庭を歩いてメモをとる

おもしろいことや気になることのメモをとっています。

古典なのに腹筋崩壊。ぜひ賞味期限が切れる前に -「宇治拾遺物語」町田康訳

まさか800年前の物語に爆笑させられるとは。

しかも何回も。宇治拾遺物語に。

それはこれまでの常識をぶち破る現代語訳のおかげでもあるのですが、オリジナルも見事なんです。


現代語訳

まず、町田康さんによる現代語訳が絶妙です。

奇怪な鬼に瘤(こぶ)を除去される

たとえば、おそらく一番有名な話「こぶとりじいさん」。

鬼の宴会が続いたあと、鬼のリーダー(と訳されている)が発する言葉。

原文*1: 今宵の御遊こそ何時にも勝れたれ `但しさも珍らしからん舞奏を見ばや

現代語訳:最高。今日、最高。でも、オレ的にはちょっと違う感じの踊りも見たいかな

そこに突然現れた、ほほに大きなこぶがあるじいさん。鬼は驚きますが、じいさんは「ときにロックスターのように律動的な文言で観客を煽りながらステージ狭しと駆け回ったり、と、伸縮自在、緩急自在、技、神に入って、お爺さん、一世一代の名演」を披露。

鬼は「ブラボウを叫んだ」ほど感銘を受けます。特にリーダー。

またじいさんにぜひ踊りに来てほしいので、じいさんの大事なものを預かっておきたい。

そこでじいさん、こぶを取ってほしいがために、鬼に対しては逆に「このこぶだけは困るんです」と主張。

それに対してリーダーが若い鬼に言った言葉。

Japanese Fairy Book - Ozaki - 277Kakuzō Fujiyama 1908 (Wikimedia Commonsから引用・パブリックドメイン)

原文:かう惜しみ申す物なり `ただそれを取るべし

現代語訳:ここまで言うんだからマジじゃね?やっぱ、瘤(こぶ)、いこうよ、瘤

まさに、本当の意味での「現代語訳」だといえるでしょう。

笑いを通り越して痛快ともいえます。

道命が和泉式部の家で経を読んだら五条の道祖神が聴きに来た

そして町田康さんの現代語訳は、音楽でいうとコピーではなくアレンジ、いや映画でいえばリメイクともいえる大胆さがあります。

原文:今は昔道命阿闍梨とて傅殿の子に色にふけりたる僧ありけり

現代語訳:これはけっこう前のことだが、道明というお坊さんがいた。藤原道綱という高位の貴族の息子で、 業界でよいポジションについていた。(中略)けれども道命はお坊さんである。いくらファンのご婦人が参集して入れ食い状態だからといって、そのなかの誰かと気色の良いことをするなんてことはあるはずがない。やはりそこは戒律を守り、道心を堅固にして生きていかなければならない。のだけれども、やはりそこはなんていうか、少しくらいはいいかなあ、というか、あまり戒律を守りすぎても、逆に守りきれないというか、そこはやはり、すべてか無か、みたいな議論ではなく、もっと現実に即した戒律の解釈というものが必要、という意見も一方にあるため、道命としてもこれを無視できず、少しくらいの破戒はやむを得ないという立場をとって、必要最低限度の範囲内で女性と遊んでいた。ただし、道命くらいに持てる僧だと、必要最低限度といっても、その値は結構大きく、普通の人から見れば完全にエロ坊主、という域に達していた。

人によっては受け付けないかもしれませんが、私は爆笑しました。

この道明の心境を明確に皮肉も込めてリズミカルに(さすがパンクロッカー)描き出すこの技。これだけでも読む価値があると思います。


そもそもオリジナルもすごい

「下品」な話もあるけれど

現代語訳だけではありません。

宇治拾遺物語の魅力はオリジナルにもしっかりとあります。

「下品」なネタも多いのですが、それこそ、800年前も今も人間って変わっていないなってことがわかって楽しいですし。

これなどはその最たるものかと思います。



説教臭くなく、人間臭い

それに、あまり説教臭くないのもいい。

「こぶとりじいさん」みたいに、話の結びに教訓を伝えるものもありますが、そういうのがまったくないものもたくさんあります。

たとえば、孔子が、大悪党を善の道に戻そうと説教に行ったら、逆に論破されて動揺し、ヘマばかりするようになってしまった話があります。

これ、何も教訓はないんです。聖人・知の巨人が動揺して終わり。説教臭くない代わりに、人間臭い。

なんかいいなあと思ってしまいます。


翻訳には賞味期限がある

ただ、ひとつ注意点があります。

村上春樹さんが常々おっしゃっているように、「翻訳には賞味期限がある」からです。

オリジナルは唯一無二ですが、翻訳は、それが世に出た時代の言葉・感覚で書かれます。

そして言葉や感覚はあっという間に変わっていきます。

町田康さんの現代語訳は、「今の言葉・感覚」に絶妙に合っているからこそおもしろい、という面が大きいと思います。

50年、いや30年、下手したら20年たった段階でも「なんか違う」と感じてしまうかもしれません。これは町田康さんの責任ではなく、むしろ町田さんが「今」に強烈にフォーカスした言葉を紡いでくださっているからこそ起きる可能性のある現象です。

この現代語訳が世に出たのは2015年。もう5年が過ぎています。

期限が切れる前に賞味されることをおすすめします。


関連メモ

こちらは、まんがに出てくる「訳しにくい日本語」がどう英語に翻訳されているか確認した例です。


注釈

*1:原文引用元はこちら → 日本古典文学摘集 宇治拾遺物語


当ブログの関連メモ(Google選定)・広告


(広告)