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現代社会が克服した伝統的社会の問題点とは?

前回のエントリでは、この本で知った「現代社会の我々が、伝統的社会から学べること」をメモしました。今回は「現代社会が克服した伝統的社会の問題点」についてメモします。


復讐の連鎖

高い殺人発生率、終わらない復讐

伝統的社会には、警察組織とそれをコントロールする国家政府がありません。なので、何かの事件を発端にした報復殺人がいつまでも続きます。

伝統的社会に暮らすクン族(かつてブッシュマンと言われたアフリカの民族)と1960年代の3年間生活をともにした人類学者リチャード・リーがクン族から入手した情報と別の筋の情報を付き合わせると、1920年から1969年にこの集団に22件の殺人があったことがわかりました。

22件というと少ないように感じますが、この集団が私たち現代社会の集団に比べると少人数であることをふまえると、殺人の発生率はアメリカの3倍、フランスやドイツの10-30倍となります。つまり、殺人事件の発生率がかなり高いのです。

また、殺人事件22件の内15件はひとつの殺人に対する報復殺人であることもわかりました。延々と果たし合いを続けているのです。これは時々語られる「伝統的社会は無駄な争いをしない牧歌的な社会」というようなイメージとは正反対のもので、個人的にはもっとも「真似したくない」側面です。

復讐を終わらせた方法

こういった「復讐の連鎖」は、伝統的社会が国家社会に取り込まれることで消えていきます。例えば、ニューギニア高地のアウヤナ族の一人はこう語っています。「政府がここにきてから・・・肩越しに背後を警戒することなく食事ができます。朝は朝で誰かに射られるのではないかとびくびくすることなく、外の便所で用を足すことができます。」

彼らに対し、当時のオーストラリア政府密林警邏隊と現地警察は何を行ったのでしょうか。

まず交戦中の集落のひとつを訪れ、部族民から豚を一匹購入し射殺することで銃の威力を村人達に見せつけた後、村中の防具をすべて没収。刃向かった部族民をときおり射殺。

これだけで、数千年続いた部族間戦争を終わらせることができました。アウヤナ族の人々が非常に現実的な考えをもっていたことと、みんなが「毎日をびくびくして過ごすのはもうごめんだ」と思っていたからこそ、長らく続いた戦争をこんなにあっさりと集結させることができたようです。

さて、伝統的社会の人々は、なぜ復讐の連鎖をやめることができなかったのでしょうか。言い換えると、なぜ政府と警察を持つことができなかったのでしょうか。

現代社会を築いた我々の先祖に比べ人種的に劣っているからでしょうか。それは違います。その理由を明快なかたちで解き明かしたのがダイアモンド博士の「銃・病原菌・鉄」です。詳細は同書をお読みいただくとして、伝統的社会が政府と警察を持てなかった理由を端的に言えば、伝統的社会が続く場所は、農耕に適した作物がなかったことと、家畜化可能な動物がいなかったからそうなっただけのことです。そこに住む人々が要因になっているわけではありません。


伝染病リスクと食糧不足

話を戻します。伝統的社会は、現代社会から見ると清潔ではなく、またそれが伝染病のリスクを高めています。例えば、フィリピンのアグタ族では50〜86%が、クン族では70〜80%が病気が原因で亡くなっています。感染症が多いです。原因は食糧不足と衛生感覚のなさです。要は、病気の原因が理解されていないため対策もとれないというわけです。これも、伝統的社会の「真似したくない」側面です。

具体的には、調理・水浴び・洗濯・排泄を近い水源で行っていることが多いそうです。アマゾンのシリオノ族は、疾患と排泄物の関連を理解していたが、それでも、自分の排泄物まみれの赤ん坊を洗うこともせず、その赤ん坊を世話した後自分の手も洗わず食事を続けていました。また、同じくアマゾンのピダハン族は、食事中に自分の皿を犬に差し出し食べ物を与えています。著者曰く、犬の持つ病原菌を摂取する確実な方法、とのことです。

まあ病気以前に、そもそも「次はいつ食べられるかわからない」がデフォルトというのは、想像するだけでかなりきついし、実際それが伝染病リスクをも増大させている(栄養が足りないので病気になりやすい)のですが。


精神的束縛

うわさ話が蔓延

伝統的社会の人々は話し好きで、いま何が起きているかをいちいち話して伝えます。例えば「今朝はこんなことが起こった、昨日はこんなことが起こった、誰がいつ何を食べた、誰がいつおしっこをした、誰が何を言った・・・」など。時には夜中に目を覚まして徹夜で会話にふけるほどです。

これだけみんながおしゃべりな一番の理由は、危険に満ちた社会ではこういった情報収集が非常に重要だからです。前述の「復讐の連鎖」から我が身を守るためにも必要な行為でしょう。しかし、うわさ話が蔓延する社会、とも言えると思います。

ニューギニア出身者はアメリカの何を気に入っているか

ニューギニアの伝統的社会で生まれ育った後アメリカで教育を受けたある人物はこう述べています。「アメリカの生活で最も気に入っているのは匿名性です。社会的結合から離れる自由を与えてくれます。*1

このような社会的結合の強さは精神的安定を与えてくれます。ディオ・ブランドーが「孤独は人間をカラッポにする」と言っているように、孤独にならないことは、たいていの人間にとって重要なことです。伝統的社会では、現代的社会に比べ人々がお互いをよく知り助け合う傾向があり、孤独になることはありません。しかし一方で、「問題解決に手を貸してくれと頼んでくる知り合いに悩まされずに人通りの多い街角のカフェで新聞を読む自由」や「自分の収入をすべての親戚と共有しなければならない義務を負っておらず、自分個人の向上のために自分の収入を使う自由」もありません。



以上は、伝統的社会の「真似したくない面」でした。以下は、「すべてを真似することは難しいが参考になる」と感じた面です。


子育て

赤ん坊がすぐに殺される

伝統的社会では、間引きが珍しくありません。食べ物が慢性的に不足していれば赤ん坊は生まれてすぐ殺されます。狩猟採集型で定住をしない社会では、ひと組の親が乳飲み子を二人以上連れて歩くことはできませんので、もしそのような状況で二人目が生まれたら殺されます。

ピダハン族では、女性は集団から少し離れた場所で一人で出産します。手助けが得られないことで女性や子が死ぬ危険があっても決して助けません。それは、人間は強くあるべきで困難には自力で立ち向かうべきだという信念があるからです。言語学者スティーブ・シェルドンが出産困難であることを大声で告げる女性を助けようとしたときも、部族民に止められました。

クン族では、女性は出産した子をすぐにチェックし、生かすか殺すかを自分の責任で判断し、実行に移します。

子育ては手厚い

こういった嬰児殺しを容認する社会は、真似したくありません。しかし、生まれた子どもには非常に手厚いのも伝統的社会の特徴で、これは参考になります。

アフリカのエフェ・ピグミー族では、ぐずりはじめてから10秒以内に母親か他人が赤ん坊をなだめます。

クン族の場合は、赤ん坊の体にそっと触れたり授乳するといった何らかの対応が3秒以内になされる割合が88%にのぼり、10秒以内になされる割合はほぼ100%です。

そして、これらの子ども達の間ではいわゆるアイデンティティ・クライシスがまったく見られないのです。アイデンティティ・クライシスの有無は伝統的社会の子どもへの接し方と関係があるのでしょうか。ダイアモンド博士は、それは断言できないが、これらの「始終子どもをフォローする」教育が破壊的な展開を見せる育児だと言えないのは確かである、と述べています。


高齢者の処遇

高齢者を棄てることも、大切にすることもある

伝統的社会における高齢者の処遇も、子育てに似ています。高齢者遺棄が容認されています。

しかし一方で、高齢者を現代社会以上に「社会の重要な一員」としている部族もあります。ひとつは孫の子育て要員として、もうひとつは(本やネットのない社会では特に重要なことですが)生き字引・語り部としてです。

現代社会に生きる高齢者にはどんなことができるでしょうか。ダイアモンド博士の提案は次の通りです。

  1. .育児サービス
  2. 価値ある記憶の提供(戦争・社会の変革の経験等)
  3. 高齢であるほうがうまくいく仕事
  • 問題解決のための論理的思考の構成力が必要な仕事(DNA構造や純粋数学理論にかかわる問題の研究など)は40歳以下の学者にまかせたほうがいいが、
  • 多面的知識データベースが関与する、複雑な問題解決のための学際的思考の組み合わせ(種の起源に関する研究、比較歴史学に関する研究など)は40歳以上の学者にまかせたほうがよい。

生きていればあと20年くらいで高齢者の仲間入りをする私としては、できるだけ健康な状態を保つことが重要だと改めて感じました。


その他

本書は、以上にメモしたことだけではなく、伝統的社会における宗教の位置づけや、伝統的社会にはよく見られる複数言語話者になることのメリットなど、興味深い考察のある本でした

。博士の「一人で生理学・生物物理学・鳥類学・生態学・地理学・進化生物学・人類学を学びそれらを有機的に結合した結果、社会に有益な結論や問題提起を提供し続けるという仕事」にはいつも圧倒されます。こういう「一人学際状態」の研究者は本当に貴重です。今後もお元気でこういう「高齢であるほうがうまくいく仕事」を続けていただきたいものです。

関連メモ

「昨日までの世界」から

同書のうち、伝統的社会から学べる点についてのメモ。

ジャレド・ダイアモンド博士の本

注釈

*1:一方、ニューギニアで育った後アメリカで暮らすようになった別の人物は、アメリカは不自由だといいます。ニューギニアには「木登り禁止」や「飛び込みは自己責任で」などという看板や規則はない、とのこと


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