庭を歩いてメモをとる

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予告編を見ても観る気が起きなかった映画ですが、評判がいいので映画館に足を運んでみました(単純)。

噂通り、3D映像はなかなかのものでした。それに、「他の星の地下資源が欲しい地球人が、現地の異星人を攻撃しようとするものの、その異星人を説得するために送り込まれた主人公は地球(企業)のやり方に疑問を持つ」という、この上なくわかりやすいアメリカ批判も痛快でした。


しかし、私がこの映画について秀逸だと感じた点は他にあります。それは、異星人とその星の描き方についてです。

私は予告編を見てもこの映画を観る気が起きなかったと書きました。それは、異星人が全然魅力的ではなかったから。青色の肌。ひょろ長い身体。目と目が離れた「異形」の顔。このデザインセンスから映画の内容を推して知るべしだと思ったわけです。また、異星の自然は、美しさも感じられるものの、どこかグロテスクな感触も伴っています。自然に感情移入できるようなものではなかったのです。

しかし、この映画のモチーフを異文化コミュニケーション(と、それをないがしろにした西側文化の押しつけ批判)であると見たときに、この異星人・異世界のデザインは突然重要な意味を帯びます。「見た目で壁を作るな」というメッセージを感じたのです。

実際、アングロサクソン人から見たアジア人やアフリカ人は、この映画の異星人のような存在なのでしょう。私たち日本人だって、鼻や首に不思議な飾りをつけた「原住民」を見て、同じように感じているふしもあるかもしれません。

この映画は、「そこで思考停止して、彼らは自分とは別の存在だ、と思うのはやめにしないか」と呼びかけているような気がします。それを訴えたいが為に、あえて微妙な異星人・異世界をデザインしてのではないかと。サイードが「オリエンタリズム」で述べていたことを逆手にとっているわけですね。


映像に偏執狂的なこだわりのあるジェームズ・キャメロン監督のことだから、これは明確に意図してやっているのでしょう。あそこは「マトリックス」に、ここは「ダンス・ウィズ・ウルブズ」や「ラスト・サムライ」に似ていると思ったのは事実だし、映像効果に目を奪われたのも監督の計算通りでしょうが、この作品で一番強く感じたメッセージは、「見た目は違ってもコミュニケーションはできるし、すべきだ」というものでした。



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