疑問
「現代史の歌」といいたくなるようなこの曲。ビリー・ジョエルが生まれた1949年からこの曲が発表される1989年までに起こった世の中の様々な「事件」が、歌詞の中に羅列されています。
しかし、この「事件」、日本人にはなじみのないものもけっこうあります。この曲のCDシングルには「事件」の解説がついているものの、それは残念ながらかなり簡単なもので、結局それがどんな「事件」なのかはわからないことが多いんですよね。それなら自分なりに調べてみようと思い、このメモを書いてみました。
※ 以下、太字の""内は全て、ビリー・ジョエル/ハートにファイア(Billy Joel / We Didn't Start The Fire)からの引用です。
※ 大半の画像は、本やDVD等へのアマゾンリンクとなっていますが、これは管理人がこれらの本・DVD等を推薦しているというわけではありません。あくまでアマゾン・アソシエイト・プログラムによる合法的な画像引用を行うためのものです。ご了承下さい。
1949年
"Harry Truman"
第33代アメリカ合衆国大統領。在任1945~53年。日本への原爆投下を決定した大統領としても知られています。1948年の2度目の選挙で勝利し、ニューディールを継承するフェアディールとよぶさまざまな進歩的政策をすすめようとしましたが、大半に失敗しました。
"Doris Day"
歌手・女優。1924年生まれ。もともと幼い頃はダンサー志望でしたが、14歳の時交通事故に遭い断念。次に歌手を目指し、「センチメンタル・ジャーニー」をヒットさせるものの、私生活では24歳までに2度の離婚。そんな彼女が銀幕の世界に進出し始めたのがこの頃。前年1948年には1本の映画を、この年には2本の映画を制作。その後はご存じの通り順調にこの世界を歩み、特に、1956年の映画「知りすぎていた男」の主題歌「ケ・セラ・セラ」は永遠のスタンダードナンバーとなりました。
"Johnnie Ray"
白人男性歌手。1927年生まれ。少年期に事故で片耳が聞こえなくなり、その後の手術で両耳が聴覚障害になりながらも歌への情熱は失わず、ナイトクラブで歌うなどしていました。そんな中、この年にレコード会社と契約。2年目以降に"Cry"などNo.1ヒットを産み出すようになり、若者のアイドルとして大人気を博したようです。
"South Pacific"
ミュージカルの金字塔との評価もあります。名コンビ、ロジャース作曲・ハマースタイン作詞・脚本で製作されました。第2次大戦中の南の島が舞台で、日本軍も悪役?として登場するそうです。
"Walter Winchell"
それまで報道の世界でタブーだった有名人の私生活やゴシップを大々的に取り上げることで人気を得たコラムニスト/ニュースキャスター。
一時期は彼のコラムでハリウッドスターの命運が決まるともいわれるほどの力を持ち、FBI長官エドガー・フーヴァーとの親交もあったほどですが、後述のマッカーシーを支持したことやテレビという新しいメディアの台頭で力を失います。1972年の彼の葬儀に参列したのは、精神を病んだ彼の娘一人だけでした。
1950年
"Joe McCarthy"
アメリカの上院議員。1908年生まれ。彼が大衆の耳目を集めるようになったのは、この年の2月に行った演説がきっかけです。政府内に共産党員のスパイが暗躍しており、そのリストを持っている、と語ったのです。
ソ連の脅威が強く意識され始めた当時、この発言が世論そして国家に与えた影響は大きいものでした。このリストに挙げられている人数が演説の度に変わったり、政府の調査委員会によってその内容が事実無根であることがわかっても(ただし、問題のあると考えられる職員のリストは政府内に存在していたのは事実)、彼の「赤狩り」旋風は誰にも止められませんでした。
転機は1953年に訪れます。彼の委員会が陸軍への調査を行った際、当時の陸軍大将ツウィカーを「5歳の子ども」の理解力、などと揶揄したことなどでマッカーシーへの風当たりが強くなり、次第に影響力は低下。上院は1954年、上院に不名誉をもたらすよう指揮したとして彼を不信任。同年、テレビの彼の演説を集めたドキュメンタリーが放送されると、さらにその傲慢さが目立つようになります。
もともと酒飲みだった彼ですが、これらのことからアルコール中毒になり1957年死去。享年48歳。
"Studebaker"
「スチュードベイカー、コマンダー・ランドクルーザー・セダンを発売」
スチュードベイカーは、50年代、その未来的なデザインでアメリカのみならず世界中の少年たちを熱狂させていた車のメーカーです。もともとは馬車メーカーでしたが、1902年に自動車製造を開始。この後、残念ながら経営ミスなどがあり60年代には破綻してしまいますが、今もクラシックスポーツカーのファンには根強い人気があるようです。
ちなみに、これらの車をデザインしたフランス人レイモント・ローウィは、日本のたばこ「ピース」のデザインもしています。
この"Studebaker"がアメリカ車のことだという情報は、ちいさんとK.T.さんからいただきました。ありがとうございました。
"Television"
日本は1964年のオリンピックで普及し始めたとよく言われますが、アメリカでの普及はもっと早かったようですね。それに白黒テレビは、既にこの時期けっこう社会に浸透しつつあったようです。
1951年
"Rosenbergs"
アメリカのユダヤ系夫妻。原爆機密をソ連に流したというスパイの疑いをかけられ、この年の4月5日に死刑判決。1953年に処刑されています。唯一の証拠であった証人の自白も、2001年に証人自ら偽証を認めているなど、無実の可能性が高いと言われており、後ほど登場する「赤狩り」(共産主義者糾弾)の代表的な犠牲者とされています。
妻エセル・ローゼンバーグが子どもに宛てたメッセージが胸を打ちます:私たちが死んでも(サイト「三河の教育運動」より)
"Sugar Ray"
ボクシングウェルターおよびミドル級のチャンピオン。そのファイティングスタイルは、後年モハメド・アリをはじめ多くのボクサーに多大な影響を与えたと言われています。この年、ミドル級を制することになったジェイク・ラモッタとの闘いは伝説になっているそうです。
"Panmunjom"
「板門店」
(写真はよしてるが1994年に撮影)
朝鮮戦争休戦ラインの上に置かれた会談場所。休戦協定がむすばれたのは1953年7月27日です。1951年には何があったのかな?
ここに一般の韓国国民は立ち入ることができませんが、外国人観光客は入ることができます。ちなみに私は94年の7月に行きました。戦争で破壊されたままの橋桁や線路を道中に見ながらたどり着いた板門店は、ものものしい警備がしかれているものの、南を管理する国連軍の実体はアメリカ軍と韓国軍で、フランクな雰囲気もただよっていました。しかし「絶対に走っては行けません。撃たれる可能性があります。」と注意されると身が引き締まったものです。北朝鮮側の兵士は皆からだが小さいように感じました。
"Brando"
演劇学校で学んだ後、ブロードウェイでデビュー。この年、映画化された「欲望という名の電車」に出演、話題を集め、スターダムを登り始めました。彼の演じる反抗的な若者のイメージは後述のジェームズ・ディーンにも影響を与えたと言われます。一時期低迷しますが、その後「ゴッドファーザー」で大復活、2度目のアカデミー主演男優賞を受賞しますが、これを辞退し、代わりにネイティブ・アメリカンの虐待を非難する声明を代理人(ネイティブ・アメリカンの少女)に読ませるなど話題に事欠かない人物です。2004年死去。
"The King and I"
前述の「南太平洋」と同じく、作曲ロジャース・作詞ハマースタインの名コンビによるミュージカル。映画ととしても有名で、ユル・ブリンナー主演で1956年アカデミー賞を受賞しています。
1952年
"Eisenhower"
第2次世界大戦時、連合国軍最高司令官として活躍、英雄として大変人気があった彼がこの年の大統領選挙で共和党から出馬。その後、対立候補に圧勝してアメリカの第34代大統領に選出されました。在任1953~61年。
"Vaccine"
実際に使用されるようになるのは1955年からになりますが、それにより小児麻痺は激減していきます。1952年には58000人いた患者が、1979年にはたった10人になったそうです(いずれもアメリカ国内の数値)。
"Marciano"
「ロッキー・マルシアノ、ジャージー・ジョー・ウォルコットを13ラウンドでノックアウト」
ロッキー・マルシアノはアメリカのボクシング選手。この年の9月に行われた上記の13ラウンドKO試合は、ボクシング史に残る名試合だそうです。ボクシング史上唯一、不敗のまま引退したヘビー級チャンピオンとのこと。