この本が並んでいるのを目にしたとたん、気分は10代(=80年代)に。
FM誌「FM STATION」の編集長だった恩蔵茂さんの手記です。
FM STATIONを読んでいた理由
FM STATIONは、ちょうど音楽を聴き始めた中学2年・1984年ごろからしばらく、だいたい毎号買っていました。
家では父が「FM fan」を買っていましたが、ロックの記事が相対的に少なく*1全体的に落ち着いた雰囲気だったので、誌面のノリの面で10代をターゲットにしていたFM STATIONに親近感を持っていました。他のFM誌はというと、「FMレコパル」はオーディオ機器の記事が多くてそれはたまに読んでましたが、「週刊FM」はそもそも近所の書店には置いていなかったと思います。
FM STATIONはお買い得感も高かった。他誌に比べて当時200円と数十円だけだけど安かったし、それでいて鈴木英人さんのイラストやミュージシャンの写真がついたカセットレーベルがついていたし、読者コーナーの「ズバリひと言」も毎回けっこう笑えたしで、価格のわりに誌面の多くを楽しめたんですよね。
そして、年に1回あった読者によるアーティスト人気投票「好きなアーチスト/キライなアーチスト」。これもFM STATION独自の企画で、中学校の仲間うちでけっこう盛り上がってました。
あれをもう一度読んでみたいな、この本に載ってるかな、と思っていたら、ちょうど1984年のものがありました。
’84 好きなアーチスト
- ビリー・ジョエル
- デュラン・デュラン
- ビートルズ
- 佐野元春
- カルチャー・クラブ
- ホール&オーツ
- オフコース
- デヴィッド・ボウイ
- ブルース・スプリングスティーン
- プリンス
- リック・スプリングフィールド
- シンディ・ローパー
- ハワード・ジョーンズ
- ヴァン・ヘイレン
- ネーナ
- サザンオールスターズ
- ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース
- マイケル・ジャクソン
- 松田聖子
- ボール・マッカートニー
- 大沢誉志幸
- 中森明菜
- 吉川晃司
- 浜田省吾
- YMO
- ジャーニー
- シカゴ
- 坂本龍一
- ワム!
- 松任谷由実
当然ですが、ほんとに時代を感じますね。特にネーナは、まさにこの年のランキングならではでしょう。
ビリー・ジョエルはしばらくこのランキングのトップ常連でした。数年続いたと思います。本誌でも、ビリー本人へのインタビューの際このことを伝えたら、ビリーが「ボクが?本当?ミステリアスだね」と驚いていた・・・という記事があったと記憶しています。
ビートルズはこの中で唯一の「もう存在していないバンド」ですが、この人気からもわかるように、当時すでに「古典」「定番」のような扱いになっていたと記憶しています。「古くてダサい」を通り過ぎて「ロックを聴くなら押さえとけ」というような。同級生に「ビートルズはみんないいっていうから逆に距離をとっている」というやつがいたくらいの、一種の権威を帯びた存在でした。
この感覚はいつの世代からのものなのでしょうか。先輩音楽ファンからは、70年代のビートルズの位置づけはそんなではなかった、と聞いたこともありますし。
そして、全体的に洋楽の強さが目立ちます。当時はそうでした。思春期の通過儀礼のように、多くの中学生が洋楽に少しは触れ、一部の人たちはそこからどっぷりはまってたくさん聴いていた、そんな時代。
この「好きなアーティスト/キライなアーティスト」で、それが急に邦楽中心になっていったのは平成に入る前後のころだったと記憶しています。渡辺美里さん、谷村有美さん、遊佐未森さんが上位になり、洋楽ミュージシャンはランクインすらしなくなっていった。この変化はいったい何がきっかけだったんでしょうね。
’84 キライなアーチスト
- プリンス
- 近藤真彦
- カルチャー・クラプ
- マイケル・ジャクソン
- 田原俊彦
- チェッカーズ
- デュラン・デュラン
- オフコース
- シブがき隊
- 松田聖子
- 吉川晃司
- 中森明菜
- デヴィッド・ボウイ
- 松山千春
- ティナ・ターナー
- RCサクセション
- アルフィー
- 小泉今日子
- 柏原芳恵
- シンディ・ローパー
これ読んだ当時の中学生も「近藤真彦や田原俊彦はアーティストちゃうやろ」とみんな言っていましたが、これは「私たちが好きなのはアーティストの音楽で、アイドルじゃないんだ」という投票者のメッセージがこのランキングに出ていた、ということなのでしょう。10代らしい。
プリンスはこの「キライ」トップの常連でしたが、ごらんのとおり「好き」にも入っています。当時からそれだけ圧倒的なインパクトがあった。周囲の中学生の間でも「見た目は変やけど音楽はかっこいい」という位置づけでした。
本書でも書かれていましたが、ランキングの後半はなぜ「キライ」に入るのか推測が難しい人たちが何人も入っています。アイドルどころかベテランのロックミュージシャンたちが何人も。当時の読者は、見た目が派手なのを敬遠していたのかな・・・
’88のFM STATION
実は、手元に一冊だけFM STATIONが残っていました。1988年第15号(7月11~24日)、ちょうどこの雑誌を買わなくなったころのもの(だから残っていたのかも)。懐かしくなって久しぶりに開いてみました。もうこの時には220円に値上がりしていますね。
1988年7月のチャート
こんな時代でした。
CASH BOX TOP 100 SINGLES
- Foolish Beat / Debbie Gibson
- Together Forever / Rick Astley
- Dirty Diana / Michael Jackson
CASH BOX TOP 100 ALBUMS
- OU812 / Van Halen
- Faith / George Michael
- Open Up and Say...AHH / Poison
オリコン CD
- Bewith / 今井美樹
- ribbon / 渡辺美里
- LOVE NEVER TURNS AGAINST /浜田麻里
オリコン LP
- SEVENTH HEAVEN / BUCK-TICK
- Bewith / 今井美樹
- LOVE NEVER TURNS AGAINST /浜田麻里
オリコン シングル
- Diamondハリケーン / 光GENJI
- みんなのうた / サザンオールスターズ
- 太陽の破片(12インチ) / 尾崎豊
オリコンはすでに邦楽中心になってますね。FM STATIONにも邦楽ミュージシャンの記事が増え始めた時期だったと思います。
なお、「1988年上半期No.1アーチスト」のカセットレーベルはこんな内容です。ああ、これがFM STATIONって感じ。
ズバひと
読者コーナーの「ズバリひと言」もよく読んでいました。略称「ズバひと」。どうでいいような話が多いところが楽しかった。
この号にも、「うちの母は光GENJIの『ようこそここへ~』のあと『クッククック』とつなげて歌ってしまう」「ボズ・スキャッグスと高田純次は似ている」「ボズ・スキャッグスと大徹関は似ている」とかそんな投稿がたくさん。
時代というより「88年初夏」を感じるのは「ゲッ!高井麻巳子が結婚してしまったではないか!」「秋元康のばかっ!」というひと言。
あとは、号をまたいでの読者同士のやりとりがよくあったのも「ズバひと」の特徴でした。この号にも、前の号に掲載されていたビル・エヴァンスのイラストへの賛辞の投稿などが掲載されています。
他に記憶に残っているのは、これとは別の号に「スティービー・ワンダーはいつもサングラスをしていてかっこつけている」という投稿があったこと。もちろんその後の号には「スティービーは目が見えないんだよ」という投稿があふれ、元の投稿者が知らなかったと謝っていた・・・そんなやりとり。
これ、あきらかに編集サイドはこの展開を予測して元の投稿を掲載したんでしょうね。本書にも「ビートルズは(中略)もうお茶の時間のBGMがせいぜいだ」という投稿があったとき、編集サイドで「若い者はこれくらいツッパッていたほうが、元気があってよろしい」という気持ちで採用した、という経緯が書かれていました。その後は「ヘルター・スケルターをBGMとして聴けるなら聴いてみろ」など、ビートルズ擁護派のはがきがいつまでたっても送られてくるので「もう掲載しません」とのおことわりを載せざるを得なくなったそうですが。
要するに、かつてのネットの掲示板や今のSNSでやるようなやりとりを、2週間以上のタイムラグで行っていたわけです。しかしこの「タイムラグ」と「編集者によるスクリーニング」によって、SNSとは違う独特の雰囲気ができあがっていました。ラジオの深夜放送にむしろ近いかも。SNSにはSNSのよさがありますが、この「タイムラグ」と「編集者」が加わったやりとりにも独自の価値があったな・・・と思っているのはボクだけではないはずだ(←ってフレーズ、「ズバひと」で流行りましたよね)。
私のオムニバステープ
読者投稿といえば、「私のオムニバステープ」のコーナーも好きでした。内容はコーナー名のとおり。
この号には"Don't Hang Up"というタイトルの投稿が。853-5937 / Squeeze に影響されて電話にちなんだ曲を集めたそうです。Telephone Line / E.L.O. , No Reply / The Beatles , 恋のダイヤル6700 / フィンガー5 , 634-5789 / Wilson Pickett , そしてラストはDon't Hang Up / 10cc。今見てもいい感じだなあと思います。
当時(高3でした)はこれを見て、電話というモチーフだけでこんなに曲がリストアップできるなんてすごいな、これくらいたくさん音楽を知ると楽しいだろうな・・・と思ったものです。今の自分ならどんなプレイリストにするかなあ。
他の号では、PrinceのAround the World in a Dayにちなんで、世界の地名をつなげて1時間で世界一周・・・というのもありました。
Spotifyなどでプレイリストの共有ができるようになったとき、このコーナーのことを思い出したのは言うまでもありません。
FM雑誌の終焉
本書には、他にも「FM STATION」にまつわる様々なエピソードが、中にいた人にしかわからない視点で書かれています。
先行FM三誌の特徴、鈴木英人さんのイラストとその作成過程、後発雑誌なので当初はアーティストへのインタビューや広告集めにも苦労したが、後に一番売れるようになり広告を断ることが増えたこと、ミュージシャンの人となりなど(大江千里さん、小室哲哉さん、ブライアン・アダムスなどがいい人・気さくな人として挙げられていて、困った人はイニシャルで表記)。
また、FM放送局そのものの歴史も知ることができます。1969年にNHK-FMとFM愛知(愛知が日本初の民放FM局だとは知りませんでした)、1970年に大阪そして東京が開局、その後しばらくその4局しかなかったこと。
1982年から各地にFM局が増え、FM誌が番組表(当時は、どの番組でどんな曲を流すかがあらかじめ決まっていて、それをチェックできるのがFM誌の本来のセールスポイントでした)を載せるのに苦労したこと。
それまでの民放FM局は「FM東京をキーステーションに・・・」のJFN系列だったが、85年、独立系のFM横浜ができたこと。
そして、88年開局のJ-WAVEが「オンエア曲目を全番組、いっさい発表したくないのです」と言ってきて、もうFM誌は終わりかもしれないな、と思ったこと。
そして91年に週刊FMが、95年にはFMレコパル(末期の誌名は「レコパル」)、98年にはFM STATION、2001年にはFM fanも休刊してしまったこと。
こんな経緯を知ってはじめて、自分が10代だった80年代は、FM雑誌にいちばん活気のあった時代だったことを知りました。
そういう「時代」がやってきてそして去っていく流れを、雑誌のつくり手の視点で記録に残してくれている貴重な本です。
関連メモ
1986年、渡辺美里さんが"My Revolution"をリリースしたころの雑誌コメントなどから、おニャン子との比較、1986当時の空気について。
上記FM STATIONのチャートにも入っている渡辺美里さんの1988年のアルバム「ribbon」の全曲再現ライブ。
ビリー・ジョエルの「ハートにファイア」("We Didn't Start The Fire")の歌詞に出てくる事件・人物すべてについて調べてみました。関連写真つき。
こちらは音楽ではなく’84にリリースされたゲームについて。
*1:でもBillboardのチャートが載ってたので、それは見てました。FM STATIONのチャートはCASH BOXだった。