ピューリッツァー賞とは
長男が、こんな本を借りてきました。
ピューリッツァー賞。「ジャーナリストの質の向上」を目的としたアメリカの賞で、特に報道写真の世界では、世界で最も権威ある存在ではないでしょうか。
特に有名なのは、まずこちらですね。1945年の受賞作です。
ジョー・ローゼンタール「硫黄島の星条旗」 Raising the Flag on Iwo Jima,パブリック・ドメイン
他には、1994年の「ハゲワシと少女」があります。飢えた少女を狙うハゲワシのショッキングな写真です。
この写真に賞が与えられたことで、南アフリカの現状が改めて世界に伝えられたこととともに、カメラマンに非難が殺到し彼が自殺してしまう(カメラマンは少女が無事だったのを見届けていたのですが)ことでも話題になりました。 参考:https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20120125/297289/?P=2
日本人も受賞しています。
社会党書記長の浅沼稲次郎刺殺事件の瞬間。毎日新聞のカメラマン長尾靖氏が1962年に受賞。
他、酒井淑夫氏がベトナム戦争での兵士の休息を撮影し、1968年に受賞しています。
本書には、これ以外にも、その時代を切り取った決定的瞬間がページをめくるたびに目の前に広がります。
写真という表現がもつすさまじい威力と、この70年の世界の激動ぶりを伝えてくれる見事な写真集でした。
「世界のニコン」とピューリッツァー賞
ところで、この本を観ていて、もうひとつ驚いたことがあります。
ある時期から、受賞作品を撮影したカメラがニコン製のオンパレードなのです。
最初は1964年受賞の「全世界に生中継されたオズワルド殺害」(ロバート・ジャクソン)。ケネディ大統領暗殺犯人だと言われているオズワルド、その彼が殺害された瞬間をとらえた、これも非常に有名な写真です。
その後、ニコンがピューリッツァー賞を席巻していきます。
カメラについて無知な私でも知っている名機「ニコンF」。1959年発売。 参考:歴史 | 企業情報 | Nikon 企業情報
しかし、2000年代に入ると変化も生じます。
その変遷を以下の表にまとめてみました。
ピューリッツァー賞受賞作品・カメラメーカー一覧
年 | 部門 | カメラメーカー | 受賞作品名、受賞者 |
1942 | グラフレックス | デトロイトの労働争議 ミルトン・ブルックス | |
1943 | グラフレックス | 水を! フランク・ノエル | |
1944 | グラフレックス | タラワ フランク・ファイラン | |
1944 | グラフレックス | 英雄の帰還 アール・バンカー | |
1945 | グラフレックス | 硫黄島の星条旗 ジョー・ローゼンタール | |
1946 | (受賞なし) | ||
1947 | グラフレックス | ワインコフ・ホテルの火災 アーノルド・ハーディー | |
1948 | グラフレックス | 銃を持った少年と人質 フランク・クッシング | |
1949 | グラフレックス | ベーブ・ルースの最後のあいさつ ナサニエル・ファイン | |
1950 | グラフレックス | 危機一髪 ビル・クラウチ | |
1951 | グラフレックス | 大同江の橋 マックス・デスフォー | |
1952 | 改造カメラ | タックルされるジョニー・ブライト ドン・アルタング ジョン・ロビンソン | |
1953 | グラフレックス | アドレーの靴 ウィリアム・ギャラガー | |
1954 | コダック | トラック運転手の救出 バージニア・ショー | |
1955 | ローライ | 波にさらわれた子供 ジョン・ゴーント | |
1956 | 各種 | バーバラ通りの奇跡 ニューヨーク・デイリーニューズ紙スタッフ | |
1957 | グラフレックス | アンドレア・ドリア号の最期 ハリー・トラスク | |
1958 | グラフレックス | チャイナタウンの男の子と警察官 ウィリアム・ビール | |
1959 | ローライ | 小さな赤いワゴンと死 ウィリアム・シーマン | |
1960 | ローライ | 城での処刑 アンドルー・ロペス | |
1961 | グラフレックス | 舞台上での暗殺 長尾靖 | |
1962 | ハッセルブラッド | 孤独な2人 ポール・バシス | |
1963 | ライカ | 革命と罪の赦し ヘクター・ロンドン | |
1964 | ニコン | 全世界に生中継されたオズワルド殺害 ロバート・ジャクソン | |
1965 | ライカ | ベ トナム写真報道 ホースト・ファース | |
1966 | ニコン | 爆撃からの逃走 沢田教一*1 | |
1967 | ニコン | 国道51号線で撃たれたメレディス ジャック・ソーネル | |
1968 | 速報 | ライカ | 命のキス ロッコ・モラビト |
1968 | 特集 | ニコン | 静かな雨、静かな時 酒井淑夫 |
1969 | 速報 | ニコン | サイゴンでの処刑 エドワード・アダムズ |
1969 | 特集 | ニコン | 尊厳の肖像 モネタ・スリート |
1970 | 速報 | ニコン | キャンパスの銃 スティーブ・スター AP通信 |
1970 | 特集 | ニコン、ライカ | 季節労働者の移動 ダラス・キニー |
1971 | 速報 | ニコン | キャンパスでの死 ジョン・ファイロ |
1971 | 特集 | ニコン、ライカ | 人間倉庫 ジャック・ダイキンガ |
1972 | 速報 | ライカ | 競馬場での復讐 ホースト・ファース ミシェル・ローラン |
1972 | 特集 | ニコン | 戦争の傷痕 デービッド・ヒューム・ケナリー |
1973 | 速報 | ライカ | ナパーム弾から逃げる少女 ニック・ウット |
1973 | 特集 | ニコン | 出産 ブライアン・ランカー |
1974 | 速報 | ニコン | ハリウッドの現実 アンソニー・ロバーツ |
1974 | 特集 | ニコン | 英雄の帰国 サル・ビーダー |
1975 | 速報 | ニコン | 鎮火 ジェラルド・ゲイ |
1975 | 特集 | ニコン | ワシントンの顔 マシュー・ルイス |
1976 | 速報 | ニコン | 非常用バルコニーの崩落 スタンリー・フォアマン |
1976 | 特集 | ニコン、ライカ | 人種統合教育 ルイビル・クーリエ=ジャーナル・アンド・タイムズ紙写真部 |
1977 | 速報 | ニコン | バンコク路上の暴力 ニール・ウールビッチ |
1977 | 速報 | ニコン | 市庁舎前広場の旗 スタンリー・フォアマン |
1977 | 特集 | ニコン | 群衆のなかの顔 ロビン・フッド |
1978 | 速報 | ペンタックス | スポットライトのなかで ジョン・ブレア |
1978 | 特集 | ライカ | ローデシアの奥地 J・ロス・ボーマン |
1979 | 速報 | フジカ | 小さな町の恐怖 トーマス・J・ケリー3世 |
1979 | 特集 | ニコン | 雪に閉ざされたボストン ボストン・ヘラルド・アメリカン紙写真部 |
1980 | 速報 | 記載なし・不明 | ホメイニからのメッセージ 匿名 (ジャハンギル・ラズミ) |
1980 | 特集 | 記載なし・不明 | 峠のわが家 アーウィン・ハグラー |
1981 | 速報 | ニコン | 浜辺での処刑 ラリー・プライス |
1981 | 特集 | ニコン | ジャクソン刑務所での生活 タロウ・ヤマサキ |
1982 | 速報 | グラフレックス | レーガン大統領暗殺未遂事件 ロン・エドモンズ |
1982 | 特集 | ニコン | ある男のシカゴ ジョン・ホワイト |
1983 | 速報 | ニコン | サブラ難民キャンプでの虐殺 ビル・フォーリー |
1983 | 特集 | ニコン | エルサルバドル、殺戮の地 ジェームズ・B・ディックマン |
1984 | 速報 | ニコン | 戦争と子供たち スタン・グロスフェルド |
1984 | 特集 | ニコン | 追憶 アンソニー・スオウ |
1985 | 速報 | ニコン | ロサンゼルス・オリンピック サンタアナ・レジスター紙写真部 |
1985 | 特集 | ニコン | 飢饉 スタン・グロスフェルド |
1986 | 特集 | ニコン | 反政府勢力への取材 ラリー・ブライス |
1986 | 速報 | ニコン | コロンビアの火山災害 キャロル・グージー ミシェル・ドゥシール |
1986 | 特集 | ニコン | 冬のホームレス トム・グラリッシュ |
1987 | 速報 | ニコン | フィリピンの独裁者の失脚 キム・コメニッチ |
1987 | 特集 | キヤノン | 危機に瀕する農家 デービッド・ピーターソン |
1988 | 速報 | ニコン | ジェシカちゃん救出 スコット・ショー |
1988 | 特集 | ニコン | 墓場 ミシェル・ドゥシール |
1989 | 速報 | ミノルタ | 早過ぎる死 ロン・オルシュワンガー |
1989 | 特集 | キヤノン | 学校生活 マニー・クリソストモ |
1990 | 速報 | ニコン、キヤノン | 地震 オークランド・トリビューン紙スタッフ |
1990 | 特集 | ニコン | 写真で見る激動の世界 デービッド・ターンリー |
1991 | 速報 | ニコン | 南アフリカの抗争 グレッグ・マリノビッチ |
1991 | 特集 | ニコン | 不治の病に苦しむルーマニアの子供たち ウィリアム・スナイダー |
1992 | 速報 | ニコン、ライカ | ソ連の死 AP通信スタッフ |
1992 | 特集 | ニコン | 21歳 ジョン・カブラン |
1993 | 速報 | キヤノン | .バルセロナ・オリンピック ウィリアム・スナイダー ケン・ガイガー |
1993 | 特集 | ニコン、コダック(初のデジタル撮影作品) | クリントンの大統領選 AP通信スタッフ |
1994 | 速報 | ニコン | モガディシオにおけるアメリカ兵の死 ポール・ワトソン |
1994 | 特集 | ニコン | ハゲワシと少女 ケヴィン・カーター |
1995 | 速報 | ニコン | ハイチの新政権樹立 キャロル・グージー |
1995 | 特集 | ニコン、ライカ | ルワンダの死の村 AP通信スタッフ |
1996 | 速報 | ニコン | 連邦政府ビル爆破事件の犠牲者 チャールズ・ポーター4世 |
1996 | 特集 | ニコン | ケニアの通過儀礼 ステファニー・ウェルシュ |
1997 | 速報 | ニコン | 救出 アニー・ウェルズ |
1997 | 特集 | ニコン | 踊るロシアの熊 アレクサンダー・ゼムリアニチェンコ |
1998 | 速報 | 記載なし・不明 | 涙の旅路 マーサ・ライアル |
1998 | 特集 | ニコン | 麻薬中毒が生みだす孤児たち クラレンス・ウィリアムズ |
1999 | 速報 | ニコン | アメリカ大使館へのテロ攻撃 AP通信スタッフ |
1999 | 特集 | ニコン、コダック | クリントン大統領のスキャンダル AP通信スタッフ |
2000 | 速報 | キヤノン | コロンバイン高校銃乱射事件 ロッキー・マウンテン・ニューズ紙写真部スタッフ |
2000 | 特集 | ニコン | コソボ難民 キャロル・グージーマイケル・ウィリアムソン ルシアン・パーキン |
2001 | 速報 | ニコン | エリアン君強制確保 アラン・ディアス |
2001 | 特集 | ニコン | 火事の後 マット・レイニー |
2002 | 速報 | ニコン | 世界貿易センターへのテロ攻撃 ニューヨーク・タイムズ紙スタッフ |
2002 | 特集 | ニコン | 世界貿易センターへのテロ攻撃 ニューヨーク・タイムズ紙スタッフ |
2003 | 速報 | キヤノン | コロラドの山火事 ロッキー・マウンテン・ニューズ紙写真部スタッフ |
2003 | 特集 | キヤノン | エンリケの旅ド ン・バートレッティ |
2004 | 速報 | キヤノン | イラク戦争 シェリル・ディアス・マイヤーデービッド・リーソン |
2004 | 特集 | キヤノン | 包囲されたモンロビア キャロリン・コール |
2005 | 速報 | キヤノン | イラク再び AP通信スタッフ |
2005 | 特集 | キヤノン(2011年現在、最後のフィルム撮影受賞作) | ライオン・ハート作戦 ディアン・フィッツモーリス |
2006 | 速報 | 記載なし・不明 | ハリケーン・カトリーナ ダラス・モーニング・ニュース紙写真部スタッフ |
2006 | 特集 | キヤノン | 最後の敬礼 トッド・ハイスラー |
2007 | 速報 | キヤノン | たった独りの闘い オデッド・バリルティ. |
2007 | 特集 | 各種 | ある母親の旅 レネー・C・バイヤー |
2008 | 速報 | キヤノン | 日本人ジャーナリストの死 アドリース・ラティーフ |
2008 | 特集 | ニコン | 私を覚えていて プレストン・ガナウェイ |
2009 | 速報 | キヤノン | 絶望の底のハイチ パトリック・ファレル |
2009 | 特集 | キヤノン | バラク・オバマの大統領選 デーモン・ウィンター |
2010 | 速報 | キヤノン | 命の手 メアリーシンド |
2010 | 特集 | ニコン | 10代の新兵クレイグ・F・ウォーカー |
2011 | 速報 | ニコン | ハイチの地震災害 キャロル・グージー ニッキ・カーン リッキー・カリオティ |
2011 | 特集 | キヤノン | 銃火に巻き込まれて バーバラ・デービッドソン |
60年代前半まではグラフレックス(スピード・グラフィックというカメラだそうです)が主流ですが、その後はほぼニコンの独壇場ですね。
グラフレックス・スピード・グラフィック 1949年版(クリエイティブ・コモンズ)
戦争証跡博物館(ホーチミン)石川文洋氏がベトナム戦争を記録するのに使用したNikon F Photomic FTn 松岡明芳氏撮影(クリエイティブ・コモンズ)
ニコンの公式ページによれば、ニコンが世界に評価され始めたのは、ニッコールレンズのシャープさと、過酷な環境でも使えること。
朝鮮戦争の報道で「厳寒の朝鮮半島北部での撮影。他のすべてのカメラが凍りついて作動しなかったときにも、ニコンだけが確実に動き、苛烈な戦争の様相を記録し続け、「ライフ」誌面を飾った。」ことだったとのことです。 参考:歴史 | 企業情報 | Nikon 企業情報
が、それにしてもニコンは圧倒的ですね。
そして2003年からはキヤノンが主流に。このころ、何があったんだろう?ニコンFみたいな名機がデジタルで登場したのでしょうか。
ピューリッツァー賞作品でのニコンのシェア
本書(初版)に収録されたピューリッツァー賞第1回~2011年受賞分までのカメラメーカーのシェアをまとめます。
(ニコン63、キヤノン20、グラフレックス15、ライカ13、その他・不明20)
なんと、ピューリッツァー賞受賞作品の半分がニコンのカメラで撮影されていたのですね。
ニコンは、報道写真の最高峰ピューリッツァー賞においては1960年代後半から世界的な存在になり、シェアは約50%にまで到達。70~90年代に限ればもっと上ですね。
よく言われる「日本のものづくり」の輝かしい実績のひとつであることは間違いないでしょう。世界最大の戦艦大和は沈んでも、その測距儀の技術はニコンに継承され再び世界一となったことが、改めて数値の上でも証明されたように思います。 参考:戦艦大和の光学兵器はニコン製だった。創業100年、苦闘の歴史を振り返る | ハフポスト NEWS
報道写真カメラの今後
今後はどうなっていくのでしょうか。
こちらの記事によると、2018年の報道写真においてもニコンがトップ、キヤノンが猛追、という状況のようです。(英語の記事ですが、主な内容はグラフで示されています) Nikon dominates World Press Photo 2018 camera breakdown: Digital Photography Review
カメラが趣味というわけではない私が言うのもなんですが、これからも日本のメーカーの存在感が続くとうれしい。
父がずっとニコンFを愛用していたこと、今もあのピラミッドのようなシャープなボディを見るたび、子どものころ家族写真を撮るため重いボディを父から渡されおそるおそるかまえたことを思い出しながら、そう感じています。
関連メモ
戦後の事件を羅列した歌詞を写真つきでご紹介。結果的に目をひく報道写真がいくつか含まれています。
戦後、同じく日本で発展したまんが産業。なぜ日本でだけそうなったのかのまとめ。
読んで興味深かった本のメモへのリンク集です。
*1:沢田教一自身はニコンを含めた日本製カメラを評価しておらず、ライカを愛用していたそうですが、ピューリッツァー賞を受賞した作品はニコンで撮影されたものだそうです。