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ルポにはない小説の力で「貧困」に触れる-川上未映子「黄色い家」

川上未映子さんが今年の2月に出した新作長編。一気に読みました。

本作は小説です。だからルポルタージュみたいに読んではいけないのでしょうが、それでも、本作のもつ小説の力によって、自分がちゃんとわかっていない世界の一部に触れされてもらった。そう感じています。

どんな世界なのか。それは日本の「貧困と犯罪」。

私は今も昔も決して裕福な環境で暮らしてきたわけではありません。でも、本作に描かれていた世界は自分がかつて経験した「90年代の日本」なのだけれど、明らかに自分が今まで経験どころか通り過ぎることすらなかった世界でした。

この小説から、知らない世界にどう触れることができたのかをメモします。


※以下の記述には、冒頭を除きストーリーには触れていないものの、本文からの引用を複数含んでいます。また、ラストシーンがバッドエンドなのかハッピーエンドなのかについても触れています。つまり一部のネタバレを含みますのでご注ください。

黄色い家

「黄色い家」が見せてくれた世界

生活

1990年代半ば、主人公・伊藤花(はな)は中学生。同級生に馬鹿にされるくらいみすぼらしい住まいで暮らしている。親は平気で家を数日空けるし、お金の管理ができず、入ったお金はすぐ服やお酒、(母親の)彼氏に消える。

ここまではだいたい想像がつきます。そういう家、ありそう。

しかし、この描写にははっとさせられました。花の母の知り合いで30代の黄美子が花の家にいつのまにか住むようになり、生活が変わっていく場面です。

わたしはそれまで、たとえば流しがいっぱいになったら洗うとか、布団を広げる場所がなくなったら服をよけるとか、そんなふうにしかやってこなかったので、黄美子さんのやってくれることのひとつひとつが新鮮に感じられた。(中略)外から帰ってきて、サンダルがきちんと揃えられて埃のないすっきりした玄関の隅っこなんかが目に入ると、なんとも言えない嬉しいような気持ちになるのだった。

そうか、そういうことなのか。

え、そんなことで驚くの?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、私にとってはそうでした。

他にも、黄美子が来るまで花がにんにくを調理に使うのは初めてだったとか、家族でおでかけするという経験がほとんどなかったとか、そういうところ。

つまり、花の育った環境は、ネグレクトまではいかないかもしれないけどそれに近く、児童相談所のケアの対象外だろうけど子どもにとっていい環境かというととてもそうはいえない感じなのですが、このあたりも心にずしんと来ます。マスコミに報道されるような児童虐待の事件の水面下には、こういう家庭が山ほど存在しているんだろうな、と。

そういうことは、貧困についてのルポルタージュや学術書でも学ぶことはできるのかもしれません。でも、その世界に触れた感覚がしっかりとあって、結果腹にくるというか、ずしんと重みを感じる。これは優れた小説ならではの力だと思うんですよね。

「黄色い家」では、他にもそのような「力」を感じるシーンがいくつもあります。

「あんま、さきのこととか - たとえば金のことでもそうだけど、そういうの、考えられないっていうか」
「あれ、わざとじゃねえんだよ」「でも単なる性格っていうんでもない、黄美子はそういうやつなんだよ。いただろ、むかし学校とかにも。水商売とか闇とかそういう場所には、そういう黄美子みたいなやつがたくさん流れてくんだよ。悪い人間からしたら、そのまんま、金の成る木だからな、男も女も」
「今日とつぜんいなくなっても、なんの問題にもならないようなやつな。そういうやつが夜にはたくさんいえ、ある意味、物みたいになってんだよ。いろんな遣い道のある物な。飛ばすのにも沈めるにも、いちばん都合がいいんだよ。」

作中のある人物が、黄美子について語った言葉です。

この言葉や描写されている言動から、黄美子は軽度の知的障害があるように読み取れます。

これを読んで思い出したのが、ベストセラーになった「ケーキの切れない非行少年たち」です。

ケーキの切れない非行少年たち(新潮新書)

本書によると、2017年に新しく刑務所に入った受刑者1万9336人のうち、軽度知的障害・境界知能相当の人たちが約半数を占めるとのこと*1

一般的には、両方併せて15~16%であるにもかかわらず*2、受刑者になると知能面でハンディのある人の割合が激増する。

これは、知的障害者が犯罪を起こしやすいというよりも、知能にハンディのない「悪い人間」が彼ら彼女らを「いろんな遣い道のある物」つまり犯罪の実行部隊として使っているから、と考えるのが自然です。

このことは、受刑経験のある山本譲司による真摯なレポート「累犯障害者」にも綴られています。

こういった「リアル」をきちんと描いているからこそ「黄色い家」の世界が「腹にくる」のでしょう。

犯罪

物語の後半で描かれる犯罪描写もリアル。その犯罪は、2023年の今ではもう実行不可能な内容なのですが、そのためか手口が遠慮会釈ない緻密さで描かれています。

それが川上未映子さんのお家芸であるリズム感ほとばしる文章で綴られている上、やばいことに手を染める人間の緊張感とそれによる世界の見え方の変わりようの描写が実に見事。読んでいるこちらの心拍数も上がりつつ、ページを繰る手は止めることができない。

(リズム感ほとばしる文章といえば、花がある人物からお金を無心されるシーンは、内容は悲劇なんだけど文章や言葉選びが絶妙すぎて笑ってしまいました。花には申し訳ないけど。)

他にも、なぜ高額の賭博といえばいつもバカラで、なぜ競馬とかよりも興奮するのかとか(理由は単純なのですが)、そういう小ネタもたくさんちりばめられていてとにかく興味深い。

あと、これは犯罪ではないですが、出てくる音楽の選曲も絶妙でした。どちらのミュージシャンも私は特にファンではないけれど、この時代にこの年代の人がこのシーンで選ぶならこれしかない、と思える歌。これもまたリアル。


主人公の感覚

ところで、こういった世界を生き抜いていく主人公・花は、育ってきた環境以外は「普通」の感覚の持ち主なのです。

「ちゃんとしたい」思いも責任感も実行力もある(行き過ぎてしまうところもある)。人を見る目も、それこそ道徳観念もしっかりある。というか、私よりずっとしっかりしてるしちゃんとしてるなと思う・・・

この小説は、そんな花が経験し語った内容でできています。

だから、この小説で描かれている貧困と犯罪の世界にすんなり入っていけたというのも大きいと思います。


なぜ小説なのか

「知らない世界に触れる」って、じゃあルポルタージュやドキュメンタリーでいいじゃないかという考えもあるかもしれません。

そもそも、本作はフィクションです。フィクションで世界を知るだなんてありえないじゃないか、という考え方もあるでしょう。

でもやっぱり、小説だからこそ「腹にくる」んですよね。本作を読んでそれを大いに実感したところです。

もちろん優れたルポルタージュやドキュメンタリーで「腹にくる」こともありますが、それとはまた違う力があるのが小説です。

たとえば、本作のラストシーン。絵的には美しい情景とはいえないかもしれないし、ハッピーエンドと言い切ることもできないけれど、でもバッドエンドでは決してなくて、この物語を読んでよかったと思えるような内容なのです。この読後感は優れた小説ならではです。

それに、小説特有の「伝える力」ってあると思うんですよね。たとえばこのシーン。

みんな、どうやって生きているのだろう。道ですれ違う人、喫茶店で新聞を読んでる人、居酒屋で酒を飲んだり、ラーメンを食べたり、仲間でどこかに出かけて思い出をつくったり、どこかから来てどこかへ行く人たち、普通に笑ったり怒ったり泣いたりしている、つまり今日を生きて 明日もそのつづきを生きることのできる人たちは、どうやって生活しているのだろう。そういう人たちがまともな仕事についてまともな金を稼いでいることは知っている。でもわたしがわからなかったのは、その人たちがいったいどうやって、そのまともな世界でまともに生きていく資格のようなものを手にいれたのかということだった。どうやってそっちの世界の人間になれたのかということだった。わたしは誰かに教えてほしかった。不安とプレッシャーと興奮で眠れない夜 がつづいて、思考回路がおかしくなって母親に電話をかけてしまいそうになることもあった。もしもしお母さん、お母さん、わたし大変なんだよ、どうしていいかわかんないんだよ、夢と現の境目でわたしは母親に話しかけていた。ねえお母さん、お母さんはどうやって、どうやっていままで生きてきたの、わたしが子どもの頃、もっと小さかった頃、お金もないのにどうやって、いったいどうやって生きてきたの、みんながどうやって毎日を生きていってるのかがわからない、 わからないんだよ、ねえお母さん、いまどうしてるの、お母さんいままでつらくなかった? こわくなかった?ねえお母さん、生きていくのって難しくない? すごくすごく難しくない? お金稼ぐのって、稼ぎつづけないといけないのって、お金がないとご飯も食べられなくて家賃も 払えなくて病院も行けなくて水も飲めないのって、すごくすごく難しくない?ねえお母さん、 わたしわからないんだよ、どうしていいかわかんないの、いますごく難しいの、難しいんだよ、 どうしていいかわかんないの、ねえお母さん聞こえてる?



以上、関係ないところから貧困や障害について書いていて(実際は多少は関係あるのですが)気を悪くされた方もいらっしゃるかもしれませんが、そんな人間でも(だからこそ、か)本作を読んでがつんと「腹にきた」のは事実です。

「黄色い家」。小説の力がほとばしっている作品です。


関連メモ

川上未映子さん


その他

「黄色い家」と同じように、小説の力で「貧困」に触れることができた作品。


その他の本の感想


注釈

*1:法務省・矯正統計表による

*2:この割合ですら、多くの方の実感よりも相当高い割合なのではないでしょうか。私はそうでした。「そんなにいるの?」と。つまりそれだけ、表面的になっていない軽度知的障害・境界知能相当の人たちがいて、適切なサポートが受けられていないということなのだと思います。


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