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なぜ台湾は「親日」なのか

(2021年6月12日更新)

日本が過去に植民地支配した国・地域の中で、台湾は特に親日だと感じるけどそれはなぜなのか、少し考えてみました。

本当に親日か

まず、台湾が親日という点。これは本当でしょうか。

たしかに、この噂はいろんなところでよく聞きます。でも何か数字で表せるものがないでしょうか。そういえば台湾からの東日本大震災寄付額がすごかったという話がありましたので、日本赤十字社への海外義援金内訳(2012年11月現在リンク切れ)、人口、一人あたりGDP(IMF調査)を比較してみるとこんな感じです。

国・地域 義援金総額
(円)
人口 一人当たり
義援金額(円)
一人当たり
GDP(ドル)
韓国
約30億
4900万人
61
20,591
台湾
約25億
2300万人
109
18,458

義援金の額を比較なんて無粋もいいところですが、この数字だけを見るならば、一人あたりで比較すると台湾の方は韓国の方の1.8倍近い義援金をくださったことになります。本当にありがたいことです。数字の面でも台湾の親日ぶりがうかがえるように思います(もちろん、厚意・支援は金額の多寡で評価するものではないし、それができる立場でもないと思います。支援くださった韓国の方々にも深く感謝します。)。

(2013年9月23日追記)
また、以下データでも台湾からのGDP比義援金の額が突出しています。

(なお、韓国からの義援金も、GDP比ではアメリカやドイツ、英国より多いです。)


なぜ親日なのか−よく見かける説への疑問

さて、そもそもの疑問「なぜ台湾は親日なのか」に戻ります。

少し調べてみた範囲で目についた「回答」は、

  • 日本の植民地支配に感謝している(支配がうまくいった)から
  • 民族性の違い
  • 日本支配終了後に来た国民党軍がひどかったから
  • 敵の敵は味方、だから

・・・などです。

本当にそうでしょうか。それぞれについて考えてみます。

日本の植民地支配に感謝しているから?

「日本の植民地支配に感謝しているから」についてはどうでしょうか。

例えば日本は台湾領有から1902年までの7年間に台湾人3万5000人を殺害しており、領有後11年が経過した1906年時点の歳入の50%はアヘン(小熊英二「<日本人>の境界」より)という有様です。

これがその後改善されていったということなのかもしれませんが、もし仮にそうだったとしても、なぜそれほど「よい面を見る」ことができるのでしょうか。

民族性の違い?

そこで「民族性の違い」という説について考えてみます。台湾の人たちは、過去のよい面を見ることに長けた民族性をもっているのか?

調べてみると、台湾の民族構成は98%が漢民族ということです(戦前に台湾に居住していた中国系の人たちは厳密には漢民族ではない、という説もありますが)。

では漢民族が事実上支配している中国はどうかというと、現時点では台湾とは親日度がかなりちがいます。

たとえば、日本が世界に与えている影響についての主要国国民への調査の中で、中国の人々は、「マイナス影響を与えている」の割合がもっとも大きく「プラス影響を与えている」の割合が主要国中二番目に少ないのです。

要は「日本は世界にとってマイナスの存在だ、と考えている人の割合が多い」のが中国です。(出典:BBC調査[リンク先:社会実情データ図録]

民族性は、台湾の「親日」の説明にならないことがわかります。


なぜ親日なのか−納得のいく理由(1)

日本支配終了後に中国大陸から来た国民党軍がひどかった

それなら「日本支配終了後に中国大陸から来た国民党軍がひどかった」という説はどうか。

これはある程度の説得力はあるかもしれません。

ただ私としては「国民党軍がひどい」というより、植民地支配下に入った時点までの「朝鮮半島・中国」と「台湾」の経緯が異なる、という点を見ていきたいと思います。

具体的には、東郷和彦「歴史と外交」(友人が薦めてくれました、ありがとう!)から引用します。

朝鮮においては、日本を上回る歴史・文化・国際的地位を自負する一方で、一時は範をとり近代化を実現しようとした、その日本に裏切られたという民族の誇りの蹂躙の気持ちがあった。台湾には、少なくともそれに比べるほどに、踏みにじられた誇りの苦渋はなかった。そこに、最大の要因があるのではないかと思われる。

民主化と台湾化の過程は、台湾のなかにおける、中国的なものとの戦いでもあった。そして、歴史的な記憶としてそこで対置されることになったのが、50年の日本の植民統治のあいだに蓄積された、非中国的なものであった。植民地時代の善を生かすことが、台湾化を進める人たちの政治の要請となった。

この説は、安重根が「もともとは日本の日露戦争勝利を絶賛していたものの、その後伊藤博文を暗殺するに至った」理由にもつながるように思います。


なぜ親日なのか−納得のいく理由(2)

さて、最後の「敵の敵は味方、だから」。

個人的にはこれが一番納得がいきます。

その理由は、戦後の沖縄にも類似の経緯が見られるからです。

「敵の敵は味方、だから」ー 沖縄と比べてみる

同じく小熊英二「<日本人>の境界」から、第18〜22章の関連箇所を箇条書きでまとめてみます。

  • 戦後のアメリカにおける沖縄軍政の位置づけは、日本における台湾総督府とあまり変わらないもの、つまりレベルの低い左遷された軍人が行かされる場所、というものだった。
  • サンフランシスコ講和条約第3条により、「将来はアメリカによる信託統治が行われるが、それまでは暫定的に三権を行使する」(アメリカであってアメリカでない状態)ことになった。
  • 1950年、軍政を廃止して「琉球列島米国民政府」が設置された、実際は軍政と変わらない内容だった。人権が「軍事占領に支障をきたさない限り」という制限付きであったことからもそれがわかる。
  • アメリカによる土地収用も、非常識な安さで行われた。
  • 実は沖縄でも戦後すぐはアメリカへの期待があった。しかし上記のような点から、結局はアメリカ支配に失望するようになり、サンフランシスコ講和条約の頃から本土の経済復興の噂と「100年の同化の努力を水泡に帰さないために(「日本人」になろうと学校で方言を「矯正」しようとしたりしてきた)」復帰論が台頭した。
  • ただアメリカは本土復帰論を共産主義とみなしたので、沖縄住民は「日本人だから日本に戻りたい」というナショナリズムを標榜するほかなかった(一方、本土側では復帰に熱心さはほとんどなかった。)。
  • 50〜60年代においては、単一民族論とあいまって、復帰運動を民族統一とする見解がひろまっていった。
  • 60年代には、現状から脱却するための手段として本土復帰が唱えられ、その関係上日の丸・君が代がシンボルとして熱心に扱われるようになった。教育上も「日本人」であることを教える風潮だった。
  • ところが、佐藤首相とニクソンの「基地つき・本土なみ」返還発表には多くの沖縄人が反発。本土への夢が醒める。

その後、というか今、沖縄の方々の多くが日本政府に対しどのような思いでいらっしゃるかは、みなさんもご存じのとおりです。

私の考え

上にある、1960年代の沖縄で「日の丸・君が代」が熱心に扱われていたという状況と現代台湾の人が「親日」であること、そしてどちらも、日本以外の大国の影響下にあった(ある)ということ、この2点はかなり強く関係しているのではないかな、と私は考えています。

つまり「敵の敵は味方」というわけです。沖縄に関して言えば、戦後アメリカと日本は敵同士ではありませんでしたが、50〜60年代の沖縄の人は日本に「アメリカではないもの」を見ていたわけですから、同じ理屈でいいのかな、と思います。


いろいろ書きましたが、何が言いたいのかというと、外国に関する国民感情って、過去の出来事ももちろん大きく関わるんだろうけど、その時点での自国を取り巻く国際的な環境にもすごく影響されるのではないか、ということです。

追記

社会派ブロガーのちきりんさんが、Voicyで、このメモにかなり近い考えを、このメモよりわかりやすく、2021年現在の国際情勢にあわせて述べられていたのでご紹介します。
voicy.jp

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