら。言語学者ガイ・ドイッチャーの「言語が違えば、世界も違って見えるわけ」
言語が違えば、世界も違って見えるわけ (ハヤカワ文庫NF)

おお、「葡萄酒色の海」とは!まさに"Winedark Open Sea"と同じ表現!とわくわくしながら読み進めていくと、これが19世紀イギリスの話であることがわかります。いよいよ「ここで英語における『ワイン色の海』という表現について書かれているのかも」と期待が高まります。

が・・・なんとこの表現は、古代ギリシャのホメロスによる著名な叙事詩「イリアスとオデュッセイア」に出てくる表現なのだそうです。

しかもこれは、当時(19世紀)においても現代においても、英語ネイティブにとっても奇妙な表現なのです。後に首相となるグラッドストンが19世紀に、そして21世紀にこの本を書いたドイッチャー氏がともにはっきりと「海の色とワインに何の関係があるというのだろう」と述べています。少なくとも「ワイン色の海」という色彩感覚や表現に対する違和感という点では、英語ネイティブは古代ギリシャ人よりも日本語ネイティブに近いようです。

本書では、なぜ古代ギリシャでそのような表現がなされたのか(グラッドストンは古代ギリシャ人は色弱だったという説を述べていますが、それが正しいのかどうかも検証)、ひいては言語・文化の違いが行動に及ぼす影響について様々な研究結果が示されており、これはこれで非常に興味深かったのですが、本題から外れるのでここではおきます。


なぜポールはそんな変わった表現を選んだのか

「ワイン色の海」は、英語ネイティブにとっても奇妙である上に、古代ギリシャの叙事詩で使われていたフレーズだったのですが、ではなぜポール・マッカートニーはそんな表現を選んだのでしょうか。

ざっと調べてみたところ、このことをポール自身が語ったことはなさそうです。なので推測するしかありません。


吹奏楽曲"Wine-Dark Sea"

で、ホメロスとポールの他にこの表現を使っているケースをGoogleで検索してみると・・・

一番多くヒットするのは"Wine-Dark Sea"という吹奏楽曲です。

しかしこれは2014年の作品なので、ポールが1993年以前に参考にするはずがありません。


ポールがホメロスを読んでいた?

ではポールはホメロスを読んでいたのか?

可能性はゼロではないと思います。ポールが文学や小説についてコメントすることはたまにあります。たとえば、"The Lyrics"の"Junk"の項などでディケンズの「荒涼館」を引き合いに出したり、ライブのパンフレットでトム・ウルフを読んだと語ったり(そのパンフレットについて書いたメモはこちら↓)。

まあでも、ヨーロッパの人にとっての古代ギリシャの叙事詩って、日本人にとっての平家物語とか古事記みたいなものではないでしょうか(知らんけど)。古典中の古典で、誰もがその名は知っているが、通読した人は一握り、という・・・なので可能性は低いかなあ・・・

と思いつつ、"The McCartney Project"のこの曲の項を見てみると、一応ホメロスの「イリアスとオデュッセイア」についての言及はありました。ただ、直接的な関連については書かれていません。

“Winedark Sea” is likely a reference to Homer, who mentioned this line dozens of time in his epics, the Iliad and the Odyssey:

引用元:Winedark Open Sea (song) - The Paul McCartney Project

WINE DARK SEA – A GUITAR SYMPHONY

他には、スティーブン・コーデル氏によるギターシンフォニー"Wine Dark Sea"も候補です。

公式サイトによると、「ジミ・ヘンドリックス、マーラー、ワーグナーに影響を受けた」曲らしく、1983年にロンドンで初演されています。

ポールがこれを耳にした可能性はゼロではないですが、ホメロス同様、ポール側からのコメントは見つかっていません。


まとめ

ということで今回は、"Winedark (Open) Sea"というフレーズは古代ギリシャから来ているものであること、そしてこれが日本語ネイティブのみならず英語ネイティブにとっても奇妙なフレーズだった、ということはわかりました。

ポール・マッカートニーと古代ギリシャに「ワイン色の海」という表現を通じてちょっとしたつながりが発見できたのは個人的には意外で興味深かったのですが、なぜポールがこのフレーズを使ったのかは不明です。もしわかることがあればまた追記します。


関連メモ



注釈


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