庭を歩いてメモをとる

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映画「生きろ 島田叡ー戦中最後の沖縄県知事」を応援したくなった

珍しいことに、「本土」の人なのに、個人名で沖縄の慰霊の対象になっている。

これが、佐古忠彦監督が島田叡(あきら)に関心をもったきっかけだったそうです*1

この島田叡を描いた映画が上映されるので観に行きたい。そんな長男(中2)のリクエストで、神戸の元町映画館まで足を運びました。

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「生きろ 島田叡ー戦中最後の沖縄県知事」ポスター(元町映画館)


島田叡とは

島田知事について、私は何の予備知識もありませんでした。

長男から聞いたのは「もともと関西の人だけど、終戦の半年くらい前に沖縄の知事になってくれと言われて(当時の知事は選挙ではなく政府からの任命により決まった)、危険なのを承知で引き受けて、県民を守る側に立った人らしい。そして沖縄戦が終わる前に行方不明になった」ということだけ。

映画の序盤では、そんな知事の経歴を丹念に追っていきます。

  • 1901年、兵庫県須磨の生まれ。
  • 学生時代、野球でも活躍。東京ドーム内の野球殿堂博物館にも名前が残っている。
  • 東大卒業後、内務省に勤務。
  • 1945年に入ったころ沖縄県知事を打診され、家族に猛反対されたが受諾。
  • 沖縄で着任して最初に力を入れたのは県民の疎開。

・・・と、映画の序盤は知事の経歴を綴っていきますが、圧巻はこの後の、複数の、彼と行動を共にしていた関係者による証言です。

彼がその想いと行動から、どれだけ深く沖縄の人々に信頼されていたか。

そして、「生き残ること」を第一とした個人の信念を持ちながら、「県民と共に玉砕」を掲げる軍に反発しながらも時には協力するという葛藤。

これらを徐々に、そして丹念に描いていきます。

島田叡の人物像を知り理解するという点だけでも、この映画はとてもよくできていました。

しかし私は、この映画を観て、それだけではすまず、なんだかこの作品自体を応援したくなってきました。

なぜそう感じたのか。


この映画を応援したくなった理由

貴重な証言

戦争が終わってからもう75年が過ぎています。当時学生だった方々でも、もう90歳を超えている。

そんな現代で、島田知事とともに仕事をした職員の方々や、知事と関係が深かった(詳細後述)大田實海軍司令官の娘さんたち、島田知事に「生きろ」という言葉を直接かけてもらった伝令兵の方まで、恒例の方々がこの21世紀に語ってくださった貴重な証言をていねいに映像として記録し、私たちに届けてくださっているのがこの映画です。

本で読む証言ももちろん貴重ですが、画面に映し出された表情、口調、しぐさは、時に文字で表現しきれないものを届けてくれます。

今、そういった記録を残す最後の時期に来ていると思うのですが、そんな中、この映画の制作スタッフの方々は、実に貴重な証言を記録してくださっています。

新たな視点の提供

もちろんこの映画は、単なる記録で終わるものでもありません。

沖縄戦についての新たな視点をもたらしてくれる、興味深いドキュメンタリーです。

一番はっとさせられたのは、大田司令官の有名な自決電報「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ(沖縄県民はこう戦い抜きました。県民に対し、後世、特別のご配慮をお願い致します。)」に、島田知事の影響があったのではないかという示唆です。

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大田實司令官他高官が自決した壕の内部(よしてる撮影)

※1994年、この場所でひめゆり学徒隊にいらした方から直接お話を伺う機会をいただきました。その方によると、この壕にいた司令官の中で、ある方は学徒隊にもいつもやさしい言葉をかけてくださった、別の方は怖くてそばを通るだけで身が引き締まるようだった、とのこと。それぞれの司令官の名前は、なんと忘れてしまいました・・・お話を記録しておかなかったことが悔やまれます。

大田司令官は、最初は島田知事にとって「無理を言う人」だったのが、その後お互いを分かり合うようになり、激戦下でも知事と連絡を取り合う関係にまでなっています。

島田知事の、生き残ることを第一に考えていた姿勢と、沖縄県民を守りたいという思いが、この、軍人の自決電報なのに「天皇陛下万歳」がなくひたすら沖縄県民の奮闘を伝える内容につながっているのでは、と。

この自決電報の特殊さは以前から気になっていたのですが、その背景をここで知ることができた、そしてそれを文字だけではなく約2時間の見事な映像で肚落ちできたことが、この映画からいただいた大きな収穫です。

時空を超えたメッセージ

これは偶然でもあるのですが・・・

この日は、佐古忠彦監督による舞台挨拶がありました。映画の制作意図や、一度テレビドラマ化した内容をさらにドキュメンタリー映画で深堀した想いなど、興味深い内容でした。

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佐古忠彦監督による舞台挨拶(元町映画館)

その挨拶の締めくくりに、監督と映画館のスタッフの方がおっしゃったのが、なんと映画にも登場された伝令兵の方ご本人が客席にいらっしゃるということ。兵庫県にお住まいなので、神戸の映画館までお越しくださったようです。

そして、ご本人自らの証言を、直接その場でお伺いすることができました。

島田叡知事と直接言葉を交わしたこと、そしてそのときの「君も生きろ」というメッセージがあったから今もこうしてここにいる、というお話。

背筋が自然に伸びました。実に貴重な機会をいただいたと思います。

長男も「映画もすごくよかったけど、兵隊だった人のお話を直接聞けたのも本当によかった、映画館からすぐに帰らずに直接お礼を言えればよかった」と言っていました。

元伝令兵の方と長男は齢が80くらい離れていますが、島田知事から元伝令兵の方へのメッセージが、時空を超えて長男に伝わった瞬間でした(というか、その方と長男は同じ時間に同じ場所にいたのですが)。

これは、この映画があったからこその経験です。


こんな貴重な機会をいただいた佐古忠彦監督・制作スタッフ各位、元町映画館の皆様、そして伝令兵だった方に心から感謝申し上げます。
そして、この映画が、多くの人々に観てもらえるとよいなと思います。




関連メモ

琉球が日本にどうやって組み込まれたのか。そのプロセスをまとめてみました。沖縄の現状を少しでも適切に理解するには、このことを知っておいた方がいいと思ったので。


鳩山(由紀夫)首相が辞任したのと似た事件が90年代にもあった。フィリピンにおける米軍撤退と鳩山氏辞任の関係等を推測した本。


日本が過去に植民地支配した国・地域の中で、台湾は特に親日だと感じるけどそれはなぜなのか、少し考えてみた結果。戦後の沖縄との比較を含みます。

注釈

*1:2021年3月27日、佐古忠彦監督による元町映画館での舞台挨拶より


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