庭を歩いてメモをとる

おもしろいことや気になることのメモをとっています。

50歳になってやり始めたこと、整理したこと

(2024年9月8日更新:50歳のときに書いたメモに、もうすぐ54歳になる現状を追記しました)

2020年に50歳になったときは、30歳や40歳になったときより大きな衝撃と感慨がありました。

日本の男性の平均健康寿命は72.14歳*1

ということは、したいことを自分でできるのはあと20年ちょっとかもしれないのか・・・30歳から50歳までの20年間もけっこうあっという間だったしな・・・しかもこれ「平均」だから、これより短い場合も、もっといえば次の瞬間にも人生終了しているかもしれないってことだしな・・・と。

まだそういうことを考えるには早い年齢なのかもしれませんが、私は心身ともにあまりタフなほうではないので、人より早く行動を起こしたほうがよいと考え、次のことを始めてみたり、整理したりしてみました。

目次


身体の変化に合わせる - 聴覚編

(50歳)耳が遠くなり始めた → だからこそ今、いい音で音楽を

歳を重ねた結果、身体のどこが最初につらくなっていくのかは、人によってかなり違うと思います。膝、腰、目、耳・・・

私は耳です。人との会話で聞き返すことが増えてきました。

そういえば、私の母も50代くらいからそうなっていました。2020年当時(78歳)は、普通の声量で会話しようとすると補聴器が必要な状況です。目も、足腰も大丈夫。でも耳が最初に衰えてきていたのです。

遺伝子を半分もらっている母がそうなのであれば、自分もそうなる可能性が高い気がします。

私にとって音楽はなくてはならない存在なのですが、ということは、音楽をいい音で楽しめるのに残された時間はそんなになさそうだ・・・平均健康寿命から計算できる「あと20年ちょっと」より短いだろう。

いい音で音楽を楽しむのなら、今だ。今しかない。

(51歳)イヤホンをグレードアップ

40代のうちに、PCにつなぐスピーカーをグレードアップさせたり、DACを入れて音を整えたりはしてきました。

でも、もっと細やかに音楽を楽しむには、ちゃんとしたイヤホンがあったほうがいい。

そう思って、これを使ってみることにしました。

いわゆるオーディオマニアの方々からすると、このような数万円クラスのイヤホンは「ちゃんとした」うちに入らないという認識の方も多いでしょうが、私にとってはこれで十分。

なにしろ、今までほとんど聞こえなかったいろんな音がはっきり聴こえるのですから。何百回聴いたかわからない曲・演奏も、薄もやが晴れたようにクリアに聴こえる。

音源やオーディオ機器の質がいくらよくても自分の耳がそれを聴き分けられなければどうしようもないのですが、そうなる前に「今まで聞こえなかった音」を聴けるようになったのは実にうれしいことです。

(52歳)ビートルズ英国初盤をアナログ環境で - ファンとしてのささやかな「夢」

次にとりかかったのは、愛してやまないビートルズをアナログレコードで聴くこと。それも英国オリジナルの、できれば初盤で。

(それがメンバー4人が意図した音に一番近いはずだから・・・というのが理由ですが、なぜそうなるのかは以下のリンクをご参照ください。)

そのため、ビートルズ・ソロのアナログレコードだけを扱う専門店「B-SELS」に行き、特に好きなレコードの「英国オリジナル初盤」を試聴の上、少しずつ買っていっています。

さらに、レコードプレイヤー、カートリッジ、アンプもできるだけお店と同じものを揃えました。

はっきりいって、これで聴くビートルズは私にとって至福以外の何物でもありません・・・ささやかな「夢」です。

(詳しくは以下のメモに記しています。)

(53歳)スピーカーをグレードアップ

さて、イヤホンを新調したと書きましたが、ずっとイヤホンを使っているとそれこそさらに聴力がさらに早く衰えますから、スピーカーもこれまで使っていたものからグレードアップしました。

試聴させてくれるお店を探し、そこに自分がよく聴く音源(アナログ・デジタル両方)を持ち込んで4機種比較した上で購入。

結果、「もっと早くからこうしておけばよかった・・・」と思う毎日です。

(こちらも詳細は以下に書いています)


キャリアチェンジ

仕事も変えました。勤め先は変えていないのですが、仕事の種類と仕方を。

40代までは - 法人営業+年間数百時間残業

社会人になってから、ほとんどずっと法人営業職についていました。約20年間。

クライアントと信頼関係を構築し、クライアントと自分の会社の双方に利益を生み出しそれを継続させるというプロセスと、多種多様なクライアントの事業や経営スタイルに関わることができるこの仕事は、こう書くと語弊があるかもしれませんが、私にとっては、いろんな本を読んで著者と「対話」し物語を深めていくことやいろんな場所を旅して想い出ができる感覚に似ていて、おもしろさを感じる場面がたくさんありました。

しかし、40代に入ってからは残業が毎年300~400時間前後がふつうに。特に45歳を過ぎたころからはこれがかなりしんどくなってきました(同じくらいの年齢でもっと働いている人はいくらでもいると思いますが、私はこれくらいが限界でした)。身体が追いつかないってこういうことなのかと身に染みてわかった。当然、仕事にも行き届かないところが出始めてきます。

50代からは - 企画職・残業激減

これはキャリアチェンジのタイミングかもしれない。

そう考え、上司や人事担当者に面談の機会を設けてもらい、キャリアチェンジの相談をしたところ、真摯に対応してもらえ、50歳になる直前に、残業の少ない新たな仕事に移ることができました。

新たな仕事は社内組織の事業計画・契約管理。営業職で得た契約関連のスキルや事業計画の策定・管理経験が活用できる内容で、かつ残業時間は1/3~1/5くらいになりました。負担は減りつつ手ごたえはある業務で、異動の調整に時間を割いてくれた方々には今も感謝の気持ちでいっぱいです(実際に、異動に労を尽くしてくださった人事担当の方にお礼のメールをお送りしたところ、とても喜んでくださいました。)。

限界を感じてからのチェンジだったので、もう少し早いタイミングがよかったのかもしれませんが、営業最後の職場で受注した案件で表彰をいただくことができたので、「遅きに失した」まではいかなかったと勝手に思っています。今後は、新しい仕事をきちんと遂行していきます。


グッズ

他に変えたことといえば、ささやかなことですが、グッズ系の扱いです。

ここでいうグッズ系とは、ライブ会場やイベント、旅先で買ったTシャツ、マグカップ、タオル・・・買って楽しく、使わなくても持っているだけで満足できる、でも自分を含めたごく限られた人たちだけに価値のあるもののことです。

40代までは - ただ買って保管していた

今までは、グッズが傷むのがいやで、ほとんどただしまっておくだけでした。たまに思い出したり、掃除のときに出てきたのを眺めるくらいの存在。

でも、もう、傷むのを気にするのはナンセンス。グッズが傷んで擦り切れるより、自分がそうなるほうが早いかもしれない年齢になったんだから。

何より、これらのグッズは、世の中の大多数の人たちにとっては特に価値がないものです。

ならば、引き出しの中で新品同様のままにしておくよりちゃんと使い、使わないものは価値を認めてくれる人にゆずる。このほうがグッズも人生(?)を「全う」できてうれしいのでは。

50代からは - ちゃんと使う、さもなければゆずる

そんなふうに考えて、まずは着なくなった服(グッズ系以外)をまとめてリサイクルに出してワードローブのスペースを増やし、しまい込んでいたグッズ系Tシャツとタオルをそこに全部入れました。

言うほど持ってないTシャツとタオル。それでも毎週末に着まわすだけで1か月以上かかります。

他のグッズも普段使いのスペースに移動させ、すぐ手に取れるように。キャップは玄関に、マグカップはキッチンのカップボードに。

それ以外のものは今一か所に固めています。これらはいずれ、同じ道を歩いている後輩に譲り、それもできないときはメルカリで売っていっています。

ちなみに、グッズではないですが、手持ちの大半の音楽雑誌も、あるイベントでたまたまお会いできたビートルズのカバーバンドをしているという高校生にお譲りすることができました。喜んでくださって、ゆずった雑誌を本棚にずらりと並べた写真をお礼のメールとともに送ってくださいました。

グッズにもよき「第二の人生」を歩んでもらえたらと思います。


「やってみたいな」と思い続けていたことをやってみる-楽器

(50歳)電子ドラムを自室に移動、我流で練習開始

自室を整理整頓すると、それなりの空きスペースができました。

そういえば、別の部屋にある、子どもが一時期はまっていた初心者用の電子ドラムセットが今ほこりをかぶっている・・・

そして自分は、以前から音楽を聴くとき、ドラムのパートがけっこう気になっていた。

もっと正直にいえば、ドラム、やってみたい。

でも中学生のころから練習しては止めての繰り返しで今に至るピアノは、いまだにまったくものになっていない。ドラムも多分そうなるだろう。いいのか。

いや、もうあと20年あるかないかわからないし、始めるならこのタイミングしかないだろう、ということで電子ドラムを自室に移動しました。

それから3年間、2日に1回程度少しずつ練習、というより遊んでいます。

YMO / Cueからはじめて、The Beatles / She Loves You、Back in the USSR。これだけで1年くらいかかりましたが、これはやっぱりちゃんと教えてもらった方がよさそうだと思い、近所にあるドラムスクールに通うことに。

(52歳以降)ドラムスクールへ、そしてバンド参加

ドラムスクールでは、やはり毎回気づきがたくさんあり、直接マンツーマンで教えてもらうことのメリットをひしひしと感じています。練習が散漫にならないのも大きい。

結果、YMO / 体操、椎名林檎 / 正しい街 をなんとか仕上げ、Guns'n Roses / You Could Be Mineを練習中という状況です(イントロのバスドラムはちょっと無理ですが)。

そんな中、ドラムに触り始めて3年たったころ、偶然、昔バンドをやっていたメンバーから10年ぶりくらいに「久しぶりに飲まない?」と連絡が。飲みの席でドラムをはじめたことを話すと、ちょうど今ドラムがいないので・・・という話になり、一緒に音楽を楽しむ仲間も復活しました。目下、oasis / Don't Look Back in Angerなどを練習中です。

なお、ピアノの練習も同時に復活し、こちらもほぼ2日に1回(ドラムと交互に)の練習が続いています。

ドラムもピアノも、ものになるかといえばならない気がしますが、身体が思うように動かなくなってから「やっとけばよかった」と悔しがるよりは、触るだけでもやっておいたほうがいい。何より楽しいし。そんな気持ちで日々少しずつ遊んでいます。


いろいろ書きましたが、ここまで、「元気なうちにやっておく」もので真っ先に思い浮かびそうなものが出てきていません。

それは旅行です。

40代までは - 世界と日本、いろいろ行ったけれど

実はもっと若い時、同じように考え、20代のうちに「47都道府県」「5大陸」をそれぞれピンポイントで訪れる計画を立て、実行しました。

でも今は、コロナ禍の影響はもちろん、まだ子どもにそれがなかったとしてもまとまったお金と時間が確保できなさそうなので(まあやる気の問題だとも思いますが)、これはちょっと保留になっています。

その分、地元関西を週末に少しずつ愉しんでいく予定です。コロナ前に始めていましたが中断しています。(以上、2021年時点)

50代からは - 近場(京都・奈良・神戸・大阪)のモダン建築巡り

(2022年以降)コロナ禍の間も、行動制限がゆるかった時期は近場(京都・奈良・神戸・大阪)に日帰りで訪れていたのですが、これにだんだんはまってきました。

特にモダン建築(主に戦前築の洋風建築)に惹かれています。ただ観るだけなんですけど。

インバウンド観光客もいませんし(日本に来てくれる外国人観光客は歓迎ですが、人が少ないのはそれだけで価値がある)。そりゃわざわざ日本まで来て洋風建築を観に来る外国人はいないでしょう。

しかもタイミングよく、2022年から「京都モダン建築祭」も始まりました。

春と秋に、行く3日前に突然友人に声をかけて建築見物をするのが習慣になりました。やはり旅には「気候」と「天気」が大事ですから(3日前に天気予報が「晴れ/くもり」なら快適かと)。もちろん友人たちにも突然声をかける理由は伝えています。

幸い関西はいくらでも見どころがあるので、まだしばらくこの「日帰り建築散策」は続けていけそうです。

特に感銘を受けた建築はinstagramに写真をアップしています。
https://www.instagram.com/yositeru/


これから - 食・酒

もうひとつ「今のうちに」やっておきたいのがおいしい食事とお酒。

40代までは - 何も考えていなかったけれど

今のところ、医師から食事制限が指導されているような状況ではないですが(卵は控えた方がいい、とは言われていますが)、親と遺伝子検査の結果を見ると、指導される日は遠からずやってきそうです。

であれば、「今から節制しよう」という考えが健全なのでしょうが、私は逆で、「今のうちに好きなものを食べて飲んでおこう」としか考えていません。

これは、さあやるぞ、と思った段階でコロナ禍に入ったので、これからの楽しみにしているところです。リストアップしているお店がその時に続いていることを祈るばかりです・・・(以上、2020年時点)

50代からは - 詳しい人に助けてもらう

(2022年以降)私はいわゆる「いいお店」にそんなに詳しいほうではありません。なので、詳しい人の助けを頼りにしています。

一人は、高校の同級生。いろんな「リーズナブルでうまい店」に詳しいのですが、彼がどこかにでかけるとき、他の同級生も含め声をかけてくれるので、旧交をあたためながらいろんなお店を教えてもらっています。

もう一人は、京都で長年魚料理とおばんざいのお店を切り盛りされていた大将。お店にはずっと通っていたのですが、数年前に惜しまれつつ閉店。その後もやりとりが続き、その中で京都のいい店をご紹介いただいているのです。実際に連れて行っていただいたこともあります。

もちろん自分でも少しずつお店開拓はしているのですが、やはり詳しい人のおすすめは打率がものすごく高いし、その人たちとのやり取り自体も愉しいので、今後もありがたく続けさせてもらっています。時には私からも紹介ができるようになっていければいいな。


身体の変化に合わせる - 視覚編

目に負担のかからない環境とは

先に書いたように、耳の衰えがはじまっている一方、目のほうは今のところそんなに衰えを感じていません(ずいぶん前に老眼にはなりましたが)。

とはいえ、今までと同じような負担をかけ続けるのはよくないな、とは思っていました。

それに、週の半分程度が在宅勤務になった今、自宅のPCまわりの視覚環境を整える意味は増してきた。

じゃあどんな環境がいいのか。

厚生労働省の「VDT作業における労働衛生管理のためのガイドラインについて」を確認したのですが、あんまり明確なことは書いてないんですよね。

  • できるだけ明暗の対照が著しくなく、かつ、まぶしさを生じさせない
  • ディスプレイを用いる場合のディスプレイ画面上における照度は500ルクス以下、書類上及びキーボード上における照度は300ルクス以上
  • グレア(不快感のあるまぶしさ)の防止
  • ディスプレイ画面の位置、前後の傾き、左右の向き等を調整させること
  • 反射防止型ディスプレイを用いること

前掲ガイドラインから抜粋

デスクライトとディスプレイを替えてみた

それなら、ちらつきが少なく、明るさと位置の調整がしやすく、評判のいいデスクライトとディスプレイを選ぼうということで、自分なりに選んだのがこちらです。

このデスクライト・山田照明 Z-LIGHT Z-10RSLは、ちらつきがないのと明るさが十分なのは当然として、光の色味が自然こと、そしてライトの位置と角度の調整がきめ細かにできる点も非常によいです。あと、シンプルなデザインも好み。

ディスプレイ・EIZO EV2460(23.8インチ)は、同じサイズの一般的なディスプレイの3倍ほどの価格なので買う前に躊躇しましたが、それまで使っていたディスプレイとは画質と色味がはっきりわかるくらいに違うので、高いだけのことはあるなと感心しています。

ちなみに今まで使っていたディスプレイは、在宅勤務時にサブディスプレイとして今もがんばってくれています。

使ってみたら

使ってみた結果は「びっくりするほどの差ではないけど、もっと早くからこうすればよかった」。

劇的な変化があるわけではないんです。

あ、なんか今までより「しっとりしてるな」というのが第一印象。光がしっとりってどういう意味やねん、って感じですが、ほんとにそんな感じなんです。今まで刺激があったものがやさしくなめらかになったような、それでいて見えているものはきめ細かくなったような。

で、夜、在宅勤務を終えたとき、目の疲れが今までよりもましだなと気づく。そんな程度です。

ただ、これ、毎日毎日(Every Single Day of My Life)のことなんですよね。この積み重ねは大きいと思います。

ならば、人生にとりいれていけばいい(Got to Get "Them" into My Life)。


自室の整理整頓 - 「仮」から「本番」へ

自室にいる時間が突然増えた

無事実現できたキャリアチェンジですが、今度はコロナ禍がほぼ同時にやってきたので、自室にいる時間が劇的に増えました。

それまで2日に1回は出張(そして月に2~3回は新幹線か飛行機)していたのが一気になくなり、さらに週の半分は在宅勤務になったので。

自室には、それまで「いつか整理したいけど、今はここに置いておこう」「いつか家具を同じトーンでそろえたいけど、今はこの箱で間に合わせておこう」・・・そんなふうに「仮」ですませていたものがたくさん。なのでそれらに向き合う時間も増え、そうすると居心地をちょっと悪く感じる時間も増えていく。

それに、この歳になって「仮」だと、このままずっと「仮」のままで、一生「仮」のままになってしまう・・・

そう思い、「いつかやろう」を「コロナの間にやろう」と切り替えて、整理を始めました。

まずものをしまうところをつくってみたら

まずは、すでに持っていた無印良品のユニットシェルフを増設。今あるものは10年前に買ったものですが、今も同じものが売られています。それに、収納用品のサイズが同じ規格で作られているので、増設や収納ボックスの入れ替えもスムーズで助かりました。何より、同じトーンで家具をそろえることができるのが魅力です。

増設後、このシェルフに、今まで「仮」でなんとなくいろんな箱に入れたりしていたものを整理整頓していきました。2021年のお正月はコロナ禍で初詣も友人たちとの恒例の飲み会もすべてやめたので、その間に(部屋の模様替えは冬がいいですね。かなり身体を動かすので。)。

たったこれだけでも、かなりすっきりしました。毎日目にするところから「仮」がなくなったので、大げさに言えば、精神衛生上の効果がありました。

もちろん、ものがすぐに取り出せ、しまうときも迷わないというのも楽で実に気持ちいいです。


親との時間 - 二人が亡くなるまで

40代までは

これまで、自分のことばかり書いてきました。

しかし、「今だからこそやっておきたい」ことはそれだけではありません。

親と過ごす時間と、子どもと過ごす時間です。どちらも時間に限りがある。

子どもは一緒に暮らしているので、自然と一緒に過ごす時間が持てています。毎朝の散歩も一緒にしており、その間子どもの方からずっと話をしてくれている。

しかし、親は同居していないので、時間をつくる必要があります。


5年ほど前、父に声をかけ、父方の家系のルーツとなる場所(鉄道で片道3時間くらい)に二人で行き、ご先祖のお墓やお寺、ゆかりの地に行きました。祖父が書いた自分史をもとに、祖父の足跡もたどりました。引継ぎを受けた気分でした。

母とも、母が結婚するまで住んでいた街(鉄道で片道1時間くらい)に行き、思い出話を聴き写真をたくさん撮り、アルバムにして渡しました。

父はその2年後に亡くなり、母は「あのとき連れて行ってくれてよかった。今はもう無理やな・・・」と言います。(以上、2020年時点)

50代に入ってから、母が亡くなるまで

(2023年以降)その後、母はどんどんできることが少なくなっていきました。

毎日の炊事がちょっとしんどそうだなと思ったので、毎月子どもと実家に行ったときに簡単なごはんをつくるようにしたら、喜んで食べてくれましたが、それから半年ほどすると食べられるものが極端に減りました。

身のまわりのことも少しずつ難しくなっていく中、本人の「できるだけ家にいたい」という希望をもとに、毎日のようにケアマネージャーさんと相談し、ヘルパーさんによる支援内容を増やし、在宅診療も始め、同居の弟にもがんばってもらいました。こういった在宅介護・医療の仕組みや、弟を含めかかわってくれた方々には今も感謝しています。

最期の3週間は病院に入院することになりましたが、その間は職場の理解のおかげで勤務時間を実質半日にしてもらい(キャリアチェンジしてよかったことがまたひとつ増えました)、兄弟3人でシフトを組んで、少なくとも誰か一人は毎日見舞いに行くことができました。

これでよかったのか、すべてやれたのかというと、そうは思わないのですが・・・


実親が二人とも亡くなった今は、実家の不動産の相続登記に取り掛かっています。さらに、遺品整理や不動産売却も進めていく必要があります。これらはなかなかに手間がかかることではありますが、葬儀同様、気持ちを紛らわせる効果はあるようにも感じています。



2020年に50歳になり、人生の残り時間を意識し始めてからの4年間。短かったようにも思えますが、振り返ってみるといろんなことが進み、変わっていっています。

これからも、自分にとって大事なことが何かをしっかり考えて、残り時間を大切にしていきたいです。


in English (この記事の英語版)


関連メモ


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