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ナショナリズムの根っこにある心情「忘れ得ぬ他者」とは?−三谷 博「愛国・革命・民主」

愛国・革命・民主:日本史から世界を考える (筑摩選書)

特にここ数年、日本と韓国・中国との関係についていろんな論がかまびすしいので、自分の考えを整理しようと思い、この本を手に取ってみました(実際に読んでみると、当初のこの目的以外の部分がより面白かったのですが・・・)。

この本を選んだ理由は、以下の著者の見解に納得したからです。

(以下、点線枠部分は本書からの引用または要約です。)今東アジアに生じている問題のかなりの部分は、相互関係が深まる一方で認識がそれに追いつかないというギャップによるところが大きい。自らのアイデンティティをそれらとの対比の中で定位し直すことが必要不可欠。

そうなんですよね。日本とアジア諸国は、以前に比べて貿易に限らず観光なども含めたあらゆる面で関係が深まっています。でも、日本人としての立ち位置が自分自身でもよくわからない。そんな人もわりと多いのではないでしょうか。少なくとも私はそうです。



「忘れ得ぬ他者」

では、隣国(韓国・中国)に対してどんな立ち位置をとるのが適切なのでしょうか。それを考えるにあたり、著者はナショナリズムの根っこにある特徴的な心情を「忘れ得ぬ他者」と定義しています。

「忘れ得ぬ他者」とは・・・

  • 人は、心に忘れたくても忘れられない他者を抱えている。
  • 真に自信のある人は自足していて、自ら「自分は偉い」と言う必要はない。逆にいつも他者と自分を比べ、劣等感に囚われていると、どうしても「自分は偉い」と言ってしまう。その比較対象が「忘れ得ぬ他者」。
  • この思いは多くの場合非対称。一方だけの片思い。江戸時代の日本人の中国に対する思い。フランス革命後にドイツ人がフランスに対して持った感情(参考:フィヒテ「ドイツ国民に告ぐ」)。しかし江戸時代の中国人も日本を、フランス人もドイツを特に意識していなかった。

例としては、本居宣長の「玉勝間」が挙げられます。「漢意(からごころ)」つまり中国風のものの考え方はいけない、理屈っぽい。だかから中国の秩序は安定しない、日本は本来、明るく素直な心を持っている・・・という論なのに、そう書いている宣長の文章は理屈っぽい。中国の否定を語りながら中国風に行動してしまう。のだそうです。

これは国家間に限らず、人間関係にもあてはまりますね。著者の三谷さんによると、この「忘れ得ぬ他者」こそがナショナリズムの特徴なのだそうです。「心に忘れたくても忘れられない他者を抱えている。尊敬と軽蔑が同時に存在している。」ということです。



歴史記憶への対処法

この「忘れ得ぬ他者」は強力です。だから中国・韓国での歴史教育で「20世紀前半の日本の侵略が特筆大書され」ている(=「忘れ得ぬ他者」)ことが止められない以上、日本側ができることは賢明に対処することだけしかない。これが著者の考え方です。

もう少し掘り下げると、次のようになります:

「私たちは全然悪いことはやっていない」のはその通り。自分で悪事をやっていない人に向かって土下座を要求するのはたしかに無理がある。しかし、同じ日本国民である。先祖が築いた豊かな社会を相続している以上、負債も引き継ぐべきである。謝罪とまではいかなくても先祖の非を認めることは必要。「非常に悪かったと思うが、私たちはやっていない」というスタンス。

・・・こう書くと、個人的にはわりと普通というか、当たり前というか、そんな感じがするのですが、逆に言えば隣国の人たちと実際にコミュニケーションをとる機会があるときにはこういうスタンスも「あり」なんだな、という気持ちにもなりました。



実は私がこの本を読んで興味深いと思ったのは、この「忘れ得ぬ他者」よりも、この後にメモする箇所についてです。



歴史記憶の変化


歴史記憶には激変も起こる。朝鮮王朝時代には、一番の「忘れ得ぬ他者」は清朝だった。秀吉の二度の侵略の後、満州族が朝鮮を二度にわたって侵略された。そんな中、19世紀半ばに、パンソリ(口承文芸)で伝えられていた秀吉の侵略が文章化されて、被害の物語が広まっていたころに日本が秀吉を思い起こさせることをやったので、「一番の悪者」が日本になり、清朝が二番目に降格された。

なるほど、これは興味深い。先にも書きましたが、人間関係にもあてはまる気がします。

本書に書かれている他の「変化」で興味深かったのはこれ。

尊王攘夷論は、幕府の全国統治を強化するために考え出された。しかし、それは幕府統治の正統性を否定する思想に変わった。思想の内容は変わらなかったにもかかわらず。それはなぜか?幕府が外的に屈辱的な条約を結ばされ、本来の役目である「日本を守る」ことをしなかったから。尊皇という観点からでも、孝明天皇が「条約についてはもういちど大名の意見を聞け」と言ったのに井伊大老は天皇に報告せずにいきなり条約に調印してしまった。だから「幕府支配の強化」から「倒幕のため」の思想になった。

元々存在していたものが、突然機能を変えることもある、ということですね。



中国・韓国に比べ、なぜ日本は近代化がスムーズだったのか

他に興味深かったのはこれです。日本は江戸時代、一種の分権国家だった。中国と朝鮮は統一国家だった。なのに近代化は日本が一番早くスムーズだった。なぜなのか?本書によると、理由は以下のとおりです。

中国・朝鮮は朱子学が正統の学問。科挙も朱子学に基づいていた。そのため、思考が固定化されていた。一方で日本は正統教学がなく、武士は体系化された宗教や学問に頼る必要はないと考えていたし、どんな学問を学ぶかは自由だった。

日本の官僚(武士)は人口の6%。一方で中国では任官資格があったのは人口の0.025%。中国において、人民すなわち被治者たちを巻き込み、動員していくナショナリズムへの要請は、王朝時代には想定外であったのではないか。

この部分を読んで思いだしたのは、ジャレド・ダイアモンド「銃・病原菌・鉄」に書かれていた「なぜ中国はかつて世界でもっとも先進的だったのに、ヨーロッパに先を越されたのか」という問いに対する答えです。

ダイアモンド博士は、まず地理的要因により、中国のほうが統一国家を作りやすかったことを挙げています。中国はヨーロッパに比べ海岸線が単純で、大規模な平野が広がっています。だから統一国家を作りやすい。ヨーロッパは古代から現代まで統一国家が形成されたことはありません。

このような統一国家は、ある程度までの発展には有効ですが(強大な国家が成立することで余剰生産物ができ、食糧を生産しない専門職[技術者・学者・軍隊など]を養いやすくなる)、逆に一人の支配者の愚かな決定が国家全体に広がりやすい。中国はかつてヨーロッパより先にアフリカまで到達する艦隊を持っていたのにちょっとした理由で中止になった。コロンブスは、航海のための資金集めについて何度も断られながらも(パトロン探しのためにいくつかの国へ渡り)最終的には成功した。もしヨーロッパがひとつの国だけで成り立っていたら、コロンブスは航海に出られなかったかもしれない・・・

このダイアモンド博士の説は、政治思想においてもあてはまるのかも。やっぱり継続的な発展や成長には「多様性」が重要なのでは、と改めて思った次第です。



近代日本の政治的死者数

他に興味深かったのはこれです。

近代化において自国民を殺害した数:

  • 日本:約3万人(維新期・西南戦争などで3万人弱+その後700人弱)
  • フランス:フランス革命だけで60万人(フランスの当時の人口は日本の80%)

明治維新がどれだけ「ユニーク」なのかがわかる数字です。



著者はもともと明治維新の研究が専門とのこと、このあたりの「理由」について研究した本があれば探して読んでみたいと思います。


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