庭を歩いてメモをとる

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キング牧師の名演説を聴いて不安になった私

「私には夢がある。」

アメリカのマーティン・ルーサー・キング牧師による世に名高い名演説。

抜粋します。

私には夢がある。それは、いつの日か、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に住むという夢である。

出典:「私には夢がある」(1963年) |About THE USA|アメリカンセンターJAPAN

演説中のキング牧師(1963年)。Rowland Scherman, Public domain, via Wikimedia Commons

私はこれを最初に聴いた(読んだ)とき、その心からの訴えに感服すると同時に、「キング牧師の訴える世の中がもし実現したらどうしよう」と不安になりました

黒人差別がなくなったら不安になる?黒人差別があったほうがいいと考えているのか?

そういうわけではありません。キング牧師が夢見るこの世界は理想的だと私も思います。

では、なぜ不安を感じるのか。


理想の世界では、私は今より生きにくくなる

それは、この名演説通りの「人格そのものによって評価される」世の中だと、私は今よりも生きにくくなるだろうな、と感じたからです。

私は、今の日本社会においては多数派に属していて、不合理な差別を受ける機会がほとんどありません。

日本人で、男性で、歳も重ねてきて(人から横柄な物言いをされることがなくなってきた*1)、でもまだ身体の不自由はなく・・・という、「人格そのもの」以外の部分がデメリットになることがほとんどない日々を送っています。

そもそも「どんな点で恵まれているか」があまりわかっていないようなところがあります。これこそが多数派の持つ、無意識の傲慢なのでしょう。

そんな自分が「人格そのものによって評価される」世の中に放り込まれたら・・・今よりしんどい世の中になることは間違いない。演説に接した時、そう感じたのです。

念のためにお伝えしておくと、演説の内容そのものにはまったく異論はありません。キング牧師の訴えかける夢が実現した社会は人類の理想そのもの。多くの人が今よりも幸せになれるのでしょう。

そう、非の打ちどころがない。それだけに刺さる。逃げ場のない不安を感じます。

(こんな不安は、アメリカをはじめ世界中で差別されてきた人々の苦悩から見れば、比較にならない小ささであることは心の底から理解しているつもりではあります。)


「人格」って自分ではどうしようもなくない?

もうひとつ私が不安に思う理由は、「人格」って自分だけではなんともしがたいものだからです。

人格を磨くことはできると思います。努力していいところを伸ばし、よくないところを減らしていく。

ただ、生まれつきのものや家庭環境もかなり「人格」に影響しているとも思うんですよね。

実際に、それを裏づける研究もあります。

たとえば、以下の本では、いわゆる「人間力」は努力だけで得られるものではない、という調査結果がまとめられています。

結局、「人格そのものによって評価される」世の中って、実は「本人だけではどうしようもないことで評価される」世の中でもあるんじゃないか。

もちろん、人格は磨くことはできるので、変えられない「肌の色」によって評価される世の中よりはよっぽどましな世の中である、とは思いますが。


何が大事か

「非の打ち所がない社会」を夢見る演説を聴いて不安になった私。

その理由は、「自分個人にとっては、多数派のメリットが享受できなくなる」「人格は、自分だけではどうしようもないところもある」からという話でした。

で、私は結局何が大事だと感じたのか。

「不労所得」はなくなって当たり前

理由のうち前者の「多数派のメリットが享受できなくなる」というのは、これは一種のわがままで、今まで得ていたメリットは「不労所得」みたいなものですから、あきらめるしかない、というか「なくなって当たり前」だと思います。

評価されなかった人を排除しない

もうひとつ、後者の「人格は、自分だけではどうしようもないところもある」という点。

これは、世の中に「評価」というものが存在する限りついてまわる問題だと思います。「非の打ちどころのない社会」でも、人を選別する仕組みはなくならないはず。

一方で、誰もが納得する、議論の余地のない評価方法も存在しないと考えています(もちろん、納得度合いの高い低いはあるにせよ)。

であれば、世の中には、評価されなかった人を排除しない仕組みが必須だと、強く思います。

「肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される(ただし評価されなかった人も排除されない)」そんな社会なら、不安を感じずにすみそうです。


(参考・確認中)原文のニュアンス確認

さて、今まではキング牧師の演説を日本語で考えてきました。

ここで大事なのは、「人格」と「評価」が原文ではどうなっているのか、です。

原文はこうです。

I have a dream that my four little children will one day live in a nation where they will not be judged by the color of their skin but by the content of their character.

出典:「私には夢がある」(1963年) |About THE USA|アメリカンセンターJAPAN

「人格」は"the content of their character"、「評価」は"be judged"ですね。手元にある大修館書店「ジーニアス英和辞典」(第6版)で調べてみると次のとおりでした。

character
  1. (人・国民などの)特徴、特色、性格;気質、気性
  2. (物・事・場所などの)特徴、特色、性格
  3. 品性、優れた人格;精神力、徳性
  4. (際立った)個性
  5. (以下略)
judge(他動詞)
  1. SVO O<人・物・事>を[・・・で]判断する、評価する
  2. SVO(to be)C OO<人・物>をCだと判断する、見積もる
  3. SVO O<競技・物など>の審査をする;Oを鑑定する;Oの審判をする
  4. <人を>批判する、非難する
  5. <判事・法廷が><人・事件>を審理する


この内容からすると、日本語訳の「人格」と「評価」は適切な気がします。

ただ、文章にしたときのニュアンスの違いなどはあるかもしれません。数か月後にアメリカ英語のネイティブと話をする機会があるので、そのときに訊いてみようと思っています。


関連メモ

趣味や好みも実は社会階層や資本の影響を受けている、という研究結果。

注釈

*1:なので逆に、自分が人に横柄に接していないかを十分注意する必要があると思っています。でもやらかしていること、あるんだろうな。


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