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発達障害はなぜ「親の育て方のせい」だと誤解されていたのか

前回のメモで、「発達障害とは要するに何なのか」と「発達障害が増えている理由・2つのうち1つめ」をまとめてみました。

ここでは、「発達障害が増えている理由・2つのうち2つめ」、つまり「発達障害が誤解され続けてきた」、とくに「親の育て方せいだと誤解されていた」のがなぜか、次の本を用いて整理します。


(以下のメモの箇条書き部分・引用部分は本書からの抜粋または要約です。)


ある男の苦悩

「自閉症」概念の確立

まず、発達障害という概念が確立された時期にさかのぼります。

発達障害のひとつである自閉症について、世界初の公の講演が1938年10月3日ウィーンにて、小児科医であるハンス・アスペルガーによって行われています。これが「発達障害(自閉症)」の概念の一部が確立された日、と言っていいかもしれません。

(自閉症と発達障害の関係については、前回のメモ「発達障害とは何か?」で整理していますのでご参考下さい。)

アスペルガー医師は医療の現場で、通常とは異なる子どもたち、つまり現代では発達障害と診断される子どもたちを見てきました。講演ではこう述べています。

  • その子どもは頻繁に激しい癇癪を起こし、不安や「すごい憂鬱感」を感じる。聴覚が異常なほど鋭く、部屋のわずかな音さえ気になった。酸っぱいものを食べることに執着しており、食事のメニューは非常に限定されたものになっていた。
  • ところが彼にはもう一つの面がある。語彙力と文法能力が年齢以上の発達をとげており、哲学的な問題を深く考えることが大好きで、他人や自分自身の欠点を見つける鋭い観察力を持っている。

この子どもの特質について、彼はこう述べました。

  • 「『アブノーマルである』ことが、『劣っている』という訳ではありません」
  • 「人の良い所と悪い所、成功を導く潜在性と失敗にいたる潜在性、向き不向き、それらは条件次第であって、同じ資質から生まれるものなのです。」
  • 「私たちの治療の目的は、どのように困難に向き合うかを人に教えることに他なりません。困難を取り除くのではなく、特別な戦略を活用してその困難に対処し、できないのではなく、できるようにならなくてはならないという自覚を子どもに促すことにあるのです。」
  • 「運動神経が鈍いにもかかわらず、特別な領域ではめざましい業績をあげる、そういう自閉的科学者の存在に思い当たらない人がこのなかにいるでしょうか?」

アスペルガー医師は聴衆に、子どもたちのことを「決して見放さないでください」と訴えました。

アスペルガー医師の講演についての2つの疑問

アスペルガー医師のこの見解は、現代の発達障害児への理想に近い理解でありスタンスです。

これがなぜ、すぐに世界に広まらなかったのでしょうか。

もうひとつ不可解な点があります。発達障害には、アスペルガー医師が挙げたような高度な知的能力を有するタイプもいれば、そうではないタイプもいます。彼は臨床の場でそのことを認識していました。

さらに、自閉症は「珍しいものでもなんでもなく」、全ての年齢グループに見られ、 発話不能から、興味のある一つのことに長時間集中する優れた能力までの幅広い状態を含む症例にほかならない、すなわちスペクトラム(連続体)という、2013年に米国診断基準に採用された考え方まで先取りしています。

ではなぜ彼は、高度な知的能力を有するタイプの自閉症の子どもを前面に出すような講演を行ったのでしょうか。彼はその後執筆した自閉症についての論文でも、同様のタイプの子ども4名を中心に記述しています。

「アスペルガー医師の時代を先取りした理解がなぜ広まらなかったのか」「彼はなぜ高度な知的能力を有するタイプの自閉症の子どもを前面に出したのか」

この2つの疑問を解くためには、この講演が行われた時と場所に着目する必要があります。

1938年のウィーン。それは、ナチス・ドイツに併合されて半年後という状況下にあったのです。アスペルガー医師は大変な苦悩のもとでこの講演を行ったことでしょう。


ナチスによる障害者抹殺

ナチスは、障害者を組織的に抹殺していました。それは子どもも例外ではありません。だからアスペルガー医師は高度な知的能力を有するタイプの子どもを前面に出し、子どもたちのことを決して見放さないでくださいと訴えたのでした。

実際、自閉症の子どもは、1939年にヒトラーにより命令が下された「T4作戦」により、多くが殺害されました。

  • ほとんどの(知的・情緒障害があるとみなされた)子どもは、知的障害、てんかん、統合失調症のいずれかの診断を受け、自閉症の子どもたちもそう診断される前に、これら三つのうちのいずれかに振り分けられた。
  • 殺害方法は多様かつ残忍だった。石炭酸の注射で殺された子どもや、過剰な眼剤によるもの、中には肺炎を引き起こすまで厳しいオーストリアの冬に屋外に置き去りにされた子どももいた。
  • たいていの両親は、息子や娘が自然死したと告げる手紙を受け取った。火 葬や葬費用の請求書が同封されることもしばしばだった。
  • ウィーンのマリア・グッギング精神医学診療所の医師は、自分が治療をしていた子どもたちを殺害した。空気やヘリウムで脳脊髄液を置換するといった手のこんだ手法を使って脳のX線撮影を行い、そののちに殺害されることもしばしばだった。
  • 彼が好んだ窮極的医療支援の方法は、子どもたちに「特別な食事制限」をさせることだった。「食事の量を、子どもが全く何ものとを通らなくなる限界までゆっくりと減らしていく。もちろん脂質ゼロのものしか提供しない」。
  • 20万人以上の障害を持つ子どもと大人が、この間に殺され、さらに数千もの人間が、医師と看護師の自発的な判断に基づいて「公的な手続きを経ることもなく安楽殺」されたのである。

読んでいてつらくなる内容ですが、このような所業を見るにつけ、アスペルガー医師が子どもたちを守ることを訴えたのは当然だとも、また非常に勇気がいることだったに違いないことも想像できます。

当時の医師は?

ところで、他の医師たちは何をしていたのでしょうか?

かつてウィーン市内で働くおよそ5,000人の内科医のうち、3,300人はユダヤ人でした。

なぜそんなに高い率なのでしょうか。中世のペストが蔓延した時代においては、医師は非常に危険な職業でした。だからこそ、差別されていたユダヤ人が専門とすることを許された数少ない職業の一つであったのです。

そんな状況だったオーストリアがナチス政権下に入れば、あとは推して知るべしでしょう。アスペルガー医師が講演を行った1938年の秋までにウィーンの内科医の数は750人以下になっていました。大学でかつて研究を行っていた多くの教授が、強制収容所で亡くなっていったのです。

ナチス政権下、ドイツ語で書かれた論文の運命

以上のような状況に加えて、ナチス併合下の学者の論文は、英語国家と敵対する存在でしかもドイツ語ということで、世界の目に触れにくい存在でした。実際、アスペルガー医師の論文が英語圏で注目されたのは、なんと1980年代に入ってからです(後述します)。

時代と場所が、つまりナチスが、自閉症(発達障害の一部)についての先進的で優れた洞察を閉じ込めてしまったのです。このようは事情により、アスペルガー医師は発達障害(自閉症)を比較的正しく理解していたにもかかわらず、それを適切に世界に発信できませんでした。


自閉症の誤った概念の拡散

それでは、自閉症についての概念を世界に広めた人物は誰なのでしょうか。

レオ・カナーの経歴

それは、ウクライナ生まれでベルリン大学を卒業し、ナチスが政権をとるまえにアメリカに移住したユダヤ人医師、レオ・カナーです。

彼はアメリカ・サウスダコタ州のヤンクトン州立病院の精神医学科助手として着任した際、その前時代的な診断方法に驚きます。患者がどの精神病にあたるのかと各医師が「思っている」の内容を投票し、それで「診断」していたのです。

また、別の施設で知的障害者が不当労働をさせられている実態を知った彼は、ボルチモア・イ プニング・サン紙やワシント ン・ポスト紙でそれを白日の下にさらし、施設で弱い立場にある障害者とメンタルヘルスをケアする体制における人材不足に国中の関心が向くきっかけをつくりました。

彼は研究熱心なだけでなく自己プロデュース力にも長けていたようで、このような積極的な活動により、アメリカの児童精神医学の第一人者としての地位を確立していきます。そもそも、アメリカで最初に「児童精神科医」を名乗ったのもカナー医師だといわれています。

しかし実はカナーが本当に訴えたかったのは、知的障害者は社会の脅威であるということだったようです。彼は「子どもを育てるのに知的・感情的に不適切な人」の不妊を何年も支持し、「アメ リカ精神医学」誌の編集後記で、「自然界の失敗によって生まれた、精神病院を満杯にする希望のない人々」を殺すことを是認していました。

「自閉症の誕生」

カナー医師は1943年6月号の「ナーヴァスチャイルド」誌に論文「情緒交流の自閉的障害(Autistic Disturbances of Affective Contact)」を発表します。これはその後の自閉症研究に大きな影響を及ぼすことになります。

どんなことが書いてあったのでしょうか。

カナー医師は、自閉症の子どもについて以下の2点に着目しました。「周囲との関係をとらず『極端な自閉的孤独』であること」と「変化を嫌うこと」です。

これはたしかに自閉症の特徴のひとつです。しかし彼の見解とアスペルガー医師の(そして現代医学における発達障害についての見解)とは以下の点で決定的に違っていました。

  • カナー医師「小児期早期のみに着目。10代以上は対象外」 ←→ 現代「大人にも自閉症・発達障害は存在する」
  • カナー医師「自閉症は、統合失調症の初期段階」 ←→ 現代「自閉症と統合失調症はまったく別の障害・疾患で、治療・サポート方法も異なる」
  • カナー医師「自閉症は単一。言葉を話せる自閉症児も話せない自閉症児も同じ」 ←→ 現代「発達障害は多様な特徴を含むスペクトラム(連続体)で、様々な種類がある」
  • カナー医師「自閉症は非常にまれな障害」 ←→ 現代「発達障害は15人に一人の割合(6.5%)で存在する」(文部科学省 2012年)

カナー医師は、1944年に権威ある学術誌「小児科学」誌にこの論文の内容を寄稿したときに初めて「早期小児自閉症」ということばを使いました。アスペルガー医師は「自閉症の概念を確立」しましたが、自閉症という言葉が広まるきっかけはカナー医師のこの論文だったのです。

これが「自閉症の誕生」の瞬間といえるかもしれません。しかしその自閉症という言葉は、誤った見解とセットで広まっていくことになるのです。

ところでそのころ、自閉症の概念を確立していたアスペルガー医師はどうしていたのでしょう。

カナーの最初の論文が公刊された4ヵ月後に、アスベルガー医師も博士論文指導教授のフランツ・アルカーに自閉症の子どもに関する論文を提出しています。しかし、上司の関心は障害を持つ子どもの根絶とユダヤ人の絶滅へと向いてしまっていました。そしてアスペルガーの論文が翌年出版された時には、彼の勤務する診療所そのものが戦争により廃墟と化してしまいます。(その後アスペルガー医師はドイツ軍に従軍するなどして終戦を迎え、1980年まで存命)

「親の育て方が原因」説

しかし、学問の研究においては、最初の発見に誤りが含まれているということはよくあることです。カナー医師の誤りも、その後徐々に修正されていって現代につながっているのなら、それはそれで意味のあることなのではないでしょうか。

たしかにそういう面もあるかもしれません。少なくともカナー医師が、子どもの精神医学に関して世間の関心を集め、研究が広がるきっかけになったのは彼の功績といえるでしょう。

しかし次の事実は、後世に特に大きなマイナスの影響を及ぼしているとよしてるは考えています。

それは、彼が「自閉症の原因は母親にある」という見解を広めたことです。要は、育て方の問題だ、という説です。

これは現代医学では明確に否定されている(自閉症や発達障害は生まれついてのもの)のですが、カナー医師はなぜそのような見解をもつように至ったのでしょうか。それには背景があります。

誤りが発生した背景

当時、自閉症の子どもを医師に診察させようとする親は、裕福で学歴の高い層に限られていました。障害の存在自体が一般的に認識されていない上に、児童精神科医そのものがほとんどいない時代なので、いろんな文献を自分で調べたり、様々な医療機関に自ら問い合わせたり、医学界や学問界の個人的なつてをたどってはじめて児童精神科医にたどり着くからです。そしてその頂点がカナー医師でした。

そのため、必然的にカナー医師が出会った自閉症児の親はそのほとんどが「裕福で学歴の高い層」となりました。事実、カナー医師が最初に診た11人の子どものうち、4人の父親は精神科医でした。母親も同様で、アメリカでは1人に1人しか女性が学位を得られなかった時代に、9人の母親が学士号か修士号を取得していました。

カナー医師はそういった親について、論文に次のように書きました。「自閉症児の場合、その両親、祖父母、親族は科学、文学や、芸術の概念に傾倒し、人間そのものへの興味を欠いている人たちである。全障害児中、両親が真に温かいこころを持っているケースはごく僅かである。幸せな結婚生活をおくっている場合でも、家族はこころが冷めていて、人間関係は形式的である。」

一般的な母親像との違いが、彼にこのような見解をもたらしたのかもしれません。母親が科学・文学・芸術に秀でていたり楽しんでいたりすることはむしろ教育にプラスだとよしてるは思うのですが、カナー医師はそうは捉えなかったようです。

また、カナー医師は、「高機能自閉症」の子ども(特定の分野の知識が非常に深かったり、「1942年6月18日は何曜日?」と質問すると即座に計算して答えられるような子ども)は、母親が子どもに無理矢理知識を詰め込んだ結果だとも考えていました。そういった子どもたちを「小さな教授」と讃えたアスペルガー医師とは実に対照的です。

この「親が原因」説は彼だけが唱えていたのではありません。ナチスのダッハウ強制収容所から奇跡的に退去が認められてアメリカに渡った心理学者ブルーノ・ベッテルハイムもこの説をカナー医師以上に広めました。彼は強制収容所で生きる気力を失った人々と自閉症者の行動が似ているとし、自閉症児の親は強制収容所の指揮官のようなものだと説きました(実際は、彼が校長を務める学校の生徒が「彼の靴音を聞くだけで恐怖におののいた」と語っているように、彼自身が強制収容所の指揮官のようだったのですが)。さらに彼はいろんな場所でそれを書き広めました。それに他にも賛同者はいました。

しかし、当時のアメリカ児童精神医学界でもっとも影響力があったカナー医師がこのような見解を持っていたということは、結果的に「自閉症の原因は親にある」説を広める推進力となってしまいました。この結果、マスコミは「冷蔵庫マザー」というレッテルを生み出し、自閉症の原因は冷蔵庫のように冷たい態度の母親にある、と書きました。

この見方は、後世への影響が最も大きいものだと私は感じています。なぜでしょう。以下はよしてるの推測です。

「親が原因」説の負の影響

「親が原因」としてしまうと、まず障害に対する適切な対処ができません。現代医学では発達障害者に対する様々な療育やサポートが存在し研究が続けられていますが、それらが主流になるまでに「親の教育を改める」という誤った方向への寄り道で多大な時間が浪費されたことと思います。

むしろ、親の自信をなくし自責の念にからせることで、ただでさえエネルギーが必要な親による発達障害の子どものサポートがより困難になったと思われます。親にもサポートが必要なのに、親の心を折れやすくしたことでしょう。というか折れたと思います。

さらに、このような説が流布されると、親は子どもを発達障害と認めようとしなくなる方向に進むでしょう。「発達障害=親の育て方が悪い」ですから。子どもが明らかに発達障害で療育やサポートが必要な状態でも診断を受けようとせず、子どもにも親にも負担がかかり続ける(生活困難度が上がってしまう)ことになります。

この「親が原因」説は、現代でもいまだに一部の人の認識には残っているようです。一時期であっても「通説」だったこの見解の悪影響はいまだ続いていることを併せて考えると、この「冷蔵庫マザー」説は、「発達障害という診断が下されにくい状況が続いた」最大の理由ではないかとよしてるは思っています。

では、この説が否定されるようになるまでにはどんな経緯があったのでしょうか。


人々の自閉症への認識を改めた人たちと映画

親の一念、岩をも通す

「自閉症の原因は親ではない」ことを確立する道のりで大きな力になった人物としては、まずアメリカの心理学者バーナード・リムランドが挙げられます。

彼は自閉症の息子を育てるにあたり、自らの専門とは異なる小児精神医学をゼロから研究しました。そして1964年、独学で「小児自閉症」という本を完成させ、自閉症の原因が親の育て方ではなく遺伝であることを示すまでに至ります。

リムランドの功績は他にも多くあります。

  • 全米自閉症児協会(NSAC, 1969年設立)の立ち上げを発案。長きにわたって彼の家族や同じ境遇の人々が抱えてきた不名誉や孤独に終止符を打つ手助けを行った。
  • 発達障害児も含めたすべての子どもに教育を受ける権利があるという原則のもと、法律の制定を働きかけた。
  • 心理学者ロヴァスと協力して、他の自閉症児を「仲間と変わらない」存在にするためのトレーニング方法を模索した。
  • ネットのない時代だが媒体を巧みに用いて効果的な自閉症の治療を探し求め事例を収集した。まだ自閉症が稀にしかみられない症例であると信じられ、事実上研究が停滞していた時代の自閉症児の親たちに、前進の可能性と希望のともし火を与えた。

非常にエネルギッシュな彼の活動を見ると、「一念、岩をも通す」という言葉を連想します。また、子どもの難病を救うためにゼロから薬学を勉強して最終的に特効薬を開発する親を描いた実話ベース映画「ロレンツォのオイル/命の詩」を彷彿とさせます。※この映画に登場する難病は発達障害とはまったく別のものです。


リムランドに誤りがなかったわけではありません。自閉症は先天的なものだということを見いだした一方、現代では誤りとされている「自閉症は治るものである」という説を信じ(親としてこの説を信じたくなる気持ちはわかりますが)、ビタミンの大量投与や特別職などによる「治療」を模索しました。また、ワクチン接種が自閉症を誘発するという誤った説を信じそのための運動も起こしています。

しかし彼の誤りよりも貢献のほうがよほど大きいとよしてるは感じます。

そして本書「自閉症の世界」では、彼の自閉症の息子マークが困難を乗り越え現在芸術家として幸福に暮らしていることもレポートしています。リムランドは、多くの発達障害者の子どもと親を救う力となっただけでなく、当初の目的通り、自分の息子も救ったのでした。これもよしてるが、リムランドが親として素晴らしいと感じ入る点です。彼は世の中のために奔走するあまり自分の家庭をないがしろにするような人物ではなかったのです。

なお、リムランドが素人ながらに自閉症の研究を始めたころにカナー医師にアドバイスを求めたところカナー医師が丁寧に応じ賛辞を送ったことと、1969年の全米自閉症児協会(NSAC)第1回総会で、集まった親たちに「あなたがたは無罪であることを宣言します」と語り(親たちは総立ちになり拍手)、自らの「親が原因」説の誤りを認めたことは、カナー医師の功績として付記しておきます(ただし1973年に彼が著作を再版した時に「親が原因」説は訂正されませんでした)。

そして1980年代には、一層の変化が訪れます。

アスペルガー医師の再評価

1981年、イギリスの精神科医ローナ・ウィングがアスペルガー医師の研究を再評価し、発達障害のひとつである「アスペルガー症候群」という言葉を広めるきっかけとなる本を出しました。これにより、アスペルガー医師の先駆的な研究成果が英語圏から世界に発信されていきました。

彼女はまた、日本でも2013年の診断基準*1で正式に取り入れられた「自閉症スペクトラム」という言葉を発案しました。自閉症には様々な症状が連続体(スペクトラム)として存在しており、カナー医師のいうような狭く限定されたものではないということを示す言葉です。

彼女はこうも書いています。「アスペルガー症候群のあらゆる特徴は、多かれ少なかれ健常人においてもみられるものである。」

ちなみに、ローナ・ウィング医師も発達障害児の親でした。ここにも「親の一念」があったのでしょう。

「レインマン」

80年代の後半にはさらに大きな変化がありました。映画「レインマン」の大ヒットです。

サヴァン症候群(自閉症の中で、ある分野で特別に優れた能力をもつ症状)の兄とその弟との関係を描いたこの映画は、大ヒットしたのみならずアカデミー作品賞・監督賞・脚本賞・主演男優賞(ダスティン・ホフマン)を受賞するなど評価も非常に高い作品です。

1998年公開のこの映画が多くの人の「自閉症観」を変えました。自閉症者が「他人と全くコミュニケーションがとれない人間」だけではなく、「同じ人間だが、得意なことと不得意なことが一般の人と違っているだけの人間」もいるということを世間に広めたのです。

・・・そのようなことが書かれている本書を読んで、一本の映画だけでそんなに認識が変わるものかなとよしてるは最初思ったのですが、ふと振り返ると、私もサヴァン症候群の例を知ったのはたしかにこの映画が初めてでした(当時高校生)。

それに、本書によると、この映画が公開される前年、アメリカの主要な新聞に掲載された自閉症に関する記事は100本未満でしたが、翌年は4倍に増え、その後減ることはなかったそうなので、少なくともアメリカではこの映画が人々の「自閉症観」を変えたのは間違いないでしょう。

なお、この映画の制作にあたっては、バーナード・リムランドも協力しています。

ちなみに、発達障害の歴史とは直接関係はありませんが、「レインマン」原作者のバリー・モローとサヴァン症候群の主人公のモデルであるビル・サクターとの交流や、ダスティン・ホフマンのこの映画への情熱と役作りの過程は、本書の中でも特に興味深くまた心あたたまる箇所です。



このような経緯をへて、自閉症や発達障害は現代の見解へとつながっていくのです。

前回のメモ「発達障害とは何か?増加している原因は?」で、よしてるが子どもの頃(70・80年代)には発達障害の子どもがクラスにいたという記憶がないと書きましたが、その理由の一つは、当時(というか少なくとも日本では最近まで)は上記のような理由で発達障害や自閉症と診断される機会が少なかったから、つまり「発達障害が誤って認識されていた時期があった」からだと考えられます。

発達障害の子はいなかったのではなくて「一定数はいたが発達障害だと認識されていなかった」のでしょう。


まとめ

発達障害はなぜ「親の育て方のせい」だと誤解されていたのか、それがどう克服されてきたのかをまとめます。

  • アスペルガー医師の適切な認識が広まらなかった
    • 1930年代、オーストリアでアスペルガー医師が発達障害のひとつである自閉症の子どもについて、現代に近い理解をしていた。
    • しかし、障害者を抹殺していたナチスの影響で、高機能自閉症児についてのみ発表せざるを得なかった。
    • また、ドイツ語圏かつ英米と敵対していたため、英語で世界に広まらなかった。
  • カナー医師他による適切でない認識が広まった
    • 1940年代以降、アメリカのカナー医師は自閉症という概念を一般に広めた。
    • しかし、その理解は「自閉症がまれで、統合失調症の初期段階」など、誤りが多かった。
    • もっとも影響が大きかった誤りは「自閉症は親の育て方が原因」としたこと。この説は他にも支持する人物が多かった。
    • カナー医師を訪ねてくる患者の親は裕福で高学歴の人物が多かった。カナー医師は彼らを見て、人間への興味を欠いている冷たい親だと断定した。
  • 戦後、自閉症の子を持つ親たちが立ち上がった
    • 自閉症の子をもつアメリカのリムランド氏が独学で自閉症を研究し、自閉症児の団体を立ち上げ症例を集めるなどして、「親が原因」説を覆す動きをつくった。
    • 80年代、自閉症の子をもつイギリスのウィング教授がアスペルガー医師を再評価するなどし、カナー医師の説から離れる動きができた。
    • 88年の映画「レインマン」が、自閉症者が「同じ人間だが、得意なことと不得意なことが一般の人と違っているだけの人間」という自閉症者観を広めた。


本書の特徴

以上、「自閉症の世界 多様性に満ちた内面の真実 」をもとに、発達障害がどのように社会に誤解され、そして理解され始めたのかを整理しました。

本書は、発達障害がどのように研究され誤解されてきたのかを緻密に調査しそれを興味深くまとめた非常に読み応えのある本です。このメモでまとめたのは本書のうちのごく一部で、このほかにも興味深く考えさせられるエピソードが山のように登場します。

約400ページと分量自体も多めですが内容が非常に濃く、発達障害に直接関係のない箇所も興味深いんですよね。たとえばこんな箇所。

イーリングにある鉄道の駅舎に付設した古いホテルを、シビル・エルガー・スクール(よしてる注:成人の自閉症者をサポートする施設)へと改修するために必要な資金を調達しようとした際には、ビートルズさえも活動に参加した。予定では一時間だけ立ち寄ることになっていたバンドのメンバーは、子どもたちといっしょに愉快そうに床を転げまわって、午後の間ずっとそこで過ごしたのであった。ジョン・レノンは、最初の大口献金者となって、目的を達成するために他の有名人たちに呼びかけた。

少女の頃にキャロル(よしてる注:ある自閉症者の親)が「スター・トレック」に引き込まれたのは、宇宙船エンタープライズに乗船する多種多民族のクルーの姿に、共生社会の象徴を見出したからであった。「『スター・トレ ック』の世界では疎外される人はいなかったし、仲間外れにされる人もいなかったし、すごく変わり者とされる人もいなかったわ。実際、交渉に有利になるから、変わり者であるほどすごいとされたの」と彼女は語る。「みんなと違うからっていじめられている子どもにとって、救いのメ ッセージだったわ。ジョーディをごらんなさい。彼には視覚障害があったけどテクノロジーのおかげで特別な才能を手に入れ、他の人たちには見えないものが見えるようになったのよ。わたし もエンタープライズで生活したいと思ったわ」。 クルーの中でキャロルが最も親しみを感じていたのは、ミスター・スポックであった。狡猾で絶えず抑制を欠いたまわりの人間よりも、ずっとかっこいいと思った。

このような本をまとめた著者のスティーブ・シルバーマン氏の力量には感服しました。これで2000円未満という価格設定も良心的だと思いました。

ただ本書は、発達障害(自閉症)が社会にどう認識されてきたかを記録した一種の「歴史書」であり、「どうすれば発達障害をサポートできるか」などをアドバイスする本ではありませんので、それを求める場合は別の本をあたったほうがよいかもしれません(多くの発達障害当事者とその家族の記録が登場しますので、その点で参考になる部分はあるかもしれませんが。)。

また、アマゾンのカスタマーレビューでの指摘によると(このレビュー自体も長文で内容が濃く貴重な情報が満載です。レビュアーさんに敬意を表します。)、本書は「自閉症研究を大きく方向転換させかねないほどの、きわめて重要な位置づけにある著作」ではあるものの、邦訳は訳文に問題が多く、原書のいくつかの箇所を削除しているとのこと。このことも念頭において読んだほうがよいかもしれません。実際、よしてるも「なんでこんなに興味深いのに読むのがしんどくて時間がかかるのだろう」と思いながら読んでいましたが、それは訳文によるものなのかもしれません。

とはいえ、それでも、誤解を怖れずにいえば、本書は実におもしろく、読んだあと世界が変わって見える優れた本だと思います。



私の考え

よしてるが本書を読んで、発達障害をはじめとした障害について感じたことは次の通りです。前回のメモにいただいたコメントへのレスをほぼそのまま再掲しています。)

「障害」というのは、その人が生活している環境に支障が出るから「障害」と言われているだけのことで、環境が変われば「障害」も変わります。環境が変わればそれまで「障害」だったものも障害ではなくなります。たとえば、読字障害は文字のない時代や社会には存在しません。

この点に着目すると、障害は、それ自体が否定されるようなものではないと思うんです。たまたまその人の特徴と環境が一致していないだけのこと。場所や時代が変わればそれは障害ではなくなるかもしれない。結局相対的なものなのです。

障害当事者や関係者の方にとっては、障害があるから不便だったり負担があったりするという現実は存在する(時にはとても重く)ので、社会が障害者や関係者の方々をサポートしていくのは必要です。同時に、「障害」と言われているものは「たまたま今この社会ではそうなっているだけ」の話だということは常に念頭に置いておきたいです。

だから、社会に役立つかどうかで人間の価値を決めるような思想や制度は、倫理的でない以前に不合理だと強く思っています。

自閉症と診断されているジム・シンクレア氏はこう書いています。「自閉症であるからといって非人間的というわけではありません。けれども自閉症であるということは、他のひとたちにとっては普通のことがぼくには普通ではなく、ぼくにとっては普通のことが他のひとたちには普通ではない、そういうことなのです。」


関連メモ

発達障害とは要するに何なのか。増加理由2つのうち1つめとは。


学習障害のひとつ、読字障害が起こる理由と、言語による発生率の違い。


自閉症と男性ホルモンの関係、統合失調症の遺伝子が残っている理由。


うつ病が増えている理由を社会の変化から考察。


遺伝に関するメモへのリンク集。


これまでに読んで興味深かった本・まんがのリスト。要約と感想メモへのリンクつき。

*1:米国の診断基準「DSM-5」。日本を含む世界中の医療機関でも使用されています。なお、日本の行政機関と一部の医療機関では世界保健機関が策定したICDという別の診断基準が使われています。


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