50歳台から60歳台初頭の人々が人生の転機に真摯に向かっていく中編を5つ収録。
村上龍らしいなと感じたのは、おそらく綿密な取材に基づいて書かれていると思わされる細部描写です。この年代のこの業界・世界にはこんなことが起こっている(いた)のか。老人に近づくとこんなことを考えるようになるのか。年をとると金銭面での余裕があるなしかが精神状況をこんなに大きく左右するのか(若くても同じだとは思いますが、経験上自分がもっと働けるようになるという希望が持てないのがきつい)。余裕がなければ自分の健康を切り売りするような仕事が大半になるのか、等。常々、龍さんは小説家というだけではなくルポライターの側面も持ち合わせていると感じています。だからこの小説も、現代日本の60歳前後の人々のある一面を鋭く切り取ってレポートしてくれているルポルタージュとしても読みました。
村上龍らしくないというか、以前の龍さんには見られなかったが最近は鉄板になってきている特徴は、どの物語も希望をわりとはっきり示して終わる、というところです。各編の主人公は、それぞれの課題に自分なりのやり方で対峙します。いわゆるスーパーマン主人公はいません。やれることをやっていくだけです。そんな中、主人公や身近な人々は、時々はっとするような力強い言葉を発し、これから先の人生への期待を実感するようになります。
収録作品のそれぞれはまったく別の物語で直接の関連はありませんが、共通点もあり、そこも味わい深い。もっとも明確で印象深いのは、どの主人公も、疲れたときや重要な場面に遭遇したとき、お気に入りの飲み物(アルコールではない)を口にすることで、希望と活力を得るところ。こういう共通項も、それぞれの作品をより魅力的なものにしています。
収録作品の出だしのあらすじは次の通りです。どれもそれぞれ楽しめましたが、もっともベタかつ「力」が得られたのは「空を飛ぶ夢よもう一度」かな。
結婚相談所
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空を飛ぶ夢をもう一度
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キャンピングカー
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ペットロス
高巻淑子は、他人の妻は褒めても自分のことは褒めてくれない夫のことを考えずにすむように柴犬のボビーを飼うことにした。ボビーといる間は夫のことを忘れることができた。ボビーの様子がおかしいことは前から気づいていたが・・・
トラベルヘルパー
下総源一は、トラック運転手として働いてきた生涯に誇りを持っている。仕事の内容や環境はどんどん変わってきているし、今は蓄えも底をつきそうになってきているけれども。お金が入れば飲む打つ買うで過ごしてきたが、最近、本を読む楽しみがわかってきた。古書店で出会った美しい女性とお茶を重ねた彼は・・・