庭を歩いてメモをとる

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チャン族の村~九寨溝1日目

3日目:数時間でできた湖

旅行日:2002年9月19日(木)

天気:曇り 服装:雨具+フリースのタートルネック

7時に茂県のホテルを出発し、バスに乗り込みます。山間部の小都市という印象ですが、電信柱には中国電信(チャイナテレコム)のADSLの広告が出ていて驚きました。

2時間ほどで、ダム湖みたいな湖のそばを通りました。1933年の大地震で一瞬のうちにできたくぼみに水がたまったものだそうです。ここには村があったけど、助かったのはそのとき村から離れていた羊飼いの少年一人だけだったとのこと。

※2017年8月12日追記:2017年8月8日、このチャン族自治州でM7.0の地震が発生しました。被災された方々には心からお見舞い申し上げます。
九寨溝地震 - Wikipedia



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その湖。色もダム湖っぽいです。


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休憩で入ったトイレ。中国では仕切のないトイレが当たり前だと思っていましたが、見かけたのはここくらいでした。ただし、トイレとしてはこれはまだきれいなほうです。


チャン族の村

10時ごろ、バスは少数民族チャン族の家に到着しました。旅行社と契約して家の内部を公開しているところのようです。

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見学させてもらった家。周囲の家に比べるとかなり立派でした。この家は14人家族が住んでいます。この一人っ子政策の国で?と思いましたが少数民族は産児制限の適用がないそうです。


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テレビ。貴重品なので、普段はこうやってカバーして大事にしているとのこと。


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台所。戦前の日本ってこんな感じだったのでしょうか。なにやら懐かしい雰囲気。


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映画のポスター。この映画、中国でも人気だったそうですが、こちらが勝手に「戦前」のイメージで拝見していた家の中にこの「現代」で不意打ちをくらった感じです。


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金城武さんのポスター。日本人の添乗員さんも中国人ガイドさんもそろってこの俳優のファンだったみたいで、これを見たときにははしゃいでました。アジアの広い範囲で人気、とは聞いていましたがさすがです。ちなみに書かれている中国語は「女性の心をとりこにする男」とのこと。
見学するだけじゃなくて、ここの人たちと話ができればもっと興味深かったのでしょうがそうする時間も言語能力もないので、20分くらいでここを出ました。


九寨溝へ

しばらく進むと、バスの窓から見える民家に、派手な赤い色のものがちらほら見えてきました。なじみのない文字が書いてある旗も現れます。チベットに関連した民族が住んでいる地域に入ったようです。九寨溝が近づいてきた証拠。ちょっとした風景の変化にわくわくさせられます。


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集落。わかりにくいかもしれませんが、極彩色の屋根を持った家がちらほら。


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チベット文字の看板。当たり前ですが、漢字より上に書いてあります。

そして14時頃、ついに九寨溝のふもとのホテルに到着しました。成都から400km、延々山道を来たわけですが(注:この旅行の翌年、空港が完成しました。)、そんなに山奥という風情ではありませんし、何より周辺の道路脇にはホテルだらけ。他に何もないところに急いで作られた感のあるホテルがたくさん・・・という点で日本の洗練されていない観光地を連想してしまい、「秘境」のイメージが全然わいてきません。


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泊まったホテル。まだ新しく、快適でした。ただ、何かしら安普請さを感じます。中国の新しい建物に全体的に感じたことなのですが。

ちなみに、ここ(九寨溝のふもと)の気候は、曇りの場合で日本の関西の10月下旬~11月上旬くらいかな。シャツと薄手のタートルネックだと肌寒いといった感じです。あと、高地なので、走ると疲れます。普通に歩いている分には息苦しくはないですが。

さて、ホテルで荷物を下ろし、バスで数分進むと、ついに九寨溝の入り口に到着します。しかし、そこには、さらに「秘境」とはかけ離れたものが鎮座しています。きれいに舗装された広場の脇に、超大型スクリーンが。梅田のビッグマンや新宿アルタのようなあれです。うーん。


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入場ゲート。大量の観光客をさばける、テーマパークみたいな入り口。


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九寨溝マップ

しかし、期待は裏切られませんでした。入場ゲートをくぐって10人乗りくらいのワゴンに、チベット族の衣装を来たガイドさんと乗り込んで数分もすると、道路の他には木や草の緑しかない世界に入ります。

そして、20分ほどで目に飛び込んできたのがこのブルーです。


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老虎海(Tiger Lake)

実際に観るまではちょっと信じがたかった青い湖面には、ただ息をのむばかり。いわゆる「美しい風景」という形容はまったく当てはまらない、恐怖に近い畏怖の念を抱かせるような世界。

ここ九寨溝を初めて見つけた人はどんな気持ちだったんだろう。精神に影響はなかったのか、なんて思ってしまいました。これは序の口に過ぎなかったのですが。


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あり得ないブルーに現実感を失ってしまいましたが、よく見るとたくさん魚がいます。人造の美ではなく、自然界のたまものなんですね、この湖は。

次に、湖から流れ出ている川に沿って樹正海(Shuzheng Lake)へ向かいます。


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川。今度は一転してグリーンに。


中国の人たちの写真スタイル

ところで、この九寨溝、秘境のイメージと静けさをたたえた写真などで、静寂でゆっくりと美しい風景を堪能できる場所、という思いを抱いている方も多いのかもしれません。実際、私もそう思っていました。しかし実態は下の画像の通り。

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樹正海と人々

かなりの混み具合です。ガイドさんに聞いたところでは、中国人の間では通常の観光スポットとしてはもちろん、新婚旅行の定番にもなりつつあるそうです。しかも、中国の人々は日本人に比べると声が大きいので、喧噪がさらに増幅されている感があります。

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そしてもうひとつ。どうも中国の人は、写真をグループではなく一人で撮りたがる傾向があるようなのです。グループ旅行者でも、写真の前で勢揃いしてチーズ!ではなく一人ずつ。しかも、いちいちポーズをとる。これが混雑に拍車をかけているような気がします。


ボン教

九寨溝にはチベット民族が暮らしています。だから、川のほとりにボン教独特の建造物がありました(観光したときには、これはチベット仏教のものだと聞いていましたが、実際にはこの地域ではボン教が盛んなのだそうです。)。

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川のほとりのほこらで・・・


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「マシモ車」が水車の要領でくるくる回っていました。

ボン教では、チベット仏教同様、上記の「マシモ車」や「ダイヤル」みたいなものの表面にお経が書いてあり、それがまわるとお経を唱えたことになるのだそうです。

同様に、お経が風にそよいでもお経を詠んだことになるので、こんなものがありました。


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橋のそばのカラフルな旗は・・・

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お経でした。タルチョーというそうです。


ホテルに戻る

今日の観光はここまで。帰りのバスから見えるちょっとした「池」も青く澄んでいるので、窓の外を眺めているだけでもはっとします。

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林の中の「青」


20時から全員で夕食をとりました。今晩は特に他の予定もないので、私も含め、みなさんリラックスしたムードで会話がはずみました。その中で、中国に戦争に行った経験のある方がいらっしゃって、次第に話題は「戦争」に。ノモンハンの話も出たので、「ハルハ川のあたりですか」と聞くと、「あんた何でそんなこと知っとるんや」と急に流れが加速した感じに。私も関心があるので、いつのまにか私が他の方(みな年配の方)にインタビューするような雰囲気になってしまいました。いろんなお話をうかがったのですが、記憶に残っている、みなさんが私にしてくださった話は、こんな感じでした。

  • 大正13年(1924年)生まれの方2人:「韓国は日本に支配されることを願ってたんや。」「日本がそんな嫌やったら、なんで中国の偉人(孫文、蒋介石、魯迅などのことだと思われます)はみんな日本に留学したんや。」(この方は中国で兵士として終戦を迎え、数年後帰国。「中国の人は(心が)あったかい」ともおっしゃっていました。)
  • 昭和7年(1932年)生まれの方:「近所の人で、銃剣使こうて中国人強姦したって言うてはった人いてたなあ。」
  • 昭和17年(1942年)生まれの方:「731部隊とか、日本にも相当悪いことした人もおったんやろなあ。」

年代によって「中国との戦争」についてイメージするものがかなり違っていたのが印象的でした。それにしても、若造がこんなセンシティブな話題を向けても深刻なムードにならずに語っていただいたのはひとえに他の参加者のみなさんのおかげだと思います。今考えるとせっかくの旅の夜にそんなシリアスな話をしなくてもよかったのでは、という気もしますが、私自身の勉強にもなった貴重な機会でもありました。反省しつつ感謝です。


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この旅の最初のメモ



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