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現代は「人間力」を問われる世の中なのか?「人間力」をあれこれ言われずにすむ方法はあるのか?

(2024年2月1日更新)

著者の本田さんは、本書で、おそらくかなり多くの人が感じているであろう感覚をデータと論で見事に整理してくれています。その感覚とは、以下のようなものです。

  • 昔はとりあえず勉強ができていれば認められたし将来もそれほど怖くなかった。
  • でも最近は勉強(学力)だけではだめで、それ以外の「人間力」(意欲やコミュニケーション能力など)も世の中からより強く求められている。
  • 「人間力」は学力以上に本人の努力ではどうしようもない。
  • そんな「人間力」で評価されるのは息苦しい。
  • でも「人間力」を否定するのは難しい。たしかに仕事や人生に必要な能力だ。
  • じゃあいったいどうすればいいの?

本田さんは、本当に現代は「人間力」が求められている世の中なのか、「人間力」はどういう環境だと身につくものなのかも調査結果をもとに明らかにしてくださっています。さらに、この「じゃあいったいどうすればいいの?」に対する提案も。それらをメモします。


「勉強力」(近代型能力)と「人間力」(ポスト近代型能力)

本書では、いわゆる「勉強力」を、かつての近代化社会で求められていた能力であることから「近代型能力」としています。建前上、人間が身分や生まれとは離れて個人の資質や能力に応じ職に就ける社会(業績主義=メリトクラシー)で必要とされる能力です。

ちなみに本書では、このメリトクラシーの典型は日本でこそ見られるとの論(竹内洋による)を紹介しています。欧米では近代社会においても日本より「身分・生まれ」の要素が強かったけど、日本では近代社会に入ると身分にかかわらず「勉強による立身出世」が可能になったということです。

しかしその後の情報化・消費化社会では、消費者の声を聞き取りそれを事業にフィードバックさせる能力、つまり人間力も必要となってきています。そのような「人間力」を、本書では「ポスト近代型能力」とし、その能力をもとにした社会評価を「ハイパー・メリトクラシー」と呼んでいます。この二つの能力を整理したのが以下です(本書より引用)。

近代型能力(勉強力) ポスト近代型能力(人間力)
「基礎学力」
標準性
知識量、知的操作の速度
順応性
協調性・同質性
「生きる力」
多様性・新奇性
意欲・創造性
個別性・個性
能動性
ネットワーク形成力、交渉力

※本書では、基本的にこの「近代型能力」「ポスト近代型能力」という言葉を用いて論が進みますが、このメモでは読みやすくするためそれぞれ「勉強力」「人間力」とします。


勉強だけできてもしょうがない

この「人間力」ですが、学校ではどのような位置づけになっているのでしょうか。本書では、様々な調査結果をもとにその問いへの答えを整理してくれています。


まず、苅谷剛彦さんの研究。

  • 出身階層が下位の高校生では「自己有能感」が高いほど「努力」の指標としての勉強時間が少なくなる → 「低階層の高校生は学校を通じた成功物語から降りながらも、高い自己有能感を保持するようになっている」


本書の著者・本田さん自身の調査でも、以下の結果が出ています。小5と中2の子ども達において「努力」「がんばり」の位置づけが1989年と2001年でどう変わったかを調査したものです。

  • 2001年時点では、「勉強ができる」だけでは「人を楽しくさせることが上手」であることも「みんなの前で意見が言える」ことも「将来の夢や目標がある」ことも保証されなくなってきている。
  • もはや「がんばること」は勉強だけでなく、周りの人々を意識しながら自分の力を発揮したり、将来にわたる自分らしさを追求することが子ども達のあいだの「がんばり」として重要となっている


11カ国の高卒者へのアンケート(第6回世界青年意識調査 1999年)では次の通り。

  • 日本は生徒が考える学校の目的として他国より高いのは:
    • 「友情をはぐくむ」(日本61%。トップはイギリスで73.1%、最低はフィリピンで19.6%、他国は概ね20〜30%)
    • 「自由な時間を楽しむ」(日本26.5%。トップはイギリスで34.4%、最低はブラジルで1.2%、他国は概ね10%未満)
  • 日本が他国より低いのは:
    • 「専門的知識の習得」(日本は13.3%で最低、トップはフランスで54.0%、他国は概ね30%前後)
    • 「職業的技能の取得」(日本は12.9%で最低、トップはタイで64.4%、他国は概ね30〜50%)
    • 「自分の才能の伸長」(日本は12.1%で最低、トップはスウェーデンで66.9%、他国は概ね30〜50%)


以上の調査結果からは、日本の現代の学校では勉強力だけあってもしょうがなくて、対人能力(人間力)がより重要であるとみなされていることがわかります。

では、その人間力は、何があれば身につくものなのでしょうか。


東京大学社会科学研究所(2004年)。日本の高校生への調査で、自己回答を集計した結果です。

  • 学力の高いものは対人能力も高い 特に男子においてこの傾向が顕著
  • 対人能力は家族のコミュニケーション関係の良好さに左右される


人間力は、家族など、本人の努力とは関係のないところで決まってしまう能力である、ということのようです。

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生きていくためのスキル「ライフスキル」

これまでは、学校生活で「必要とみなされている」能力について見てきました。では、実際に生きていくために必要な能力はどういったもので、それはどのように身につけられるものなのでしょうか。

本田さんは、生きていくために必要な能力「ライフスキル」を以下のとおりに仮定しています。

  • 「家事スキル」
  • 「テクニカルスキル」:
    • コンピュータースキル(文書作成、ネットで知りたい情報を集める)
    • コミュニケーションスキル(自分の意見を人に説明する、よく知らない人と自然に会話する)
  • 「メンタルスキル」:
    • ネガティブ志向(不安感など。慎重さ・まじめさ・自己への厳しさにつながる)
    • ポジティブ志向、有能感

※「人間力(ポスト近代型能力)」と関連が深いのはコミュニケーションスキルとポジティブ志向

大雑把に過ぎるとの感想をお持ちの方も多いでしょうが、本田さんはそれを承知の上で定義されたようです。この研究を進めていくには、この定義で逡巡するよりも大雑把でもよいので仮に決めてしまうことのほうが大事だと思います。批判を覚悟で研究を進めた本田さんは立派だと感じました。


ライフスキルと実際の生活

さて、このライフスキルと人々の実際の生活状況にはどういう関係があるのでしょうか。

現在の生活に関する満足感との関係:

  • 男女とも:ポジティブ志向が強いとプラスの、ネガティブ志向が強いとマイナスの影響
  • 男性:コミュニケーションスキルが高いと満足感も高い
  • 女性:家事スキルが高いと満足感が高い

収入との関係:

  • 男性は家事スキルとポジティブ志向が高いと収入も高い
  • 女性は逆に、家事スキルは明確に収入と相反、コンピュータースキルは収入に相関

人間力が生活満足感や収入に影響が出ていることがわかります。特に男性についてはその影響が強く、本田さんもハイパー・メリトクラシー化が男性に先行的に生じていると書いています。

本論からはずれますが、家事スキルの特異性も目立ちますね。男性は家事ができると収入も高い。女性は家事ができないほうが収入が高いが家事ができると満足度が高くなる・・・これをお読みになっている方は、実際にご自分の周囲の人々を思い浮かべてみて、けっこうリアリティのある結果のようにも感じられたりしないでしょうか。


ライフスキルを伸ばすには?親の選択は?

さて、このライフスキルを身につけるにはどうすればいいのでしょうか。調査結果は以下のとおり。

  • 父母との共感的な親子関係は総スキルの向上につながる
  • 中3時の学力が高いものは、男女ともに家事スキル以外のスキルが明確に高まる

結局、親子で共感関係が成立していて、勉強ができると、ライフスキルが向上するという傾向があるようです。


そうなると、家で子どもと接する機会をもつことが必要なのかなと(単純に)考えますが、総務庁(当時)青少年対策本部「子供と家庭に関する国際比較調査」(1995年)によると、平日に父親が子供と接触する時間が30分以下という家庭の割合は

  • 日本:55.1%
  • 韓国30.8%
  • アメリカ6.3%(3時間以上が65.8%)

なのだそうです。


母親はどうか。そもそも、女性で教育、特に学歴を重視する人は、子どもをもつこと自体をあきらめる傾向があるようです。

樋口美雄・太田清・家系経済研究所編「女性たちの平成不況」2004年

  • 自分の子供に「定評のある大学に進学させたい」と考えている割合は、子供のいる女性に比べて子供を持たない女性のほうが高い

本田由紀「子供というリスク」2005年

  • 有配偶女性の中で、「高い学歴を得れば、収入面で恵まれる」「学歴は、親の教育方針によってほぼ決まる」を支持する女性は、子供を持っていない確率が高い。

今の日本の「親世代」は、以上の調査結果、つまり「子どもが人生を生き抜いていくには共感的な親子関係と学力が基本となる」「しかし父親は子どもとの時間をなかなか作らない(作れない)」「となると、女性にとって子どもを持つことはハードルが高い」ということを感じ取っている人が多いと言うことなのかもしれません。


どうすればよいのか

では、子どもは、自分の力だけではいかんともしがたい「人間力」をあれこれ言われずに生きていくにはどうすればいいのか。

本田さんが提案しているひとつの実際的な方法は、「専門性」を持つことです。

ここでいう「専門性」は次のように定義されています。

個々人が社会の中で、特に仕事に関する面で、立脚することができる一定範囲の知的領域。経理・財務、人事労務、営業、商品開発など、あるいはよりおおまかに「手助けが必要な人の力になること」(サービス・福祉とも言い換えられる)」

なぜ専門性があると「人間力」をとやかく言われないのでしょうか。

専門性があれば、「人間力(ポスト近代型能力)」を求められても、あくまでその「専門」的な領域でその要求に応えればよいからです。以下は本田さんの言葉です。

個々人は、あらゆる事柄に対して自分があまねく「意欲的」で「創造的」であることを示す必要はなくなる。・・・少なくとも「専門性」は、生きてゆこうとする際のとりあえずのシェルターになりえる。そこにひとまず身を置くことによって、自分の内面のあらゆる部分を云々されることに「NO」を言うことが可能になるのである。

そして、重要なことは、この専門性は学習を通じて習得可能であるということです。自分の力ではどうしようもない「共感的な親子関係」などに左右される能力ではないのです。

一方で、日本の職場では一般的にこの専門性が希薄です。だからこのままだとハイパー・メリトクラシーが欧米より苛烈になる可能性が高い。本田さんはこれを「日本固有の不幸」と記述しています。

(参考)なぜ日本の職場で専門性が希薄なのか。その理由については、小熊英二さんが「日本社会のしくみ」で詳しく書いています。


実際、企業における人員採用も、現在は「人物本位」(人間力本位)となっているのが現状です。しかしそれが仕事と被採用者のあいだにミスマッチを起こしているケース(「思っていた仕事と違っていた」)は散見される気がします(職場によるのかな・・・)。採用を「専門性」へと重点を移せばこの事態も多少は改善されるのではないか、というのが本書の提言です(かなり大変なことだとは思いますが)。

イギリスの公務員労組UNISONは、採用後の人事評価についても同様の提言を行っています。

  • よりましな評価要素:職務知識・技術的能力
  • 避けるべき評価要素:創造性、リーダーシップ、イニシアティブ、積極性

前者(専門性)は公平で客観的な評価が可能だが、後者(人間力)はそうではない、というのが理由です。

逆説的ですが、専門性は、「人間力」を形成しやすくするかもしれないとの指摘もあります。専門学校在学生は「対人能力」が高く「進路不安」が低いのです。同じ分野の大人との共同作業などが格段に多いことが原因では、と本田さんは考えていますが、私個人としては、これは「専門性」という鎧で守られた人格が生み出した望ましい作用ではないかとも考えています。


よしてるの感想

以上の研究は、「なんだか最近人間力みたいなものが求められてないか?それって息苦しくないか?」という漠然とした感覚について、実態を見事にあぶり出していて、興味深く、そして多くのページで頷きながら拝読しました。

「人間力」を求められる社会に対する「鎧」としての「専門性」も、実用性のある提案だと考えます。

一方で、雇用側にとっては人間力の高い人材はやっぱり非常に魅力的です。私自身も仕事で人員採用に立ち会ったり人員配置検討に参加することもありますが、どうしても「意欲」「コミュニケーション力(相手の言うこと・言いたいことを的確に理解し、自分の意見を相手にマイナス感情を抱かせずに伝えられる)」は重視してしまいます。

その理由は、まさに本書で述べられているように「人間力は努力ではいかんともしがたい能力」だからです。

そもそも、「努力するかどうかも能力」であるなら、「職務知識・技術的能力」も本人の産まれもっての能力や環境次第にならないか、という根本的な疑問もあります。実は本田さんも本書で、努力は、実はそれをすることができる人とできない人がいる。すなわち「能力」の一部として考えるべきではないか、「やろうと思えば誰でもできること」じゃないのではないか、と問いかけています。

本書の提言は「専門性があれば人間力は問われない」と言っているわけではなくて「人間力を問われる場面が限定される」というものですから、以上の問いは本書への反論にはなりえません。しかし、私はこの本を読んで、人間力を問われる社会からのとりあえずの脱却という提言よりも、人間力を問われる社会の強固さというか、これからも人間力を問われる息苦しい社会が継続強化されるのではないかという怖れが増しました

それは著者・本田さんが意図したことなのかどうかはわかりませんが、少なくとも、本書を読むことは、私にとって「厳しいけど大きな学び」になりました。


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