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ナムコとその音楽は別格だった。その記録-「ナムコはいかにして世界を変えたのか」

私にとって音楽はなくてはならないものですが、そうなったきっかけはゲームミュージックでした。

小学生のころ、ゲームセンターで耳にした電子音で奏でられるメロディ。それを同級生たちと「いいよね」といって学校や家のピアノでつたなく「再現」して一緒に遊んだ。それが原体験です。

当時つまり80年代初頭、レコードにもならずラジオでもごく一部の例外*1を除き流れることはなく、そもそも世間から音楽として認知されていなかったゲームミュージックでしたが、私たちにとってそれは薄暗いゲームセンターでディスプレイとともに輝く宝石のような存在でした。

中でも、そのころのナムコ(現・バンダイナムコエンターテインメント)の音楽とゲームデザインは別格で、多彩で、革新的で、同業者に大きな影響を与え続け、そして何より大事なこととして、とにかく心を惹きつけて離さない魅力を放射している存在でした。私は今でも、ゲーム界における80年代前半のナムコは、ロック界におけるザ・ビートルズ、まんが界における手塚治虫に似た存在だったと確信しているくらいです。

でも、そのナムコの「突き抜けた偉大さ」は、2020年代の今、ビートルズや手塚治虫と違って、書籍というかたちではあまり語られることがないように思います。

それを、ゲームミュージックという側面から、豊富な取材をもとに一冊にまとめてくださったのがこの「ナムコはいかにして世界を変えたのか - ゲーム音楽の誕生」(鴫原盛之氏著)です。私にとっては、待ちに待った方向性。

ナムコはいかにして世界を変えたのか──ゲーム音楽の誕生 (ele-king books) ([テキスト])



80年代前半までのアーケードゲームは社会から無視されていた

そして重要なこととして、本書では、当時、知りたくてしょうがなかったのにわからなかったことが書かれてあります。

なぜわからなかったのか?

当時、ゲームセンターのゲーム*2(以下、アーケードゲーム)は子どもたち間の大きな話題のひとつでした。小学校高学年男子の間では、テレビ番組、野球、まんが、家庭用テレビゲーム、プロレスの次くらいにはよく話題になっていた感覚です(ファミコン登場前夜の話です)。

にもかかわらず、アーケードゲームは世の中からは黙殺されていました。スペース・インベーダーが社会現象になったのは別として、それ以外はテレビにも出てこない、雑誌にも載らない。家でできる「ゲーム&ウォッチ」などの家庭用ゲームは親も社会も認知していますが、アーケードゲームの内容はガン無視で、大人が話題にするのは「ゲームセンターは不良がいて危ないから行くな」という警告だけ。

だから「このゲームや音楽は誰がどうやってつくっているのか」という基本的なことも、一部のパソコン雑誌が83年くらいから少しずつ記事にしてくれるまでまったくわかりませんでしたし、「なんでナムコの音楽だけサウンドがすごく目立つのか」に至っては大人になるまで*3わかりませんでした。

ビジネス面でもゲーム産業は黙殺されていたように感じます。例外は、ナムコを「ユニークな先進企業」としてとらえたビジネス書である「超発想集団ナムコ」くらいでしょうか。発刊当時、書店で偶然これを見つけた中学生の私はこれを貪るように読んだものです。

大野木宣幸さん

そんなふうに、当時ものすごく知りたかったのに知るすべがなかったものの筆頭は、ナムコでマッピーやリブルラブル、ポールポジションなどの傑作ゲームミュージックを数多く作曲された、大野木宣幸*4さんについての記述。

それが本書では「第3章 ゲーム音楽の父 大野木宣幸」として、全5章中の一章、約30ページの扱いとなっています。まずこれがうれしい。

いろんな雑誌でこま切れになっていたインタビューやコメントをまとめてあるので、大野木さんの経歴や人となりを包括的に知ることができます。こういうのが読みたかったんだ。

そして当然、私が読み切れていなかったエピソードも数多く網羅されていました。特に、当時のナムコ社内にローランドのシンセSYSTEM-700はあったが大野木さんはカシオトーンをいじっていたことや、曲をコンピュータに入力するときは楽譜を書かず直接楽曲データを打ち込んでいたというのは本書ではじめて知りました。

大野木さんの代表曲のひとつであるニューラリーXのオリジナルBGMが、「ジングルの領域を超え、プレイ中に音が鳴り続ける本格的なBGM」としては実質的に最初のものだという指摘も改めての気づきでした。たしかにそうかもしれない。大野木さんはメロディメイカーとして秀逸でしたが、ビデオゲームの歴史においてもやはり特別な存在なんだ、と。

さらに本書では、ニューラリーXのパンフレットには「ゲーム音ではなくゲーム・ミュージックと呼んでください」との記載があり、これが「業界内で『ゲーム・ミュージック』という単語を利用した、おそらく最古の例ではないか」との重要な指摘をしています。

遺作についても丁寧に整理されています。厳密にいうと2019年リリースの「16ビットリズムランド」の曲だが、プラットフォーマー公認の作品としては2005年リリースのiモード用ホッピングマッピーに追加された新曲が最後だったとのこと。これも以前から気になっていて知りたかったことなのですが、残念ながらこのiモード用ホッピングマッピーは移植版がないので、この新曲を直接聴くことはもうできないそうです。


慶野由利子さん、小沢純子さん、川田弘行さん

大野木さんだけでなく、同じく大好きな作品を立て続けに制作された慶野由利子さん(ディグダグ、ゼビウス、ドラゴンバスター等)・小沢純子さん(ドルアーガの塔、トイポップ等)についても同様に数々のインタビューをまとめてあるのが大変ありがたかった。

ほかに印象に残った記述として、スターラスターの作曲者である川田宏行さんが中学生の頃にビートルズの映画「レット・イット・ビー」を観て「音楽からはみ出したような面白さ」を教えてもらい、変わったものや面白い試みに惹かれるようになったというエピソードがあります。ゲームミュージックの後にビートルズのファンになりそれが30年以上続いている自分としては、ゲームミュージックのコンポーザーとビートルズのつながりを垣間見ることができて二重にうれしいものでした。

(補足)慶野由利子さん、小沢純子さんについての個人的な想い出

※以下は本書にはない内容で、お二人に関連したマイブログ記事のご紹介です。

  • 慶野さんはいろんなイベントや取材に応じておられますが、個人的にはNHK-FMに出演され、ドラゴンバスターとディグダグの曲をミックスしたオリジナル曲「DBDD」が流れたこのときのことが非常に印象に残っています。
  • 小沢純子さんとはこのイベントでお会いすることができ、中学生の時からの夢がかないました(小沢さんと直接お話した内容は個人的な会話内容になると考えているので、ブログには記載しておりません)。


アルバム「ビデオ・ゲーム・ミュージック」の制作過程とYMOとのつながり

細野晴臣さんと近藤雅信さん

後に好きになったミュージシャンとのつながりといえば、世界初のゲームミュージックのアルバム「ビデオ・ゲーム・ミュージック」がどのようにして企画・制作されヒットしていったのかを詳述した箇所も興奮して読みました。ビートルズ同様、ゲームミュージックを聴き音楽が好きになった後ファンになったYMO*5細野晴臣さんに関する証言が多数収録されているからです。

もちろん、このアルバムがリリースされた1984年当時から、細野さんが本作をプロデュースされていること、そのきっかけとしてゼビウスの大ファンだった細野さんがナムコに見学に行ったりしたことがきっかけだった・・・ということは知っていました。

しかし、細野さんがローランドMC-8(シーケンサー)でゼビウスの曲をシミュレートしていたほどゼビウスに入れ込んでいたことや、細野さんとナムコがつながったのにはプロデューサーの小尾一介さんとスタッフの近藤雅信さんの尽力があったからだということは本書ではじめて知りました。

なお、本書には書かれていませんが(ゲームミュージックの枠を超えるので当然ですが)、近藤さんはその後東芝EMI、ワーナーミュージック、ユニバーサルミュージックでプロデューサーや取締役などを歴任され、最近ではニューズウィーク日本版で坂本龍一さんの追悼記事を執筆されています。またもや個人的な話になりますが、生まれて初めて自分で買ったアルバムが「ビデオ・ゲーム・ミュージック」で、直近で買った最新のフィジカルアルバムが坂本龍一さんの遺作「12」である自分としては、本書を読んだ後この事実に気づき、大きく深い感慨に包まれています。

「ザ・リターン・オブ・ビデオ・ゲーム・ミュージック」

また、本書では、他の書籍・媒体でも語られることの多い「ビデオ・ゲーム・ミュージック」だけでなく、その後リリースされた「スーパーゼビウス」と「ザ・リターン・オブ・ビデオ・ゲーム・ミュージック」についても、私がこれまでに読んだ本の中ではもっとも詳しい記載がありとてもうれしかった。「リターン・オブ・・・」はゲームオリジナル曲収録のA面も、ゲーム未収録のB面も大好きだったので。

B面の中でも、上野耕路さんの「MECHANISM OF VISION ニーノ・ロータの自画像〜ジェリー・ゴールドスミスもそこにいる」は特に得体のしれない魅力があって(曲調もサウンドも)好きというより惹かれてたな・・・と思って検索したら、偶然上野さん自身がこの曲についてX(Twitter)で最近コメントされていたので引用します。

他に価値が高いなと感じたのは、ゲームミュージック専門レーベル「GMO」のはじまりから終わりまでを関係者(ファンクラブ会報誌含む)の記録やインタビューによって整理してあったことと、昭和の終わり頃からゲームミュージックのバンドが各メーカーから複数立ち上がっていたのによりによってナムコだけなぜバンドがなかったのかについての推測箇所。どちらも、本書ではじめて読むことができたコンテンツです。

(補足)村上春樹さんもゼビウスに熱中していた

ところで、ゼビウスは当時ゲームの枠を超えて様々なジャンルのクリエイターや学者によってコメントされていたことが知られていますが、村上春樹さんもこんな文章を残していることを補足しておきます(これも本書の方向性からはずれるので、当然本書には書かれていません。)。

手紙を書くくらいならゲーム・センターでもいっちゃったほうが楽しいし、気分転換にもなる。(中略)返事が遅れているみなさん、申し訳ありません。暑い日々がつづいております。ただいま「ゼビウス」二十万点の壁に挑んでおります。あれはなかなかむずかしいです。

村上春樹「The Scrap 懐かしの1980年代」P.217 日記 一九八四年八月十二日 から引用


当時の空気感をパッケージ化

実は私自身は、ビデオゲームをプレイし、その音楽を追いかけていたのは1982年~1987年の期間限定なのです。今でも当時好きだったゲームやゲームミュージックは楽しんでいますが、新作を追っていたのはその時期だけ。

本書の記載内容もその時代が中心です(それより前の時代・後の時代についても一定の量の記載はありますが、私には自分のゲーム熱中時代の前史・後日談として読みました。)。そして本書は、豊富な取材で歴史を丁寧に記録するだけでなく、その当時の空気感 - 当時のナムコがその音楽も含めどれだけ別格の存在だったか - を見事にパッケージ化してくれています。本書の総合的な価値はここにあります。自分にとって特別な存在である80年代のナムコとその音楽を丁寧にまとめあげてくださった、著者の鴫原盛之さんには心から感謝します。



(補足)誤記と思われる内容

そんな大好きな本書だからこそ、補足させてください。

本書P.115 「シオナイト(※特定の場所で、ソルバルウに合体するキャラクター)」 → シオナイトはソルバルウとは合体せず、シオナイトのパーツ同士が合体します。単なる誤記だと思いますが、念のため。

同P.176 「ザ・リターン・オブ・ビデオ・ゲーム・ミュージック」収録の「MERRY GOES AROUND」が、ホッピングマッピー稼働後わずか2か月でアルバム収録されている・・・という内容の記載がありますが、これは順序が逆で、1985年発売の同アルバムに収録されたこの曲が、1986年稼働開始のホッピングマッピーに使われた・・・というのが事実のはずです。

これは個人的な経験とも合致しています。同アルバムを1985年の発売日に買い「MERRY GOES AROUND」を聴いたとき、友人と「音色と曲調からして、これきっとマッピーの続編が出たらそれで使われる曲やな」と話していて、約半年後にその通りになって盛り上がったことをはっきり記憶しているからです。この順序は、他の媒体の記述を見ても間違いないと思います。一方、本書にはホッピングマッピーの稼働開始を198「5」年4月と記載していて、その誤記からはじまった記述だと思われます。

この「MERRY GOES AROUND」のケースは、ゲームミュージックがゲームよりも先にリリースされたケースとして、おそらく世界初なのではないでしょうか(確認はしていませんが。)。もしそうであれば、本書の帯にある「すべてはナムコからはじまった」にもぴったりのいちエピソードとして記載ができたように思いますので、その点が少し残念です。


関連メモ

1984~85年のナムコへの想い


ナムコゲームミュージックについての他のメモ


ナムコという企業について


80年代の空気感のパック




注釈

*1:「大橋照子/斎藤洋美のラジオはアメリカン」など

*2:本書にも記載があるように、当時のゲームセンターのゲームは、家庭用のゲームよりもずっと高性能なハードウェアを使っていたので完全に格上の存在でした。「ゲーセンのゲームが本物で、家庭用はそれを何とか似せようとした代物」というのが子どもたちの共通認識だったことは間違いありません。

*3:当時のナムコサウンドが先進的なカスタムチップにより波形をコントロールできたから・・・ということは、当時の一般書店で手に入る本や雑誌には書かれていなかったと思います。

*4:「宣」が「宜」になっている記載も見かけますが、どちらが真実なんでしょう。2ちゃんねるに遠藤雅伸さんが降臨された際は「宜しく」とかけて「宜」だと書かれていた記憶がありますが。

*5:例えば、コナミの沙羅曼蛇が出た時、友人が「4面の音楽、すごくいいけど、YMOにそっくりな曲があるらしい」と言っていたものの、それが"Behind the Mask"のことだということや、作曲者である東野美紀さんが坂本龍一さんのファンだったことを知ったのはその何年もあとだったりしました。ちなみにこの2曲、構成はそっくりですが曲から受ける印象はかなり違います。どちらも大好きな曲です。


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