(2020年9月3日更新)
東京宿泊出張完了後、時間があったので以前から関心のあった東京大空襲・戦災資料センターを訪れました。予想よりもずっと充実した展示内容で、多くを学べました。
センターの沿革は↓の写真のとおりです。
東京大空襲の規模
センターの展示内容によると、日本への空襲は約120都市に行われ、死者は原爆含めて約41万人、原爆を除いて約20万人。ということは、推定10万人の犠牲者が出た東京大空襲の一夜で、通常爆弾による全空襲犠牲者の半分が出てしまったことになります。東京大空襲は、それほどまでに大規模な空襲だったのです。
次のグラフでもその突出ぶりがわかります。
展示内容(一部)と感想
数多い展示内容の内、特に印象深かったものを挙げます。
映像「NHK特集 東京大空襲(1978年3月放映・縮小版25分)
- 現代と違って、被災者本人による証言に勢いがある
- なぜなら、当時はまだ戦後30年と少し。証言者の方々は50~60代くらいか。
- 軍医さんが放映当時現役の医師としてご活躍中だったりする。
- 取材班は東京大空襲の指揮官カーティス・ルメイ邸へ。
- プール付き大邸宅だ。
- そういえば彼は映画「13デイズ」にも登場していた(当然、俳優が演じて)。キューバ危機の映画だが、空軍のトップとして描かれていた記憶がある。この東京大空襲の「成功」も含め、出世したのだろう。
- ちなみにキューバ危機の際、ルメイはキューバ空爆を主張していた。実行していたら第3次世界大戦になっていたかもしれない。
- 取材班はルメイ邸に入るが、ルメイは「日本の記者に言うことはない」「インタビューはだめだ」「勲章なら撮ってもよい。」。
- 勲章がずらりと並んだショーケースのようなガラス戸棚が映る。
- そこには日本政府から授与された勲一等旭日大綬章も。1964年、航空自衛隊の育成に協力したとの理由で授けられた。
- (よしてるによる補足)ルメイは戦後「我々は東京を焼いたとき、たくさんの女子どもを殺していることを知っていた。やらなければならなかったのだ。我々の所業の道徳性について憂慮することは――ふざけるな」と語ったとのこと(出典:Wikipedia「カーチス・ルメイ」から孫引き。原典は荒井信一「空爆の歴史―終わらない大量虐殺 (岩波新書)」139頁)。
映像「東京大空襲ってなに?」(2016年・14分)
- このセンターの館長(2020年現在・名誉館長)・早乙女氏が子どもの質問に答えていく対話形式。
- 押しつけがましくなく、子どもの素直な疑問におじいちゃんが淡々と応えていくようなトーン。
- しかし内容はけっこう濃い(以下、ビデオの内容の一部)
- 無差別爆撃は国際法違反。
- Q:なぜこの場所(特に江東区の被害が大きかった。このセンターが建っている場所)が選ばれたの? A:人口が密集しているから。
- 当時の防空法により、住民は空襲で燃えた家を火を消さないといけないことになっていた。それで逃げ遅れて亡くなった方も多い。
- 大空襲後、あまりにも犠牲者が多いので公園に仮埋葬した。
- 東京都慰霊堂には10万5400体が埋葬されている。
- 朝鮮人の犠牲者も1万人程度いたと推計されている。
- 朝鮮人が日本人への救助活動を行っていたことも記録に残っている。
その他にもビデオ資料として、証言映像(一人約20分)がありましたが観ていません。
写真
心に響く写真が多いですが、その中でも特に衝撃的だったのが以下の2点です。リンクでのご紹介とさせていただきます(Wikipedia Commons パブリックドメイン)。
資料
- 被害のデータ表、地図が充実。
- 以下のような東京以外、日本以外、日本人以外の被害も整理されており勉強にもなった。企画者の方の幅広い視点にも感心。
- 日本全国の空襲の記録
- 日本以外の空襲(ドレスデン、ベルリン、ゲルニカなど)、日本がおこなった空襲(重慶)、連合軍の中国爆撃(桂林、香港)の記録
- 東京大空襲における朝鮮人の被害者の記録
- 防空・生活の品
- 焦げた赤ちゃんの帽子
- 瓦に溶け着いた皿
- その他多数
- 当時の一般家屋再現ジオラマも
- アメリカ軍の伝単(宣伝ビラ)も多数
- ↓の伝単もあった(画像出典:伝単bot様ツイート)
- 当時の日本人がどれだけ読み受け止めていたかは不明だが、良くも悪くもアメリカらしいロジカルな説得だなあ&アメリカなりにきちんと考えて書いている(やっつけ仕事ではない)なあという印象
- 子ども関連の資料にもスペースを割いていた
- 当時の教科書
- 子ども向け雑誌
- ポスター
その他
- 被災者による絵画
- 手塚治虫の色紙
- 吉永小百合さんと筑紫哲也の平和・戦争に関する往復書簡
- 筑紫哲也の東京大空襲テレビ番組の台本
アクセス
以上のように、私としては非常に学ぶところが多く、また空襲被害の甚大さを感じ取れる貴重な施設でした。
東京都区内のわりにはアクセスに少々難があり、最寄り駅は地下鉄新宿線住吉駅か半蔵門線の西大島駅ですが徒歩約20分とのこと。私は清澄白河駅からバスで10分、「北砂一丁目」まで行きました(バスは日中で1時間に2本程度)。ここからなら徒歩2分。これなら、東京駅から乗り継ぎがよければ40分で行けます。
観る価値は十分にある施設です。ささやかながら寄付をさせていただきました。次は子どもを連れて行くつもりです。
公式サイト:東京大空襲・戦災資料センター