庭を歩いてメモをとる

おもしろいことや気になることのメモをとっています。

奥琵琶湖・マキノ 1日目

(ぐだぐだ長いメモです。)

スティーヴン・R・コヴィー曰く「もし、はしごをかけ違えていれば、一段ずつ昇るごとに間違った場所に早くたどり着くだけである」。人生時計によれば人生はすでに折り返しに入っているという認識にたっている私としては(今この瞬間にも死ぬ可能性があることはさておき)、できるだけ「はしごのかけ違い」を少なくしたい、と思いがあります。さて、そうするにはどうしたらいいんだろう?日々の仕事などに忙殺されていては、はしごのかけ違いに気づくことも難しいだろう。半年に一度くらいは、かけ違いのチェックを夜中に一人ですることもある。でも、一人でどこかに行って、それをじっくりやってみるのもいいのでは・・・そんな気持ちが7月ごろからふつふつとわき上がってきていました。ルソーが「死への用心深さが死を恐ろしいものにし、死の接近を促進する。」と言ったのももっともなんですけど、現実を見つめるのも大事かと。

そして、平野啓一郎の「フェカンにて」を読み一人旅がしたくなったのが8月。じゃあちょっとした旅に出て、「はしごを掛けている方向」について考えてみるのもいいかもしれない。手頃な場所はどこかないだろうか。すぐに思い浮かんだのが、子どものころの夏の一番の想い出として残っている琵琶湖北部のマキノでした。いつもの琵琶湖よりも水が澄んでいて、魚や虫など、生き物の楽園だったマキノ。あの自然は今も残っているんだろうか。懐かしい思いにひたりながら、折り返しコースについて考えてみるのも悪くない。そう思い、奥琵琶湖マキノプリンスホテルを予約しました。妻は快く一人旅に理解を示してくれました。感謝。

当日はすぐにやってきました。

通勤でいつも使っている路線をそのまま行けば、マキノに着きます。


見慣れたこんな都市部の風景が、


1時間もすればこんなのどかな風景に。日常の世界から、だんだんと非日常に移ろいゆく感覚です。

さらに1時間かけてマキノ駅に到着。

降りたのは3人だけでした。まずはホテルへと歩いていきます。


道のわきを流れる小川にも美しい水、生い茂る水草、そして魚の大群。都市部では見られないクロアゲハなどのチョウも空を舞っています。どうやら私が小学生のころ驚いた自然は、30年後も健在だったようで、うれしくなりました。


7〜8分でホテルに着きました。チェックイン。1,000円追加で琵琶湖側の部屋に変更できるというので、迷わずお願いしました。というか、琵琶湖側じゃない部屋もあるんだ。それはそうか。ネットで予約したときにはわからなかった。プリンスホテルの割にはかなり小規模(2階建てで総客室数60)ですが、そのぶん落ち着けそうでいい。実際、私以外の宿泊客は(このときは)数名しか見かけませんでした。


部屋はログハウス調で、目の前が浜辺。少しの間ベッドに体を投げ出して、移動で疲れた体を休めました。

水を飲んで、荷物を最小限にまとめて、ホテルの前から琵琶湖の浜を歩きます。目的地は、3kmほど先にある、江戸時代の石積み。このあたりで特徴のある観光場所といえばそれくらいしか見つからなかったので。まあそれより、浜を歩いて、子どものころの夏の想い出にひたれればいいか、と思っていました。


で、ホテル前の浜に出てみると・・・

なにやら生臭い。魚の腐ったようなにおい・・・なんだろう、と思って波打ち際に目をやると、大量の魚の死骸が延々と連なっています。

言葉を失いました。さっき小川で見た昔のままの自然はどこに?水質悪化がそれだけ進んでいると言うこと?

それにしてもひどい。いたるところ、死骸だらけ。でも、湖には、たくさんの魚が群れをなしています。どういうことだろう。

近くに、草刈りをしているおじいさんがいたので、訊いてみました。この死骸はいったい?「ああ、これは鮎なんよ。この時期、産卵終わった鮎が死んでこうなるんですわ。鮎は1年で死ぬから」

ということは、これはこの時期の風物詩なわけか。少しほっとしましたが、驚きは消えません。これから日々をどう送るかを見直そうとしてきたところに、おびただしい数の、一生を終えた生き物を目の当たりにするとは思っていませんでしたから。

気を取り直して、iPhoneで音楽をシャッフルして歩き始めました。できたらしっとり系の音楽が流れるといいな、と思いつつ。


(遠くに見える島は竹生島。信仰の島です。明日訪れる予定。)

最初に流れたのは、The Beach Boys / God Only Knowsでした。いきなりそれか、と驚かされた後も、oasis / Stop Crying Your Heart Out, Kirsty MacColl / Perfect Day, Paul McCartney / Somedaysなど、見事に味わい深いしっとり系の曲ばかりが流れます。嘘のようですが、1時間弱の浜辺歩きの間、激しい曲は1曲もかかりませんでした。

10分ほどで、高校生らしき20名くらいのグループが、カヌーの練習をしている脇を通りました。彼らは、一生の折り返し点なんて考えたこともないだろうなあ。


外来魚に関する告知。釣りはキャッチ・アンド・リリースが基本だろうに、「外来魚はおいしい魚です」と・・・琵琶湖本来の生態系を維持するための外来魚の駆除の一つ→釣ったら食べる、というのは理解できますが、なんというか露骨さのようなものを感じたのは私だけでしょうか。勝手に放流されたブラックバスにはいい迷惑というか・・・一方で希少種は保護されているわけですし。


1時間弱で、石積みのある場所に来ました。天候が悪くなる度に水害に悩まされているこの地を見かねた代官が1703年に築いたものだそうです。300年を経て今なお残るものを残した代官。黒澤明の「生きる」を思い出しました。


帰り道。引き返した途端に、iPhoneがGuns'n Roses / Get in the Ringを選曲したので、もうしっとり系は終わりか、と思い、今度は自分でJ.S. Bachのフランス組曲を選んで聴くことにしました。

行きに見かけたカヌーの高校生たちは、ちょうど浜から引き上げるところでした。彼らは意識していないのでしょうが、これでひとつ、彼らも折り返し点に近づいたことになります。私は折り返し点を過ぎて、帰り道を歩んでいるところですが。

途中で浜から出て、1軒だけあるコンビニに寄りました。夜に部屋で飲む酒を買うためです。ホテルにはいつも飲んでいるものがなかったので・・・しかしここで私は予期せぬ混乱に遭遇することになります。じっくりと非日常に移行し、過去の想い出をふりかえりつつ「はしごのかけ違い」について考えていたのに、入店した瞬間、これ以上ないほど「日常」に戻されてしまったのです。当たり前のことですが、コンビニはどこにあろうと店内は基本的に同じ。においまで。特にこのにおいによって、私の意識は職場から数十メートル離れた同じチェーンのコンビニに引き戻されました。飲みたいお酒は買えたからよかったのですが、ちょっとした不意打ちをくらいました。

ホテルに戻ったのが17時ごろ。汗をかいたのでお風呂に入ります。これですっきりした気分でディナーを・・・と思っていたら、急にめまいがし、吐き気をもよおしました。いったい何なんだ。「混乱」して気分が悪くなるなんて村上春樹の読み過ぎじゃないか?アイロンでもかければいいのか?

すぐにベッドにもぐり込んで、しばらく気持ちの悪い汗をかいたら、数十分で悪寒は消え去りました。これはいったい何だったんだろう?

ほっとしたところで、ディナーへ。当然と言うべきでしょうが、一人で食事をしているのは私だけでした。

比較的安いプランだったのであまり期待していなかったのですが、きちんとしたものをおいしくいただけました。


魚はかわはぎのアクアパッツア風。ついさっきブラックバスを食べるのがどうのこうのと考えていた私ですが、よく考えれば(いや考えなくても)たくさんの生命をおいしいって喜んで食べているわけですよね・・・鮎は1年、かわはぎは何年生きるんだろう?


肉は、地鶏の薄切り山椒風味。


蒸しものとして、甘鯛のそば蒸し。そば好きとしてはうれしい一品でした。にしんそばはよく聞きますが、鯛もそばと合うのですね。

ひとしきり満ち足りた気分になったところで、部屋に戻って、机に向かって「はしごのかけ違いはないだろうか」「はしごを適切な場所にかけるには」をじっくり思い、考えました・・・結果はどうあれ、わき上がってきた気持ちは、家族、親族、友人、同僚、お客さんへの感謝の気持ちでした。ありがたいことです。

眠るのがもったいない気分で眠りにつきました。


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