ある日突然身体の不調を感じた後、平衡感覚がなくなり、眠れなくなる。そしてしばらくすると衰弱して死んでしまうと言う世にも恐ろしい病気。代々それで亡くなるという一族がイタリアにいるそうです。
この病気の原因は長年謎とされてきましたが、近年、プリオンによるものだと判明。このプリオンにまつわる様々な知見をまとめ、読み物としても大変興味深い内容に仕上げたのがこの本です。
プリオンは狂牛病の原因として一躍有名になりましたし、ニューギニアの食人習慣のあった部族特有の病気「クールー」の原因としても知られていましたが、私自身はそれ以上のことを知らなかったので読んでみました。
まずは、本書で登場したプリオン病とそれにまつわる歴史について。
クロイツフェルト・ヤコブ病
これがもっとも有名なプリオン病ですね。狂牛病(BSE)にかかった牛から感染することがわかり、一時期アメリカからなどの牛肉輸入がストップ、街の牛丼店が豚丼店に変わった時期があったのも記憶に新しいところです。
他にも、ヤコブ病にかかった人の角膜などを移植されて感染するケース、感染がないのにこの病気にかかるケース(孤発性)があります。認知症のような症状から始まり、半年ほどで寝たきりになってしまい、衰弱や呼吸困難などで死亡してしまいます。
でも本書は、他のプリオン病についても詳細に紹介しています。
家族制致死性不眠症
- 中年以降で発症
- 眠れなくなり、鬱気味、多量の汗が出、衰弱して死に至る
- 遺伝性であり、異常プリオンが入った肉を摂取して発病するわけではないと言われている
冒頭に書いたイタリアの一族はこの遺伝子を持っているようです。大変まれな病気ですが、日本にもこの症状をもつご家族がいらっしゃるそうです。
スクレイピー
- 18世紀後半、英国の畜産家ロバート・ベイクウェルが羊の近親交配を重ねて肉の多い羊を開発
- 1710年、ロンドンのスミスフィールド市場で取引される羊の体重は13キロだったが、1795年には36キロになった
- 安く肉が食べられるようになり、労働者階級の生活は改善。イギリスにフランスのような革命が起きなかった理由はこれではないかという説があるほど
- しかし、1772年にスクレイピーの初めての症状が報告された
- スクレイピーとは、羊がかゆみに襲われたように身体を納屋の壁などにこすりつけるようになり、ふらつき、転び、最後には倒れて死ぬ病気
- 接触でも感染すると言われているが、伝染のメカニズムについてはわかっていない
- 原因はプリオンだと言われている。異常プリオンを生み出す遺伝子が近親交配の連続により広まったものと考えられている
- ヒトには感染しないと言われている
イギリスの乳牛
- 1940年代、生産できる牛乳は一頭あたり年間3800リットル → 1985年、13,000リットルに
- なぜこんなに増えたのか?品種改良も一つだが、タンパク質の摂取を強化したことが大きな理由である
- そのタンパク質とは肉骨粉。
- 加熱処理されていたので寄生虫や細菌類は処理できていたが異常プリオンは残ったままだった
- これが狂牛病(BSE)やヒトのクロイツフェルト・ヤコブ病の原因となった
スクレイピーも狂牛病も、人間の都合で自然の摂理に反したことを動物に押しつけた結果なのですね。特に乳牛の子なんて、本来飲むべきお母さんの牛乳を人間に取り上げられて、代わりに、食べるはずのない肉−しかも同じ生き物である牛の−を食べさせられていたなんて。
クールー
- ニューギニア高地族の一部で見られた病気
- 震え、歩行困難、発話困難、分別のない笑い声をあげる、1年以内に寝たきりになり死亡
- クールーが発症していたフォレ族は西洋人と接触する(20世紀)わずか50年前に近隣部族から食人習慣を取り入れた。カマノ族に人肉をごちそうになったとき、おいしかったし、その頃人口が増えて森の獲物が足りなくなってきたから
- また、元来フォレ族は埋葬を「大地による一種の消化作用」と捉えていたので、食人習慣は受け入れやすかった
- 食人習慣導入後、それからクールーが発生。犠牲者は女と子どもばかりだった
- 人肉も、主に女性と子どもにふるまわれていた
- 1950年代に宣教師の説得で食人をやめ始め、60年代には完全になくなった
- その後、クールーの犠牲者は、子ども、若者の順にいなくなり、最後には老齢の女性だけになった
フォレ族の食人習慣とクールーの関係は有名ですが、フォレ族の食人習慣が伝統的なものではなかったというのは本書で初めて知りました。
慢性消耗病(CWD)
- アメリカ、カナダ、韓国だけで見られるプリオン病
- 鹿とエルクを襲う
- 症状は他のプリオン病に類似
- アメリカでは数千頭が犠牲になったことが確実
- 70年代後半に最初の症例が記録
- 発生原因(推測):ハンターは大きな角の鹿を喜ぶ → 角の大きさには栄養が果たす役割も大きい → タンパク質が必要 → 鹿がよく草を食む場所にタンパク質の固形飼料を置くようになった ← この固形飼料には病気で死んだ羊などから採ったタンパク質を含んでいた ← これにスクレイピーの病原体(プリオン)が入っていたのでは?そしてスクレイピーは接触で感染すると言われている
- 人に感染するかどうかは不明
この病気の存在も本書で初めて知りました。これも完全に人間都合で発生した病気ですね。アメリカがこれを放置してる感じなのが非常に怖いです・・・・
(2016年5月2日追記)関連ページ
狂牛病の病原体「異常型プリオン」が初めて野生のトナカイから発見される - GIGAZINE
さて、このプリオンというのはいったい何なんでしょうか。ウイルスなどの病原菌と何が違うのか。
プリオンとは
- 生命ではなくタンパク質に過ぎないが、ウイルスのようにふるまう
- あらゆるほ乳類にある
- いったん最初の異常なプリオンが表れると、隣接する健全なプリオンにも影響を及ぼし、異常なものに変えていく
- 煮沸しても、さらに熱を与えても、漂白剤をかけても、放射線を当てても「死なない」
- 20年前にプリオン病で亡くなった人の脳の組織を実験動物に注入したら、その動物はプリオン病を発病した
- プリオン病の犠牲者の脳組織はすかすかになる
- 健全なときに何をするかわかっていない(記憶を助けている可能性があるらしい)
まだ完全な解明はなされないないようですが、ほんとにやっかいな代物ですね・・・
「プリオン」という名称
ちなみに、プリオンは、研究者スタンリー・プルジナーが、天体物理学者の友人から「クォーク」のように単純でインパクトのある言葉を選ぶように助言されたことで命名したそうです。たしかに、この単純で言いやすい言葉はこの物質を有名にするのに一役買っていると思います。
少し話がそれますが、この命名の経緯を聞いて、私は野口悠紀雄さんが「超説得法」で命名の重要性の例として「iPS細胞」を挙げていたことを思い出しました。これは山中教授がiPodにちなんでつけた名称だそうです。もし「人工多能性幹細胞」という名前のままだったらこれほど人の口に上りやすくなったかは疑問です。
これらと逆の例も本書に登場します。「牛海綿状脳症(Bovine Spongiform Encephalopathy)」です。これは、イギリス農漁食料省がこの病気が早く忘れ去られるようにこのような複雑な名前をつけたそうです。しかし、「サンデー・テレグラフ」紙が「狂牛病」と書きはじめたことで、複雑な名前は脇に追いやられてしまいました。そして現在では略称のBSEが一般化していますね。
プリオン遺伝子からわかる古代人類の「習慣」
さて、このプリオンを司る遺伝子ですが、これを分析することで、私たちの先祖が行っていたある「習慣」の存在があぶりだされます。
- プリオン遺伝子両方(遺伝子は父母それぞれから一つずつ受け継ぐから一対ある。その両方という意味)の重要な部位に「バリン」と呼ばれるアミノ酸の遺伝子コードを持っていた。この遺伝子型を持つ人がバリンの「ホモ接合体」
- イギリスは全体ではホモ接合体の人の割合のほうが少ないのに、クロイツフェルト・ヤコブ病(CJDプリオン由来の病気で、狂牛病の牛を食べることでも感染する)患者45人中40人がホモ接合型だった。
- かつて食人を行い、CJDに似た「クール−」が発生していたフォレ族は、ヘテロ接合体(ホモ接合体でない型)の割合が世界で最も高かった。
- 世界中どの民族を見ても、ヘテロ型が多い
- しかも、もともと人類はホモ型が多く、ヘテロ体が少なかった。
要するに「ホモ型はCJDになりやすい」「人類はもともとホモ型が多かったのに何らかの理由でホモ型が減った」ということらしいです。ひょっとするとホモ型はCJDで死んでいったから少なくなったのかもしれません。
本書はさらに検証を進めます。
- 人類は農耕を始める前は人口が少なく、ホモ・サピエンスは当初2,000人程度だと言われている。
- ホモとヘテロの割合を変えた淘汰圧が病気によるなら、遅発性である必要がある。-進行の早い感染症は十分な数の宿主がいないと流行できない(麻疹ウイルスは流行を維持するには30万人の宿主が必要。よって、都市でないと流行しない)。
さて、CJDは遅発性と言えるのでしょうか。調べてみたところ、たしかに、変異型CDJの潜伏期間は8〜10年と言われているので、遅発性と言えそうです。(参考:厚生労働省「変異型クロイツフェルト・ヤコブ病に関するQ&A」
では、CJDは何で流行するのか・・・狂牛病にかかった牛の肉を食べることでも広まりますが、それは後述するように、古代社会ではまず起こることはなかったでしょう。
そうするともう一つの流行原因が浮かび上がります。食人習慣です。これも後述しますが、食人習慣のある社会では、CJDが流行しやすいのです。
以上から、かつての人類は食人を行っていたと考えることができます。
日本人はクロイツフェルト・ヤコブ病にかかりやすい?
さて、本書には、たった1行ですが、日本人にとってショッキングな記述がありました。
アメリカ産牛肉の最大の受け入れ国である日本は輸入を禁じ(人口の多くがホモ接合体であるため、日本はBSEを非常に恐れていた)
日本人はクロイツフェルト・ヤコブ病にかかりやすい、ということですね。ただし、本書でもこの記述だけにしか見られない情報で、他の国に比べてどれくらい割合に差があるのかもわからないので、私個人は話半分のつもりでいますが・・・
そして、ホモ型が多いということは、日本人は古代に食人習慣を(あまり)行っていなかった、ということなのでしょうか。
これについては、以前読んだこの本が参考になります。
- 大部分のサルと類人猿は肉食に不向きで、もし肉食を続けると人間以上にコレステロールの影響を受け早死にするようになる
- APoE遺伝子は肉食遺伝子。口に入れる生肉に残っている致命的な病原菌などを攻撃するキラー血液細胞の能力を高め、その後22万年前、コレステロールと脂肪を分解できるようになった。
- しかしそのずっと前、250万年前からヒトは肉食をしていた。
- そして牛海綿状脳症のような病気を撃退するのを助ける遺伝子特性は二つあり、世界中の知られている民族はすべて、そのうちの一つを持っている このことはヒトが世界中で人肉食を行っていることを示唆している。
以上の記述からは、日本人の先祖も過去に食人を行っていた、ということになりますね。でもそれならなぜ日本人にホモ型が多いのでしょう?結局謎は謎のままです。
本書は他にも、プリオンに関連してノーベル賞を受賞したカールトン・ガイジュシェックとスタンリー・プルジナーという個性豊かな(そして全く相容れない同士の)人物像を生き生きと描くなど、読み応えのあるエピソードが満載です。
で、一人でよくこんなに調べたな・・・と感心して本を閉じようとしたら、最後の最後で著者にまつわる意外な事実が明かされます。結局、感心は驚嘆に変わってこの本を読み終えることとなりました。