1961年
"Eichman"
ナチの高官であったアドルフ・アイヒマンがアルゼンチンで逃亡生活を送っているところを発見されました。翌年イスラエルで死刑となります。
参考:アイヒマンの所業とエルサレムでの裁判に関する記録:ハンナ・アーレント「イェルサレムのアイヒマン−悪の陳腐さについての報告」
"Stranger in the Strange Land"
SFの大家、ロバート・A・ハインラインの「異星の客」。火星で育てられた人間が地球に帰ってくるが、その人物は地球の人間と全く考え方が異なり・・・というストーリーのこの小説、その後ヒッピーの聖典としてベストセラーになったとのことです。(ちいさんから情報をいただきました。ありがとうございました。
参考:「異星の客」邦訳版
"Dylan"
プロテストソングをはじめとした数々の楽曲でフォーク・ロック歌手として多大な影響を与えたボブ・ディランが、ミネソタ大学を中退後全米を放浪。この頃、デビューアルバムをレコーディングし始めます。
"Berlin"
第2次世界大戦後、ドイツはアメリカ合衆国、ソ連、イギリス、フランスの占領地域に4分割されました。このとき、ベルリンはソ連占領地域内にあったのですが、ソ連占領地域から切りはなされて4カ国の共同管理下におかれるようになりました。その後ソ連は、ベルリンのいっそうの支配を目的に、町の西側諸国の管理地域への陸路を封鎖して西側勢力を排除しようとしました(ベルリン封鎖)。この封鎖は失敗に終わりますが、街はこれにより分断されたままになってしまいます。
そして1961年8月、東ベルリンと西ベルリンの分割ラインにそって、東ドイツ政府はベルリンの壁の建設をはじめたのです。この壁のため、東ドイツ住民は西ベルリンを経由して西ドイツに脱出することが不可能となりました。この状況は89年のベルリンの壁崩壊まで続きます。
1962年
"Lawrence of Arabia"
「映画『アラビアのロレンス』、アカデミー作品賞・監督賞受賞」
デビッド・リーン監督の「アラビアのロレンス」が大きな話題を呼びます。壮大なストーリーと映像、印象的なテーマ音楽。今でも色あせていない名作といえるでしょう。
ロレンスのフルネームはThomas Edward Lawrence。第一次世界大戦時、若干28歳でイギリスから軍事顧問としてアラブに乗り込み、アラブ人とともに生活しながら、オスマン帝国に対する彼らの反乱を指導し、結果ダマスクス占領に成功。イギリスの中東作戦の成功に大きく貢献した人物です。しかし、その後イギリスはアラブ独立の約束を破ったため、ロレンスは悩み、自らアラブ国家成立のため奔走。共に戦ったファイサルをイラク国王に、その弟を後のヨルダン国王にします。1935年、オートバイ事故で死去。
"British Beatlemania"
ザ・ビートルズが、10月5日、シングル"Love Me Do"でデビューします。beatlemaniaとは、その後発生した彼らの熱狂的ファンを指す言葉です。
"Ole Miss"
奴隷制廃止後も、黒人に対する差別が根強く残っていたアメリカ南部。その中のひとつミシシッピでは、1962年になってやっと連邦裁判所によってミシシッピ大学が人種差別を廃止させられました。しかし、初の黒人学生であるジェームズ・メレディス氏が初登校した日には、司法省の役人たちにエスコートされてのことだったといいますから、そのころでも白人の間には強い差別感情が残っていたのでしょう。たった40年前でも、こんなありさまだったのですね。
そういえば、映画「ミシシッピ・バーニング」でも、南部の差別感情を目の当たりにすることができます。
※ Ole Miss = Old Mississippiの略
"John Glenn"
1961年、アメリカ人としてはじめて、A・シェバードが宇宙に飛び立ちました。しかしこれは周回飛行でなく弾道飛行。そしてこの年、ジョン・H・グレンが地球を周回した最初のアメリカ人となりました。
そして1999年(だったかな?)ジョン・グレン氏は再び宇宙に飛び立ち、話題を集めましたね。たしか最高齢での宇宙飛行ではなかったでしょうか(未確認)。
1963年
"Pope Paul"
ローマカトリック教会の指導者である法王に、イタリア人で法律家の息子であるパウルス(パウロ)6世が即位しました。1965年には、東方教会総主教アテナゴラスに対し911年ぶりに和解するなどカトリック教会の改革に努め、1978年に80歳で死去するまで在位します。
"Malcolm X"
「マルコムX、ケネディ大統領暗殺を当然の報いと発言、物議を醸す」
マルコムXは、黒人解放運動の指導者。キング牧師とは違い、当初暴力による黒人解放を訴えました。
マルコム6歳の時、父親がクー・クラックス・クランに殺害され、母親は神経衰弱、マルコムは矯正院送致。成績は優秀だったものの、先生から「黒人だから優秀でも出世はできないぞ」と揶揄されるなどの環境にあったためか、罪を犯し刑務所に服役するようになります。
このとき、ブラック・ムスリム(イスラム教徒を標榜する黒人運動グループ)の一派「ネーション・オブ・イスラム」の教えに触れ、後に組織の最も雄弁なスポークスマンになります。しかし、このケネディ暗殺を肯定するようなあまりに過激な発言が続くため、組織から発言を禁じられます。結果マルコムは組織を脱退します。
その後、メッカ巡礼やアフリカ・ヨーロッパ旅行を経験した彼は、それまでの「白人=悪」の思想を撤回し、人種間の連帯を訴えるようになりますが、1965年、演説中に暗殺されます。ネーション・オブ・イスラムの犯行との噂もあります。
本名はマルコム・リトル。黒人の名字は、先祖が奴隷だったときに仕えた主人の名字が元になっていることが多いことから、マルコムは名字を使わず「X」を名乗ったそうです。
"British politician sex"
イギリス陸軍相に就任したばかりのジョン・プロヒューモーは、元女優の美人妻ヴァレリー・ホブソンがいるにもかかわらず、高級娼婦のクリスティーン・キーラーと愛人関係に陥ります。しかし彼女、ソビエト大使館員(実はスパイ)ユージン・イワノフとも関係を持っていたため、プロヒューモーがキーラーに寝物語に伝えた国家機密が筒抜け。結局、保守党がこの事件をきっかけに政権を失うという大スキャンダルに発展します。
この事件、海外では有名で、「スキャンダル」という映画にもなっています(1989年、イギリス)。キーラーは自伝も出版しています。
(この情報については、Cheekyさんのサイト「Cheeky's Garden★英国党宣言」を参考にさせていただきました。ありがとうございました。)
なお、このプロヒューモー氏、2006年3月10日に91歳で亡くなったそうです。この事件で政界を引退した後は、ロンドンの難民センターで皿洗いから資金集めまでの慈善活動に40年近く従事したとのこと。(2006年9月18日追記)
参考:(サイト閉鎖)「ジャーニー」誌サイト「UK Today 英政治史上最大級スキャンダル「プロフューモ事件」のプロフューモ氏、91歳で逝去」
"JFK, blown away"
1963年11月22日、アメリカ第35代大統領ジョン・F・ケネディがダラスで狙撃されます。大統領再選運動の遊説のため、オープンカーでパレード中の出来事でした。狙撃の瞬間を捉えた映像では、飛び散ったケネディの頭の破片を、妻ジャクリーンが元どおりにかぶせる様子が映し出されています。きっと何が起こったのかすぐには把握できなかったのでしょう。もちろん即死でした。
数時間後、現場付近でオズワルドが逮捕されますが、2日後、拘置所への護送中にナイトクラブ経営者ルビーに射殺されます。64年9月、連邦最高裁の調査委員会は、オズワルドの単独犯行、という結論を発表しましたが、映画「JFK」をはじめとして、オズワルドが真犯人なのかどうかについては今もって議論が絶えません。
ケネディは、衛星による映像の送信を押し進めましたが、日本初の衛星中継ニュースの第一号が彼の暗殺事件だったことは皮肉という他ないですね。