人間は、なぜ音楽を好むのでしょう。
言い方を変えると・・・
音楽が今まで残っているということは、音楽や、音楽を好きな性質(遺伝子の組み合わせ)が人類の生き残りに有利だったから、であるはずです。
だから、音楽には「人類が生き残るのに役立つ力」があると思われます。
それは何なのか。どう役立ったのか。人間にとって、音楽は何のために存在しているのか。
これは長年の疑問でしたが、その答えのひとつを記した本を見つけたのでご紹介します。
目次
音楽の存在理由とは
肉食獣から防御する
本書で挙げられている「音楽の存在理由」の筆頭は、「肉食獣に対する防御システム」です。
大勢でいっしょに声を出すと、ライオンやトラなどから身を守れる、というのです。
なるほど。たしかに音をたてながら歩くとクマが近づかない、という話は有名*1です。
が、本当にそうなのか。
人間は他の防御システムが弱い
本書では、この説を逆説的な方法で支えています。
どういうことかというと・・・
肉食獣から身を守るにはいくつかの方法がありますが、人間はどれも苦手なのです。
- 隠れる・・・人間は立って移動するので肉食獣に見つかりやすい
- 走る・・・ウサイン・ボルトは時速38kmで走れるが、ライオンは時速55kmで走れる
- 力・・・アーノルド・シュワルツェネッガーよりチンパンジーのほうが力が強い
- 歯・・・人間の犬歯は進化の過程で消えていったが、他の動物は犬歯で相手にダメージを与える
- 強力で厚い表皮・・・人間の表皮は進化の過程で薄くなっていったが、他の動物は人間より厚い表皮を持っている
しかし、「音を出し肉食獣を威嚇する」-ゴリラやチンパンジーもそうします- ことだけは人間も得意です。
だから、人間は「肉食獣に対する防御システム」として「みんなで一緒に大声を出すこと」を発展させた。そんな考え方です。
私はこの説を読んで、いや、人間は道具を使えるから動物と同じ防御システムがなくてもいいってだけの話じゃないの?と思ったのですが、実はこの説には上記以外の興味深い根拠があります。
地上に住みかつ歌う生物はいない
樹上で生活する生物には、歌う種がたくさん存在します。
鳥がそうですし、樹上の猿も声を出して合図を出します。威嚇のためでない合図を。
しかし、地上で生活する生物で、よく歌う種はいません。
ゴリラやチンパンジー、オオカミのように、必要に応じて相手を威嚇するために吠える動物はいますが、その他の生物はなかなか鳴きません。
鳥でさえ、地上に降りるときはさえずるのをやめることは、みなさんもよくご存じだと思います。
これは、地上はそれだけ肉食獣に襲われる危険が大きいからです。
唯一、人間だけが「地上に住みかつ歌う生物」なのです。それは「肉食獣に対する防御システム」として「みんなで一緒に大声を出すこと」を選択したため。
これが本書の主張です。
戦闘を盛り上げる
「音楽の存在理由」の筆頭は「肉食獣に対する防御システム」という説。もしそれが正解だとしても、それなら音楽でなくても、ただ一緒に大声を出すだけでもいいのではないでしょうか。
その疑問に対する答えが、音楽の「戦闘を盛り上げる」という力です。
これは納得しやすい理由です。いろんな実例を挙げられますから。
スポーツの応援歌なんかもそうですし、フィクションですが、これもそうですね。
Mad Max: Fury Road - Guitar Full Scenes
集団への帰属意識を強くする
これも実例がいくつも思い浮かびます。
先に書いた応援歌もそうですし、国歌や校歌もその代表例でしょう。
これは、以下の「サピエンス全史」で紹介されている考えとほぼ同じでもあります。
なぜそう言えるのか
さて、音楽の存在理由が「肉食獣から防御する」「戦闘を盛り上げる」「集団への帰属意識を強くする」と書きましたが、これらには共通点があります。
どれも、集団でこそ力を発揮する、ということです。
実は、これを裏付ける興味深い事実があります。私が本書で一番興奮したのはこの部分でした。
「いっしょに歌う」は「一人で歌う」より先に生まれた
音楽は、「いっしょに歌う」ことからはじまったのであり、「一人で歌う」ことから発展して「いっしょに歌う」ようになったのではない、というのです。
伝統音楽の分布から
本書の著者ジョーゼフ・ジョルダーニアは民族音楽の研究者です。
彼の研究によると、民族音楽で、一人で歌う形式(以降は本書の記述に従い「モノフォニー」と記載します)」からいっしょに歌う(同じく「ポリフォニー」*2)に変化した例は、ただの一つも見つかっていないそうです。
さらに、ポリフォニーの伝統が残っている地域は、アフリカのサハラ砂漠以南、メラネシア、ポリネシアという地理的に孤立した地域*3に集中しています。
以上の理由から、音楽は「いっしょに歌う」ことから始まった、つまりそうすることでもともとの目的(肉食獣からの防御、戦闘盛り上げ、帰属意識強化)を果たしていた、そしてそのポリフォニーがモノフォニーに変わっていった・・・ということがいえる、とのこと。
これはよしてるにはかなり意外でした。ポリフォニーはモノフォニーの発展形だとずっと思っていましたから。
ちなみに、本書では、世界で最も孤立したポリフォニーの伝統例として、アイヌ音楽が挙げられています。ほんとかな?と思って検索したところ、たしかに・・・
UHB 北海道文化放送 アイヌ民族伝統の歌「ウポポ」 特徴的なリズムや輪唱のハーモニー楽しむ 札幌市 (19/11/03 17:00)
メソポタミアでも
じゃあ、世界最古の文明(と現時点では言われている)メソポタミアもポリフォニーだったの?と思ってしまいますが、答えはYesだそうです。
アン・キルマーによる1971年の研究結果では、粘土板に楔形文字で書かれたフルリ人の音楽作品は二声または三声のポリフォニーなのだそうです。知らなかった・・・
男性の声域
人間の声域は男女で大きな違いがありますが、こういう違いは霊長類の間ではあまり見られません。
動物学者デスモンド・モリスは、男性の低い声は「人間の競争相手を怖がらせ、餌食を追い詰め、肉食獣を追い払うのに非常に役立った可能性がある」と述べています。
静寂を嫌う
著者は、社会的動物(鶏や猿など)が、ほとんどいつも何かの音をたてている(歌うのではなく)のは、グループが安全であることを示すサインであり「静寂は警報である」ことを示していると述べています。
人間はよくハミングします。そして、ショッピングモール、エレベーター、車や列車の中、イベント、パーティ、葬式でも、どこでも音楽や音が流れています。また、テレビやラジオを意味なくつけている家もありますよね(私の父がそうでした)。
以上の3点を支えに、「音楽の存在理由は肉食獣からの防御・戦闘盛り上げ・帰属意識強化だ」と述べる著者の説は、状況証拠からの積み上げという気もしますが、非常に興味深く、またかなりの妥当性を感じました。
まとめ
本書で私が刺激を受けたポイントは以下の通りです。
- 音楽の存在理由 、つまり「人類が生き残るのにどう役立ったか」は:
- 肉食獣から防御するため
- 戦闘を盛り上げるため
- 集団への帰属意識を強くするため
- なぜそう言えるのか、の根拠は:
- 「いっしょに歌う」は「一人で歌う」より先に生まれたことから
- 他の霊長類と違って男性の声域が女性より低いから
- 静寂を嫌う性質から
本書はその他にも、「吃音や失読症の発生率が地域により大きく異なる理由」や「クジャクのオスの尾が美しい理由は、これまで言われていた『美しい尾を保つことができる強さをアピールしメスに選ばれるため』という理由は誤っていることを示した実験」など、興味深い内容が目白押しです。そして、著者の本領である民族音楽の比較については非常に内容が濃く私には読み切れないほどでした。
本書の説は「最終結論」ではない可能性もありますが、刺激的で今までと違った見方を提供してくれるのはたしかですし、こんな充実した内容を一冊に詰め込む力量にも感心しました。
この本は、著者ジョーゼフ・ジョルダーニアの日本での小泉文夫音楽賞授賞記念講演を聴いた秋山晃男・アルク出版企画社長による依頼で書かれたそうです。森田稔さんの翻訳も丁寧で読みやすかった。この内容を日本の読者に届けてくださったお二人に感謝申し上げます。
関連メモ
この本で述べられている「平均律が世界に広まる過程」は、伝統的ポリフォニーが失われていく過程のひとつだったのかもしれません。
音楽と人間が生理的にどれほど深く結びついているものか、その実例を多数収録。
生物学的理由と音楽を結び付けた他の論考。
注釈
*1:https://www.police.pref.miyagi.jp/hp/tiikisitu/tiiki/sangakujyouhou/kumajyouhou/kumazyouhou.html
*2:本書では、この「モノフォニー」と「ポリフォニー」の定義について詳細な記述がありますが、ここでは割愛します。
*3:ヨーロッパにもポリフォニーの伝統は各所で見られましたが、現在は失われつつあるところが多いそうです。