物語
1930年代のアメリカ、田舎の、裕福ではない町。
町の人たちは、口がきけず耳も聞こえないのシンガーさんに多くを語りかける。音楽が大好きだけど家にラジオがないので他人の家から聞こえてくる音楽に耳をすませる少女、少女への欲望に悩むカフェの主人、酔いどれアナーキスト、同胞を目覚めさせることで頭がいっぱいの黒人医師・・・
貧困、子どもの間に起こった不幸な事件、水浴びにでかけたティーンエイジャー二人の光と影、差別される黒人たち、そしてシンガーさんが心からの想いを捧げるパートナー。
季節は巡り、時代は大戦へ足を踏み入れる。
感想
ヒーローも、読んでいて興奮するような劇的な出来事もほとんど出てこないし、哀しみを感じることも多いのに、なぜか心に強さが残る小説です。
一日をただ全うする人々
この物語では、登場人物それぞれが日々の務めをおこなって生きています。
彼らは一様に不器用です。努力が報われるわけでもなく、むしろ無駄骨に終わります。
かといって、それが微笑ましさをかもし出しているというわけでもありません。報われないことは報われないままなのです。
また、不幸に歯を食いしばって耐えるわけでもないし、現状を打破するために努力することも少ない。逆にそうしようとしている人はその努力が空回りに終わることもあります。
では、毎日を自暴自棄になって過ごす人たちの物語なのかというと、決してそうではありません。
人々は、地に足のついたかたちで、ただ自分の一日を全うしているのです。
こういうふうに人々を描いている物語って、実はそんなにたくさんはないように思います。
私が心惹かれた点はまずここでした。
著者の視点
著者は、彼らと距離を保って、ただ見つめて、その様子を綴っています。
この距離感。
あたたかく支えるわけでも寄り添うわけでもない。しかし決して見下さない。ただ見つめるのです。
また、場面ごとに語り手と視点が変わります。
そこで見えてくる人々のすれ違い。この物語に「両想い」は存在せずすべての想いが一方通行なのですが、それがこの視点の変化により徐々に明らかになっていく。見事です。
「ただ聞く」ことと孤独
この物語は、ろうあ者のシンガーさんを軸に進んでいきます。
彼が人々をひきつける大きな理由のひとつは、彼が口をきけないことにあります。彼は人の話を、ただ聞く(唇を読む)のです。シンガーさんは実は話し手には関心はないのですが・・・
これには、人間にはどれほど誰かに聞いてもらいたい思いを持っている生き物なのか、そしてこの世では「ただ聞く」ことがどれほど求められているかを、これ以上ない皮肉をもって描き出しているように思えました。
そして、登場人物たちはすれ違いばかりです。心が通じ合っているわけでもありません。そして唯一、人の好意と敬意を集めるシンガーさんも、実は町の人には興味はありません。
彼らは大いに語りますが、孤独なのです。彼ら自身はそうは感じていないのかもしれませんが。
それでも明日への手ごたえを感じる
貧困、報われなさ、すれ違い、孤独。
そんなものが続く物語を読む意味はあるのでしょうか。
実はこの小説、そういう内容なのに、なぜか「明日への手ごたえ」を感じるのです。
励まされる、とまではいきませんが、「自分も、一日を全うして生きていこう」とは思えます。なぜかはわかりませんが。
非常に優れた物語であり小説である、ということは言えると思います。
上下二段組みで400ページ超のボリュームでしたが、村上春樹さんの訳がいつものようにこなれていて、翻訳にありがちな日本語のひっかかりがほとんどないおかげでスムースに読み進められました。それはもちろん、物語の力がまずあってこそ、なのですが。
春樹さんが「いちばん最後までとっておいた翻訳作品」であり、「読み終えて、とても深く心を打たれた。もう半世紀も前のことだが、以来この本は僕にとっての大切な愛読書になった。」と語る*1だけのことはある小説でした。
関連メモ
他の、村上春樹さんの翻訳による優れたアメリカの小説。
おもしろかった本と紹介メモへのリンク一覧。