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容疑者の身体を調べる-どこまでなら許されるのか

手塚治虫「ブラック・ジャック」にこんなエピソードがあります。

あらゆる犯罪に手を染め「暗黒街の皇太子」と言われている間久部緑郎。

彼はついに逮捕されるが、天才外科医ブラック・ジャックの手術により指紋を変えていたため、警察は彼を起訴することができない。

悩む警部のもとに、ブラック・ジャックから「手術した指の骨にサインを残した」との情報が。


手塚治虫「ブラック・ジャック」から「刻印」 秋田書店 少年チャンピオンコミックス 第20巻P.49から引用

間久部の指を切開するという「カケ」の結果、間久部緑郎は死刑が確定します。

疑問

これをはじめて読んだ子どものころはただ単に「すごくおもしろい話」としか感じていませんでした。

が、年を重ねるにつれ、こういうとき、容疑者の身体をどこまで調べていいものなのだろうか、という疑問がわいてきました*1

さすがに「おれは警部をやめるっ」だけで容疑者の指を切開して骨を調べることはできないでしょうが、じゃあどこまでならいいのか。

参考になる事件があったので調べてみました。


飲み込んだ証拠を内視鏡で取り出した場合

事件の概要

こんな事件です。

  • 2018年、ある男が盗撮目的で民家に侵入し、現行犯逮捕された。
  • ところがその男が持っていたビデオカメラにはSDカードが入っていなかった。
  • 警察は「飲み込んだに違いない」と考えCT検査を実施したところ、カードのような異物が検出された。
  • そこで警察は下剤を使って9日間毎日、さらにその後2日間で10回排泄させたが、何も出てこなかった
  • 警察が医師に相談したところ「内視鏡で取り出す方法がある」とわかったので、裁判所に令状請求したところ発付された(認められた)。
  • 医師が男に鎮静剤を投与した上で、肛門から内視鏡を80cm入れ数十分間調べた
  • するとSDカードが見つかり、取り出すことができた
  • SDカードには女性の入浴の様子が記録されていた。



これを知ってまず感じたのは、警察の執念というかプロ意識というか、ですね。

盗撮ももちろん犯罪ですが重罪というわけではない。それに対してここまでやるか・・・という驚きもありつつ、悪は見逃さないという心意気も感じます。

それに、令状もちゃんととっている。手続き面では問題なさそうです。

現行犯逮捕した人物だから、というのもあるかもしれません。容疑についてはっきりしない人にここまでやったら明らかにやりすぎですが。

これを裁判所はどう判断したのでしょうか。

判決は

東京高裁の判決はこうでした。

  • 内視鏡はやりすぎ。大きな負担を伴うし、腸管へのリスクがある。
    • 令状はたしかにとっているが、請求のときそういうリスクについてしっかり書いていない。
    • 裁判所も、こういう令状請求についてはもっと慎重に検討すべき。
  • なのでこのSDカードは証拠として無効。よってこの証拠を理由にした犯罪については無罪。
  • だが現行犯で逮捕された日の犯罪については有罪(執行猶予つき)。

なお、警察も容疑者も上告しなかったので判決はこれで確定していますが、検察内部では「何をどこまで説明すれば内視鏡での捜査が許されるのか。令状発付の段階で突き返さず、裁判で手のひらを返された」との声もあったそうです。

参考:


どこまでなら許されるのか

現代の日本では

内視鏡はやりすぎだとしたら、じゃあどこまでならいいのか。

裁判所がこの点を判断する際に引用したのは、カテーテルによる強制採尿を認めた覚醒剤取締法違反事件の最高裁決定(1980年)でした。

実際に、強制採血や強制採尿は覚醒剤事件や飲酒運転などでは広く行われているそうです。DNA鑑定もよく耳にしますが、これも採血から行われるものですね。

ただし、日本では、これらの「被疑者の意思によらない血液等の体液採取」については明確な刑事訴訟法上の規定が存在していないため、結局は裁判所の判断に委ねられるところが大きいのだそうです*2

まとめるとこうなります。

  • 前提:明確な規定がないため、結局は裁判所判断
  • 現状:強制採血・強制採尿はOK
  • 今回の事件で示された判断:内視鏡で腸から証拠を取り出すのはNG


これが最終判断ではない

とはいえ、この「内視鏡はやりすぎ」判決は、最高裁によるものではありません。

また、一、二審とも「どんな事件でも内視鏡が違法になる」とまでは断言していないのです。

なので、今後、異なる判断が下されるケースもありえます

問い

私が思うのは、これが盗撮容疑ではなくて、あらゆる犯罪に手を染めた「暗黒街の皇太子」だったらどうなるのだろう、ということです。

あ、でも、容疑者は判決が出るまでは無罪が前提(無罪推定の原則)だから、容疑の軽重によって取り調べ方法を変えるのはおかしいのかな?

・・・以上のように、このメモは結論がはっきりしないまま終わってしまいますが、これは典型的な「答えのない問題」。今後、類似のケースがあればウォッチしていきたいと思います。


関連メモ

違法ではないものの、これってどうなの?と感じざるをえない節税テクニック。


「犯罪を起こしやすい」のと「実刑判決を受けやすい」の違い。


フィクションですが、死刑制度とその運用について詳しく取材されているミステリ。


注釈

*1:そんな疑問があろうがなかろうが、この「刻印」が名作で、私にとって「ブラック・ジャック」の中でも特にお気に入りのエピソードであることは変わりませんが。特に、間久部がブラック・ジャックに対して嘘をついたのかそうでないのかが明示されておらず読者の判断にゆだねられている点が心に強い印象を残します。

*2:水野陽一「刑事手続における強制採血とDNA型鑑定に関する一考察」広島法学36 巻2号(2012 年)


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