尼崎在住のアメリカ人に「大きな坂がないのに、なんで大阪っていうの?」と訊かれました。
大阪の近くに住んで50年になるのにうまく応えられなかったので、ちょっと調べてみました。
(英語版はこちら)
大阪はやっぱり大きな坂
大阪市中心部の地形
こちらは、国土地理院の標高地形図です。赤が高く、青は海、黄色が中間の高さ。
ちなみにAが梅田、Bが大阪城です。
国土地理院のサイトから引用、アルファベットの説明はよしてるが追加
これを見ていただくと、大阪って大阪城を頂点とした大きな坂であることがおわかりいただけると思います。
だから、坂がないどころか、実際に大阪市内の中心部は「大きな坂」なのです。
あんまりそういう実感がないのは(私だけかもしれませんが)、梅田から大阪城エリアまではだいたい地下鉄で移動しますし、そもそもけっこう距離があるので坂のイメージがつきにくいことと、ビルが林立しているエリアなので見た目にも坂だとわかりにくいせいかもしれません。
突端に大阪城をもつこの高台は「上町台地」。地震断層があることなどでも知られており名前はよく耳にするのですが、具体的な理解はできていませんでした。今回、この地図を見て改めてどんな台地なのか認識できた次第です。
「大阪」の由来は?
では、大阪の名の由来は、やはり「大きな坂があるから大阪」なのでしょうか。
大阪市のサイトに回答がありました。
大阪市のサイトによる回答
Q. 大阪市の市名の由来は何ですか?
A. ご回答内容
この地名の由来については、いろいろな説がありはっきりとしていませんが、室町時代、本願寺大坂御坊(後の石山本願寺)を建てた蓮如上人の手紙に書かれた「摂州東成郡生玉之庄内大坂(セッシュウヒガシナリノコオリ イクタマノショウナイオオサカ)」が、確実な文献に残る最古のものとされています。(以上抜粋)
「はっきりしていない」というのが公式回答です。
ただ、石山本願寺は今の大阪城の場所に建てられていました。坂の頂点に大坂城を築いた蓮如上人が「大きな坂」をイメージして「大坂」という地名を使っていた可能性はあるような気がします。
なぜ大坂から大阪になったのか
では、「さか」の漢字が坂から阪に変わった理由は?
漢字検定のサイトによると、幕末から明治維新にかけて「坂」は「土に返る=死」「士(さむらい)が謀「反」を起こすとなり縁起が悪いという説が出たからだそうです・・・ 「大坂」から「大阪」へ変わった訳 ~地名も縁起を担ぐ~ | 漢字の基礎 | どれだけ知ってる?漢字の豆知識 | 日本漢字能力検定
地形で知る歴史
大阪城(地図のB)
この地形図を見ると、信長がここを何としてもと獲りたがり、秀吉が最重要拠点のひとつを構え、徳川幕府も天下を取ってからわざわざ建て直したのがわかりますね。攻めやすく守りやすい絶好の地形です。そして南方面だけは守りが弱くなるので、「真田丸」が築かれたわけですね。
参考:9:地形からみた「上町台地」の歴史 ~ 上町台地(阿倍野) | 不動産購入・不動産売却なら三井住友トラスト不動産
大仙古墳(別名仁徳天皇陵)(地図のC)
この古墳が造営された5世紀ごろ、地図の水色のエリアは海だったそうです。
そうすると、なぜ時の権力者がここにこんな巨大な墓を造ったかが見えてきますね。大陸や朝鮮半島から来た人々が、海からこれを見やすいようにしていたのです。
参考:歴史秘話ヒストリア - NHK
なぜか標高が高めの2か所(地図のDとE)
地図のDとEって目立ちますよね。古代、ここは島だったのか?
そうではなく、実は2つとも、人工的に造られた「山」なのです。
鶴見緑地公園はゴミの山だった
Dは花博記念公園鶴見緑地。1990年に「国際花と緑の博覧会」会場になり、今も市民の憩いの場となっています。
しかしここは、もともと高度成長期にできた巨大なゴミの山でした。かつてはメタンガスが発生するほどだったとか。それが公園になったのです。
現在標高39mのここは、大阪市ではもっとも高い場所です。「鶴見新山」とも言われています。
参考:【大阪調査隊】大阪で一番低い山は「天保山」、では“最高峰”は?“地図にない山”に登ってみたら(1/4ページ) - 産経WEST
千島公園も人口の「山」
Eは千島公園。こちらは地下鉄工事でできた土を盛って作られました。
標高35m、1970年に「昭和山」と名付けられました。
参考:大阪市:コラム1 千島公園・昭和山 (…>文化・スポーツ・生涯学習>生涯学習)
長い間身近にあるものの中には、実は由来や理由をよく知らないものがあったりしますが、外国人の方からの質問は、そういうことを学ぶのに絶好の機会になりますね。ありがたいことです。
関連メモ
同様に、外国人の方からの質問がきっかけで学べたこと。