朝の今井町
朝起きてから宿を出るまでに少し時間があったので散歩してみました。
今日も気持ちのよい陽光がこの町並みにふりそそぎます。
改築中の家。やはり古い柱は残しているようです。
町の中心、称念寺(しょうねんじ)。17世紀初期建立。
現在は改築中です。
町の西側に。織田信長本陣跡の案内が。
環濠のあと。この向こうは春日神社。
今井保育所、その向こうは今井小学校。もちろん両方とも現役。町の風情に合わせたつくりなのですね。
橿原神宮
宿を出て、今井町最寄りの八木西口から近鉄で2駅で橿原神宮前駅。そこから徒歩数分で・・・
神武天皇・皇后を祀る橿原神宮。創建は1890年。
本殿は京都御所から移築されたもので、1855年築。
「国旗のある自由画コンクール」
神武天皇陵
さらに北に15分ほど歩いて、神武天皇陵へ。正式には「畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)」、考古学名は四条ミサンザイ古墳。
古事記・日本書紀にもこの地域に神武天皇陵が存在することが記されていたり、927年「延喜式」という法令集には陵の広さの記載まであったので、神武天皇陵が古くからあったのは間違いないようです(神武天皇の即位は伝説ではBC660年なので、その1000年以上後の記録の上では、ですが)。しかし平安時代に摂関政治が勢いを増したことなどでその後荒廃し忘れ去られたとのこと。
それから数百年が過ぎ、江戸時代初期「大日本史」編纂(1657年着手)の頃から陵の位置確定の論争が起こり、最終的には1863年に現在の地に神武陵が造られました。弱体化していた江戸幕府が公武合体策を進める一環であったと言われています。
おおくぼまちづくり館
神武陵の後は、歩いて10分程度のおおくぼまちづくり館へ。
1915年、即位直後の大正天皇が神武陵に行幸することになりました。このとき、神武陵を見下ろす位置にあった被差別部落・洞部落を「恐懼せずんばあらざるなり」(畏れ多い)とし全村移転させることが建白され、1917~1920年に実際に移転が行われました(以上参考:部落解放同盟奈良連合会大久保支部「恐懼に堪えざることに抗して」より)。
私は奈良県で生まれ育ちましたが、奈良は同和教育が盛んで、小学校の道徳の時間はほぼすべて同和教育にあてられていたのですが、その中で特に印象に残ったのがこの事件でした。今回、神武陵を訪れるにあたりこのことについて調べてみたら「まちづくり館」の存在を知ることになり、イギリス研究会のメンバーを誘って来てみたわけです。
まちづくり館は、小規模とはいえ歴史やかつての部落の様子だけでなく現代この地域で暮らしている方々の証言・経験談なども閲覧でき、いろんな学びを得られる場所でした。
また、我々が訪問した際、たまたま地元の学校の先生がいらっしゃって、詳しいお話を伺うこともできました。
伝統色カフェ「楽膳」
お昼になったので、すぐ近所のお店楽膳へ。身体に配慮した自然食をゆったりといただきました。店主さんは整体師だそうです。
最寄りは畝傍御陵前駅でしたが、橿原神宮前駅まで歩き、そこで解散しました。いつものようにイギリスの話はほとんどしませんでしたが、天候、お店、宿、行き先、話題、メンバーすべてに恵まれたシルバーウィークを過ごすことができました。