庭を歩いてメモをとる

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ユダヤの街・西宮?

今回は、今日という日にちなんで、一発ネタを。

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ユダヤ人の影響力は世界の至る所で目にすることができます。例えば、アメリカに入国する際記入するカードには、「1933年から1945年の間に、如何なる形であれ、ドイツ・ナチ政府やその同盟関係諸国に関連して迫害に参加していましたか?」との質問があります。それに、首都ワシントンDCには、おそらく世界最高の規模・質と思われるホロコースト記念博物館があります。ドイツではなくアメリカでナチスの責任追及の姿勢がこんなに強いのです。アメリカにおけるユダヤ人の影響力は、ことほど左様に強いと言えるでしょう。もちろん、他の国々でもここまでとはいかなくても、ユダヤ人の影響力が出ている例は枚挙にいとまがありません。
でも日本ではそんなものあまり見ないよな、と思っていらっしゃる方が多いと思います。たしかに、ユダヤ人の影響力を身近に目立ったかたちで見ることはまずありません。しかし、一部の地域で、それをひっそりと、しかし根強く見ることはできます。その一部の地域とは、私の住む西宮市です。

まず、市のシンボルをご覧下さい。

そしてイスラエルの国旗。

この星マークは、ユダヤ人のシンボルで、「ダヴィデの星」と言われるものです。ナチス政権下では、ユダヤ人を識別するマークとして人・住居・店などにこのマークがつけられました。ちなみに、1938年、ナチスの青少年組織ヒトラー・ユーゲントが来日し、日本全国の神社を訪れていますが、ここ西宮だけは、このシンボルを理由に彼らは訪問を拒否しています。なぜこのようなユダヤのシンボルに極めて似たものが西宮市のシンボルになっているのか?

西宮市のホームページには、このシンボルについて「『西』をてん書で真ん中に表示、『宮』をカタカナの『ヤ』3つで組み合わせ『西』を囲んで表す。大正15年4月制定」とありますが、なぜそれが「ダヴィデの星」に似たマークになったのかという点についての説明はありません。

ちなみに「宮」を3つの「ヤ」で表現するという点にも、実はユダヤとの関連を見いだすことができます。世界有数のユダヤ系財閥ロスチャイルド家のシンボルは、「5本の矢」です(参考:ロスチャイルド・アセットマネジメント社のサイト)。このように、ユダヤの家系では矢をシンボルにすることが珍しくないのです。ダヴィデの星に加え「ヤ」にちなむシンボル・・・これをどのように考えればよいのでしょうか。

この点について調べ上げた本がエレミヤ・ベンダサン「西宮とインマヌエル・ロスチャイルド」(1970年民明書房刊、現在は絶版)です。1923年、ヒトラーミュンヘン一揆を起した際、ロスチャイルド家は持ち前の情報分析能力により、この一揆は失敗に終わったものの近い将来ナチスによるユダヤ人の迫害がヨーロッパに拡大していく事を予測し、金融業における日本での勢力拡大を検討します。そこで、一族のひとりインマヌエル・ロスチャイルドが当時から富裕層が多く居住していた芦屋に目をつけ、その隣・西宮に居を構えることになります。そして日本のユダヤ・ネットワークの中枢としての機能を確立しつつ、西宮市へも巨額の財政援助を行っていったのです。その過程で、市のシンボルなどにその影響が現れたのではないか、というのがベンダサン氏の推測です。

このインマヌエル・ロスチャイルドについては、現在公の場で語られることはほとんどありません。一族がそれを好まないようです。例えばこの写真。

阪急西宮北口駅の南にある看板なのですが、唐突にヘブライ語が使われています。そして、明らかにもともとは何かが書いてあったはずの左半分が真っ白に塗り潰されています。
以下は個人的な推測ですが、この看板はインマヌエル・ロスチャイルドをたたえる記念碑建立か何かをよびかけるものだったが、一族がそれを辞退。ただ、旧約聖書の神(ユダヤ教の神)の最初の言葉「光あれ」だけは消すことができず残した、ということなのではないでしょうか。

いずれにしても、こんな身近なところにもユダヤ人の影響があったということには驚きでした。現在西宮でこのロスチャイルドの末裔がどのような事業を営んでいるのかは不明ですが、大好きなこの街の確立に尽力してくださった歴史はもっとオープンになってもいいのではないかと思います。

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繰り返しますが、このエントリは本日限りの内容ということでよろしくです。


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