小沢健二さんの配信ライブ「キツネを追ってゆくんだよ」。
ほぼ演奏なし、エッセイ語りとスチャダラパーBoseさんとの雑談、そして長男りーりーが東京の街をキックボードでかけめぐる映像。
生配信らしい想定外の進行もあり、そこも含めて楽しい夜でした。
天使たちのシーン
冒頭の語り。
あなたが最初のひとことを言った後、他の人が何かを言うのはわりと簡単。それは、あなたの「言う」というアクションに対する「返事をする」というリアクションだから
これ、まさに「天使たちのシーン」の歌詞、
いつか誰もが花を愛し歌を歌い 返事じゃない言葉をしゃべりだすのなら 何千回ものなだらかに過ぎた季節が 僕にとてもいとおしく思えてくる
・・・ですよね。
個人的には、仕事をしているとき、このことをよく思い出します。
そういえば、大槻ケンヂさんのカバーでも、この「返事じゃない」からエモーションスイッチが入ってる感じだったなあ。
この心から愛する歌詞にイメージを当てはめようとしてみたこともありました。
ディスタンクシオン
「文脈はその人自身のもの、親からもらったもの」。そんな語りもありました。
これから連想したのは、ピエール・ブルデューの「ディスタンクシオン」。
彼はこの本で、社会調査をもとに「人は持っているお金と文化資本によって行動や趣味が決まっていく」と述べています。
文化資本とは、家族の知識や教養、家の書籍や絵画、楽器など)など、そして学歴、資格など、お金とは違う、しかし人に影響を及ぼす「財産」のことです。
小沢さんの語りには大いに同意するとともに、小沢さんの文脈は、壮大な彼の文化資本から成り立っているということを改めて思い起こしました。お父様がグリム童話の権威、お母様が心理学者、叔父様が小澤征爾さん、曾祖父が日本鉱業(現ENEOS)の元社長で、芦田均も親戚ですものね。
その他、感じたこと
- 好奇心がいっぱいで繊細な人ほど、デジタルな世界では発信しにくい・・・たしかにそうかも。そういう人たちこそ、価値の高い「コンテンツ」を持っているように思うのだけれど。
- フリッパーズ・ギターの名前こそ出なかったものの「すべての言葉はさよなら」の歌詞について言及されていたのはじいんときたし、配信中のツイッターもすごく盛り上がっていてそりゃそうだよなあと。
- 「テクノフィクス(機械で問題を解決)」とドラえもんについての話があったとき(バックの「著作権には触れないが誰もがドラえもんとわかるグラフィック」もさすが)、江川達也氏の「まじかる☆タルるートくん」を連想。「ドラえもん」へのアンチテーゼとして作られた作品で、のび太に相当する主人公が魔法使いのタルるートに頼っていた前半から、後半本人が魔法に助けられながらも修行して実際に強くなるという話。テクノフィクスから人間フィクス。
- 知らなかったということは気持ちいいこと、これからちゃんと知ることができるし、という言葉。有名な言葉「無知の知」を発展させて、わかりやすく、腹落ちするようにしてくれた。小沢さん、名料理人のよう。
- りーりー映像で流れる口笛の曲、つまりこの夜の新曲、リリースしてほしい。
総じて、小沢さんなりの、このコロナ禍におけるみんなへのエールだと私は受け取りました。光あれ。